第7話 幻想と困惑
翌日。
俺は登校二日目の朝迎えていた。
俺はまだ夢の世界にいたいと思っていたが……。
悲しいかな。スマホのアラームと目覚まし時計のダブルパンチの前に為す術もなく、第一ラウンドで一発KOを喰らってしまった。
あぁ……眠いなぁ…。
俺は大きなあくびをしながら渋々ベッドから出て、一階のリビングに向かった。
「おはよぉ…」
「あら、おはよう。もうご飯できてるから早く食べちゃいなさい。遅刻するわよ~」
そう言ってフライパンを器用にひっくり返しているのは、俺の母親。
なぜか今日はいつもと比べてテンションが高い気がする。
「母さん、今朝はやけに機嫌がいいみたいだけど、何かあった?」
「そうなのよ、聞いてよ伊織。今日の星座占い、お母さん一位だったのよ!」
なるほど……どおりでテンションが高いわけだ。
母さんの誕生日は7月25日のしし座。ちなみに俺は7月24日。
つまり、俺もしし座で今日の運勢は一位ということになる。
「『今日は恋愛運がマックス! あなたに話しかけてくる異性はあなたに脈ありかも!』だそうよ! お母さん、今日はパートブッチして原宿にでも遊びに行ってこようかしら!」
「……は?」
……いやいや、待ってくれ。突っ込みどころが満載過ぎて、どこから突っ込んでいいのかわからなくなるんだが。
「まず、母さんが原宿は似合わない、というかあそこは高校生とか大学生とかのナウでヤングなピーポーのためにあるようなもんだ。まあ、行ったことはないから知らんけど。テレビとか見ても若者しかいないじゃん。そんなとことに行ったら、母さんは異性に声をかけられるどころか、来る人来る人に好奇の目で見られるぞ」
「そうかしら? お母さんは永遠のはた――」
「――それはない」
母さんが言い切る前に、そこははっきりと否定させていただく。
勘違いはしっかしと訂正しておかないとね!
「それに、仮に異性に声をかけられたとして……。母さんがそれに付いて行って付き合ってみなよ。それ不倫だからね。ふ・り・ん。わかる?」
そんなことで不倫なんかがまかり通ってしまったら、日本は一夫多妻制がとっくのとうに復活しているのだが。……そう思うのは俺だけか?
「あー、あと、最後に……仕事はサボるな」
っていうか、ブッチって言ったよね? サボる、じゃなくて。
お世辞にも若いとは言えない母さんからそんな言葉が出てくるなんて……。
なんか同世代と話しているみたいな感覚に陥ってしまうじゃないか。調子が狂うぜ、まったく……。
「……っ」
母さんはさっきまでの勢いを完全になくし、意気消沈しかけていた。
「……そうよね。母さん、何か変な幻想を見てたのかもしれなかったわね……。伊織に言われて、現実に戻ってきたわ」
「お、おう……」
少し言い過ぎたかな……。いや、これでいい。いつまでも幻想に憑りつかれてると、母さんは本当に原宿とか行っちゃいそうだから――
「あらやだっ、伊織!」
突然、母さんが大きな声を上げた。
「なんだよ今度は……」
「なんだよじゃないわよ! もう八時過ぎてるの! 遅刻するわよ!」
「……えっ?」
俺は慌ててテレビの時刻を確認する。
「8:07」
…………。
のんびりし過ぎた、というか母さんのしょうもない小ネタに本気で突っ込み過ぎてた。
「朝飯は無理だ! もう着替えていく!」
俺はダッシュで自室に戻り、目にもとまらぬ速攻で着替えると、ローファを履いて玄関を飛び出す。
すると後ろから母さんが慌てて駆け寄ってくる。
「伊織、お弁当忘れてるわよ!」
「あっ、忘れてた! ありがとう! じゃあ行ってくる!」
「気をつけなさいよ。あんたの運転は危なっかしいんだから」
「わかってるって。じゃあ!」
俺はチャリにまたがると、向かい風なんてお構いなく、チェーンがうなるまでペダルを回し、神速の如く学校へと向かった。
「………………ふぅ」」
学校の駐輪場についた俺は、慌てて腕時計を確認する。
「8:38」
なんとか間に合った……。
呼吸を整えつつ、しかし足早に昇降口に向かう校舎へ向かう。
下駄箱で上履きを履いていると、予鈴が鳴り始めた。
「やっべ!」
俺はここにきて最大の窮地を迎え、ダッシュで教室に向かった。そして予鈴が鳴り終わるのと同時に教室に滑り込む。セーフ。
ここまでダッシュできたから、体がかなり火照っている。
手で顔を仰ぎながら、ホームルームの時間を迎える。
柳先生が教壇に立ち、出席簿を見ながら、順番に名前を呼んでいく。
いつもなら、出席を取り終わったらすぐ出ていってしまうのに、今日はなぜか教壇に立ったままだ。
柳先生はごほん、と咳払いをすると、
「えー、今日は大事な話がある」
そう前置きをし、クラスをぐるっとひと回り見渡す。
「………?」
え、何これ?
ま、まさか………………結婚⁉ ついに⁉ あの独身を貫く(自称)アラサーが⁉
なになに⁉ 俺たち結婚式に招待とかされちゃったりするの⁉
……と思ったが。
よく考えてみたら、そんな大事な話をこんな時間のない朝のホームルームでするわけがないな。あの人のことだ。もっと時間のある時に長々と話すに違いない。
――というわけで、もし結婚の話題でないとするならば、それ以外で柳先生がなにを話そうとしているのか、俺にはまったく想像がつかなかった。
周りの生徒も俺と同じようなことを考えているみたいで、いつもの騒々しいおしゃべりは鳴りを潜め、先生の言葉の続きをじっと待っていた。
「なんだろう、この雰囲気は……。そんなに黙ってじっと見られても、逆にこちらが話しづらくなってしまうな。そんなに深刻な話ではないのだが……」
さすがの柳先生も、この異様な雰囲気を感じ取っていたのだろう。一度目を閉じて一息つき、すっと目を開いてから話し始めようとするが――
……………ん⁉
話す直前に先生が俺の方をまるでアサシンのような眼光を向けてきた。今のは気のせいだろうか……。気のせいだと信じよう…………こわっ!
「それでは、改めて。えー、今日の連絡は、体育祭に関する――」
「「「っしゃーーーーー‼」」」
先生の話が終わる前に、「体育祭」というワードを耳にした途端、さっきの沈黙どこへいったのか、教室は武道館ライブに放り込まれたような喧騒に呑み込まれた。
「お、おい、静かにしないか‼」
柳先生はこの武道館ライブと化したこの喧騒をなんとか静まらせようとするものの、焼け石に水のようで、まったく生徒の耳には届いていなかった。
「体育祭だって‼」
「そういえばもうそんな時期か‼」
「オレ去年顧問にダンス禁止令出されて踊ってねぇから、今年こそ踊るわ‼」
「友達の家で衣装作ったの思い出すね~。今年もやろっかな‼」
「うっっっっっっっひゃゃゃゃゃやぁぁぁぁぁあ‼」
「%#&’%$%#&#%#@?%‼」
生徒たちは『みんなが騒いでいるから』という免罪符を得ると、まるで口々に大声で言いたいことを叫んでいる。
………まじでうるさい。
っていうか最後の誰だよ。何喋ってんだよ。聞き取れない日本語使うな。
俺は、この武道館ライブ――もとい統率がなっていないこのカオスな空間に耐え切れなくなってきた。
コミケのほうが統率とれてんぞ、きっと。ソースはユーチューブ。
俺は東照宮の『聞か猿』みたいなポーズをとって、必死にクラスメイトたちが発する爆音を遮断しようとする。
ふと横を見ると、近藤さんも俺となじように耳を塞いでいた。
「…………………⁉」
俺は言葉を失った。
近藤さんは小動物のように小さな顔を(>_<)にして、小さな手で耳を押さえている。
か、かわいい………………………。
近藤さんのあまりのかわいさに、つい見惚れてしまう俺。
その視線に気づいたのか、近藤さんは顔を(>_<)のままこちらに向け、右目だけ軽く開けた。
その表情が俺にウインクをしているみたいに見えた。
そんな近藤さんの仕草を見てしまい、俺の心臓は暴走列車の如く脈打ち始めた。
……………まただ……なんだよこれ?
あの日、近藤さんと出会ったときに感じていたのと同じ、モヤモヤした気持ちがまた胸の中で燻り始める。
しかしあのとき同様、この気持ちの正体が一体なんなのかなんてわかるはずもなく、俺は引っ掛かるような思いのままでいるしかなかった。
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