第28話 毬萌と愛の言葉

 風呂に入って一日の疲れを洗い流した俺は、自室へと戻る。

 火照った体を覚ましながら、眠気が来るまでダラダラと過ごす。

 この時間が俺は好きなのだ。

 貴重な時間を無為に浪費する贅沢な感じは悪くない。


 そんなリラックスタイム真っ只中、今日の暇潰しのお供はどれにするかと本棚の前で舌なめずりしていた俺を、スマホが呼ぶ。

 まったく、俺に似て寂しがり屋さんのスマホである。

 ラインに新着メッセージあり。

 相手は毬萌だった。



 無言で、柴犬が首をかしげているスタンプだけが貼り付けられていた。

 首をかしげたいのはこちらである。

 ちなみに、この柴犬のキャラのスタンプは、俺が毬萌に強く勧めたものである。

 やっぱり、適材適所。適毬萌に適柴犬。


 しばらく無視して新刊のラノベを読んでいると、スマホが続けざまに3度鳴った。


『コウちゃんっ! 既読スルーするなんて、ひどいっ!』


『なんでお返事くれないのーっ!? もうわたしの事、飽きちゃったのっ!?』


『コウちゃんに、都合の良い女扱いされたって、明日みんなに言うからねっ!!』



 こいつ、とんでもねぇ脅し文句を使ってきやがる。



 冤罪も良いところだが、毬萌の発言力を考えると、火のない所に煙を立たせる事も容易かと思われ、俺は未来の鎮火作業の代わりにスマホを取った。


『なんだよ、どうした。せっかく読書してたのに』

 すぐに既読が付いて、すぐに返事が来る。


『だってぇー! 退屈だったんだもーん! コウちゃん、何読んでたの? いやらしい本?』

『何でそうなるんだよ! 仮にいやらしい本読んでたら、読書してるなんて答えるかい! このアホ!!』

 怒りのポ●タスタンプの出動である。


『ふむふむ、なるほどーっ。つまり、コウちゃんが読書してないのに忙しい時に、いやらしい本を読んでいる可能性があると言うことなのだ!!』

 ちくしょう。

 こいつ、今天才モードだよ。


『そもそも俺ぁいやらしい本なんて持ってねぇ!』

『えーっ? そうかなぁ?』

『そうだよ! なんか根拠でもあんのかよ! 憶測でものを言うんじゃありません!!』

『コウちゃんの本棚ってさ、やたらと辞書が多いよねー? 漢和辞典とか何冊もあるし。あの中ってホントに全部辞書なのかなぁ?』



 まずい。何がまずいかは言わないが、この話題はまずい。



 天才モードの毬萌を相手に迂闊な失言をすると、後日アホの子モードになった時、非常に厄介なのである。

 天才だろうがアホの子だろうが、毬萌は毬萌。

 記憶はしっかり共有されているのだから、俺の部屋のアレが危ない。


『そう言えば、毬萌。窓から外、見てみ?』

『ほえ? 見たよー。なぁーに?』

『いや、今日は月が綺麗だよな』


 毬萌の返信が唐突に止まった。

 既読は付いているので、しっかりメッセージは届いているはずである。

 もしかして、話題の切り替えが露骨過ぎたか。


 俺は、漢和辞典の中身を、……当然もちろん絶対に漢和辞典だけども?

 その漢和辞典の中身を避難させていると、スマホが数分振りに鳴った。

 毬萌の返事かと思い手に取ると、着信であった。


「おう。なんだ、今度は電話かよ。そんなに暇なのか?」

「こ、ここ、こここ、コウちゃん! さっきの、どういう意味かなっ!?」

 やたらと興奮している毬萌さん。


「さっきのってなんだ?」

「も、もうっ! はぐらかしたってダメなんだから! ちゃんラインに残ってるんだよ!!」

 さて、何の事やら。

 俺は、直近のメッセージを思い出して、口にしてみる。


「おう。今晩は月が綺麗だよなって、アレか?」

「こ、ここ、こここ、コウちゃん! それって、本気で言ってるのっ!?」

 月の美しさに本気も偽りもないと思うのだが。


「本気、本気。心の底からそう思ってる」

「ふぇっ!? こ、コウちゃん、そうだったんだ……」

「そうだよ? 俺ぁ物心ついた頃から、ずっとそう思ってる」

「みゃっ!? そ、そんなに前からなの!? き、気付かなかったよぉ」


 そりゃあ、まあ、ねぇ。

 俺が天体観測を趣味にしていると言った事はないし、実際にそんな熱心に月を眺めていた訳ではないから、毬萌が気付かないのも当然である。

 ただ、やっぱり今日みたいな萬月だと、思わず目を奪われてしまう。


「あの、コウちゃん? わたしね、ちょっと突然過ぎて、頭の整理が、まだ……」

「はあ? 何を整理するんだよ」

「お、女の子は、急にそんなこと言われたら、困っちゃうんだよ!?」


 この辺りで、ようやく俺は「なんか俺と毬萌で話題にしている物が違うんじゃね?」と言う疑問にたどり着いた。

 結論から言えば、もっと早くたどり着くべきであった。


「おい。もしかして、お前、なんか勘違いしてねぇか?」

「し、してないよぉ!!」

「おっし。分かった。じゃあ、同時に今の議題を口に出してみよう」

「ええっ!? やだぁー! 恥ずかしいもんっ!!」


 確信する。

 絶望的に明後日の方角を向いて話をしている自分たちを。


「せーので行くぞ。ほれ、せーの!」



「満月は綺麗だなぁって話」

「わ、わたしの事を、あ、愛しているって……みゃっ?」



 グーグル先生によってもたらされた情報によると、かの夏目漱石が「アイラブユー」を「我、君を愛す」と和訳した生徒に「日本人はそんな直截な言い方しねぇから。月が綺麗ですね、くらいにしといて」と教えたと言う。

 しかも、これは俗説で信憑性は低いとも書いてあった。

 さすがは天才。色んな事を知っている。



「こ、コウちゃんのバカっ! もう知らないっ!!」

「あ、おい! ……切れちまった」



 翌日、毬萌に「コウちゃんは本棚の辞典にエッチな本を隠している」と生徒会室で吹聴されると言う憂き目に遭い、俺は火消しに追われることとなった。



 スキを見せたのは毬萌なのに、酷いじゃないか……。

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