第5話 高鳴り

 俺が近藤さんに視線を奪われていると、不意に近藤さんと目が合った。


 …………………………。

 …………。


 数秒間お互いの視線が重なりる。

 や、やばい! 何か話を続けないと。このままじゃ女の子をじっと見つめるヤバい奴認定されてしまう! 


 「あ、あの近藤さ――」


 キーンコーンカーンコーン。

 

 俺の言葉を遮るかのように、朝のホームルームの時間を告げる予鈴が鳴った。

 いや、タイミング悪過ぎかて……。


 俺は心の中で不満を漏らしていたが、そんな不満なんてすぐに吹き飛ぶことになる。


 なぜなら、予鈴とともに現れたのは――柳先生だったのだ。

 柳先生は悠然とした足取りで教卓まで歩くと、予鈴が鳴った後も喋り続けている生徒たちをひと通り見渡す。そして、「はぁ」とため息をつくと、


 「チャイムが鳴ったぞー、席に着けー、出席を取るぞー」


 さっき俺と話す前のようにダルそうな口調で話す。

 一方の俺は、柳先生が今年も担任だということに驚いていた。


「え、あの人が担任……あっ!」


 俺はさっきの柳先生との会話を反芻して、ようやく合点が行った。

 去り際にしれっと言うあたり、柳先生らしいというか、なんというか……………。


 こんなこともあるもんなんだな……………。

 俺はまた一年間お世話になることになる柳先生をボケーっと眺めていた。


 …………………………。


 「―か」


 ………。


 「―かおか」


 ……。


 「高岡」


 「………ん?」


「おーい、高岡ー。いないのか?」


「……えっ? あっ、は、はい」


 ……いけない、いけない。

 俺は慌てて返事をする。


 「なんだ、いるじゃないか。さっさと返事をしないか」


 「す、すいません」


 「……まあいい」


 すると柳先生はとんでもない爆弾を放ってきた。


 「そうだ、高岡。お前今日が初めましてだろ。そこでいいから立って自己紹介していいぞ」


 「自己紹介ですね。はい、わかりまし――って、えっ⁉」


 何言ってんのこの人⁉


 「えっ? じゃない、ほら早く。ホームルームが終わってしまうぞ」


 いやいや、ちょと待てちょと待て。なにが自己紹介だ。心の準備なんてすぐにできるようなことじゃないし、そもそも喋るなんて思ってもなかったからまったく考えてなかったよ! 勘弁してよまじで……。


 俺は柳先生に目で必死に訴えかける。いつもなら人の考えてることくらいさらっと読んでしまう先生なら、きっとわかってくれるはず。

俺にこんなことできるわけがないってことくらいわかるよね!


 「……………………………」


 しかし、柳先生は気づいてくれない……………っていうか、あの人視線をさっきから合わせてくれないんだけど⁉


 くそっ! 俺はなんでこんな先生とまた一年間過ごさないといけないんだ…………。破滅の予感がするぜ…………。


 いつまでもぐずっていると出席も取れないままホームルームが終わってしまう。

それはそれでクラスの俺に対する心象が地の底に沈んでいくかもしれない………。


 それだけは避けたいので、俺は恐る恐る立ち上がると、クラスをぐるっと眺めた。


 ――あぁ、やっぱり。


 俺に向けられたクラスメイトの目は、俺が教室に入ったときに向けてきたそれとなんら変わらない。


 これは――品定めをする目だ。


 周りの奴らは、自分たちのコミュニティに引き入れるか否かを決めるべく、俺をじっと見つめている。

 この自己紹介の如何によって、この一年間の運命が決まるといっても過言ではない。


 鼓動が早くなるのを感じたが、いつまでもじっとなんかしていられない。

 何回か深呼吸をして、ゆっくりと言葉を発する。


 「は、初めまして……。も、元三組の高岡伊織です。………………い、一年間よろしくお願いしましゅっ…………」


 あ……噛んだぁ…………。

 ………………………………。


 クラスに沈黙が訪れる。

 そのとき、俺はたしかに時が止まるのを感じた。

 時計の秒針が止まり、こちらをじっと見つめていたクラスメイトたちは呼吸が止まり、まばたきもしていない。大空を飛んでいる鳥たちさえ、空中にとどまって俺のことを見ているようだった。


 よくあるでしょ?

 交通事故にあう直前、一瞬時が止まったような気がしたって。あれよ……まさにあんな感じ。


 その沈黙は、時間にして数秒、しかし体感時間は数分にも感じた。


 ……………………………。

 ……………………。

 ……………。

 ……くすっ。


 教室の沈黙を破ったのは、そんな声だった。


 「………………………………」


 え? どこかで笑い声が聞こえたような気がするんだけど……聞かなかったことにしよう……うん。


 俺はそのまま席に着く。

 噛んだ時に静まらないでみんな爆笑してくれたほうが案外気持ちが楽になったかもしれない。

てへっ、噛んじゃった☆ みたいに。


 あああぁぁぁぁぁぁああああ‼ 

 恥ずかしくて死にそうだ!


 これ以上クラスメイトを見ていると、精神衛生上大変よろしくないと思ったので、机に突っ伏した。


 そんな俺を見てだろうか、柳先生が口を開く。


 「え、えー、まあ、そんなわけだ。みんな一年間仲良くやるように」


 柳先生は出席簿を閉じて教室を出て行ってしまった。


 ………………………はぁ。

 俺は二年生のスタートを完全にミスってしまった。

この先が思いやられるぜ、まったく………。


 自己紹介で盛大に失敗をかました俺は、その後の時間は存在を空気と同化させるようにひっそりと過ごした。

 もちろん、誰かのコミュニティに誘われることなんてなかったからね。


 しかし、ここである問題にぶつかる。それは、授業だった。


 高校の授業は、中学校までのようなレベルとはわけが違う。

 学力には自信のある俺だったが、スタートが肝心な高校の勉強を、一週間のハンデがある状態でいきなり理解することは容易なことではなかった。


 え、どういうこと? 何でそうなるの? 前回の続きとか言われても知らいんだけど!


 特に数学の授業は、出席番号順にどんどん当てていくスタイルらしい。たとえ答えに詰まってたとしても、その人が何か答えるまで先生は待ち続ける。

 つまり、当てられた生徒が答えなければ、授業は一向に進まないのである。怖過ぎかよ。


 しかし、無慈悲なことに、そんな俺の内心パニックなんて気にすることなく、授業は淡々と進んで行く。

 それにつれて俺の焦りも増大していく。


 先生は「次は少し難しい問題だからな」といって黒板に問題を書き始めた。

 順番通りなら次は俺が当てられる……。本格的にまずくなってきた……。


 初回から授業に出ている奴らならともかく、俺が解けるはずがない。

 鼓動が早まり、Yシャツに冷や汗が滲んでくる――そのときだった。


 「……高岡くん、これ、見る?」


 横から小さなな声で俺を呼ぶ声がした。

声のするほうを振り向くと、近藤さんが俺の目の前にそっとノートを差し出していた。


「……えっ、あっ、あ、ありがとう」


 俺は突然の出来事に戸惑いながらも、天からの贈り物――もとい近藤さんのノートを両手でありがたく受け取った。

 そして前回までのノートを猛烈な勢いで写し、今回の問題を検討する。


 「これがこうなって、こうなって、そうなるから……こうこうこう――」


 近藤さんのノートの情報を目にもとまらぬ勢いで処理していく。

 脳内のシナプスというシナプスを繋ぎ合わせて――この問題の解を導き出す。


 「じゃあ、この問題は……えーっと、次は……高岡」


 当てられる前に答え出た……よかった……。あっぶねー……。


 「はい。えっーと……商は2Ⅹ+6。余りが2Ⅹ−3……です」


 答えを出すことはできたが、まだ安心することはできない。ここで間違っていたら、それはそれで恥ずかしい。

 俺は期待半分、不安半分で先生の言葉を待つ。


 「…………はい、正解。よくわかったね」


 「は、はぁ……」


 どうやら正解だったらしい。よかった…………。これで本当に一安心。

 ただ、俺の安堵感とは裏腹に、教室には軽いざわめきが起こる。

 そしてまたもやクラスの視線が俺に集まる。

 しかし、今回はさっきのそれとは異なっていた。


 アレ? コイツ、イガイト、アタマ、イインジャナイノカ……?


 まるでそんなことを言っているようだった。

 自己紹介では失敗してしまった俺だが、どうやらこれで何とか少しは挽回することができたみたいだ。


 ドヤッ……………。


 ――いや、そうじゃない、そうじゃない……。今回は近藤さんのおかげだろ。


 「近藤さん、ありがとう。ほんとに助かったよ……」


 俺は調子に乗った自分を戒め、近藤さんにノートを返しつつ、お礼を言った。


 「えっ、あ、いや、その……隣の席だし……。それに高岡くんが困ってたから助けてあげたくて……」


 「…………?」


 最後のほうはよく聞こえなかったが……。

 まあ、とにかく近藤さんに俺の窮地を救ってもらった。


 近藤さんはノートを受け取ると、すぐに黒板のほうを向き、カリカリと板書を写し始めた。


 しかし、近藤さんは誰が見てもわかるくらい赤面していて、俺がパッと見てもわかるくらいテンパっているように見えた。

 近藤さんはなんでそんなに顔を赤くしているんだろう……?

 俺はしばらく考えても結論を出せなかったため、その思考を放棄し、授業に集中することにした。


 ところが、俺にもある変化が起きていた。

 ノートをめくるたび、教科書を捲るたび、消しカスを払うたび、なぜか一瞬、近藤さんを目で追うようになっていたのである。


 透き通るような肌、繊細なまつ毛、しっとりとした艶のある唇、シャーペンを動かす手、髪をかき上げる仕草……。

 そんな近藤さんの動作のひとつひとつに、俺は目を奪われていた。


 そしてさっきのモヤモヤが再び胸の奥で増大し始めた。

 な、なんなんだろう……どうなっちゃったんだ俺は……⁉

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