第63話 ミラージュとは
わたしは、さっきまで芽衣と一緒にいたカフェラウンジにいた。
しかし、さっきのように項垂れてはいられない。
今、テーブルの向かい側に座っているのは芽衣じゃない。
そこいるのは、今日初めて出会った魔法少女。
わたしの敵かもしれない人間なのだから。
「……あの、そんなに睨まないでください。樋本さん、顔怖いです」
「なっ……に、睨んでなんかいないし! 目つき悪いのは元からよ」
舐められないように振舞おうとしたせいか、無意識のうちに睨んでいたらしい。
そういえば、麻子にも最初はヤンキーかと思ったと言われたような……
あのときは、空回って変なことを口走っていたような気がする。
今思い出すと、少し恥ずかしい。
「……それで? ちゃんと、納得できる説明があるんでしょうね」
睨まないように気を付けながら、瑠奈に話しかける。
「はい。そうですね……まずは、ミラージュができた経緯からお話しします」
そう言うと、瑠奈はオレンジジュースを一口飲んでから、語り始めた。
「ある魔法少女に魔王が取り込まれたあと、魔獣は姿を見せなくなりました。これは、樋本さんならよくご存じですよね」
「……ええ」
ある魔法少女……言うまでもなく、芽衣のことだ。
しかしわたしは、あえて自分からその名前を言うことはしなかった。
「魔獣を統べる魔王がアストラルホールからいなくなり、活動する意味を失ったからでしょう。しかし最近どういうわけか、この辺りで魔獣がまた人を襲うようになったのです」
「魔獣が……?」
「そうです。そしてその魔獣を倒すために徒党を組んだ魔法少女たちが、ミラージュ……わたしたちです」
瑠奈の話を聞いて、東京駅に着いたときのことを思い出す。
確かにあのとき、魔獣の気配を感じた。
そのときは勘違いだと思っていたけれど……あれはやっぱり、気のせいではなかったということだろう。
しかし、わたしが住んでいる町では魔獣は全く姿を見せていない。
単に東京に人が多いから魔獣が集まった……そういうことなのだろうか?
「原因はまだわかっていません。しかし、魔獣が現れるようになったのは……その根源である、魔王に原因があるのではないかというのがわたしたちの見解です」
「ちょ……ちょっと待って。魔王って……」
わたしは固唾を呑んで声を絞り出した。
「あなたは、芽衣が原因だって言いたいの?」
「そのとおりです。魔王を取り込んだ魔法少女……源芽衣が何かをしたことによって、これまで身を潜めていた魔獣が表に出るようになったのではないかと疑っているのです」
「ばっ……そんなこと、あるわけないでしょ。芽衣がそんなことするなんて」
確かに、今芽衣が住んでいるのはこの辺りだ。
だからと言って、芽衣が何かをしているとは思えない。
「本当に……そう言い切れますか」
「なっ……?」
「聞いていますよ。源芽衣が、アストラルホールで何をしたのか」
「……!」
それも、知っているのか。
あの日の出来事が噂になっているのなら……芽衣にとっては分が悪い。
「あのときは、あなたがその場を収めたと聞いていますが……源芽衣にそういった過去がある以上、わたしたちはあの人を信用することなどできません」
「そ、それは……」
確かに、瑠奈の言うこともわかる。
芽衣のことをよく知らない人なら、魔王の力を取り込んでいる人間を駆除すべきというのは当然の発想だろう。
だって、それが魔法少女の使命なのだから。
しかし、芽衣はわたしの友達だ。
今のあの子のことは、わたしのほうがよくわかっている。
「それは……それはわかるけどっ……でも、そのためにモアが監視役になっていたんじゃない。 それなのに、なんで……?」
「そのモアが、源芽衣を駆除すべきと判断したんですよ」
「……なんて?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
……モアが? 芽衣を?
「モアがあなたたちの前から姿を消したのは、そういう理由ですよ。モアは、わたしたちミラージュについたということです」
「そんなバカな話……!」
「そのとおりですよ、樋本華蓮殿」
「!?」
急に後ろから低い男性の声で名前を呼ばれて、反射的に振り返る。
「モ、モア……いや、え……?」
そこには、見覚えのある姿がいた。
白くて丸々としたフォルム……よく似ているけど、モアじゃない。
その顔は、眼鏡をかけて髭をたくわえている。
まるで、仕事のできるエリートサラリーマンかのような顔つきだ。
「だ……誰?」
「はじめまして。わたくしの名前はモスト。以後、お見知りおきを」
かわいらしいゆるキャラのような見た目からダンディーすぎる低い声が響いて、思わず顔をしかめる。
こんなことを言いたくはないが、不快。
「な……なんなのあんた。モアの知り合い?」
「そのとおり。モアと同じ、アストラルホールを取り仕切る女神様に仕える、神官のひとりです」
「し、神官……?」
聞きなれない言葉に頭が混乱する。
モアと、こいつが? 神官?
「おや、それすらもご存じないですか……モアは、極力あなたたちをこちらの事情に巻き込まないようにしていたのですかね」
後ろからふわりと移動し瑠奈の肩に乗ると、モストは語り始めた。
「わたくしモストとモアは、アストラルホールのトップに君臨する女神様直属の神官なのです。主な役目は、アストラルホールの平穏を守ること。そのためには、いかなる手段も択ばない……それが、わたくしたちの存在意義なのです」
「……はあ」
言っていることが唐突すぎてうまく呑み込めないが、言葉の意味はわかる。
こいつ……モストとモアは同等の立場であり、あの世界では重要なポストについているということだ。
あのふざけた感じのモアがそんな偉い立場とは想像つかないが、芽衣の監視役に抜擢されていることを考えるとデタラメを言っているとも思えない。
しかし、同じ立場といえどモストとモアではまるで雰囲気が違う。
姿かたちはよく似ているが、纏っている雰囲気は全くの別物だ。
モストは厳格で、間違ったことを許さない……そんな雰囲気を醸し出している。
モアとは正反対の人柄……本当に、モアはこんなやつの味方になったのだろうか。
モアがわたしたちに黙って、裏切るような真似をするとは信じられない。
「ちょっと待って……それなら、モアに会わせてよ。モアは、わたしたちの前から急に姿を消した。わたしは何も聞かされていないんだから」
「ふむ……それはできない相談です」
「なんでよ?」
「我々ミラージュが駆除対象としている魔法少女は、魔王である源芽衣殿……闇の魔法少女、黒瀬麻子殿……それから、そのふたりに加担していると思われる炎の魔法少女……樋本華蓮殿。あなたもだからです」
「…………」
さっき瑠奈に言われた言葉を思い出す。
ミラージュの駆除対象に挙げられている魔法少女――確かに瑠奈はそう言った。
わたしは、魔王の取り巻きのような扱いなのだろうか。
随分勝手な話である。
少なくとも、わたし自身は狙われるようなことをした覚えはない。
「ですが、あなたの場合は少し事情が違います。闇の力をもつふたりは別ですが……あなたはミラージュの子たちと同じ、魔法少女。それも、とびきり強力な魔力をもつ魔法少女です」
「……それがなによ」
「ですから、あなたにはわたくしたちの味方になって、一緒に闇の勢力と戦ってほしいのです。あなたほどの力があれば、相当の戦力になります」
「ああ……そういうこと」
やっと、こいつらの意図が理解できた。
二手に分かれた後も、芽衣ではなくわたしに接近してきた……それは、そのほうが瑠奈とモストにとって都合がよかったからだ。
わたしを倒せれば、それでよし。もし倒せなくても、味方にすることで芽衣を倒すための戦力にすることができれば、それでよし。ふたつの選択肢をもつことができる。
瑠奈にとっては、芽衣よりもわたしのほうが御し易いだろう。
わたしにすら、容易に雷魔法を防がれる程度の実力だ。
闇の力をもつ魔王となった芽衣を相手に、瑠奈が単独でどうこうできるとは思えない。
(ということは……やっぱり麻子がいなくなったのは……)
わたしは瑠奈とモストの話を頭の中で整理してから、慎重に口を開いた。
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