第1話 雄猫の目覚め



「後ろだ。レーナ‼」

『了解、マーベリック』


 青く澄んだ空を二機のF-14D〔トムキャット〕が駆けていく。尾翼に青いラインが引かれた機体、コールサイン『レーナ』の機体へ追尾式AAM空対空ミサイルが飛翔していた。

レーナ機はチャフを撒く。あっけないことにAAMはチャフに突っ込んで爆発した。


『マーベリック、AAMを撃った奴を落としに行こう』

「了解だ」


 マーベリック機が機体を右に旋回させる。それに合わせるようにレーナ機が旋回した。

レーダーにAAMを発射した機体が映った。MiG-29〔ファルクラム〕だ。両翼にAAMが一発ずつ残っている。


『やる? 空戦ドッグファイト

「あぁ、やってやるか」


 2対1は卑怯な気もしたが、これは戦いだ。やらなければやられる。そういう世界だ。

マーベリックは機体を加速させ、レーナ機から離す。空戦はマーベリックの担当だ。

 後ろに付かれたことに気が付いた〔ファルクラム〕は、アフターバーナーを燃やして突き放そうとする。

 対抗すべく、マーベリック機もアフターバーナーを燃やし加速。距離は200m弱。20mm機関砲で狙う。操縦桿のスティックを親指で回しながら照準を動かす。

ピピピッと電子音がなり、HMDヘッドマウントディスプレイの照準が〔ファルクラム〕のエンジンに合った。操縦桿のトリガーを握った。

機首左舷のM61A1 20㎜ガトリング砲が火を噴いた。毎分6千発の連射性能を持つガトリングだ。その弾丸の初速は1050m/秒。次の瞬間には〔ファルクラム〕の右エンジンが炎を上げていた。更に追撃。左のエンジンを貫き、左の垂直尾翼も破壊する。

 コントロールを失った〔ファルクラム〕は回転しながら海に落ちていった。


『Good Kill‼』


レーナが無線越しに激励を投げた。マーベリックは機体を減速させ、レーナ機と並ばせた。キャノピーの中のレーナが親指を立てているのが見える。マーベリックも親指を立てて返した。


「今日はもう上がるか」


 機内の時計を見れば時刻は19時をとっくに過ぎ、30分を超えようとしている。


『そうね。そろそろお腹空いたわ』

「よし、じゃあ母艦に戻ろう」

『えぇ、先に行くわね』

了解ラジャー


 レーナは母艦であるCVN-65〔エンタープライズ〕をレーダーで探す。それは前方30kmの位置で航行していた。


『こちらレーナ。任務ミッション達成コンプリート。レーナ機とマーベリック機の着艦許可を求む』


 〔エンタープライズ〕のアングルドデッキには艦載機の姿はない。


『こちら〔エンタープライズ〕、着艦を許可する。速やかに着艦されたし』

了解ラジャー


 〔エンタープライズ〕の航空管制に従い、レーナ機は艦後方からアプローチする。主脚ランディングギアを展開。アレスティングフックを下ろし、徐々に高度を落としていく。

OLS光学着艦支援装置のオレンジ色のライトと、その左右の緑色のライトが一直線に並んだ。正しく進入出来ているという合図である。

 レーナ機の翼が主翼後退角20度まで開く。全部で4本あるうちの2、3本目のアレスティングワイヤーにフックを引っ掛けるつもりで、甲板に機体を押し付ける。3本目のワイヤーにフックが引っ掛かり、機体は急減速。着艦した。

 甲板上に待機していた作業員と、牽引車が着艦レーンからレーナ機をずらす。


『マーベリック機、着艦しろ』

「了解」


 上空で旋回しながら待機していたマーベリックは、レーナと同じように機体を進入させ、〔エンタープライズ〕に無事着艦した。牽引され、後部エレベーターにレーナ機と並べて載せられる。そして、エレベーターは降下し、格納庫に2機の〔トムキャット〕が格納された。

 作業員に梯子がかけられ、やっとのことで機体から降りた。


「おつかれ、マーベリック」


 格納庫から自室に移動するために、エレベーターに乗った。するとそこには、先客としてレーナがヘルメットを抱えて立っていた。


「おつかれ、レーナ」


 4階のボタンを押しながら答えた。レーナは束ねていた長い赤髪をほどいた。バサッと髪が広がる。


「今日はもう上がるんでしょう?」

「あぁ。そろそろ腹が減ったからな」

「そう、じゃあまた明日ね」

「おう、また明日な」


 5階でレーナはエレベーターを降りた。7秒後、マーベリックも4階でエレベーターを降りる。409号室に入り、椅子に腰を下ろした。備え付けのデスクトップを起動させ、ログアウトをタップする。マーベリックの体が光る粒子となって消えていった。


◆◇◆


「ふぅ………」


 ベッドから上体を起こし、頭につけていたヘッドギアを外す。額を滴った汗を手の甲で拭った。

 2063年、日本のLvitaエルビータ社より発売されたフルダイブ型VRゲーム機〔ヴァーチャルグラス〕はゲーム業界を大きく変えた。従来のゲームとはかけ離れたリアルさ、没入感。そして、面白さ。その技術は社会すら大きく変えることになる。多くの大企業はオフィスを廃止。テレワークが根付いたのである。

 大人たちは皆こう言う、「あの時に、これがあれば」と。あの時、とは2020年に地球を襲った新型コロナウイルスの事だ。大人たちは口を揃えて、酷い時期だったと言うのだ。

 だが、それももう43年前の話だ。今はワクチン、特効薬共に製造され、流通している。インフルエンザとなんら変わりはない。


「ながと~、ご飯だよー!」


 一階から長戸を呼ぶ声がした。若い女性の声だ。


「うん。今行くー」


ヴァーチャルグラスを机の上に置き、上着を羽織って一階に降りた。途中の階段で既に良い香りが漂ってきた。

(今夜はハンバーグか………)

夕食に舌鼓を打ちつつ、階段を降りていく。 


「もう、遅いよ~。お兄ちゃん」

「悪い」


 妹の五十鈴いすずが椅子の上で足をパタパタさせながら、愚痴を投げる。よほど腹が減っているように見える。

 五十鈴の前の席に腰を下ろす。すると、自分の目の前にメインディッシュが置かれた。やはりハンバーグだ。しかも煮込みハンバーグ(目玉焼き乗せ)。長戸は後ろを振り返る。


「ありがとう、志乃しの。何か、手伝おうか?」


 長戸の前に皿を置いた本人、初桜志乃はつざくらしのは制服の上に桃色のエプロンを身に纏っていた。


「いえいえ、大丈夫ですよ。あとは自分のを持っていけば終わりですから」

「そうか? いつも悪いな」

「いいんですよ。あ、でも。そう思うなら洗い物、してもらおうかな」


 そう言って志乃は悪戯っ子の様に微笑んだ。そんな顔を向けられたら断ることなど出来はしないのが男心というもの。


「あぁ、任せろ」

「ふふ、やった。じゃあ、お願いしますね」


 志乃は自分の分を取りにキッチンに小走りで消えていった。長戸は正面を向きなおし、息をするように小さく笑った。


「なぁにイチャついてんのさ、お兄ちゃん」


 正面に座る五十鈴が、頬杖を突きながらニヤニヤと笑いながら長戸の方を見ていた。


「何の話だよ……」

「新婚夫婦みたいなやり取りを実の妹の前で見せつけますかねぇ、普通」

「別にイチャついてなんかないだろ」

「いんや、あれはイチャついてるね」

「勘違いしているようだけど、俺たちはそういう関係じゃないぞ?」

「およよ、同棲までしておいてそれを言いますか、兄上」

「同棲っていうか、同居なんだけど」

「それ、同じ意味だかんね」

「あ、そうか。じゃあシェアハウスだ」

「やれやれ……別に隠さなくてもいいのに」

「隠すも何もそんな事実はないんだ。第一、妹を連れて恋人を同棲する奴がどこの世界にいるんだ」

「こーこ」


 五十鈴は人差し指を長戸に向けながら言った。


「あのなぁ……」


 長戸が反論しようとした所に、自分の分をお盆に載せた志乃が戻ってきた。


「何の話をしていたんです?」

「いんやぁ、なんでもないよ」


 五十鈴が気持ち悪い笑みを浮かべながら長戸に視線を送った。当然、その視線に志乃も気付き、長戸に「どういうことです?」といった感じの視線を向ける。

長戸は「本当になんでもないんだ」という意味を込めて、首を横に振った。長戸の意が伝わったようで、志乃はそれ以上追及してこなかった。

 志乃は長戸の斜め前、五十鈴の隣に座った。


「それじゃ、いただきます」

「「いただきます」」


 志乃の声を長戸と五十鈴が復唱した。それぞれが食事を始める。ナイフもフォークもいらない程に柔らかいハンバーグだ。長戸は箸で一口サイズにハンバーグを切り、それを口に運んだ。噛むほどに肉汁が溢れ、口の中に広がる。実に美味である。


「やっぱり志乃ちゃんは料理上手だねぇ~」


 五十鈴が落ちそうになっている頬を押さえながら言った。長戸も共感が出来た。


「あぁ、ほんとにな。志乃は料理が上手だ」

「誰だって練習して、毎日作っていればこれくらいは出来るようになりますよ」


 志乃は照れを隠すようにではなく、純粋にそう思っている風に言った。


「志乃がそう言うなら、そうなんだろうな」


 長戸は心の中で志乃に感謝しつつ、食事を続けた。


「あ、そうだ。五十鈴ちゃん、明日の夕飯頼めます?」

「ん? いいけど。何かあるの?」


 志乃がこんなことを言い出すのは非常に珍しいことだ。長戸の記憶にある中だと初めての事だった。


「明日はアメリカから新機体が届くんです。それで遅くなりそうで」

「分かった。じゃあ明日は私が作るね」

「ありがとう」

「ついにあのF-2ともおさらばなのか」


 長戸は頭の中に朽ちかけのF-2A〔バイパーゼロ〕を思い浮かべた。改修、修理痕は数知れず。それは数多の空を翔けた戦士の証だ。長戸も何度か操縦したことがある。思い入れがある機体だけに、少しだけ寂しい気がした。


「えぇ。なんでもアメリカの大学から譲り受けることになったんです。経緯はよく分かりませんけど……」


 正直に言って志乃の所属している東都海浜台高専空戦部は強豪とは言えない。去年は地区大会ベスト4入りは果たしたが、全国大会には出場出来ていない。

 そんなチームにアメリカの大学は何を期待して機体を譲渡するのだろうか。


「よほどの物好きか、何か理由があるのか」

「部員としては、後者とは考えづらいですね……あはは」


 志乃は自虐の後に小さく笑った。


「新機体はどんな奴か知ってるのか?」

「いいえ。まだ聞いてないです。あ、そうだ。長戸も明日見に来ますか? 16時くらいに格納庫の裏の港に入港する予定ですよ」


 志乃は笑顔でそう言った。けれど、長戸には空戦部に顔出しづらい理由がある。ワケも告げずに辞めてしまった。それが長戸を部活から遠ざけ、志乃との距離まで遠ざける。


「……気が向いたら行くよ」


 やんわりと断ったつもりだった。


「では、放課後に一緒に行きましょう!」


 だったのだが、志乃にはその意が通じなかったようだ。目をキラキラとさせながら言い切った。これでは断れない。


「……分かったよ」


 正直に言ってしまえば、長戸には新機体への興味があった。一体、どんな機体なのだろうか。オリジナル機体なのか、それとも既存機なのか。などなど……。

(これでフライングパンケーキとかだったら笑えるな……いや、むしろ笑えないのか)


◆◇◆


 夕食後、志乃との約束だった洗い物を済ませた長戸は、自室に戻り写真立てを手に取った。

その写真に写っているのは眼鏡をかけた長髪の女性と、3年前の自分。

その女性の名は、初桜秋乃。志乃の実の姉だ。2年前にアメリカから日本に帰ってくるときに乗っていた飛行機が墜落事故を起こした。原因不明だったが、死者行方不明者の数が生存者よりも少ないという珍しい事故だった。行方不明者の遺体はほとんどが発見されていたが、秋乃だけは見つからなかった。


「あき姉……」


 今でも思い出す。秋乃がアメリカに旅立つ日の最後の会話がロクでもない喧嘩だったことを。

夢を見る。秋乃に首を絞められる夢だ。長戸だけがのうのうと生きているのを呪うように。

長戸が部活を辞めてしまったのも、秋乃がいなくなったことによる喪失感からだった。戦闘機を見ると、どうしても秋乃の顔がチラつく。あんなに戦闘機が大好きな女の子を長戸は他に知らない。

 ただ一言。ごめん、と。謝ることが出来たなら。そう、何度願ったことか。

もう涙一滴流れない。

 コンコンとドアをノックする音がした。


「長戸、もう寝ましたか?」

「いや、起きてるよ」


 咄嗟に写真立てを机の引き出しにしまった。志乃にこの写真を見られたくない。


「入っても?」

「あぁ、いいよ」


 制服から部屋着に着替えた志乃は、部屋に入るなり長戸のベッドの前に腰を下ろした。


「まだ、寝ないんですか」

「んー、まだ22時だしな」

「そうですか。何してたんです? 部屋の電気も点けないで」


 志乃に指摘されて初めて気づいたが、部屋はスタンドライト以外の電気が点いていなかった。言われてみればかなり暗い。


「特に何もしてないけど」


 思えば2時間弱ほど長戸は写真立てを眺めていたようだ。志乃は体育座りで膝を抱えて俯いている。表情は覗えない。


「どうした?」


 口を開かない志乃の代わりに長戸から問い掛ける。だが志乃は答えない。

長戸は椅子から立ち上がり、座り込む志乃の横に腰を下ろした。


「なんだよ、志乃らしくもない」

「……長戸はまだ、秋乃姉さんのことを忘れられませんか」


 それは、蝋燭ろうそくの火を吹き消すように優しく発せられた言葉だった。だがそれは、長戸にとって瘡蓋かさぶたを剥がされる様な言葉だった。治りかけてはいるが、治りきってはいない心の傷。


「な、なんだよ……突然」

「この前、見てしまったんです。長戸が姉さんの写真を大事に持っているのを」

「…………そうか」

「……すみません」

「いや、いいよ」


 別に見られてまずい物ではない。ただ、知られたくなかった理由を敢えて述べるなら、心配をかけたくない、それだけだ。


「なぁ、志乃。俺はあき姉のことが好きだったよ。だからさ、そんな簡単に捨てられるもんでもないだろ? それだけだよ」


 ベッドにもたれて、天井を見上げた。そうしなければ、志乃を困らせたかもしれない。

志乃の前だけでは泣いてしまうからだ。


「私じゃ……力不足ですか? 秋乃姉さんの代わりにはなれないけれど……長戸の為なら私は……なんでも出来るのですよ……」


 志乃は初めて顔を上げた。悲しい笑顔で長戸を見つめた。その笑顔がきっと、感情を留めているのだ。長戸の為に。


「ありがとう……志乃。俺は志乃がいたから、この2年間を生きてこれた。それだけは、確かなんだ」

「長戸……」


志乃の頭の上に手をのせ、ゆっくりと撫でた。感謝を込めて。


「あ、あの! 私、そろそろ寝ますね!」

「お、おう……」


 志乃は素早く立ち上がって扉まで走った。ドアを開き、「お、おやすみなさい」と言って部屋から出ていった。


「お、おやすみ………」


(何だったんだ……あれは)

 長戸は志乃の行動に首を傾げつつ、大きな欠伸をした。志乃と話しているうちに眠たくなったようだ。ベッドに寝っ転がり、ため息を吐いた。静かな部屋は、風の音が微かに聞こえる程度。


「あき姉……ごめんな」


 あの夢を見ないことを願って、長戸は眠りに落ちた。


◆◇◆


『ねぇ、長戸君。いつか、私の作った戦闘機で世界一を取ってくれる?』


 それは、幼き日の記憶想い出


『うん! あき姉の作った戦闘機なら絶対に誰にも負けないよ!』

『長戸君はどんな戦闘機が好き?』

『トムキャット! あれが一番僕の好きな戦闘機なんだ!』

『そっか。じゃあ私は最強のトムキャットを作るね。だから、長戸君はそれで世界一を取ってね』

『うん! 約束する!』


 指切りを交わした。そんな約束は、もう……。


◆◇◆


 翌朝、目覚ましの音で長戸は目を覚ました。午前7時。制服に着替えて洗面所に向かう。

洗面所には先客がいた。五十鈴だ。


「おはよう、お兄ちゃん」

「あぁ、おはよう」


 五十鈴は何やら鏡を見ながら髪を整えていた。三つ編みにしたり、ポニーテールにしたりと忙しい髪型だ。兄の目から見てもよく分からない髪型だ。だが、兄の贔屓目を除いても、五十鈴は可愛い部類の女子だと長戸は思っている。もちろん口に出したことはない。

 そんな五十鈴の邪魔にならないように、うがいをし、顔を洗う。もう春だと言うのに水は冷たい。タオルで顔を拭く頃には、五十鈴は身嗜みを整え終わり、リビングに消えていった。

 鏡を見る。そこには気だるそうな自分の顔を映っていた。


「はぁ……学校、だるいなぁ」


 ボヤきつつも学校に行かないわけには行かない。思いっ切り頬を叩き、気を引き締めた。

 朝食の席には既に五十鈴が座っており、食事を始めていた。


「おはようございます、長戸」

「うん、おはよう」


(今日は普通だ)

 志乃は昨夜と打って変わっていつも通りだった。昨夜の出来事は長戸が見た夢だったかのように思えてくる。


「パンとご飯どちらにしますか?」

「じゃあご飯で」


 志乃は炊飯器からお茶碗に米を盛り、長戸に渡した。志乃も自分のお茶碗に米を盛り、席についた。


「長戸、今日の放課後忘れないで下さいね」

「はいはい。覚えてるよ」


 本当は行くのを渋っているが、ここまで念を押されたら行かないわけにはいかない。

(気は向かないんだけどなぁ)



朝食を食べ終えた3人は、揃って同じ通学路を歩いた。


◆◇◆


 面倒くさい授業を乗り越えた放課後。長戸は逃げる暇なく志乃に捕まり、空戦部の部室に連行された。同じ教室なのだから逃げられないのは当たり前だが。

 お台場臨海部にある東都海浜台高等専門学校には六つの学科がある。その中でも志乃と長戸は情報工学科に所属しており、主にAIやコンピューターの勉強をしている。

 空戦部の部室は校舎から少し離れた埋め立て地にあり、格納庫兼部室の裏に港がある。そこに大会時などの戦闘機輸送に使用する輸送艦が停泊している。


「ここに来るのか?」


 2人は港の岸壁に立った。空を飛ぶカモメが鳴き、潮風が心地よい。


「はい。何でも新型の輸送艦で来るらしく、1週間ほど前にアラスカを出航したとか」

「それは乗員も大変だな」

「ですが輸送艦にはお風呂も個室もありますから、意外と快適な海の旅をしているかもしれませんね」


 輸送艦は大会時のチームの待機所になる。そのため、大概の輸送艦には豪華客船並みの宿泊設備と、空母並みの戦闘機整備能力がある。


「あれ、長戸君?」


 名を呼ばれた方を振り返る。


「……卯月」

「久しぶりだね、長戸君。あ、もしかして新型を見に来たって感じ?」

「あ、いや……別にそういうわけじゃ」

「私が誘ったんですよ」


 八代卯月やしろうづきは空戦部のメンバーだ。小学校の頃からの仲間であり、付き合いは長い。

 卯月も長戸たちと同じように新型を見に来たのだろう。卯月は長戸の隣に立ち、揺らぐ水平線を見つめた。


「同じ学校だったのに、すごく久しぶりな気がするね」

「……そうだな」


 2年前に長戸が空戦部を辞めてからは、廊下ですれ違う程度にしか会っていない。


「また、この部活に興味を持ったの?」

「別にそういうわけじゃないよ。ほんとに志乃に連れてこられただけなんだ」

「やめて下さいよ、人が無理やり連れて来たみたいな言い方」


 志乃は頬を膨らませて否定をするが、長戸からしてみれば無理やり連れてこられたのと大差はない。


「はは。相変わらず二人は仲がいいね」


 卯月は、それ以上何も喋ることはなかった。ただ、懐かしむように水面を眺めた。

 それから5分ほど過ぎたあと、部員が集まってきた。皆新型が気になるようだ。


「長戸先輩!」


 元気な男子生徒の声に長戸は振り返る。男子生徒は走って長戸に近寄った。


「お久しぶりです。長戸先輩!」

「久しぶり、あらた


 大井新おおいあらたは空戦部で出来た一つ下の後輩だ。

 その後ろからもう一人、男子生徒が長戸の下へ近寄ってきた。


「久しぶりじゃねぇか。長戸」

「お前も元気そうだな、風早かぜはや


 鶴見風早つるみかぜはやは卯月や志乃たちと同じ様に小学校の頃からの仲間だ。よくもまあ、昔馴染みがこんなにも同じ部活に揃ったものだと長戸は思っていた。


「そういや、あいつは来てないのか?」


 風早は辺りを見渡しながら言った。あいつ、というのは長戸が抜けた後にパイロットになった衣笠和馬きぬがさかずまのことであろう。


「今日は実習で少し遅くなるって言ってたよ」


 卯月の答えに風早は「なるほどなぁ」と呟いた。高専という特殊な学校では、実習なる教科で放課後が潰れることは日常茶飯事なのである。


「あ、皆さん! 来たみたいですよ!」


 新が海の先を指差して皆に言った。全員が新の指さす方を見つめた。そこには小さな点があった。だんだんと近付いてきている。その点は見る見るうちに大きくなり、輸送艦が見えた。長さは50mはありそうな大きい艦だ。横幅も30mほどある。

 輸送艦は接岸し、錨を下ろした。前方のハッチが開き、陸と繋がる。艦の中から一人の女性がこちらに向かって歩いてきていた。長い金髪を下ろし、黒いスーツを身に纏っている。


「誰だ、あのべっぴんさん」


 風早は卯月にしばかれた。


「んだよ、いてぇな」

「べつにー。なんかイラッとしただけ」

「意味わかんねぇ」


 そんな二人のやり取りに、長戸と志乃は顔を見合わせて笑った。昔から二人の関係を知る二人は、早くくっつけばいいのにと思っている。

 そうこうしているうちに、金髪の女性は長戸の目の前すぐそこまで来た。


「ヘーイ、ボーイズアンドガールズ!」


 女性は右手を振りながら元気に挨拶をした。皆は呆気にとられ言葉が出ない。


「ワッツ? どうしたノー?」


 女性は立ち尽くす部員たちに首を傾げた。長戸はあまりの強烈なキャラにどうするべきか分からなかった。


「あはは……あの、あなたは?」


 そんな中。口を開いたのは卯月。なるべく失礼のないように愛想笑いを浮かべている。


「Oh…、自己紹介がまだでしたァー。私はアーガス・アルビオン。アラスカ工科学大学の生徒デース。ユーたちの新型の建造責任者でもありマース」

「建造責任者……?」


 風早は有り得ない物を見るような顔をしている。それもそのはず。アーガスは戦闘機を建造するような人物に見えないからだ。端的に言えばどこか馬鹿っぽい。


「ちょっとあなた、失礼ですネー。私、こう見えても工学博士ですヨー‼」

「ま、マジかよ……」

「で、あなたは誰ですかァー? 私はスズタニナガトを探してマース」


 アーガスはおでこに手を当て、何かを探しているように素振りを見せた。

名前が出た長戸の方を皆が見つめる。当の長戸は「え? え?」と言った感じで困惑していた。皆が「知り合いか?」と目線で聞いてくるのだ。

(いやいや、知らん知らん)

 そんな視線に気が付いたアーガスは、長戸の前に立ち、長戸も顔に自分を顔を近づけた。


「あなたがスズタニナガトですカー?」


 あまりの近さに長戸は声を出せなかった。

(近い近い近い近い!)

 思春期真っ只中の長戸には、どうしても邪な感情が走って顔が紅くなる。


「そ、そうだけど」

「やっと会えましたァー‼」


 アーガスは思いっ切り長戸を抱きしめた。長戸は抵抗も出来ずに抱きしめられている。

(急に抱きしめてくんなよ、アメリカンスタイル⁉ 当たってる! 当たってるから! うぉぉぉ‼ こっちもアメリカンだぁ⁉)


「ちょっ、ちょっと! 離して!」

「おっと、ソーリー」


 解放された長戸は何度か咳払いをし、呼吸を整えた。


「アーガスさん。あなたは何で俺のことを探しているんですか?」

「そうでしたそうでした。私はあなたにこれを届けに来ました。Follow me」


 アーガスは長戸の手を握って先を行く。長戸は引っ張られるまま駆け足でアーガスについていった。残された部員たちも困惑しつつ後を追う。

 アーガスが長戸を連れて来たのは、輸送艦の中の格納庫だった。戦闘機の整備が出来る格納庫は油の匂いがする。


「あの、アーガスさん」


 アーガスは布が被さった20mほどの物の目の前で止まった。長戸にはこの布の下に戦闘機がいることが予測できた。


「これは、私の親友があなたに届けてくれと言ったものです。2年もかかってしまったけれど。私は確実にあなたに届けました。受け取ってくれますか?」


 アーガスは先ほどとは全く違う、真面目な口調で言った。


「親友って……」


 なんとなくではあったが、長戸には予感があった。

 アーガスは布の端を掴んだ。


「……私の親友、アキノから。私の親友が愛したナガトへの贈り物」


 そして、その布を一気に捲った。なびきながら布は捲れていく。その下に隠していたものを徐々に長戸に見せていく。


「ぁ……」


 小さく、長戸の息が漏れた。その美しい姿に見惚れたのだ。白、黒、青による三色のスプリット迷彩。がっしりとした胴体。鋭い翼。長戸が幼い頃より憧れていた戦闘機。


「トム……キャット…………」


 それがこの戦闘機の名だ。いつかの日に秋乃と交わした約束を、長戸は今になって思い出した。


「ナガトがこれで世界一を取ってくれると、アキノいつも言っていた。でも、これが完成する前にアキノは……」


 長戸は機体に触れた。機首の部分に。ひんやりと冷たい。けれど、どこか温かい。

秋乃との思い出がこの温もりになっていると長戸は思った。


「アーガスさん」

「なに?」

「あき姉は俺のこと、嫌いになってなかったかな……」


 それを聞くのはとても怖かった。けれど、聞きたくて仕方がなかったのだ。


「嫌いになっているわけ、ないでしょう? だってアキノはこの機体を作りながらいつもあなたのことを考えていたのよ? 一緒にいた私がどれだけあなたの話を聞かされたと思っているの?」


 アーガスはやれやれとでも言いたげだ。けれど、その声色は嬉しそうだ。きっと楽しい思い出ばかりなのだろう。


「よかった……」


 溢れそうになる涙を瞼を下ろして食い止める。そんな長戸の背中をアーガスが叩いた。


「シャキッとしなさいな。この子はただのトムキャットじゃないのよ。あなたが世界一を取るための機体」

「ねぇ、アーガス。こいつの名前、なんていうの?」


 アーガスは長戸の質問にニッと笑い、嬉しそうに答えた。


「F-14 ASFEXアスフェクス〔スーパートムキャット〕」


 アーガスは長戸の肩に手を置き、機体を愛おしそうに見つめる。

そして、秋乃の代わりにこう言った。


「あなたとの約束だった最強のトムキャットよ」


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