第5話

 ♠



 疲れた⋯⋯。


 放課後の教室で机に突っ伏したまま、オレは半分寝ぼけた頭を両腕に乗せて微睡まどろんでいた。

 結局、あの後、誤解をとく暇も無く、レッドと一緒に七つも現場を廻って侵入者を撃退してまわった。


 侵入者の連中。


 コンプライアンスってものが分かってないのか。

 あいつら本気で殴りかかってくるんだ。

 おかげでオレは全身汗まみれの泥まみれで、切り傷、すり傷、打撲傷と生傷のオンパレードにされた。

 もうスンゲエ肉体労働。

 物心ついた頃から祖父じいちゃんに武道の手ほどき受けてるから、この程度の怪我にゃ慣れっこだけど、そうじゃなかったら初日でギブアップしてると想う。


「パニやん。なに、黄昏たそがれとん」


 オレを『パニやん』呼ばわりする、この高瀬たかせなんかにゃ絶対に勤まらない。

「そのパニやんってのやめろよ」

「なんでやパニやん」

「オレの名前のどこに、パニなんてけったいな発音が含まれてんだ?」

「はっはっは~、分かってないにゃ~パニやん。このあだ名は、主に、お主の形態を表した、あだ名なのじゃ」

「はぁ?」

「主として、頭かにゃ~」

「オレの頭がパニクってるって?」

「イエス。特に頭髪が」



 ムカッとしたぞ。



 オレの髪質は、なんというかヒドい癖毛だ。

 剛毛で、ごわごわしてて四方八方に跳ねまくってる。

 そのうえ雨でも降ろうもんなら湿気で一気に爆発する。

 一時期に長髪にしてた事があるんだが、そんな時に大伯母さんに、



『あんたの頭サイババみたいよ』



 って言われた。

 サイババが何か知らないオレは、ダチの携帯で調べてもらい愕然がくぜんとした。

 そこに写ってるニヤけた男の髪型と、オレの爆発ヘアーは全く同じだったからだ。

 サイババの火力は途轍とてつもなく強い。

 その瞬間から、オレのあだ名はサイババになった。

 否も応もない。

 子供って残酷だよな。

 このやっかいで強情な癖毛に対する、オレの対策は一つしかない。

 常に短く刈り込む事だ。

 ストパーを掛けても無駄だ。

 なぜなら三日で元に戻ってしまうからだ。


「人のコンプレックスを笑いのネタにするんじゃねえよ」

「なにを、そんなにぐったりしとるん?」

「んぁ!? バイトだよ、バイト」

 オレは頭の向きを変えながら不機嫌に答えた。

「なんや、新しい仕事めっかったん。良かったやん。わいも弁当を奪われずに済む」

「テメエからはニンジンとピーマンしかもらってねえよ」

馬場ババッ!!」


 ズビシッ


 と、側頭部をはたかれた。

 痛い。

 このチョップの鋭さと重さは~⋯⋯、

「宇都宮~」

「あんた、また委員会サボったでしょう」

「良いだろう、別に。オレが居なくたって議題は進むんだし」

「そーゆー問題じゃないでしょ。あなたもクラスの代表なんだから。少しは真面目に文化祭の演目を⋯⋯、ってなによ」

 机に突っ伏したまま、横目に見上げる視線に気づい宇都宮が、怪訝な顔つきでオレを見おろした。

 巨乳だ。

 このアングルからだと、宇都宮の巨乳っぷりが本当によく解る。



「馬~場~、あ、ん、た、ね~」 



 本気のチョップが打ち下ろされた。

「いてえな」

 オレは頭を撫でながら言った。

 側頭部を強打するのは良くないんだぞ。

「人が真面目な話をしてるんだから、少しは真面目な態度で聞きなさいよ」

「真面目な話をしてんなら、人を馬場呼ばわりすんなっての」

 あ、ちなみに馬場ってのも、オレのあだ名ね。

 サイババ騒動が落ち着いた辺りから、誰からともなくオレを馬場呼ばわりし始めた。

 宇都宮も、その一人だ。

 宇都宮つむぎ。

 我がクラスの委員長で、生徒会役員。

 成績優秀、運動神経も抜群な上に、美人で巨乳で美乳でもある。

「え? じゃあ何て呼ぶのよ」

「本名で良いだろう」

「本名って、いまさら上の名前で呼ぶの。――なんだか他人行儀すぎない」

 頬に手をやりながら宇都宮が困ったようにつぶやいた。

「べつに下の名前で呼んだっていいだろ。ガキの頃は呼び捨てにしてたんだからよ」

「呼び捨てって⋯⋯」

 なに決まり悪そうな顔してんだよ?

 変なヤツ。

「パニやんでええやん」

 それまで黙ってオレ達のやり取りに耳を傾けてた高瀬が、急にバカを言い出した。

 まったく、こいつは。

「なんでパニやん?」

「頭髪がパニクってるやろ」

「ああ~、それで」

「やめろ。定着させるな」

 オレはイスに座ったまま伸びをし、脱力してうなだれた。

「ぁ~、腹減った~」

「あんた。また、お昼を抜いたの?」

「しょーがねーだろ。バイト代が入ってなんだから。食い扶持は自分で稼げってのが、ウチの家訓なんだしよ」

「だから言ってるじゃない。あたしがお弁当作って来てあげるって」

「それは遠慮する」

「なんで? 人が好意でいってあげてるのに」

「お前の好意には、絶対に裏がある。あとでとんでもない見返りを要求されるのがオチだ」

「まだ、あの事を根に持ってるの!?」

「忘れるものか、あの十二の夏の屈辱を」

「な~、な~」

「なんだよ」

「なに」

 オレと宇都宮が一斉に振り向いたせいか、高瀬ちょっぴり引き気味に訊いた。

「十二の夏になにがあったん?」

 それまで喧々囂々けんけんごうごうと言い争ってたオレと宇都宮が急に黙り込んだのを見て、高瀬がニヤリと頬を歪めた。

 こいつ絶対悪いことを考えてる。

「それは言えん」

「絶対にダメ」

「なんでや、ええやんか」

「これだけは絶対に駄目だ」

「ごめんね高瀬くん。これだけは言えないの」

「ちぇっ。夫婦の秘密かいな」

「だれが夫婦だ」

「そ、そうよ。だれとだれが夫婦なのよ」

 オレと宇都宮は、いわゆる幼なじみってヤツだ。

 オレが祖父ちゃんの道場で武道の稽古を始めた頃には、そばにいつも宇都宮がいた記憶がある。

 どこに行くにも連んでたし、なんなら取っ組み合いの喧嘩だってしたことがある。

 女相手に喧嘩するなって?

 仕方ねえだろ。

 オレは五歳になるまで、宇都宮が女だって知らなかったんだからさ。

 それに言わせてもらうなら、喧嘩して泣かされてたのはオレの方なんだぞ。

 ガキの頃は宇都宮の方がガタイも良かったし、武道の腕前もあいつの方が上だったんだ。

 頭が良いから物覚えも良くって、オレより先に技を覚えちまうんだ。

 天は二物を授けずなんていうけで、ありゃウソだね。

 二物も三物も授かったヤツはいる。

 目の前にいる宇都宮が、その見本だよ。 

「ちょっと、どこへ行くのよ」

「バイトだよ、バイト。アルバイト」

 腹も減ってるし、社員食堂でなんか食わせてもらおう。

「次の金曜日は委員会なんだからね。サボったら承知しないんだから」

「ハイハイ」

 オレは後ろ手に手を振って教室を出た。



 ♠



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