4話

「あれがデネブ、アルタイル、ベガ。三つを結ぶと夏の大三角だね」


「さすがにそれくらいはわかります」


「じゃあこれ。ペガサス座とアンドロメダ座から出来る、秋の大四辺形」


「そっちは聞いたことがないですね。確かにきれいな平行四辺形です」


 唯一の光源である星空が天井に光る。薄明りにぼんやりと見える後輩の顔からはどんな表情をしているのかうかがい知ることができない。


「何だかこれも久しぶりですね、プラネタリウム」


 今日は月に一度だけ行われる天文部らしい活動をする日である。活動報告を月一で学校に行わなければならないため、弱小部活存続をかけてプラネタリウムで星座の知識を深めているのだ。


「安物だけど結構きれいでしょ? もう少しお金出せば南半球の星座も見られたけどね」


「二人しか部室に来ない部活がそんな予算を許してもらえるわけもなく」


「むしろよく存続できたなぁってくらいだから仕方ない」


 最低人数である五人な上に三人は幽霊部員である。部長すら来ない部活に未来はない。私たちの代が卒業したら天文部はおそらくなくなるだろう。


「説明に戻ろうか。何か知りたい星座とかある?」


「わたしはかに座なので、かに座について知りたいですね」


「かに座、わかった」


 プラネタリウムの中身をぐるぐると回してかに座が見える位置に調整する。


「かに座はふたご座とか小犬座の近くにある星座。構成する星がどれも暗くて基本見えないのが特徴だね」


「見えないのが特徴ですか。ここって結構田舎ですけど、それでも?」


「本当にド田舎、それこそ山間部とか。そのくらいのところに行かないと肉眼じゃあ見えない。近くに目立つ星もあるから中々見つけにくいんだよ」


 実体験である。何なら山間部でも見えにくいくらいだ。


「十二星座なのに見えないんですね」


「十二星座だからって明るいわけじゃないからね。他の十二星座は明るい星が一つくらいあるんだけど。かに座は本当にかわいそう。見えない上に神話もひどいしね。神話も聞く?」


「ちょっと興味がありますね。お願いします」


「承知した」


 脳内の知識を整理しながら話す内容を引き出していく。何せ知識はあるものの一か月に一度しか話さないから、話し始めるまでに少し準備がいるのだ。


「そのカニは怪物ヒュドラの友達なんだよ。友達のヒュドラが英雄ヘラクレスに討伐されそうになっているから、ヒュドラをかばってヘラクレスの前に飛び出すんだ。ヘラクレスの足を挟んで、ヒュドラの討伐を頑張って妨害する」


「友達思いのいいカニじゃないですか」


「で、ヘラクレスに踏みつぶされて死んじゃう」


「えぇ……」


「その仲間思いの心とヘラの哀れみから星座になったのが、かに座」


「星も見えない上にそんな神話とか、さすがにかわいそうすぎませんか……」


「聞けば聞くほど十二星座らしくないというか、情けないというか。別の話もあって、ヘラがヘラクレスの試練を邪魔するために送り込まれた、っていうのもある」


「あのヘラクレスを邪魔するために送り込まれるくらいですから、そっちのカニは強そうですね。一矢くらい報いてほしいです」


「こっちでも踏みつぶされちゃうのよね」


「じゃあ何でヘラはそんなカニを刺客として送ったんですか……」


「わかんない、なんでだろう。近場にいたからじゃないかな」


「何かかに座のわたしまで情けなくなってきました。責任を取ってください先輩」


「そんなことを言われても」


 神話を作った人か、かにを星座にしたゼウスに言いなさい、としか言えない。


「責任を取って教えてください。恋愛を描いた神話を先輩は知っているんですか?」


「恋愛を描いた神話で、星座に関係したもの。何かあったかなぁ」


 まあゼウス自体が好色おじいさんなので、そういう色恋沙汰には事欠かないのだけれど。具体的に星座と絡めて話すとなると、意外とこれが思いつかない。

 というより責任ってなんだろう。たまに後輩の言うことはよくわからない。


「アンドロメダとペルセウスの話、知ってる?」


 考えてようやくたどり着いた答えを口にする。仮にも星座を説明している身なのだから、もう少し早く結論にたどり着きたいものだ。


「話の触りくらいは。くわしいところは知らないです」


「よし、それでいこう」


 私は後輩に説明を始めた。


 ざっくり言うと、ペルセウスがメデューサを倒した帰り道に何かアンドロメダが生贄に捧げられていたから怪物倒してそのままお持ち帰りしちゃった話である。

 その後二人がくっつく流れになるのだけれど、アンドロメダには元々婚約者のような人がいた。その婚約者とアンドロメダの父・ケフェウスはペルセウスのことを当然よく思わない。隙を見て殺害しようとするが、それに勘づかれたペルセウスにメデューサの首を使われて石にされてしまう。そのまま二人は結婚しました、という話である。


 星座をレーザーポインターでピカピカしながら説明し終えると、後輩がこちらを見ているのがわかった。心なしかジト目をしているような気がする。相変わらず薄暗くて見えない。


「先輩、嘘ついてないですよね?」


「多少誇張したところはあるけど、だいたい合っているよ」


「……まあ、話自体はよく聞くタイプですね。英雄がいて、その人が襲われている女性を助ける。二人は恋に落ちるというパターンです」


「そういうものの元祖と言えるかもしれないね。ペルセウス・アンドロメダ型神話って言われている」


 本当に詳しいですね、と呆れているのか感心しているのかよくわからない声が返ってきたので、とりあえず「それほどでも」と言っておいた。


「あとは後輩も知っていると思うけど、七夕伝説だね」


「さすがにそれは知っています。彦星と織姫ですね。星で言うならアルタイルとベガ」


 例の一年に一度しか会えない二人の話である。詳細を覚えていないので後輩が知っていてくれて助かったというのは内緒にしておこう。

 他にもしし座とかくじら座、カラス座など後輩が指差した星座を解説していく。


「アンドロメダは嬉しいのかな、自分の父親を殺されて」


「え?」


 解説が一段落ついたとき、思わずそんなことが口をついて出ていた。


「アンドロメダは自分との結婚のために父親を殺したペルセウスをどう思うんだろうって思っただけだよ。私にはよくわからなくて」


「どこがわからないか、わかりますか?」


「ん~……殺されそうになったとはいえ、もう少しやりようがあったんじゃないっていうのかな。仮にも結婚相手の父親なのに、容赦なく石にしちゃってる。『好き』の範囲はその人のそこまで及んでいるのかなって思ったりとか」


「『好き』の範囲」


「後輩は私のことが好きだって言ってくれたけど、私のどこまでなのか、みたいなこと。私の顔なのか、性格なのか、思考なのか。家族まで含めて好きなのか、とか」


「わたしは先輩の家族を知りません。だからわたしが知っている限りの先輩の全部が好きです」


「ありがとう。そこは本題じゃなくてたとえ話だけどね。後輩の場合は知りうる限りの全部だった。じゃあペルセウスは? 彼はアンドロメダの父親のことまでは好きじゃなかったということにならない? 彼女を構成する要素全てじゃなくて、彼女のことだけを好きだった。だからアンドロメダとの恋を邪魔されたときに、父親を殺すことができた」


 相変わらず説明が下手くそだなぁと思う。知識を説明するときは普通にできるのに、自分の考えを人に話すのは苦手なのだ。


 後輩は首を傾げながら思案し、とつとつと話し始める。


「アンドロメダを構成する要素って、なんでしょう。肉体、精神、魂、家族、衣服。どこまでが彼女ということになるのか。それはペルセウスに委ねられていると思います」


「その心は」


「人を見たときに自分の目に映るもの。それがその人を構成する要素です。その人のことを知ろうとしても限界があります。その限界が自分にとってのその人のすべてだということです」


「うーんと、客観視された自分がその人にとっての自分だっていうこと?」


「そういうことですね」


 何かものすごく難しい話になってきた気がする。外から見た自分が自分なのか、はたまた自分が知っている自分が自分なのか。主観と客観、どちらが自分として定義されるものなのか。


 後輩が好きだと言ってくれている私は客観視された私だろう。けれど私が知っている私は私という主観が見た私だ。後輩には私から見た私が見えていないということになる。


「頭がパンクしそう……」


「先輩から振ってきましたよね、この話。先輩が先に根をあげちゃってどうするんですか。頑張って考えましょうよ、好きの範囲について」


「後輩、さてはSか」


「自分でそう思ったことはありませんね」


「そうだろうね、そういう話をいましてるもんね」


 楽しいプラネタリウム解説が一転して小難しい話になってしまった。その引き金を引いたのは私なのだけれど。


「人の感情って難しすぎない? タイムマシンがあったら感情っていう定義を考えた人、はっ倒しに行っちゃうかもしれない」


「定義を考えた人を倒しても感情は残っているじゃないですか」


「確かに」


 全く意味のないことだった。

 それからは天井に映し出される星を眺めながら、たわいのないことを後輩と話していた。いつも通りという感じがして安心する。やはり安定した日常が一番だと実感する。話し込んでいるうちに時計の針は歩みを進め、気づけば随分と遅い位置を示していた。


「まあ、そんなわけで今日の部活はお開きにしようか」


「ありがとうございました。それで先輩、好きの範囲ってわかりましたか?」


 一瞬だけ答えに迷って、その質問に答える。


「すぐに答えが出ていたら、私はたぶん悩んでいないよ」


「ですよね、先輩はそうでなくちゃ」


「何か引っかかる言い方をするなぁ、この後輩は」


「……口に出てますよ、先輩」


「もしかしたらこういうところを見て、みんなは私のことを素直って言っているのかもしれないね」


 無論口に出したのはわざとではない。無意識だった。でもこんな感じのことを言えばそれっぽく意味深な感じを出せるのではないだろうか。

 

そう思って後輩の方を見やると、少し呆れた様子でこちらを見返してくる。


「わかっていますから、先輩がそういう器用なことできないのは」


「人の心を見透かすような後輩は嫌いです」


 スタスタと部室から出て靴箱まで早足で歩く。後ろから「待ってくださいよー」を気の抜けた後輩の声が聞こえる。置いて行かれるとは思っていないらしい……確かに置いていくつもりはないのだけれど、何かもやっとする。


 窓から差し込む夕日、茜色に染まる廊下には私ともう一つの影が落ちていた。


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