第12話 暴露
黙り続ける俺を見て、だんだんと竹下先輩の口調が鋭くなっていく。
「そろそろいい加減にしろよ。いつまで黙ってんだよ。なんだ? もしかして……まだあのこと引きずって――」
「――やめてください!」
先輩の口から「あのこと」というワードが出た途端、どこからか怒りがこみ上げてきて、思わず俺はその場に立ち上がってしまった。
周りがざわざつき始める。
最初は赤組内だけの小さなざわめきだったが、それはすぐに周りにも波及していく。そして、すぐに近くにいる他の組の人たちまでこちらのやり取りをじっと見つめているという状況が出来上がってしまった。
……さすがにやり過ぎたか?
いや、「あのこと」と言われて冷静になれるほど、俺はまだ克服できたわけじゃないし、そんなに辛抱強くもない。
「せ、先輩……。いくらなんでもそこまで言う必要はないでしょう……」
俺が言い返すと、先輩は口角をニイっと上げ、微笑する。
「へぇ……ずいぶんと言うようになったじゃん」
ずいぶんと余裕な表情をしている。
それもそうか。だって先輩は俺の過去を知る数少ない人のうちのひとりなんだから。
圧倒的に竹下先輩に有利なこの状況で、俺ができることはほとんどゼロである。
「……それで? やるの? やらないの?」
「…………………………っ」
しかし、俺はここまで来ても返事ができなかった。
ここで受けてしまうということは、同時にあの過去を繰り返すのと同義なわけで。
だが、立ってまでじっと黙って思案に沈む俺にとうとう我慢の限界が来てしまったのか。先輩は「チッ」舌打ちをすると、
「突っ立ってまでウジウジ悩んでんじゃねえよ。……なあ、100m中学日本記録保持者の高岡伊織くんよぉ」
「………………………っ⁉」
マジで言いやがった⁉
俺が今まで隠してきた秘密を。
掘り返してはいけない過去を。
決して超えてはいけない一線を。
この人はそんなことなんて一切気にする素振りを見せることなく、公共の面前で堂々と暴露した。
竹下先輩は、俺がどれだけ苦しんでいたのかも知っていたのに。それにもかかわらず――それを踏みにじった。
先輩の言葉が体育館に響き渡り、場が一瞬静まり返る。
俺は体中の血の気がスーッと引いていくのを確かに感じた。
そして、次の瞬間――体育館が先ほどよりも大きなざわめきに包まれていく。
「嘘だろ?」
「中学日本記録⁉」
「あんな奴、陸上部にいたっけ?」
「いや、見たことない」
「なんで陸上部入ってないの?」
次々と俺の耳には彼、彼女らの驚きにあふれた、そんな会話が聞こえてくる。
まあ、無理もないだろう。日本記録を持った奴が高校で帰宅部なんて聞いたら、誰でもびっくりするだろうよ。俺が逆の立場だったら同じこと言うだろうしな。
しかし、ここまであからさまに敵対心を向けてくる竹下先輩の行動原理は――俺に対する嫉妬。十中八九それで間違いない。
かつて、中学の陸上部で、竹下先輩は俺と同じ短距離部門に所属し、共に汗を流してきた仲間だった。
ただ、俺が入部した年の夏前だっただろうか。
俺は先輩のタイムをあっさりと更新してしまった。
そしてその後もタイムを伸ばし続け、2年生の春で――竹下先輩がさっき暴露したように――中学日本記録を更新することになる。
入学してすぐの後輩にタイムで負けたとなれば、計り知れない屈辱を感じたのだと思う同じ陸上という競技をやっていた選手として、そんな竹下先輩の気持ちもわからなくはない。
ただ、その日以来、先輩は俺との関わりを最低限にするようになった。というより、むしろ俺のことを避けるようになったというのが正しいか。
練習前も、練習中も、そして練習後も。
本当にあの日以来、竹下先輩とひと言も話した記憶がない。
まあ、俺も俺で、積極的に竹下先輩に話そうとしなかったことも、余計に二人の間の溝を大きくしてしまったのかもしれないが。
――後輩を徹底的に避け続ける先輩と、それを受け入れている後輩。
俺たち短距離部門の人間関係は、周りから見たら、さぞかしいびつに見えたことだろう。
それだけ竹下先輩は、憎くて憎くてたまらない俺と顔を合わせないようにしたかったのだと思う。
今思えば、そんなことあるのかよ、と突っ込みたくなることだが、しかし、それが過去に実際に起きていたことだから驚きだ。
――それから約二年。
まさかこんな形で再会するとは思ってもいなかった。
同じ学校で、しかも同じ組で。
俺がこの高校に入学したことはどこかしらで耳に入っていたと思う。だから、今までの俺に対する恨みやらをひっくるめて、この体育祭という、陸上を最も連想させる場面で満を持して俺に声をかけたのだったら……なんて性格の悪い人なんだろうか。
竹下先輩は周りに視線を振りながら、
「なあ、高岡……。君みたいな中学日本記録保持者がいれば間違いなく優勝できちゃうと思うんだけどな……どうかな?」
先輩のその口調は明らかに周りを煽っていて、俺がリレー参加を断るという選択肢を完全に塞ごうとしている、そんな魂胆が見え透いている。
「そんなに足速いんだったらなんで立候補しないのよぉ」
「お前がいれば優勝したも同然でしょ?」
「やった~これで今年のリレーはもらったね!」
ここにいる何の事情も知らない人たちは、案の定、竹下先輩の思惑通りにその煽りに便乗していく。
……まったく、好き放題に言ってくれる。
さっきまでこの体育館の熱さにうんざりしていたが、今は背中に悪寒が走り、身体から変な汗まで染み出てくる。心なしか、微かに全身が震えているような……。
呼吸も浅く速くなり、吐き気もする。
ああ、早くこの苦しい雰囲気から解放されたいな……。
そのためには――そんなことまで考えるようになってきた。
俺の周りでは、今もなお、竹下先輩の煽りに便乗した人たちが口々に俺に言葉を投げ込んでくる。その一つ一つがまるで鋭利な刃物のように俺の身体に突き刺さってくる。
痛い。苦しい。
何で……何で俺だけがこんな目に遭わなければいけないんだ。
ずっと隠してきたことを大勢の前で晒され、しまいには、顔も名前も知らないような奴らからああだこうだ言われる。
あぁ……まるであのときと同じじゃないか。
こんなの…………嫌だ。
そして、もう断れない――そう悟った。
「……………走ります」
そう言うしかなかった。
「え、何? 聞こえないんだけど」
竹下先輩はわざとらしく耳に手を当てる。そんな仕草に、体育館は笑いに包まれる。
「……っもう、やります‼ 走りますよ‼」
俺はもう半ば投げやりにそう叫ぶように言い放った。これ以上この状況の中心にいたら、本当にどうにかなりそうだった。
「そっかぁ………。じゃあよろしくね~」
先輩はそう言うと、自分のクラスの輪の中に消えていった。
「じゃ、じゃぁぁぁぁあ、リレーの最後のひとりはぁぁぁぁあ、そこの……えっと、高岡くんだねぇぇぇぇえ‼」
このクセの強さはさっきとまるで変わりはしないが、今の俺には、そんな団長の声すらもほとんどまともに耳に入ってこない。
俺も全身の力が抜けたようにその場に座り込む。すると、
「た、高岡くん、だいじょうぶ?」
隣で誰かが慌てた様子で俺に声をかけてくる。
しかし、俺は強烈な頭痛と吐き気に襲われていて意識が混濁していた。だから、それが誰なのかを判別する余裕なんて少しもなかった。
「か、顔が真っ青だよ……。ど、どうしよう……」
しばらくその人は考えるように黙り込んだのだろうか。そして、
「……そ、そうだ。保健室! 保健室行かないと!」
「う、うん……ありがとう」
かろうじてそれに返事をすると、そのままその人に連れられ、体育館を出る。
体育館の外に出て、太陽の光がまぶしいなと思ったのがはっきりと覚えている最後。
――そこで俺の意識は途切れてしまった。
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