2話

「先輩、今日はどうしましょうか。いつも通りここで話すだけでもいいですけど、それだと何か消化不良ですよね。どうしますか、何しますか」


「まずは落ち着いてほしいなって思う」


 放課後、いつもの部室に私たちはたむろしていた。


 天文部。幽霊部員三名、平部員二名の弱小部活である。部活として存続するためには五名以上部員がいなければならないので、幽霊部員はそこにいなくても部活に貢献しているのだ。

 私と後輩がその部室に来てすることといえば、もっぱら雑談である。


「落ち着いてなんていられないですよ。わたしは先輩に好きっていう気持ちをわからせるって言いましたから。言ったからには行動に移さないといけません。言行不一致は悪魔の所業です」


「大げさだなぁ」


 悪魔の所業とまではいかないだろう。言行不一致を強制されたなら、それは確かに悪魔の所業と言えるかもしれないけれど。


「ということで始めましょう。リピートアフターミー」


「ちょっと待って。何が始まるのか説明してほしいよ」


「やることはものすごく簡単ですよ。わたしの言った言葉を繰り返せばいいんです。大丈夫です、変なことは言いません」


「それが好きっていう気持ちを理解することにつながるの?」


「まず形から入るって言うじゃないですか。それです」


「それかぁ」


 というわけで中学一年生の英語の時間を思い出すようなことが始まった。


「まずは『好き』」

「好き」


 言われた通りの言葉を発した。たった二文字の言葉、発音するのは容易い。


「『愛しています』」

「愛しています」


 その言葉を聞いたときに考えることがある。好きという気持ちすらわかっていない分際で考えることではないかもしれないけれど、好意と愛情に差はあるのだろうか。どこまでが好意でどこからが愛情なのか。それとも愛が先立って好意があるのか。

 言わされる言葉は否応にもそのようなことを意識させる。


「じゃあ、『気に入りました』」

「気に入りました」


 気に入るというのもまた好意の類似系だ。好意がなければ気に入るという心の動きは起きないだろうし、気に入ったものに好意がないというのも考え難い。こうして聞いてみると人を好きというのにもいろいろな形があるのだなぁと思う。

 理解していたことだ。友人としての好きであったり、クラスメイトとしての好きであったり。そういう感情は私にもわかる。

 ただ、こと恋愛ということになると理解が及ばなくなる。本質的には同じもののはずなのに。


「次は、『抱きしめてください』」

「……抱きしめてください」


 好意を表す言葉から、好意を示す行動へと言葉が変化した。そのついでに後輩から抱きしめられた。結構きつめに。


「変なことを言わせないとは言いましたけど、変なことをいしないとは言ってないです」


「確かに言ってなかった。言ってなかったけどさ」


 声がくぐもって後輩に届いているかはわからない。構図的には座ったままの私に立っている後輩が抱き着いている形だ。後輩の胸に抱かれている状態。

 密着していると後輩の鼓動が伝わってくる。一定のリズムで波打つ拍動は、存外に落ち着いていた。私が後輩にとっての好きな人であるならドキドキと鼓動が速くなると思ったが、そんなことはなかったようだ。

 あとはこんな体勢だと後輩(女子)の胸に顔をうずめている変態女子高生の汚名を着せられそうで、ちょっと怖い。

 天文部の部室に入ってくる人なんて、顧問の先生くらいしかいないのだけれど。


「このままでいいですか?」


「息が苦しいから勘弁して」


「わかりました」


 後輩はホールドを解いた。後輩が離れても頭にほんのりと人の熱が残っている。


「というわけで、形だけを真似た言葉でした。感想はどんな感じでしょうか?」


 何がというわけでなのかはわからないけれど、とりあえず聞かれたことには答えることにした。質問に質問で返すなと小学生のときに教わったものだ。


「思っているよりも『好き』っていう言葉は単純なのかもしれないと思った」


「なるほど。じゃあ、これは言えますか」


 一呼吸開けて後輩は言う。


「『あなたのことが好きです』」

「あなたのことが、す」


 ただそれだけ。


 たったそれだけの言葉が足されただけで、私の口は堅く閉ざされた。


「わかりますよ、先輩。たったそれだけなんです。対象がはっきりしただけでわからなくなる。ただの言葉なのに言葉が詰まってしまう。そういうことなんですよ」


 でも違います、とこちらの目を見据えたまま後輩は続ける。


「先輩にとっての『好き』っていうのは、それだけ重い言葉だってことです。重くて、だからそれと同じ重さの人がいない。ただそれだけなんですよ」


 聞いた限りでは、それが正しいように思えた。重い言葉だから今までわかることができなかった。重い言葉だから今までそれに値するような人がいなかった。

 だからいつかわかるようになるときが来る、と言いたいのかもしれない。その言葉の重みに耐えうる人が出てきたなら、その人が私にとっての好きな人になる。そういうことなのだろう。


 けれど。


「人から言われただけでわかるほど、私にとっての好きって簡単なものなのかな」


 思わずその言葉は口をついて出てしまっていた。


「さすが茜先輩、めんどうくさいです。素直に口に出ちゃうところが特に」


 後輩の目がジト目になっていた。今のは我ながらめんどうくさいなコイツ、と思ってしまった。


「口に出すつもりはなかったんだけどね」


「別にいいですよ。先輩は後輩が一生懸命に考えた『好き』の定義を、そんな理由でポイしちゃうような人なんですよね?」


 そう言ってそっぽを向いた。ものすごくわかりやすく拗ねている……。

 後輩はわかりやすく拗ねてくれるので非常にやりやすいのだが、一方でその拗ねが長続きする。そのままにしていると二、三日の間はずっとこの調子なので、何らかの手段を用いて後輩の機嫌を直す必要があるのだ。

 言うべき言葉を少し考えて、さっき抱きしめられたときの意趣返しも込めてこんなことを言ってみた。


「でも、めんどうくさい私が好きなんでしょ?」


「……確かに言いましたけど」


 先日、彼女に告白されたときに彼女が言っていたことだ。自分の言葉をまさか無下にすることはできないだろう。


「まあわたしが考えた理由でめんどうくさい先輩が納得するとは最初から思っていません。今のは拗ねてみせただけです」


「それだと私の発言がだいぶ恥ずかしいことになるような」


「それは置いておきましょう。で、とりあえず本題の方を考えましょう」


 私が恥ずかしいことを言ったと思ってはいるのか。今さら後輩相手に取り繕っても意味ないし、別にいいのだけれど。少し気恥しい感じがする。

 とりあえずその感覚は無視して、後輩の話に集中することにした。


「本題の方というと」


「決まっています。どうして先輩は『あなたのことが』という言葉を付け足しただけで『好き』という言葉がわからなくなったのか、ということについてです」


「それかぁ」


 自分のことを分析していくという行為は苦手だ。それが人への好意に関することならばなおのことそう。でも少しずつ向き合うと決めたのだから、逃げることはしたくないなと思う。


「それです。それって先輩が恋愛感情をわからない原因だと思います。ただの好きなら先輩はわかっていますよね? 友達として誰かが好きとか、後輩としてわたしが好きだとか」


「そうだね、確かにそういうのならわかる」


「でしょう? さらっと流されるのはあれですけど」


「事実だからね。私は後輩のことも好きだし、少し前に告白してきた例の彼のことも好きだったよ」


「それはうれしいことですけど、その流し方は『ずっと友達でいようね!』レベルに希望を失いかける発言だってこと、わかってください」


「んー、でもよく考えたらさ、後輩が私に『好き』っていう気持ちをわからせてくれたとして、私が後輩のことをその意味で好きになるとは限らないよね」


「もっとひどいこと言わないでくださいよ……」


「ひどくないひどくない。本当のことだから」


「本当だからひどいんですよ、まったく」


 後輩を困らせる意地の悪い先輩の顔を見せたところで、閑話休題。


 ああでもない、こうでもないと自分の気持ちを解体し、解体されていく中で時間が過ぎていく。気づけば下校時刻が間近に迫っていた。夕方になるにつれて、秒針の音が少しずつ大きくなっていくような気がする。実際には何も変わっていないけれど、どうしてなのだろう。


「そろそろ帰りますか、先輩。明日もここに来ますか?」


「来るよ。後輩は?」


「わたしも来ます」


 後輩は自転車で、私は駅まで徒歩で移動した後に電車。通学手段が違うのだ。必然少しだけ早く私が帰ることになる。


「それでは、気を付けて帰ってください。先輩かわいいので、誰かに襲われないようにしてくださいね」


「はいはい、ありがとう。後輩も気を付けて帰ってね」


 部室のドアを後ろ手に閉めた。

 何故か私たちは別れるときにさよならと言わないのだ。なんとなく言い難い雰囲気があるというか、なんというか。『気を付けて』だとか『帰ります』とかそれに類する言葉は言えるのに。


「言葉って、難儀だなぁ……」


 好きとかさよならとか。ただの言葉なのにそれが私たちにとってものすごい関係性の変化をもたらす。辞書で意味が決まっているのに、どうして私たちはそれがわからなくなるのだろう。

 そんな思索にふけりそうになったとき、部室のドアが中から開かれた。


「先輩、聞こえていますよ。独り言なら一人になってからにしてください」


「ごめんね、変な先輩で」

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