第6話 接近

 そんなモヤモヤを抱えつつも、なんとか一通りの授業を終え、放課後を迎えた。


 「結衣~、部活行こ~」


 ホームルームが終わるとすぐに、教室の後ろのドアがガラッと勢いよく開けられ、放課後の教室の喧騒の中にいてもはっきりと聞こえるほどの声が聞こえてきた。 


 どうやら近藤さんと同じ部活の人らしい。

 彼女は見るからに活発そうな雰囲気がある。その大きな声と、明るめのブラウンのロングヘア。そしてなにより女の子にしては背が大きいところがとても印象的だ。


 「わかった~。もう少しで準備できるから」


 近藤さんはドアのそばにいる友達にそう告げると、せっせと荷物をまとめ始めた。


 俺は部活に所属していないから、さっさと家に帰ろうと、そんな2人の会話を軽く聞き流し、手早く荷物をまとめようと、机の中から教科書を引っ張り出そうとした。


すると、隣で何かものすごい音がした。


 「――⁉」


 俺は音がした方向に思わず振り向く。

 すると、誰かの筆箱が盛大に教室の床にひっくり返っていて、中身が床一帯に散乱していた。


 最初は誰のものだろうかと思っていたが、狼狽してその場に立ち尽くしている近藤さんを見つけ、これらの持ち主が彼女であることを理解する。


 俺はいつもなら見て見ぬふりをしたいたが、それがすぐ隣で起きていること、そして相手が近藤さんということもあってだろうか。無意識的に、ほとんどノータイムでに近藤さんのもとに駆け寄り、近藤さんが落としたシャーペンやら蛍光ペンやらを拾い始めていた。


 それらを拾っていると、片手では収まらなくなっていた。なんで女の子って筆箱の中身こんなに多いのかな……。筆箱がパンパンになるほどの蛍光ペンとか、あとやたらキラキラしたラメが入っているやつとか。そんなに使うのかなっていうくらいたくさん持ってるよね……。


 そんなことを思いながら、拾い続け、最後の一本に手を伸ばすと、俺の指先と誰かの指先とがちょこんと重なった。


 「……?」


 誰だろうと思って顔を上げると、face to faceで20㎝位の超至近距離に近藤さんの顔があった。


 「……………っ⁉」


 近藤さんの顔が目の前に近づいたことで、その細かな息遣いまで感じてしまう。それに、ほんのり甘いフローラルの香りがふわっと香ってくる。


 「女性は甘い香りがする」なんてよく言われているが、俺は思っていた――そんな匂いがわかるほど女の子にお近づきになったことないし、っていうか、なんなら女の子としゃべったことすらあんまりないから知らねえよ、と。


 ――前言撤回。


 これは――ぶっちゃけやばい。


 こう……なんていうの? 

 フローラルの香りがするんだけど、明らかに他人ウケを狙っているような人工的なくどい香りとかじゃなくて、本当に自然にほのかに香ってくる感じ。

 俺はそんなに詳しい方じゃないからよくわかんないけど、そんな奴にでもわかるくらい心地いい香り。


 でも、このままだと心地よ過ぎて悩殺されてしまう………………。

 俺は思わず後ずさりした。

 すると――誰かが開けっ放しにしていたのだろう――後ろのロッカーの角に背中を思いっきりぶつけてしまった。


 「うっ………………ったぁ……」


 「だ、だいじょうぶ……?」


 背中をさすっている俺を近藤さんは心配そうな目で見つめてくる。

 だが、俺はさっき近藤さんと超至近距離で見つめ合ってしまったことによる緊張で、近藤さんの顔を直視できないでいた。


 は、恥ずかしい……。


 心臓がバクバクと高鳴り、胸の奥にさっき感じていたのと同じようなモヤモヤを感じる。

 さっきからなんなんだこの感じは……。

 俺はまったくもってして大丈夫ではなかったが、これ以上近藤さんを心配させるわけにもいかない。


 「だっ、だ、大丈夫だよ……」


 俺はなんとか平静を取り繕ってごまかすことができた。

 でも、なんかこのまま帰るのは違う気がするな。せっかくだから、もう少し近藤さんと話がしてみたい――なぜかそう思った。


 ………よし。


 俺は痛む背中を押さえながらゆっくりと立ち上がり、会話を繋げていく。


 「そ、そういえば、近藤さんは何部なの?」


 「わ、わたし…? テニス部だよ」


 「へ、へえ……。テニス部なんだ……」


 ――会話終了。

 あ、あれ……あれれれれ? 

 なんか思ってたのと違うんですけど! 

 なにこの一問一答的な会話は! 

 っていうか、もはや会話になっていない。え、なに? 俺の会話レベル低すぎない? 

 もう少し行けると思っていた数秒前の自分を殴りに行きたい。


 「――た、高岡くんは何部?」


 そんな自己嫌悪に浸っていると、近藤さんの方から話しかけてくれた。


 「お、俺? 俺は……特に何もやってないよ」


 そう答えると、近藤さんはきょとんとした顔をする。


 「……そ、そうなんだ……陸上部かと思ってた」


 「ん?」


 語尾が段々小さくなっていったから、最後がまたよく聞こえなかった。

 俺が不思議そうな表情を浮かべると、それに気づいた近藤さんは、何かをごまかすかのように顔の前で両手をぶんぶん振りながら、


 「あ、いや、高岡くんってなんていうか、アスリート体型? っていうのかな。スポーツやっているようなイメージがあってさ……。部活やってないって聞いてびっくりしちゃった……あはは」


 ああ、そういうことか。たしかにそうかもしれない。


 「それ、よく言われるんだよね……。まあ、正確にはやってた、なんだけどね……」


 「えっ?」


 近藤さんがちょっと俺の言葉に食いついてきた。


 「まあ……ね。ははは……」


 俺はその先についてはあえて触れないでおいた。というか、触れたくなかった。だから言葉を濁して乗りっ切った。


 「そ、そうなんだ……」


 俺はそのときの近藤さんの何かを考えるような間が一瞬気になったけど、そのときはそんなに深く追及する気にはならなかった。


 「――じゃ、じゃあわたしは部活行くね。拾ってくれてありがとう……また明日、ばいばい」


 そう言って近藤さんは俺に手を振りながら、友達のところに駆けて行った。


 「う、うん……じゃあね」


 俺も小さく手を振りながら、後姿の近藤さんを見送った。


 「……さて、と。俺も帰るとするか」


 俺は自分の席に戻ると、鞄を取って――


 「――あれ?」


 俺は自分の机の下に、見覚えのないストラップが落ちていることに気づく。


 「ん? 誰の……?」


 俺のじゃないってことは――まさか、近藤さんの?


 さっきの筆箱の一件があるから、中に入れていたのが偶然ここまで飛んできてしまったということは可能性として十分に考えられる。


 まだそんなに遠くには行っていないはずだから、確認しに行くか。

 俺は鞄を自分の席に雑に置くと、昇降口に向かって走り出した。


 近藤さんたちは、すぐに見つかった。


 「こ、近藤さん!」


 「え、あっ、た、高岡くん⁉ どうしたの?」


 近藤さんは、俺が来たことにとても驚いているような顔をしていた。


 「ああ、えっと……このストラップが俺の机の下に落ちてたんだけど。これって近藤さんのかなって思って……。どう?」


 俺はポケットに入れていたストラップを近藤さんに差し出す。


 「あっ!」


 すると、近藤さんは突然大きな声を出す。


 「あっ……いきなり大きい声出しちゃってごめんね……。これ、わたしの‼ 筆箱の中にいれてあるものだったの……よかったぁ。わたし全然気づかなかったよ。見つけてくれてありがとうね」


 満面の笑みを浮かべながら、大事そうにそのストラップを撫でる。

 近藤さんがストラップを撫でている光景を見るだけで、なぜか心が穏やかになるようだった。


 「そんなに大事なものだったんだね」


 「うん‼」


 「それならよかったよ」


 「本当にありがとう!」


 「いやいや……」


 近藤さんの目がキラキラと光っていて、これ以上見ているとなんだか照れてきちゃう……。


 「じゃ、じゃあ、俺はこの辺で。荷物も教室だから……。部活、がんばってね……ば、ばいばい」


 「う、うん。ありがとう……ばいばい」


 俺はそこで近藤さんたちと別れた。

 しかし…………なぜだろう。

 教室に変えるときも、そして学校から家に帰るときも。

 そのときの近藤さんの少し蒸気してほんのり赤らめて俯き加減の表情が、俺の脳裏に強く焼き付いて、しばらく離れることがなかった。

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