第78話 樋本華蓮は救われる

(……っあ……)


 壁に立てかけられた時計に目をやる。

 モストがこの場を去ってから、一時間が経過しただろうか。

 つまり、ここに放置されてからもう一時間である。


(……あっつ……)


 部屋の気温は、三十五度を超えていた。

 額から垂れる汗が止まらない。

 床にポタポタと汗が垂れ、意識が朦朧とする。

 それでもずっと、頭の中ではミラージュのことをぐるぐると考えていた。

 麻子も華奏もいなくなり、芽衣にも魔の手が迫っている。

 それなのに、今のわたしは動くこともできない。

 わたしは、麻子たちを家に入れたことを後悔していた。

 魔法少女の適性があった華奏の前に、モアを連れてきてしまった。

 だから今、華奏は光の魔法少女となり、ミラージュに利用されようとしている。

 迂闊だった。

 そうなる可能性を、まるで考えていなかった。

 わたしのせいで、華奏を魔法少女にしてしまうなんて。

 こんなことになるのなら、わたしは……


(……麻子……助けて)


 もう、限界。

 意識が途切れそうだ。

 今のわたしじゃ、どうすることもできない。

 落ちてくる瞼を跳ね返すことにも疲れて、そっと目を閉じた。


「……さん!」


 わたしが目を閉じた瞬間だった。

 静寂を破る誰かの声。

 それと同時に、足元に何かが纏わりつくような不気味な感触がしたかと思うと、わたしは前のめりに崩れ落ちた。


(……え)


 何が起きたのかもわからず、このまま床に倒れると思った。

 しかし、そうはならなかった。

 誰かの腕に支えられて、わたしの身体は宙で止まったのだ。


「……さん……華蓮さん!」


 誰かに呼ばれる声が聞こえて、うっすらと目を開ける。

 ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていく。

 そこには、見覚えのある顔があった。


「……ぁ……芽……衣?」


 ここにいるはずのない芽衣の顔が見えて、頭が混乱する。

 幻……ではない。

 どうして、芽衣がここに?

 そう言おうと口を開いた瞬間、ペットボトルの口を突っ込まれた。


「大丈夫ですか!? お水! 飲んでください!」

「お……おぼぼぼぼ……」


 芽衣に頭を抱えられるようにして、口に水が注がれる。

 芽衣も慌てているのか、どぼどぼと注がれる水に危うく溺れそうになった。


「げほ! げほげほ!」

「あ、ごめんなさい……意識、あります?」

「あ、あのね……あやうく溺れ死ぬところよ」


 げほげほと咳き込みながら、なんとか息を整える。


「だ、だって……ただ事じゃないと思って」

「いや……ありがと。助かったわ。芽衣こそ、無事だったのね……」

「無事って……一体、何があったんですか?」


 芽衣はそう言いながら、右手をふわりと動かした。

 するとそれに連動するように、わたしの両足に纏わりついていた闇が消えた。


(……なるほど)


 急に動けるようになったのは、これのおかげだったんだ。

 芽衣の闇魔法により、モストの地魔法が無効化されたのだろう。

 さすがは魔王の闇魔法、頼りになる。

 わたしの身体は、自由に動くようになっていた。

 濡れた口元を右手で拭うと、芽衣の目を見て言った。


「ええ……聞いて、芽衣。モストがここに来たの」

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