第2.5話 初桜秋乃 Ⅰ


 オレンジ色に染まる空。それを映す海。世界が一瞬、切り替わるような感覚。その全てが長戸は好きだった。

 だから、今日もこうして日暮れの海を眺める。


「やっぱり、ここにいたんだ」


 声のした方に振り返る。亜麻色の髪の少女が立っていた。


「……あき姉」


 少女の名を長戸は呟く。

 秋乃は長戸の隣に歩み寄り、長戸の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「ま、今日みたいな日もあるよ。いつも負けない人間なんていないんだよ」


 長戸はぐちゃぐちゃになった髪を直しながら「……分かってるよ、そんなこと」と答えた。


「機体のスペックが長戸君の操縦技術に追いついていなかったね。1.5秒くらいの差があった」


 秋乃はその言葉に何を思って言ったのか、それは定かではない。単なる慰めが、或いは哀れみか。それは掴めない。


「例え、それが事実でも。それはただの言い訳にしかならない。俺が、機体を上手に扱えていなかったんだ」


 長戸自身、自分の命令を正しく機体が反映できていないことには気が付いていた。けれども、それを理由に自分の中の悔しさを慰めても、自分が惨めに映るだけだ。


「そっか」


 秋乃は短く返した。

 長戸は横目に夕日に照らされる秋乃の顔を覗き込む。


「ん? どうしたの?」

「あ、いや……なんでもない」


 不意に自分の方に向いた秋乃の視線に、長戸は恥ずかしくなって顔を背けた。


「君はまだ強くなれるよ。だって、君は悔しがってる。人間はバネみたいなもので、悔しさはバネを押さえつける力。いつかその悔しさを乗り越えた時、バネは大きく飛び上がる。君は、もっと強くなれるよ」


 黄昏に染まる世界で、秋乃の言葉が長戸の心を揺さぶった。



 鈴谷長戸、16歳の夏のこと。


◆◇◆


 もうすぐ施錠時間になる。研究室にいるのは一人だけだった。キーボードを打つ音が夜の空気によく響く。


「ふぅ……」


 凝った首を肩を回し、息を吐く。


『Mom, You look tired. How about taking a break?(マム、疲れているように見えます。少しの休息を取られてはどうですか?)』


 通知音と共にディスプレに文章が表示された。それはNα+からの労いの言葉だった。


「ありがとう。だけど、まだあなたの体ができてないから。早くあなたに作ってあげたいの。だから、もう少し頑張るわ」


 秋乃は笑みを向ける。そして言葉を続けた。


「それに……約束も守らないと」

『Promise?(約束?)』

「あなたの主になる人との約束。私、不器用だから。喧嘩した後なんて言い出せばいいか分からないの。だから、約束を果たして、長戸君に謝ろうって思うの。ダメ、かな?」

『No. It's not bad. I want to see my Lord soon.(いいえ、それはダメではありません。私も早く主様に会ってみたいです。)』


 その言葉に秋乃は心強さを覚えた。自らが生み出した自分の分身であるNα+は、誰よりも自分を理解してくれる理解者だ。心を安心して晒すことが出来る。


「もし、私が長戸君にあなたを届けてあげられなくても、あなたは絶対に長戸君を探してね。そして、私の代わりに彼の翼になってあげて。あなたなら、出来るわ」


 秋乃には予感があった。自分は長戸にこの機体を届けることはできない、という悪い予感が。だからこそ、自分と同じ人格を持つAIを機体に備え付けるのだ。自分のこの思いを宿させるために。


『I want to go to the my Lord with you.(私はあなたと一緒に我が主様の所へ行きたいです。)』


 その言葉はAIの言葉とは思えないほどに優しかった。

 さらにNα+はこう続けた。


『But in case of emergency. I will definitely come to my Lord. I will go to Suzutani Nagato. Rest assured, mom.(しかし、緊急時は。私は間違いなく我が主様の下へ。鈴谷長戸のもとへ、私は行きます。ご安心下さい、マム。)』


零れ落ちそうになる涙を堪えながら、秋乃は答えた。


「ありがとう……」



 その1年後。秋乃は帰らぬ人となる。

長戸との約束を果たして。Nα+との約束に願いを繋いで。大学で出来た友人に祈りを託して。



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