第45話 黒瀬麻子は沈まない
「め、芽衣ちゃん!? いつからそこに!」
「お久しぶりです、麻子さん。それに……えっと……か、華蓮さん」
数か月ぶりに見たその姿は、なんだかとても懐かしく思えた。
最後に見た姿が、黒い闇を纏った姿だったせいだろうか。
今、目の前に座って静かな声で答える芽衣の姿を見たわたしは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「なんでここにいんのよあんた! びっくりしたあ!」
華蓮が胸に手を当てて慌てたように言う。
「いや、ほんとはもう戻るつもりなかったんですけど……」
ちら、とわたしのほうを見てから、俯き気味に呟く。
「麻子さんが……無限にスパチャ投げてくるから無視できなくて……」
「うわあ……」
華蓮が気の毒に、とでも言いたげにわたしの顔と芽衣の頭を交互に見る。
しかし、それならばスパチャを投げ続けた意味があったというものだ。
推しのブイチューバーがいたら、絶え間なくスパチャを投げ続けることが最も有効な手段であるということがここに証明されてしまったね。
「いいんだよ芽衣ちゃん、わたしのスパチャにそんな負い目を感じなくても」
「いや……そもそもわたしの配信はそんなにスパチャが飛び交うような場所じゃないんですが……あんなに規則正しくスパチャ投げられたら怖くて……」
「え? 怖い? なんでなんでなんで? なんでそんなこと言うのかな?」
「ひっ……」
どうやら怖がらせてしまったらしい。
毎週火曜日と土曜日の二十一時に律儀に千円投げ続けたせいだろうか。
「ちょっといじめるのやめなさいよ麻子……」
「そんな、いじめるなんてとんでもない。そんな気は毛頭ないんだが?」
「圧強いのよあんた」
そんな会話をしているわたしたちを見て、芽衣は俯いたまま言った。
「なんで……なんでそんなに普通でいられるんですか?」
「え?」
「あんなことがあったのに……わたしはそのまま、逃げてしまったのに」
芽衣は、顔を上げずにぎゅっと拳を握っていた。
「それなのに……怒らないんですか?」
声を震わせる芽衣を見て、わたしは一瞬華蓮に視線を向けてから口を動かした。
「だって……怒ってはいないから」
「……え?」
少し顔をあげた芽衣の頭に手を置いて、ゆっくり撫でながら言った。
こうやって頭をなでなでするのは、これで二度目だろうか。
「怒ってはいないんだよ、わたしは。そりゃ、動揺はしたけど……自分が大好きな人のこと、何もわかっていなかったんだって気持ちのほうが大きかった」
「…………」
「だから、芽衣ちゃんがいなくなったときも……寂しかったけど、その方がいいのかもってちょっと思ってたんだ。そう思ったからこそ、わたしからは連絡しないようにしていたし。そんな中でメイルたんを再開してくれたのは、嬉しかったよ」
「麻子さん……」
おとなしくなでなでされている芽衣は凄く可愛く見える。
今、わたし的には凄く良いことを言っているつもりだが、気を抜くとそのままぎゅってしてしまいそうになる。我慢我慢。
「それにほら、対価はもう貰ってるし」
「対価……? ですか?」
「うん、ここ」
人差し指で芽衣の唇を抑えてやる。
「! あ、あれは……! いや、それなら等価交換になってないです! 差し出したものが大きすぎます!」
芽衣が顔を真っ赤にして首を振る。
「ふん、なに気持ち悪いことしてるのよ。言っておくけど、わたしは完全に許した訳じゃないからね。何かわたしたちに言うこと、あるんじゃないの」
「だいたい麻子さんは前々からわたしのことを見る目が不穏というかなんというか……」
「む、無視!?」
華蓮が横から声を荒げる。
「……ふふ、冗談です。麻子さん、それに華蓮さんも……ごめんなさい。わたしが勝手なことしたせいで、あんなことに」
「……ふん、わかってるならいいのよ。……わたしも、あんまり人のこと言える立場じゃないし」
「え? それって……」
「なんでもないわよ」
腕を組んだまま、頬を膨らませる華蓮。
華蓮も、願いのために魔王を蘇らせようと魔獣を逃がしたことがある。
だからそんなに強くも言えないのだろうと、華蓮の顔を見て理解した。
「まあまあ、いいじゃない。芽衣ちゃんも反省してるんだし、仲良くしようよ」
ぽんぽんとふたりの頭を叩きながらなだめてやる。
「華蓮も芽衣ちゃんのこと許してるって。華蓮もメイルたんの配信、見てくれてるんだから」
「え? そうなのですか?」
「ま、ちょっとだけね……てか、メイルって急に人気出てマイナー感無くなったわよね。あの2Dモデル、どうやって作ったの?」
「あれはぼくが作ったぽんよ」
「ぎゃあああああ!」
突然上から降ってきたモアに驚いた華蓮が飛び退いて、机に肘を強打した。
あまりの痛みに声も出ないのか震えている。
「モ、モア……久しぶり。相変わらず神出鬼没だね」
「久しぶり、麻子。元気そうで安心したぽん」
机に突っ伏している華蓮の頭に堂々と座るモア。
華蓮が不憫である。
「あのかわいいメイルたんをモアが……いや、というかなんでまだこっちにいるの? 暇なの?」
「暇とは失礼な。ぼくは怠惰な生活を送っている麻子とは違って忙しいぽんよ」
「うーん、殴るよ?」
「はっはっは。懐かしいぽんね、この感じも。でも、忙しいのは事実だぽん。ぼくがここにいるのは、芽衣のお目付け役を引き受けたからだぽん」
「お、お目付け役……?」
「アストラルホールでは、魔王の脅威はなくなったと知られている。芽衣が魔王を取り込んだことで、魔獣が姿を見せなくなったからだぽん」
「え? え? なに、どういうこと?」
「芽衣はある意味魔獣を従わせる存在となっているんだぽん。芽衣が命じなければ、魔獣が活動することもない。魔獣が急に姿を消したことで、魔王の脅威はなくなったと思われているんだぽん」
「ちょっと待って、話がよくわからないんだけど。それでなんでモアが芽衣ちゃんの監視役になるのよ」
「アストラルホールでも、一部の上層部は今回の事件を知っている。芽衣の中に魔王が眠っていることも知っているし、そんな芽衣の存在を許さない過激派もいるんだぽん」
「あ……そういうこと……」
モアの説明を聞いて理解した。
言われてみれば、当たり前のことだ。
魔王の力は、今も芽衣の中に眠っている。
だから、状況としては悪化しているとも言えるのだ。
これまで封印されていた魔王の力が、世に解き放たれているのだから。
今、光の魔法少女が存在しない以上、芽衣が悪意を持ってアストラルホールを襲えばどうなるかは想像できる。
そんな芽衣を、そのまま放っておいてもいいのだろうか。
そんなふうに憂う者が現れるのは、至極当然の話だ。
「だからぼくが、芽衣が脅威となる存在ではないと証明するためにこの役目を引き受けたんだぽん」
「そっか……モア、ちゃんと芽衣ちゃんのこと守るんだよ? 守れなかったら闇に葬るからね」
「なに当たり前のように怖い冗談言っているんだぽん。ま、でも任せてもらって大丈夫だぽんよ」
モアは自信ありげに短い手で胸を叩いた。
不安しかない。もしものことがあったら、本当にモアは闇に葬るとしよう。
「だあ! 何勝手にわたし抜きで話進めてるのよ!」
肘のダメージから回復した華蓮が顔をあげた。
華蓮の頭に座っていたモアが、ひらりと飛んでわたしと華蓮の間に割って入る。
「華蓮も久しぶり。その様子だと闇堕ちしていないようで安心したぽんよ」
「誰がよ。するわけないでしょ」
モアによって乱された髪の毛を掌で整えながら、華蓮は芽衣のほうを向いて言った。
「それよりあんた! さっき、勉強会わたしもお願いしたいって言わなかった?」
嬉しそうに訊く華蓮。
そういえば、芽衣は最初にそんなことを言って会話に入ってきたような……
「ね、ね、どういう意味それ?」
「どういう意味って……そのままの意味ですが。わたし、今年高校受験なので。勉強教えてもらえたらって」
「あらあら! あんた中三!? なになに、勉強できないおバカちゃんなのかな!?」
「は? 彼方まで吹き飛ばしますよ」
「こっわ! いいからいいから! 何が苦手なの? 数学? 英語?」
ここぞとばかりにマシンガントークを繰り広げる華蓮。
こいつほんとに勉強マウントとるの大好きだな。
「全部です」
「え?」
「全部苦手です。勉強は、全然していないんですよ。ほら、わたし世界を終わらせるつもりでいたので」
「……あ……そ、そうなんだ……」
華蓮が顔を引きつらせている。
アイコンタクトでわたしに助けを求めているが、こっちを見るな。
偏見かもしれないが、華蓮は人にものを教えるの、向いていない気がする。
わたしはコホンと咳払いをして、ぎゅっと芽衣の手を握った。
「大丈夫だよ、芽衣ちゃん。ちゃんと麻子お姉ちゃんが手取り足取り教えてあげるから」
「なにを教えるつもりよあんたは……顔やばいんですけど」
「それじゃ芽衣ちゃん、さっそくわたしの家に行こうか。家には誰もいないから、安心して」
「あ……は、はい。よろしくお願いします」
「安心できるか! わたしも行くから! ちょっと待ってよ!」
「おいおい、お目付け役のぼくを置いていくなぽん」
わたしは芽衣の手を握り、華蓮に服を引っ張られながら喫茶店の外に出た。
――去年の春は、こんなわたし想像していなかった。
確か去年の春は、来年こそ大学に進学して、高校よりもっと陽キャの友達に囲まれて、眩しいキャンパスライフを送るつもりだったっけ。
それがどうしてこうなったのか。
今のわたしの周りにいるのは、闇が深い子ばっかりだ。
あの頃のわたしが今のわたしを見たら、悲鳴を上げるかもしれない。
全く、魔法少女とは厄介この上ないが……今やわたしもそのひとりということなのだろう。
だって、この状況を楽しんでしまっているのだから。
もしばらくは、このままで。
今のわたしでいるのも、悪くないなと思った。
「ほら行くよ、ふたりとも。わたしの家、すぐ近くだからさ」
わたしはふたりを連れて、雪のない開けた道に足を踏み出した。
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