体育祭
第8話 過去の戒め
近藤さんと見つめ合うこと数秒。
止まった秒針が動き出すかのように、徐々に彼女の顔が緩んでいく。
「……………ふふふっ」
そして、近藤さんが俺を見ながらほほ笑み始めた。
「………………?」
俺は最初、なんで笑ってるんだろうと不思議に思っていた。しかし、だんだんとそのほほ笑みが俺の心の中のモヤモヤをくすぐる。
「……………っ…………は……はははっ」
俺と近藤さんはふたりで同じポーズをとりながら笑い合う。まったく、俺らはなにやってんだろ……。
よくわかんないけど、楽しいからいいか。
やべぇ、腹筋きっつ~。わりとガチでツボったかもしれない。
――いつだっただろうか。
「笑いは伝染する」とか「笑いは初対面の人との距離を縮めてくれる」とかいったネット記事を見たことがある。
まさかそんなことないだろうと高をくくっていたが、実際に今、ここで本当起きている。
それに、気のせいかもしれないが、近藤さんとの心の距離が少しばかりだけど縮まったようも感じもする。
さっきまであれほど不快に思っていた教室の喧騒だったが、もしかすると、ふたりの間に残る緊張を和らげてくれるのに役立ったのかもしれない。
俺と近藤さんはふたり見つめ合いながら、この喧騒にお互いの目尻に涙が浮かぶほどの笑い声を重ねていく――が。
さすがに先生も我慢の限界がきたらしい。
教卓にバンッ!、と出席簿をたたきつけると、鋭利な眼光を生徒たちに振りかざす。さっきのアサシンよりも数倍怖いです……はい。
「お前らがうるさくするようなら、この話はなかったことにしよう。………じゃあ私はこれで失礼する」
と言い、ドアに向かい始める。
すると、さっきまで騒いでいた生徒たちは、何事もなかったかのようにピタッと黙り、先生に「話してください」オーラを放ち始める。
あなたたち…………本当に単純ですね。まあ、かくいう俺もそれに従うんですけどね。同調圧力万歳。
そんなオーラを感じ取ったらしく、柳先生はその場で立ち止まり、俺たちの方を見る。
すると、生徒のオーラはさらに強くなっていき、教室が白い閃光に包まれる――なんてことはない。そんなの見えるわけないよね。俺エスパーじゃないし。
柳先生は、「やれやれ、まったくお前らは手がかかるなぁ」みたいな表情を浮かべ、教卓へ戻っていく。
「……お前ら。そうやって最初から黙って聞いてればめんどくさいことにはならなかったし、こちらも大声を張り上げることもなかったんだ。以後他人に迷惑をかけるような私語は慎んでくれ…………」
「「「……………はぁい………………」」」
みんなで声をそろえて返事をする。初めて見せたクラスの一体感だった。
「……では、改めての改めて、だな。」
柳先生は小さなメモのようなものを広げ、話し始める。
「さっきも少し話したが、今日の話は、あと一カ月後に迫った体育祭に関することだ。今日の午後に予定されているロングホームルームの二時間はそれに時間を当てることになっている。最初の一時間はクラス内で色決めをした後に軽く顔合わせ。後の一時間は体育館で全校生徒での顔合わせだ。これらは体育祭実行委員が中心となって進行等をしてもらうから、そのつもりでいるように。以上だ」
そう言って教室のドアから姿を消す。
「………………はぁ」
俺は先生がいなくなった後、ため息をついた。
すると、近藤さんがこちらを振り向いた。
「高岡くん、どうしたの? そんなにため息ついて……幸せ逃げちゃうよ?」
そう言って、大きく息(俺の幸せ?)を吸い始めた。
「あ、あの……近藤さん?」
近藤さんのちょっと不思議な行動に少し戸惑う、俺。
近藤さんのこういった仕草は、今どきの女子によくある、ウケ狙いでわざとやっているという感じはまったくしない。
むしろ、これが近藤さんのスタンダードって感じ。つまり、正真正銘の天然な性格ってこと。
「いや……だってさ、体育祭だよ? 陽キャがワイワイやって『俺ってスゲーんだぜ☆』とか『俺を見ろっ!』みたいなアピールしてくるじゃん……。俺、そういうのあんまり好きじゃないんだよね……………」
俺は体育祭に対する本音をつい漏らしてしまった。
「そ、そうなんだ……。高岡くんって体育祭に積極的な感じがしてた」
近藤さんは若干の苦笑いを浮かべながらも、若干驚いているような表情をしていた。
どうやら、近藤さんは俺のことを盛大に勘違いしていたみたいだ。
「で、でも。体育祭って楽しいじゃん! みんなでひとつのイベントを作り上げていくっていうか……。わたしはリーダーとかは向いはいないと思うんだけど……。ん~っと……そうだ! ダンス! ダンスとか、わたしすっごく楽しみなんだ! かわいい衣装着て踊るの!」
「へ、へぇ……………」
近藤さんは目をキラキラさせながら、かなり熱が入ったように話す。これまでの近藤さんからは想像できない変わりっぷりだ……。
「…………………っ!」
そんな俺の反応を見て、自分の熱弁っぷりに気づいたのだろう。近藤さんは顔を真っ赤に染め、両手でその赤面した顔を俺から隠すように当てる。
「ご、ごめんね………。なんかわたし、つい熱くなっちゃって……変、だった…かな?」
「……………っ!」
指の隙間から上目遣いで俺のことを見る。その瞳はいつもより潤んでいて、俺の心の奥まで覗かれているように見える。
やばい、それはやばいって。
そんな顔で見られたらこっちまで恥ずかしくなっちゃう!
なんだか俺まで顔が熱くなってきた。
「べ、別に変じゃないと思うよ……。楽しみは人それぞれだし……近藤さんみたいに楽しみがあるって……俺からしたら……とっても羨ましいことだと思う……よ」
「ほ、ほんと?」
近藤さんは両手を顔から話すと、満面の笑みを浮かべる。
「う、うん…………」
近藤さんのその笑顔を見ると、さらに心拍と体温が上昇していく。
しかし、近藤さんはその笑顔のまま、話を続ける。
「わたし、みんなが楽しんでこそ体育祭が成り立つと思ってるの。だから、今はまだあんまりよくわからないかもしれないけど、高岡くんにもこれから楽しいって思ってもらえるようにわたし頑張るからね!」
「……そ、そうだね……………。あ、ありがとう………………」
夏でもないのに滝のような汗が噴き出してきた俺は、慌ててハンカチで頬を拭う。
そして、俺たちのやり取りが終わるのを待っていたかのように、一限目の開始のチャイムが鳴ると、体育祭のことで盛り上がっていた教室も徐々に授業を受ける雰囲気へと落ち着き始めてきた。
それに合わせて鼓動が落ち着くいてくると、俺は近藤さんとのやり取りを反芻する。
――みんなが楽しんでこそ体育祭が成り立つと思ってるの。
――高岡くんにもこれから楽しいって思ってもらえるようにわたし頑張るからね!
そんな笑顔で言われてNOと言える奴がいるだろうか――いやいないだろう。
あのときから今まで、俺は体育祭ではなるべく目立たないようにやり過ごしてきた。それは高校に入ってからも同じようにしてきた。
しかし、どうやら今年はそうはいかなくなるみたいだ。
もしかすると、今まで囚われ続けてきた「過去の自分」というしがらみから解放してくれるのではないだろうか――近藤さんとの出会いによって。
――いや、まさかな。
俺はその可能性をすぐに否定する。
そんなことがあってほしいと願っても、そう簡単に叶うはずがない。うまくいくのであれば、とっくに克服しているに違いない。
――過度な期待はしてはいけない。なぜなら、裏切られたときに、人はその何倍もの苦しみを味わうことになるのだから。
俺はこの言葉をいわば教訓のように自分の心に刻み込んできた。俺はもう二度とあのときのような苦しみを味わいたくない、その一心で。
だから、今回の淡い期待すらもこの言葉の前に一蹴されてしまい、なにも変わることはないのだろう――そのときの俺は、まだそう思っていた。
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