7話
三駅ほど電車に揺られた先、そこの待合室で私は人を待っていた。
夕方とは言いきれないくらいの空模様。今日は片田舎の駅とは思えないほど人通りが多く、そのほとんどが男女連れ立ってであったり、あるいは複数人で示し合わせていたり。一人でここに来ている人はいないと言っても過言ではないだろう。
そしてその道行く人がことごとく笑顔を浮かべているものだから、何だかこちらまで気分が少し浮きだってくるのだった。
待つことは得意。
知り合いは多くいるけれど友人は少ない。そんな私はいつもやることが少なく、考え事をすることが多い。だから私にとって待つことはそこまで苦にならない。
それに待たされているのは、待ち合わせの三十分前から待っている私が悪いという話もある。というより彼女にまったく落ち度はない。
電車がキーッとイヤなブレーキ音を立てて止まった。そこから再び人が流れてくる。人を降ろしてほぼ無人になった電車はドアを閉じ、再び走り出した。
多くの人が座る私の前を通り過ぎていく中、一人の少女が私の隣で立ち止まる。
「待ちましたか? 先輩」
「今来たところ」
「そんなわけないですよね。ひとつ前の電車は三十分くらい前ですよ」
「お約束のやり取りだよ」
「わかっていますよ。冗談です」
いつも通りと言えばいつも通りな、そんな軽口を叩く後輩の姿はしかし別人のように見えた。普通に話していたけれど、中々に驚いていたのだ。
まず髪型が違う。普段は結ぶこともなく下ろされている髪の毛が、左肩の上で短く括られてぴょこんと跳ねている。
そして服装。後輩は浴衣を着ていた。黒を基調とした浴衣に、紅色の帯を身に着けている。コントラストで帯がものすごく映えている。足も下駄で完全装備である。
「そこまできれいな浴衣だと、お面とりんご飴と金魚を持たせて完璧にしたいね」
「ありがとうございます。まあこれ、去年と同じものですけど」
「毎年浴衣を買い換えてたら一瞬で金欠になっちゃうよ」
「そう言う先輩は普通過ぎる格好ですね。もう少し何とかならなかったんですか?」
「動きやすい方がいいかなって思って……」
かく言う私はシャツにジーンズのザ・普通な服装。後輩の隣に立つとより普通さが際立つ。浴衣を持っているわけでもなし、仕方ないとはいえ何だか申し訳ない気持ちになってきた。
後輩はしょうがないとばかりに腰に手を当てて息を吐くと、こう続けた。
「先輩が気合い入れた格好してきたら、それはそれで驚きますよ」
「褒められてるの?」
「褒めてませんよ?」
褒められていなかった。
そういうわけで、後輩に誘われて夏祭りに来ているのである。
『夏祭り、行きませんか?』
『え、うん。いいよ。いつ?』
そういうわけなのだ。後輩が言い淀んでいた理由は結局よくわからなかったけれど、こうしていつも通り話しているから特段問題はないと思う。
「それじゃ、行こうか」
よっと立ち上がってすっと後輩の手を取る。
「? 何ですか、この手」
「下駄だし浴衣だし、歩きにくいでしょ。手を引くくらいするよ」
後輩は珍しく表情を変えた後、すぐに表情を戻しうつむきがちになる。
「……ズルいです」
「どうしたの? やっぱり帰る?」
「帰りませんよ。行きますから。本当に、先輩は先輩ですね」
「……まあ聞こえてたけどね」
肩を叩かれた。何がズルいのかはよくわからない。
〇
「後輩は屋台って言ったらどの食べ物が思い浮かぶ?」
「食べ物限定ですか」
「言われてみれば食べ物以外も屋台ってあるね。輪投げとか射的とか金魚すくいとか。福袋みたいなのもあったり」
「今なら碌なもの入ってないってわかりますけど、なぜか買っちゃうんですよね。風船じゃない方のヨーヨーが入っていて、それが一番嬉しかった覚えがあります」
「なんか意外だな。後輩はそういうのは買わない子供だと思ってたけど」
「今でこそこんな感じですけど、昔のわたしはそれはそれは夢見がちな子供だったんですよ」
「もう言い方が嘘くさいよね」
「夢見がちはちょっと盛っていますけれど、今よりも素直な子供だったと思います。それこそ屋台の食べ物を親にねだったりしていました」
「じゃあ今はねだることはないわけだ。それはそれで寂しいなぁ」
「屋台の食べ物ってりんご飴、わた飴、かき氷とかもありますね」
「全部食べ物だし、お菓子系ばかりだし。どれか食べる? 買ってあげるけど」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、わた飴を少々」
「わかった。ちょっと行ってくるね」
わた飴少々って何だろうか。屋台で売られているわた飴の量は変わらないと思う。あくどい屋台なら話は別だろうけれど。
幸いにしてわた飴の屋台にはそこまで人が並んでいなかったので、さっと買って後輩のところに帰ってくることができた。まあ割高だし、子供以外にわた飴を欲しがる人も想像しにくいし。妥当な結果だろう。
「はいわた飴」
「ありがとうございます」
女子児童向けのキャラクターがプリントされた袋をはがす。後輩は小さな口を開け、ぱくりとかぶりついた。小動物みたいだな、と思った。
「甘いです」
「だろうね。砂糖だもん」
「先輩も食べますか? おいしいですよ。口の中で溶けますよ」
「それは後輩に買ってあげたやつだからね。食べたかったら自分で買うよ」
「そうですか」
後輩がもくもくと口を動かすと雲みたいな飴がどんどん消えていく。同時に甘ったるい匂いがして、どうして昔はこんなの食べていたのかなぁなんて思う。ふわふわで面白いのは認めるけども。
やがて割り箸だけになったそれをゴミ袋へぽいと捨て、後輩がこちらに向き直ったところで声をかけた。
「次、何する?」
「花火まで時間はありますしね……何か適当に話でもしながら歩きましょうよ」
「わかった。……それじゃあいつもの部室と変わらないなぁ」
「いいじゃないですか。外は非日常ですし、中身が日常でも非日常になりますよ」
「そういうものなの?」
「そういうものです、きっと」
ちょっと質の悪い料理でも高級料理店で食べれば美味しく感じるような気がする。それと同じだということだろう。
「何かそれはちょっと、語弊があるような気がしますけど……」
「口に出てたか。確かに今のは言い方が悪かったね。気分の問題なんだろうなっていうことが言いたかったんだよ」
「原材料とか碌なもの使ってないはずですけど、美味しく感じるのはまさにそうですよね。気分と場がそう感じさせるんだと思います。わた飴なんて突き詰めれば砂糖ですよ砂糖。それがなぜかあれだけ美味しく感じられるんです。もはや神秘です」
「……そんなにわた飴好きなの?」
「あまり食べたことなかったんですよ、こういうもの。ねだりはして、けれど買ってもらえなくて。おじいちゃんと祭りに行ったときに初めて食べたのがわた飴だったんです」
「それは思い出補正がかかるね。絶対おいしいよ」
「はい。おいしかったし、今でもおいしいです」
言っておいてなのだけれど、思い出補正という言い方も正直どうかと思ってしまう。考える前に口に出す癖をそろそろ直した方がいいのだろうか。
そうやって考え事をしたり、後輩と話したり、出店を楽しんだり。だから目に入っていなかったのかもしれない。もしくは目に入っていたけれど逸らしていたのか。
「……茜?」
名前を呼ばれた気がした。だからその声を探してあたりを見回す。
一人の男子がいた。友人だと思っていた彼。後輩に告白される前に私を美術館に誘ってきた彼。その人がそこにいた。
「久しぶりだな」
「うんまあ久しぶりなんだけど……」
どんな顔をして話せばいいのだろう。告白されて断るたびに疎遠になって。それを繰り返してきた私には、疎遠になった後に再会したときの会話の仕方がわからない。
彼はちらと後輩を見ると、納得したかのような表情を見せてから言葉を続ける。
「珍しいな、茜が誰かと一緒に外出するの」
見透かしたかのように語る彼に、なぜか無性にイライラとしてくる。なぜだろう? わからない。けれど口は止まってくれない。勝手に言葉を紡ぎだす。
「一年の付き合いで何がわかるの? 知った風な口を聞いてさ」
「そんなこと言ってもクラスで俺以外に友達いないだろ。クラスの人たちよりは茜のことを知っているつもりだよ」
「勝手に好きって言ってきて、勝手に離れて。久しぶりに会ったと思ったらまた口説き?」
「離れたのは茜からだろ。それに口説いてなんかない。少し自意識過剰なんじゃないか?」
「私からって……人からの好意を断っておいて、その人と付き合い続けられる? 私にはできないよ。できなかったから、告白なんてされたくなかったのに」
「俺だって数日は何話していいのかわからないよ。わからなかったし、距離も置いた。けど……というか、落ち着いてくれよ。さっきかららしくない」
あくまでも彼は普通に話しているだけだ。そんなことわかっているのに。彼のこちらを見る目だ。その瞳に哀れみ、同情の色が見える。その色が何に由来するかはわからない。わからないけど、その色が私を無性に苛立たせるのだ。
「茜先輩」
ふいに服をクイっと引かれた。
そちらを見る。後輩がいた。
そうだ、ここには後輩がいるのだ。私の都合で折角の祭の日を変なものにするわけにはいかない。落ち着かなければならない。落ち着け、私。
言い聞かせながら言葉を模索する。私の話し方なんて決まっているのだけれど。
「……ごめん、今は話をしたくない」
今思っていることをそのまま告げた。いつも通りのことだった。
彼は一瞬面くらったような顔をしたけれど、「茜らしい言い方だなぁ」と笑って去っていった。視線の先には彼の友人と思われる二人の男子。友達連れで来ていたらしい。友人から冷やかされている彼を見ても、不思議と何も思わない。さっきまでの怒りがどこかへ霧散してしまっていた。
改めて後輩に向き直る。
「ごめん、変なところ見せちゃったね」
「いえ……大丈夫ですよ。それより花火の場所取り、行きましょう?」
「そうだね」
そう言って笑った。上手く笑えていただろうか。鏡がないからわからない。後輩は先に歩き始めていたから。
多くの人が花火を見る場所は河川敷である。そこにブルーシートを敷いて座って空を見上げるのが主だ。
しかし後輩が歩いていく先は河川敷とは異なる方向だった。
「どこ行くの」
「花火が見やすい場所です」
「河川敷じゃないの?」
「……あの、河川敷に行ったら」
「あー……そうだったね。ごめん、気を使わせて」
さすがに鳥頭と罵られても仕方ないかなぁと思ったけれど、意外というべきか後輩が私に何か言うことはなかった。
しばらくの間お互いに無言で歩く。下駄が地面を踏み鳴らす音がやけに響いている。木が鳴らす高い音。私が鳴らす擦れた音。ジジジジと鳴くセミの声がノイズのように二つの音を混ぜ合わせる。
「先輩」
音が跳ね返る中で、先に口を開いたのは後輩だった。
「わたしは嘘吐きなんです」
「……どういうこと?」
「本当は知らないんです。花火が見えやすい場所なんて」
「え、でも」
「だから、嘘です。わたしが河川敷に行きたくなかっただけです。先輩に気を使ったわけではありません。わたしが、行きたくなかっただけなんです」
「よくわからないよ」
「わからないって、わかってますよ。たぶん先輩はずっとわからないままなんだろうなってわかってるんです」
こちらに顔を向けないまま、声の震えだけが伝わってくる。
「あの人に会ってほしくなかった」
あの人、というのが誰を指すのか。それがわからないほど鈍感ではなかった。人の好意に鈍感でもそこはわかってしまった。
「会ったら気持ちが変わっちゃうんじゃないかって。そんなことないってわかってますし、こんなこと言う資格ないのもわかっています。だってわたしと先輩は付き合ってるわけじゃありませんから、けどっ」
一際強く後輩の声が震える。
「それでも、あの人には盗られたくなかったんです」
たぶん私は後輩が言っていることを百パーセント理解することはできていない。わからないことがある。言っていない言葉がある。だからわからない。
こちらを振り返る後輩。頬には雫が伝っていて。
「先輩、好きです」
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