3話
古今東西の創作物において、よくテーマとして見かけるものがある。
例えばロミオとジュリエット。一週間の燃え上がるような一目惚れ、それが燃え尽きる様を描いた作品。
例えば舞姫。ドイツに留学した男が現地の女性と親しくなり、しかしその恋は望まれるものではなく、報われることもなかったという作品。
恋をテーマにした作品は世界中にありふれている。つまりそれだけ多くの人が共通して持っている感情だということだろう。登場人物たちの一挙手一投足を見て心情の変化を読み取り、そこに共感を覚える。
好きな人のために命をかけたり、全力になったり。私には共感できないことばかりでいまいちピンと来ない。もちろん作品として楽しむことはできるのだけれど、共感ができるかは別問題だった。
「…………」
黙々とページを繰り続けているのは後輩。ブックカバーが掛けられており、何の本を読んでいるのかは推し量ることしかできない。
時折指を顎に当てて考え込むような仕草を取ることから小難しい本でも読んでいるのかなぁと思う。昔は本を読むことが結構あったけれど、今はそんなに。読んでも月に一冊くらい。
そのまま十数分後輩の顔を見たりスマホを眺めたりしながら時間を潰していると、後輩がパタリと本を閉じた。
「読み終わった?」
「はい。暇でしたか? わたしと話せないと」
「暇ということはなかったかなぁ。今は暇つぶしのためのものが充実しているし」
「その割にはわたしの顔をチラチラ見ていましたよね」
「きれいなものがあったら思わず目が行くでしょ。それと同じじゃない? 後輩の顔立ちは整っているからね。そういうことかも」
からかいの意を込めてそんなことを言ってみた。
顎から首筋にかけてのラインが滑らかだし、まつげは眼鏡につきそうなほど長い。全体的には美少女といって差し支えないのだが、表情が乏しく口調も落ち着いているため、冷たい印象を受ける。
後輩は首をかしげながら真顔で聞き返してきた。
「その割にはわたし、異性にモテた経験はないですが」
「後輩のクラスメイトの男子には後輩のよさがわからなかったんだね」
「てきとうなことを言ってから……」
「てきとうなことじゃないよ。本当に思っていること」
「それはそれで何かもやもやしますね」
「もやもや、かぁ」
褒められてもやもやすることなんてあるだろうか。自分の嫌いなところを褒められたらもやもやするかもしれないけれど、他はそうそう思いつくことはなかった。
「もやもやついでに今読んでいた本について語りましょうか。ちょうど恋愛小説ですし、先輩に『好き』をわからせるにはちょうどいい題材になるかもしれません」
『二人ぼっちの同盟』
~あらすじ~
学校で酷いいじめを受けて、家にしか居場所のない少女、安藤あずさ。
家で両親から虐待を受け、学校しか安息の場所がない、荒川京介。
ある夜、二人は偶然に出会う。お互いが「死にたい」と叫んだそのときに。
「なんか暗い話っぽいね」
「わたしもそう思いました。どこかで転調があるかなと予想していましたけど、暗いまま突き抜けるんですよ。そこがすごいなと思います。結末も全然ハッピーエンドじゃないのに、読了感は悪くなくて」
「なるほどなるほど。その中でその二人が恋に落ちる、と」
「恋かどうかは微妙ですが、お互いに惹かれあうのは確かですね」
「なるほどなるほど。恋かどうかはわからない、と」
「……先輩、よくわかってないですよね」
「……実はピンと来てない」
先輩読むの速いですよね読んでくださいほら速く、とせっつかれたので久々に本を読んだ。
後輩の言う通り、とにかく暗い話である。あずさも京介もお互いの境遇を案じているのに具体的な行動は起こせないまま。物語中盤に京介が動き、あずさのいじめ問題は一応の解決を見せるけれど、京介の家庭内の問題はあずさに手を出せるものではなく解決しない。
あずさにできることは京介の言葉を聞くことだけ。日に日に疲弊していく彼を見守ることしかできない。「あと二年耐えれば卒業だから」とあずさの前では笑みを見せる京介も、エスカレートしていく虐待に精神をむしばまれていく。
互いが互いの支えになってどうにか日々を送っていく中、いつもの時間に来ない京介に不安を覚えたあずさは京介の家に向かう。
そこで見たものは、京介の両親の死体。血に塗れたバット。それを持つ京介。
それを見た後のあずさの衝撃的な行動に、思わずそこの部分だけ二、三度読み返してしまった。
「ほぁー……こういう終わり方かぁ」
「そうでしょう。歪んでいるのに、歪んだまま真っすぐに進んでいく二人の物語。普遍的な恋とは違うかもしれませんけど、先輩は普遍的な恋がわからないのでこういう変化球はどうかな、と思いまして」
わたしも普遍的な恋ってよくわかりませんから、と付け足す後輩。
「恋云々は置いておくとして、話自体は面白かったと思うよ」
「置いとかないでください。そこがわたしにとっての本題です」
「じゃあ私がそれに関して言えるのは、こういう形もあるのかぁ、くらいだね」
物語における好き、恋、愛。その形は千差万別である。例え形が似ていたとしても、物語の展開は異なることが多い。普遍的な『好き』といっても、それを抱いたときにとる行動は人によって違う。そこがよくわからないのだ。
「互いのために一緒にいないっていうのも一つの選択肢ですからね。わたしには考えられません。先輩はずっと一緒にいたいと思うような人はいますか?」
「そんな人がいたらもう私その人のこと好きだと思う」
「そうですね。ちなみにわたしは先輩とならずっと一緒にいてもいいって思います」
「そう言ってもらえるのは先輩冥利に尽きるねぇ」
「一応言っておきますけど、先輩後輩として一緒にいたいっていうことではないですよ?」
「それはわからなかったよ」
直接好意を伝えられるまで、後輩の気持ちも彼の気持ちもわからなかったのだ。言葉だけでは中々察することができない。言われたとしても今みたいにわからなくなることがある。
「……先輩は恋愛がわからないというわけではなくて、ただ鈍いだけなのでは?」
「鈍い、前にも言われたことがあるなぁ」
「言われたことがあるんですね。……ちなみに、その人は先輩のことが」
「好きだって言われたよ」
中学二年生の頃、とある男子からそう言われたことがある。『茜は鈍いよなぁ!』と。結局快活な性格をしたその人が告白してきて、私が断ってからは疎遠になったのだけれど。
「もしかしてわたしが思っているよりも先輩ってモテているんですか?」
「後輩が私のことをどう思っているのかはわからないけど、今まで告白されたのは……後輩含めないと六人かな」
私自身は私を魅力的に感じたことはない。その上自分の恋愛もよくわかってないのだ。最初の三度くらいは自分が好きだと言われる度に頭が真っ白になっていた。だからモテていると言われても実感が湧かないのが本当のところである。
「わたしって七人目だったんですね。傷物にされた気分です」
「そういう風に言うと別の意味に聞こえるからやめようね。けど女子から告白されたのは後輩が初めて、ってこれは告白されたときに言ったか」
「先輩の初めてはわたしが貰いました。ありがとうございます」
「だからやめようね」
話がそれていたので、話題を創作から見る恋愛観に戻すことになった。
「youの名は。を先輩は見ましたか?」
「あれだけ話題になっていればそれはね。映画館に行ってみたよ。いい青春映画だったね」
田舎に住む女の子と都会に住む男の子が入れ替わってしまって、という話だった。その二人が段々と互いのことを知っていき、互いに惹かれていくのは何だか不思議な心地がしたものだ。
恋愛に関する描写を除けば奇をてらった展開は少なく、一本道が通っている作品で作画も美麗、非常に完成度が高く面白かったと思う。
「後輩はあの二人が惹かれあうのを見て、どう思った?」
「どう思った、というと」
「だって顔を直接突き合わせているわけでもないのに、その人の人となりがわかる? それなのにその人のことを好きになれる? と思って」
「確かにその辺りの感覚はわたしもありました。でも相手を知りたいってお互いに思っていたのなら、惹かれていくもありなのかなと最終的には納得できましたね」
「知りたい、っていうことが相手を好きになることに繋がる?」
「少なくとも興味ない人のことを知りたいとは思わないじゃないですか。知りたいっていう時点である程度の好意があって然るべき……だと思います」
「じゃあ顔を赤くしていたのは? 恥ずかしいから?」
「胸のドキドキっていうじゃないですか。そういった類の表現ではないかなと」
「でも後輩からはそういうドキドキしたり緊張したりっていうのを感じたことがないよ」
「ドキドキは恋の必修科目ではない、っていうことですね。少なくともわたしにとっては」
ドキドキしなくても恋は成立する、ということだろうか。ならばもしかしたら私もわかっていなかっただけで、誰かに恋をしたことがあったのかもしれない。
「でも多くの恋愛作品で顔を赤らめる演出が入るということは、人は恋に落ちるとドキドキしたり心臓がバクバクしたりするということなのでしょうね」
「うーん……それは運動直後とどう違うのか」
「吊り橋効果ですね。そういうときの心臓の動きを、恋に落ちた時の心臓の動きと勘違いしてしまうというやつです。だからものすごく極大解釈すると、運動直後は恋に落ちやすいのだと思います」
「本当に極大解釈だなぁ。体育の時間の度に新たな恋が生まれちゃうよ」
「だから体育祭の後ってあんなにカップルが生まれるんでしょうか?」
「言われてみれば確かに体育祭の後はカップルが多くなっているねぇ」
え、まさか本当に運動をすれば恋がわかるとでも言うのだろうか。そんなお手軽に『好き』を知れるのなら、私がここ数年悩んでいたのは一体なんだったのだろう。
少し、というかかなり動揺している。たったそれだけが私の答え? 本当に? しょうもなさすぎないだろうか。だって運動て。脳みそまで筋肉になったわけじゃないのに、運動が悩みを解決する手段だったなんて。
内心ものすごく焦っていると、後輩はくすりと笑ってこう言った。
「実際は体育祭というイベントを共にやり遂げた達成感とか、共同作業とかが要因だと思いますよ、先輩」
「わからない人相手にてきとうな情報を言うの、よくないと先輩は思う」
告白されたときからずっと、後輩に主導権を握られ続けている気がするなぁ、と何だか変な気分になる私だった。
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