第3話 妹はとても弱っているようで

 氷枕こおりまくらを取り変えて、仕事に戻ろうと部屋を出るため立ち上がると、桃音ももねがワイシャツの裾を掴んだ。

 振り返り桃音の顔を見ると、心なしか寂しげにみえた。


「おにーちゃん……そばにいて……」


 涙目にそう言われて断る兄がいるだろうか? いやいない。

 俺は桃音のベッドの横に座る。右手は桃音がぎゅっと握っているため、離れようにも離れられないし、反抗期真っ盛りの妹にそう素直に頼まれたら断れないのだ。別に家の中で序列みたいなのがあって、それで桃音が俺より上だから逆らえない──みたいなことではない。ないったらないのだ。

 それに風邪の時の異常なまでの寂しさというのは、俺もよくわかっているつもりだから。


「……ごめんなさい」

「急にどうした?」


 唐突に、桃音がそんなことを言った。何故か聞いても、啜り泣く声しか聞こえない。


「いつも、強くあたっちゃってごめんなさい……」

「……大丈夫だからほら、ちょっと寝て起きな?」


 けれども桃音は、何度も何度も「ごめんなさい」と繰り返す。

 ……はぁ。風邪で弱気になってるのはわかるけど、そんなに弱気だと治る病気も治らなくなる。

 俺は昔のように、桃音の頭をくしゃりと撫でる。黒く艶やかな、さわり心地の良い髪を撫でる。


「気にしてないって。それより、今は寝て起きて、な?」

「うん……だっこして?」

「起きたらな」

「うん……」


 そう言って年相応の可愛らしい笑顔を見せながら、桃音は眠りについた。

 ……久々だな。桃音に「お兄ちゃん」って呼ばれるの。小学校の時以来かもしれない。

 中学に上がったら「兄さん」呼びに変わってたはずだから……もう三年以上は聞いていなかったようだ。


「さて、仕事に戻りますか」


 名残惜しさがないといえば嘘になる……が、仕事も大事だと自分に言い聞かせ、桃音と繋いでいた手をほどいて、居間に戻る。

 仕事に余裕がないわけじゃないが、ギリギリなのも嫌なのだ。

 昼飯を食べ、俺は仕事を再開した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る