6話
黒カーテンを開けると水滴が窓にぶつかって、すーっと落ちて線を作っていた。パラパラと音を立てて振り続ける水は、何故かノスタルジックな気分に浸らせる。
「雨、やまないですね」
「六月ももう終わりなのにねぇ」
そろそろ終わりを迎えそうとはいえ、梅雨の時期はいろいろとめんどうである。特に通学だ。電車通の人も自転車の人も、等しくその面倒を浴びることになる。
「なんでこんなジメジメしているのに結婚する人が多いんだろうね」
「結婚……? ああ、ジューンプライドですか。確かにありますね、そういうの」
後輩の言葉にこくりと頷く。
「あれってどうしてか、後輩は知ってる?」
「六月って英語で言うとジューンじゃないですか。結婚を司る女神の名前がその由来ってことで、六月に結婚するとそのあとの生活が幸せになる……と言われています」
「へぇー」
「へぇボタンの真似されても、わたしには伝わりませんよ。先輩と違って若いので」
「伝わってるよね」
「そこはどうでもいいんです。こういうのって先輩の方が詳しいですよね。神話とか星座とか。どうしてわたしに?」
「私がそれなりに話せるのは星座に関する神話のことだけだよ。他はからっきし」
星座というよりも星が好きだった。遠くにある輝きと今自分が目にしている輝きは全くの別物で、その時間の差異に感動を覚えたのだと思う。もしくはずっと遠く、届かない場所で輝いている光が眩しかったからなのかもしれない。
「確かに先輩はからっきしですよね。特に恋愛関係のことなんて」
「しょうがないでしょう。わからないものはわからないの」
「責めているわけじゃないですよ。全然、そんな意図はないです」
「それはさすがにわかるよ。後輩は意地の悪いところがたまにあるけど、私のためにいろいろしてくれていることはわかる」
「それならいいんですけど」
どうして私はわからないのだろう。答えはすぐそこにあるはずなのに、全然見えない。ピストルスター。そんな星をふと思い出した。どの星よりも明るいにも関わらず、いろいろなものが間にあるせいで地球からは見えない星。けれど確かにそこにある星。
「先輩は結婚についてどう思っていますか?」
「はい? 結婚?」
「はい。ジューンプライドということでなんとなくそんなことを思って」
恋もわからない人間に結婚なんてわかるのだろうか。考えても無駄なような気がする。
「恋愛もわかってない人が結婚なんてわかるかなぁ」
思わず口から出てしまっていた。この癖、直さないとそのうちひどい事態を招きそうである。警察沙汰とか刃傷沙汰とか、眼も当てられないことになりそうだ。
そんな私の妄言に後輩は真摯に答えてくれる。
「考えるだけならただです。わからない問題でも考えて悩むことはできます。答えはわからないかもしれませんけど、考えたぶんだけ経験値は積めますよ」
「そう言われると考えるだけの作業も有意義なものに思えてくるね」
相変わらず勉強チックに例えるのが後輩のやり方らしい。
「というわけで結婚とは何か、ということですけど……正直よくわかりません」
「言い出した本人がそれなの?」
「よく考えたらわたしは結婚したことありません。結婚が何かと言われても経験として語るのではなく知識で語ってしまうことになりそうだなと思いまして。それでもよければわたしなりの見解を話すことはできますけど」
「うーん……いつも後輩のことを聞いてばかりだし、たまには考えてみようかな。そっちの方がわかる気がする」
そういうことで、結婚とはどういうことなのか考えることになった。
「恋とか好きとか、その延長線上にあるのが結婚だよね」
「そうかもしれません」
「結婚というとハッピーなイメージが付きまとう。実際にはどうかわからないけれど、幸せの一つの形として一般的には認識されている」
「恋愛だと、悲恋とか悲劇とかが想起されます。結婚というとあまりもの悲しい作品は少ない印象です。単純にわたしが知らないだけかもしれないですが」
「生活を共にすることで実質的に結婚しているような人たちもいる。同性婚は認められていないけど、そういう意味で結婚することは一応できる」
「事実婚っていうやつですよね。実際の結婚との差異は法律で認められているか否かというところです」
「一方で二人はやっぱり合わないってことで離婚っていう制度も存在してる。恋愛の別れとは違って、こっちはかなり重いものだと思う」
「どうしてですか?」
「記録として残るからね。離婚歴って形で戸籍に刻まれる」
「確かに恋愛歴は自己申告制ですね。記録として残るわけでもない、ただの精神的な繋がりです。それでもそれを求めたくなるのが人ですけれど」
「その言い方だと私は人じゃないみたいだ」
「いろいろな人がいますから。先輩みたいな人もいればわたしみたいな人もいます。千差万別です。先輩がおかしいわけではないです」
「冗談だよ。でも恋愛から結婚は、精神的な繋がりから形に残る繋がりになるっていうことなのかもしれないね」
「それ以上を求めるということでしょうか」
「恋愛が何かわからないから、結婚と比べようもないけどね。でも感覚的にはそういうことかも」
それからもわからないなりに事実からいろいろと考えてみた。やはりどういうことかよくわからない。恋愛と結婚。似て非なるものだということは理解できるけれど、その差は形に残るか残らないかということしかわからなかった。
「後輩はさ、もし私が『好き』っていう気持ちを理解できたときにどうしたいの?」
「ええと、どうしてでしょう」
「ただ。しいて言うなら、先のことが気になったからかな」
結婚というのはまだ先のことだと思う。私たちは二人とも十六歳以上で、一応結婚できる年齢だ。けれど十六歳で結婚する人なんてほとんどいない。速い人でも十八歳、晩婚化が進んでいる今ならば三十代で結婚というのもおかしくはない。
「わかりません。わたしは先輩のことが好きです。それは間違いありません」
「ならこう、何か求めるものとか」
「先輩に告白したときはそうでした。今はわかりません。先輩とどうしたいのか、先輩がどうあるべきなのか。わたしと関わることで先輩が変わってしまうなら、それはいやです」
「……どういうこと?」
「後半は独り言みたいなものです。わからない、ということだけわかってもらえればそれで」
「そう言うならそれで納得するけど」
意外だった。後輩がわからないという言葉を使うことが。
いや、後輩にだってわからないことは多々あるだろう。ただこの文脈で。こと恋愛に関しては私よりも先を進んでいるはずの後輩にすらわからないものがあるのだ。
「わからなくてもいいけど、出来ればわかりたいなぁ」
「わたしもです」
なんとなく二人とも黙り込んでしまう。そうなると窓にぶつかる雨の音だけが部室に響く。他に誰もいないから当たり前だった。
〇
「終業式の日まで部室に来るなんて、後輩も律儀だねぇ」
梅雨は開け七月某日、終業式が行われた後私は活動報告の処理のために部室に来ていた。後輩が来る必要はないのだが、何故だか来ている。後輩よりも今はみなみに来てほしい印鑑を押させないといけないので。
「まあ、部員ですから」
「みなみを見なかった?」
「みなみさんは来てないと思います。あれから来ていないですし、もう先輩が押しちゃっていいのでは?」
「それでもいいけどさ、やっぱり印鑑だし」
一応ラインで呼び出しはかけたのだけれど、適当な返事しかなかった。直接彼女の教室まで出向いてもいいが、それはさすがにめんどうがすぎる。
「あと十分待って、来なかったら私が押すよ」
「先輩こそ律儀ですね」
確かにこの行動は律儀と呼べるのかもしれない。実際は責任を取りたくないだけとは言わないでおく。言わぬが花という言葉もあるし。
「…………」
後輩の動きがおかしいと気づいたのは五分ほど経ってからだった。筆箱からシャーペンを出して眺めてからからしまったり、スマホをちらと見てからしまったり、落ち着きがない。
「どうかしたの?」
「いえ、特に。みなみさんまだかなと思っていただけです」
「さっき来ないと思うって言ってたのは誰だっけ」
「そ、それは言葉の綾というかなんというか」
無表情ながらもその顔からは焦りみたいなものが感じられた。何を焦っているのか、までは読み取ることはできない。それができたらエスパーだろう。
珍しい後輩にちょっかいをかけながら過ごしていると、あっという間に五分が経過した。報告書に印鑑を押して、また顧問探しの旅が始まる。
「あの、先輩」
部室から出ようとすると、後輩から声をかけられた。
「なに、どしたの」
「よければ、でいいんですけど、その」
言い淀む。何をそんなに悩んでいるのだろうか。皆目見当もつかない。
やがて後輩はこちらの目を真っすぐに見て、こう言った。
「夏祭り、行きませんか?」
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