第4話 後宮姫は魔術師と対決する

 ポツン、と天井から雫が落ちる音がした。

 音がするだけで、目の前は暗い。少し歩みを進めると、パシャ、という音がした。――水が溜まっている。

 カシワの前に、人の気配は全くない。後ろを見ると、離れたところで橙色の光が密集していた。


(なんで? 私もっと人がいる場所に出るつもりだったのに?)


 手あたり次第触ってみる。つるりとした感触。

 完全な暗闇ではないため、すぐに目は慣れた。カシワが触っていたのは、大理石でできたメデューサの首だった。丁度目を触っている。そのメデューサの首を土台に、太い柱が立っていた。恐らく一番太い柱だろう。

 丁度メデューサに睨まれる形になったが、自分が石になることはない。

(ま、そっか。作り物だもんね)

 そう思いながら、メデューサの目を撫でる。



 ――メデューサの目が、瞬いた。




 パシャ!

 反射的に右足を後ろに下げた。今度は裾まで水が飛んで染みる。じわじわと不愉快なじめったさが冷気とともに広がった。

 メデューサの白目の部分が多くなり、蛇のように細くなった瞳孔はカシワのほうを睨みつける。

 カシワの身体が、恐怖で固まった。そしてそのまま、何気なく周りを見ると。


 ……今まで気づかなかったが、よく見るとすべての柱の土台に目玉が彫られている。

 その目は青く、ギョロギョロと動いていた。ーーなんで気づかなかったのか。



 コツンコツン、と足音が響いた。

 水面にゆれる赤い光がやってきて、柱に薄く長い影を作る。

 カシワはゆっくりとその影をたどり、顔を上げる。

 成人手前のカシワよりも、十は年上だ。緑のマントで覆われて、正確な体格はわからないが長身である。これほど長身な男は、軍人でもそう多くはないだろう。

 しかし、唯一露わになっている顔は中性的で、とても屈強な男には見えなかった。


「こんにちは。後宮ハレムのお嬢さん」


 声は低いが甘く、カシワは何時だったかやってきた吟遊詩人を思い出した。

 だが、違うだろう。エメラルドのような緑と、金糸で刺繍された蔓草の文様のマントが何を表すかは、セリムから聞いたことがある。

 何よりも柔和に微笑めば微笑むほど――


「胡散臭い! あなた魔術師ね⁉」

「え、そんな判断の仕方⁉」


 鋭いツッコミが静寂な空間に響いた。

 セリム曰く、魔術師は自分の姿を判断されないため、軽い幻術をかけている。それは容姿だったり、表情だったり、声だったり、認識をずらすものだとか。

 さらに緑と金糸のマントは、王宮付きを表す。

 つまるところ、追っ手だ。それも正体不明の魔術を使う。


 厄介な敵が目の前にいるにもかかわらず、先程の恐怖はどこかへと消えた。

 声を出したせいか、強張って動けなかった身体が動くようになる。

 それを察したのか、「もう動けるのかい」と魔術師は言う。


「ちょっと弱かったかなー。でもあんまり強くかけると、身体どころか心臓まで止めちゃうしなー」

「……ひょっとしてだけど、ここの柱に彫られた目って」

「そう。この地下宮殿は、『監視』されているのさ。地下はならず者が溜まりやすいからね。まあ、スネに傷ある奴は大体カンがよくて見張られていることに気づくんだけど……逆手にとって誘導することもできるからさ」


 魔術師とはその技術を秘匿する割には、自分の能力を誇示したがるものらしい。しかも目の前にいる魔術師は、あろうことかタネの一部を見せた。

 あのしつこく付きまとう視線は、全部わざと。

 うまくやっていると思っていたら、全部相手の手のひらだった。

 目の前にいる男に、自分はかなわない。

 カシワは自分が唇を切るほど噛んでいたことに気づき、今度は意識的に歯の力を抜いた。

 代わりに口角を上げ、挑発するような口調でこう言う。



「……つまり、私は手のひらで踊らされてたってことか。踊り子だけに」

「実は余裕あるのかな、キミ?」


 魔術師が大げさに驚いた風を見せる。

 余裕なんてなくても、力なんてなくても、逃げ出すしかない。


「軍人が来るかと思ったら、魔術師が来るなんて。王宮付きの魔術師って、税金の割には仕事をしないことで有名じゃなかった?」


 隙を見つける。そのためには、会話を続けて、何とか油断を誘う。


「ああうん、その通りだよ。働きたくないでござる」


 けどまあ、と魔術師は首を少し動かした。


「まずは自分で確かめたくてね」

「確かめる?」

「セリム皇子を連れ出したのは、キミなんだね?」

「……? 私以外に、連れ出す人がいると思うの?」


 意味が分からず、カシワは率直にそう尋ね返すと。


「……なるほど。本当に、キミが連れ出したのか。誰の手も借りず、あそこを」


 声のトーンが変わった。




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