第50話 樋本華蓮は不安がる

「あっつ……しんじゃうんだけど……」


 いつもの喫茶店で昼食を済ませたわたしたちは、麻子の家に戻ってきていた。

 涼しくて快適な喫茶店を出た瞬間、じりじりと太陽がわたしたちを照らし、ほんの数分歩いただけでうんざりしてしまう。


「まだ六月なのに……今日は特に暑いですね」


 芽衣も暑そうにスカートの裾をパタパタさせている。

 麻子の芽衣を見る視線が怪しいが、もう慣れてしまったので突っ込むこともしない。

 どう見ても足に視線がいっているが、芽衣は気付いていないのだろうか。


「あ、そうだ。芽衣、あんたの風魔法で涼しくできないの?」

「わたしの魔法を扇風機みたいな使い方しないでくださいよ……」

「えー、だめ?」

「まあまあ、部屋の中は涼しいんだから我慢しなさいって」


 そう言いながら麻子は鍵を開けると、扉を開けた。

 ああ、涼しい……そう思って部屋に飛び込んだが、そうではなかった。

 むわっとした熱気が身体を包む。


「あっつ! あ、あれ? クーラー消して出かけたんだっけ?」

「いや、つけたまま出かけたと思いますが……」

「うそ……まさか」


 麻子が慌ててクーラーのリモコンを手に取って、何度もスイッチを押した。

 だが、全く反応しない。本体の電源ボタンを押してみても変わらない。


「……壊れてるみたい」

「うそでしょ!?」


 最高気温が三十度を超える真夏日に、クーラーの故障は致命的である。


「なんとかしなさいよ麻子!」

「なんとかって言われても賃貸だからなあ……うーん、とりあえず管理会社に電話してみるから待っててよ」


 そう言いながら麻子はスマホを手に持って部屋の外に出ると、電話をかけ始めた。

 わたしはその後ろ姿を見ながら床に座り込むと、ぱたりと倒れ込む。

 その様子を見た芽衣はわたしの隣に座ると、蜻蛉を捕まえるように人差し指をくるくる回して、弱い風を巻き起こし始めた。


「あ……涼しいこれ」

「やむを得ませんね。冬は華蓮さんの炎、頼みますよ」

「任せときなさいって……あ、気持ちいいこれ」


 ちょうどいい風を浴びて一息ついていると、麻子が電話で喋りながら戻ってきた。


「はい、はい……わかりました、お願いします」

「あ……話終わった? どうなったの?」

「修理は明日になるって……今日は無理だわこれ」

「やっぱりそうよね……どうすんのよこれ」


 わたしたち三人は汗だくになりながら黙っていたが、麻子が最初に口を開いた。


「……仕方がない、華蓮の家に行くことにしよう」

「は!?」


 予想外の一言に、わたしは首を激しく横に振りながら跳ね起きた。


「無理無理無理! 家には華奏……妹もいるし!」

「大丈夫大丈夫、妹ちゃんに手出したりしないって」

「誰もそんなこと心配してないから! そうじゃなくて……」


 正直な話、わたしは家に人を招き入れた記憶がない。

 そのせいだろうか、身内に友達の姿を見られるのはなんだか照れくさい。

 華奏やママが余計な口をすべらしたりしたら……そう考えると、家に麻子や芽衣を招き入れるのは憚られる。

 何か理由をこじつけて断ろうと考えていると、芽衣がわたしの首筋に気持ちいい風を吹きかけながらじっとこちらを見ていることに気が付いた。


「だめ……ですか?」


 ぐっ……なんなのこいつ! 

 そんな同情を買うような目でこっちを見て!

 芽衣は、顔だけ見ると幼くてかわいい。

 守ってあげたくなるような外見をしているが、実際は魔王の魔力を有する超強力な魔法少女だ。

 だから、そんな目で見ても無駄!

 そんな小動物のような目でお願いしてもわたしは屈しない……!


「し、仕方ないなあ……今日だけだからね」


 負けた。負けてしまった。

 なんだか初めて、麻子の気持ちがわかった気がする。

 この子が人の心を弄ぶような小悪魔系に成長しないよう願うばかりだ。


「よーし、それじゃ華蓮の家に、出発!」

「おー」

「お、おー……」


 わたしはとぼとぼと、元気な足取りの麻子の後ろをついていった。

 麻子……こいつを家に入れてもいいんだろうか。

 割と本気で不安である。

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