5話
「こんにちは……と」
いつもは部室に先に来ている後輩がいなかった。普段返ってくるあいさつがないと何だか変な気分になる。
「あ、うっす茜」
代わりにいたのは不良のように制服を着崩した一人の女子生徒だった。髪は明るく染められており、スカート丈も校則で規定されているより短い。私とは違い今どき感にあふれている格好だった。
「何しにきたの、みなみ」
「いや~教科書ここに置きっぱだったの今更思い出してさぁ。マジなくしたかと思って焦ってた」
「えらくくつろいでるね」
「やっぱここ最高よ。先生来ないし、やりたいことやりたい放題っていうか?」
そう言うと長机の上に寝っ転がる。スカートめくれて太ももがチラチラとしている。同性とはいえ目に毒だった。
東みなみ、なんとこの天文部の部長である。ジャンケンで決まった結果なので、人格や知識などは一切考慮されていないのだ。
「別に来てもいいけど、仕事はしてよね。一応部長なんだからこれ、印鑑」
五月の活動報告書である。記載は誰がしてもいいけれど、最後に確認しましたの意を込めて部長の印鑑が必要なのだ。
「勝手に押していいって言ったじゃん? 律儀に守らなくてもいいじゃん? ってか今月活動したっけ?」
「一応したよ。先週くらいにプラネタリウム見てた」
「一人で? いや、それはさみしすぎんよ茜……あたしの都合さえよければ呼んでくれれば行くのに」
みなみは同情を込めた目でこちらを見てくる。本当に心の底から同情しているときの目で、そんなに私は一人が好きそうかなぁと若干悲しくなった。実際教室では一人でいることが多いし、あながち間違いと言い切れないのがめんどうくさい。
「都合がいい日なんてないでしょ。それに報告書、読んでないの丸わかり。プラネタリウムに参加した人の名前は書いてあるでしょうが」
「あー? あー……今年入ってきた二年の」
「そう。後輩はあなたと違って真面目だからね」
「あたしが真面目じゃないみたいじゃん、あたしはこれで結構真面目よ? 成績も結構いいし?」
「教科書をここに忘れているのに?」
「それはあれ、脳内教科書」
適当なことばかり言っているみなみは放っておいて、とりあえず活動報告書を出しに行くことにした。
廊下に出ると、ちょうど後輩がこちらに向かってくるところだった。いつも通り背筋を伸ばしてスタスタという規則的な足音を響かせながら歩いている姿は、今部室にいる不良もどきの輩とは対照的である。
「こんにちは、先輩。今日もかわいいですね」
「あまりそういうこと言うと周りに聞かれるからね。気を付けて」
「別に聞かれて困るものでもないですよ。人に聞かれても聞かれなくてもわたしが先輩のことを好きだということは変わりません。シュレディンガーの恋です」
「それは何か微妙にニュアンスが違う気がするけど……」
見られようが見られまいが構わないというのと、見るまでそこにあるかわからないというのは全然違う。
「それ、提出しに行くんですか?」
後輩は私が手に持っている活動報告書を指差しながら聞いてくる。指細くて長いなぁとか爪きれいだなぁとか話とは関係のないことを思った。
「うん。あ、部室にみなみがいるから」
「みなみ先輩ですか、珍しいですね」
「いつもの気まぐれだと思うから、てきとうに相手してあげて」
「わかりました、では後ほど」
ひらと手を振って部室を後にした。とりあえず天文部の顧問を探すところから始めなければならない。顧問は忙しいのか変人なのか、それともその両方なのか、放課後に教員室にいたためしがないのである。
「こういう仕事こそ部長にしてもらいたいものだけど」
いくら言ってもみなみがやるはずはないので、仕方なく私がやっているのだ。副部長でもなければ何か役職を持っているわけでもないのに、どうしてこうも貧乏くじを引かされているのだろうか。
〇
「後輩ちゃんじゃん、うっす」
「お久しぶりです、みなみ先輩。前と変わらず元気そうで何よりです」
「ちょーちょー、心こもってなさすぎない? もっと生き生きと!」
「そんなに違いますか? わたしとしてはいつも同じ話し方のつもりですよ」
「さっき茜と話しているときくらい生き生きと!」
「不良の人って話が通じないんでしょうか。困ります」
「あたしは不良じゃないって。不良っぽくしてるだけ。現に成績もいいって、これ前にも言ったじゃん?」
「すみません、人に対する興味が薄いもので」
「確かにあんたは茜に対する興味しかないよねぇ。あんな唐変木のどこがいいのやら」
「茜先輩はかわいいですし、それに強いですから……って、みなみ先輩に茜先輩のことについて話した覚えはないですけど」
「いくら部室に来ないあたしでもわかる。茜が変わってることと、後輩ちゃんが茜を好きなこと。その好きっていうのがどういうあれなのかは置いておいて、って感じ」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だけど? 茜は少し前から変わってるじゃん。後輩ちゃんは気づいてないかもだけどさ、確実に変わってるんよ」
「そっちじゃないです。好きっていうのがどういうあれか、のところです」
「それはあたしが言うことじゃないしぃ~。後輩ちゃんが気づかないと意味ないじゃん? どうしてもわからなかったら教えるけど、自分で考えないと」
「……わたし、みなみ先輩のことはそこまで好きになれないです」
「部室の二人きりの時間を邪魔するもんね~? そりゃ好きにはなれないっしょ」
「いえ、いやその、そういうあれじゃなくて。それだと嫉妬してるみたいじゃないですかわたしが。そうじゃなくて、です。普通に好きになれないだけですよ」
「動揺しすぎしすぎ。リラックスリラックス」
「誰のせいだと思っているんですか」
「茜のせいっしょ」
「みなみ先輩のせいです」
〇
三十分ほどかけて学校中を回り顧問を見つけて活動報告書を握らせた。顧問は何故か女子バレー部の顧問と談笑していたため、無理矢理引っ剥がしてきたのだ。本当に行動原理がよくわからない顧問である。
帰ってきて部室のドアをカラカラと開けると、後輩とみなみは意外にも普通に話していた。みなみは結構相手のイヤなところを突きながら話すから、後輩がキレてしまわないか心配だったのだけれど。
「意外と二人とも話してて、何かびっくりしたよ」
「合わないと思った二人を残したんですか?」
「みなみはあれだけど、後輩はいい子だから大丈夫かなって」
「あれってどういうことよ、あたしだって十分いい子にしてましたけど?」
「後輩はどう思う? あの発言について」
「反吐が出ますね」
「茜っていう要塞担いだからキレッキレになってんじゃん、後輩ちゃん、全然いい子じゃないじゃん」
「まあ、いい子じゃないっていうのは認めます」
「本当に二人が仲良くなってありがたいよ。これからはみなみも部室に来てプラネタリウムやって活動報告書も書いて顧問の捕獲もやってくれるんだからね」
「するわけないじゃん。今日来たのはあれよ、忘れた教科書取りに来ただけだから」
っていうかさり気に仕事なすりつけすぎっしょ、とうそぶく。元々みなみの仕事を私が押し付けられているのだけれど、それは言わないことにした。言っても聞かないしね。
「先輩、いくら先輩でもちょっとそれは反論させてください。わたしとみなみ先輩は全然なかよくなってません」
「うっそ後輩ちゃん、そんなこと言っちゃう? あたしらマブダチじゃん?」
「てきとうなことばかり……」
傍から見たら仲がいいように見えるけれど、本人的にはそうではないらしい。別にいいけれど、できれば仲良くしてほしいなぁと思う。
「みなみ先輩はですね、まずその女子にあるまじきスカート丈をなんとかすべきなんです。露出をして満たされるのは偽りの自己承認欲求です」
「認めてほしくてやってないから。あたしのファッション貫き通すぜみたいな?」
「我を貫く前に校則を守りましょうよ」
以前に比べれば話している二人を見て、まあこれでいいのかなぁと思う。どうせみなみは部室に来ないけど、知り合いの仲がいいに越したことはないわけだし。
今日だけは部室に三人分の声が響いていた。
〇
「後輩ちゃんさぁ、そんなに茜が好きなら誘ってみれば? 来月夏祭りっしょ」
「今までは普通に遊びに誘ったこともありましたけど、今は意味が違いますから。先輩の性格上、断られると思います」
「意味が違う? どういうこと?」
「伝える前と伝えた後では、同じ言葉でも違う意味になってしまうってことです」
「ん~……それ違くないかなってあたしは思う」
「と言いますと」
「後輩が茜のこと好きっていうのは変わってないじゃん。だから意味は今も昔も変わってない。変わったのは受け取り手の感覚。後輩ちゃんの気持ちは変わってない」
「…………」
「だから別にいいんじゃないの、誘っても。知らんけど。断られたならそれは茜が変わったってことの証左でしょうよ」
「……みなみ先輩ってたまに頭よくなりますよね」
「だから成績はいいってずっと言ってんじゃん!」
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