類友はカルマに従う 番外編2ー⑦
「……え? こ、れ……」
絶句してしまった羽琉の目の前のテーブル上には、ビシソワーズとサラダニソワーズ、メインとしてカモのコンフィが並べられていた。バスケットにはクッペやフォンデュといったフランスパンやクロワッサンが入っている。
「ハルはあまり食事量が多い方ではないので、少しずつにしてもらいました。デザートでリンゴのタルトもあります。メインがカモなのでワインは赤なのですが白も用意しているので、形式や常識に拘らず少し飲んでみて飲みやすい方を選んで下さい」
「……」
羽琉はまだ言葉が出ずにいた。
「ハル?」
いつもとは明らかに違った料理の数々に、これが何を意味するのか全く分からない羽琉は怪訝な表情を浮かべたまま思案していた。
「ハル」
ふいに強めの口調で呼ばれ、「あ……はい」とテーブルに向けていた視線をエクトルに向ける。
「愛しい『羽琉』に、これを」
そう言って後ろ手に隠し持っていたミュゲの花束を羽琉に差し出した。
花束の中央には『最愛の恋人である羽琉へ』というメッセージカードが飾られている。難しい漢字をかたどるたどたどしい文字線を見ていると、エクトルが一生懸命に書いたことが窺えた。文字が少し型崩れしている所もあったが、しっかりとした日本語で書かれている自分の名前に羽琉の心に温かいものが溢れる。
「ミュゲ……日本語ではスズランと呼ばれる花です」
「あぁ、鈴蘭ですか。可愛い花ですね」
羽琉も鈴蘭の名前は知っているが、こうして実物を見るのは初めてだ。名前の通り、白く小さな鈴が下を向いているような姿はとても愛らしく、少し振るだけでリンリンと音が鳴りそうな気がする。
「時期は少し外れていますが、フランスでは五月一日にミュゲの日といって愛する人や家族にミュゲを贈るイベントがあります。贈られた人には幸運が訪れると言われているんですよ」
「そうなんですか。フランスには素敵なイベントがあるんですね」
感慨深く呟く羽琉に微笑んだエクトルは「それから、もう一つ……」と言って、長方形の形をした水色のジュエリーボックスを羽琉に手渡した。
渡された羽琉は困惑した表情でエクトルを見つめた後、「開けてみて下さい」という促しを受けて、おずおずとジュエリーボックスを開いた。
「……」
そしてまた息を呑んで絶句してしまう。
「もう少し時間を掛けたかったのですが、どうにも悩んでしまって……。ですがこのデザインは私が注文した以上に納得のいくものになっているので、羽琉にも気に入ってもらえると嬉しいです」
ジュエリーボックスの中にはホワイトゴールドのブレスレットがあった。等間隔に四つのデザインが施されており、そのデザインを見ただけでこのブレスレットが羽琉のための物だということが分かる。
「……」
まだ絶句している羽琉に、苦笑したエクトルは羽琉の横に腰掛けた。そして羽琉の耳元にそっと顔を寄せる。
「ハッピーバースデー、羽琉」
「……!」
弾かれたようにエクトルを見やった羽琉の表情は、今の今まで自分の誕生日に全く気付いていなかったことを証明していた。
驚く羽琉にエクトルはふふっと笑った。
「羽琉は自分のことに関して無頓着なのですね。今日は羽琉にとって一番大切な日です。そして私にとっても一番大切な日です」
六月十六日。二十歳の誕生日。
「フランスでは十八歳で成人となりますが、日本では二十歳が成人なのですよね? そんな大事な節目を一緒に祝うことができて嬉しいです」
「……え、っと……ごめんなさい。僕、すっかり忘れてて……」
やっと言葉を発した羽琉はまだ驚きが尾を引いているようだったが、姿勢を改めてエクトルに向き合うと「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「ブレスレットのデザインは気に入ってもらえましたか?」
エクトルからの問いに、羽琉は改めてブレスレットを見つめた。
ブレスレットはどちらかというと女性が身に着けるイメージが強いが、ホワイトゴールドのチェーンとポイントの結合部にレザーを使用していたり、チェーンも女性物より少し幅があるあたり、このブレスレットが男性向けに作られていることが分かる。
ブレスレットに施された四つのポイントデザインは、二枚の羽とその間にラピスラズリの石がはめ込まれている。四つとも羽の向きがそれぞれに違い、それに合わせてラピスラズリの位置も微妙に変わっていた。
エクトルから『羽琉』へのバースデープレゼント――。
「羽琉の名前からこのモチーフを思い浮かべました。細かく注文してしまいましたが、これほどまでに忠実に私の思い描くデザインを形にしてくれたフレックの卓越した腕には本当に脱帽してしまいます」
「……」
エクトルの話を聞いているのかいないのか、羽琉はブレスレットの角度をゆっくり変えながらジッと羽のデザインを見つめていた。
綺麗だ。
全体的に控えめでシンプルなデザインではあるが、繊細な羽の作りや計算されたラピスラズリの大きさやカットの形に魅入ってしまう。
そんな自分のためだけのプレゼントを感慨深く見つめていると、「羽琉?」と不思議そうな声音で名を呼ばれた。ブレスレットに関しての感想がないことを怪訝に思いつつも、不安に思っているようだ。
「……えっと、あまり気に入りませんか?」
窺うような表情のエクトルに、羽琉は慌てて「いえ!」と答える。
「逆です。素敵過ぎて……言葉が出ませんでした」
「良かったです」
エクトルはホッと息を吐き、安堵の笑みを浮かべた。
「ラピスラズリの宝石言葉は『永遠の誓い・真実・繁栄・高貴・健康・成功』。メッセージとしては『愛と幸運に恵まれる』・『魂の成長』」
エクトルは羽琉の目を優しく見つめながら、ブレスレットに込めた想いを伝える。
「私たちが歩んでいく人生を幸運へと導く道標となってくれる石です。二十歳の羽琉にこのブレスレットを贈ることができたことが本当に光栄です」
エクトルは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
滅多にできない羽琉へプレゼントを贈ることができたことがよほど嬉しかったようだ。
「……すごく、嬉しいです」
羽琉はブレスレットを大事にそっと包み込むと、泣きそうに顔を歪めながらエクトルを見つめた。
このブレスレットに込めたエクトルの想いが羽琉の胸を締め付ける。
こんなに幸せに満ちた日が訪れるとは思ってもいなかった。
日本にいてもそれなりに暮らしてはいた。月の光での生活で癒されたことも優月との会話が楽しかったのも嘘ではない。退所の日、離れがたく思っていたこともそうだ。
だがエクトルと過ごす日々はそのどれとも違っていた。
羽琉のことを最優先に考えることに変わりはなく、仕事が終わればすぐ帰宅。羽琉との夕食を楽しんだ後は、羽琉のフランス語の勉強の手伝いをしたり、羽琉との会話や触れ合いを楽しんだりしている。
羽琉と一緒に過ごすことに喜びを感じていることを惜しげもなく曝け出すエクトルに、最初は戸惑っていた羽琉も少しずつ自分の気持ちを伝えられるようになってきた。
エクトルと過ごす日々に徐々に幸せを感じるようになっていた。
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