1年半前・崩れかけの



 微かな希望さえ打ち砕くように、入学してから半年、私たちの日々には進展は何もなかった。


 相変わらずジョゼフの記憶喪失の原因はわからず、私と彼の間柄は少しも変わらない。半年もあれば、少しは距離が近づくと思ったけれど、見えない壁に阻まれるように、どれだけジョゼフの心に近づこうとしてもそれは叶わなかった。


 最初のうちは、大丈夫だと自分に言い聞かせて少しは前向きでいられたけれど、そんな僅かな期待を奪うには、この半年はじゅうぶんすぎる程の時間だった。日々、疲弊する気持ちだけが積み重なっていく。


 このままジョゼフが二度と、私のことを思い出さないのではと考えてしまう夜も少なくなかった。


 レオとエディと3人で開く定期的な報告会も、日に日に話題が減っていく。詰まるところ、話題に上げるような成果がないのだ。


 今日も集まったものの、私たちは紅茶を手に沈黙を弄んでいた。すっかり紅茶は冷え切っていて、カップに触れる指先が段々と冷えていくのがわかる。夏はとうに過ぎ去り、肌寒い季節がやってきていた。


(だめね。ジョゼフのことを諦めたくなど、ないのに……)


 口を開けば、弱音が零れ落ちそうな気がしてしまう。気心の知れた2人の前であれば、なおさら。優しい2人のことだ、きっと私が弱音を漏らせば、自分たちの心の傷を置いて、私を慰めようとしてくれるだろう。


 それでなくともレオは魔導研究局、エディは魔導騎士団と連携を取り、学園での勉学に励みながら日夜解決に動いてくれているのだ。ただ学園生活を送るしかできていない私が、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。


 何より久々に顔を合わせた2人からは、見てわかるほどに疲労が見て取れた。


(しっかりしなきゃ……)


 紅茶を一口飲むと、なけなしの気力をかきあつめて2人に笑みを向ける。


「2人とも、報告をありがとう。なかなか、解決の糸口は見つからないわね」

「……こんな不甲斐ない報告ばかりでごめんね、ナタリー。隣国にも症例がないか確かめたんだけど、こういったことは前代未聞みたいで。もう少し深いところまで調べたいんだけど、ジョゼフが記憶喪失だって公にするわけにもいかないから、なかなか踏み込めないんだ」


 しゅん、とエディが項垂れる。


「魔導研究所もさっぱり。完全にお手上げ状態さ。これ以上の長期化は避けたいってのに」


 レオの口調からは、僅かな苛立ちが見てとれた。


 再び沈黙が落ちそうになって、空気を変えるように声を上げる。


「一生懸命やって、それでも見つからないのだから仕方がないわ。誰も悪くないもの。きっとこの問題には根気強く、向き合うしかないのよ」

「……そうだね」

「…………」


 レオがじっとこちらを見ているのに気づいて、困って笑顔を返した。そして、逃げるように席を立つ。


「私、課題が残ってるから先に失礼するわね。2人とも寒くなってきたから体には気を付けて。また、報告会で」


 そそくさと、談話室から出る。歩きながら、深呼吸をした。最近、なぜか息苦しく感じてしまう。


(ああ、だめね)


 息を吐くと、そのまま気が抜けて涙が出そうになる。私はいつから、こんなに弱くなってしまったのだろうか。


「あら。ナタリー?」


 早足で寮へ向かっていると、背中に声がかかった。その声に反射的に体がこわばる。


「ユリさん……」

「やっぱり。そんなに急いで、どうしたの?」


 振り返ると、焦げ茶色の髪を揺らす彼女がいた。無意識に、近くに彼がいないか確認してしまう。それに気づいたのか、ユリがくすくす笑った。


「安心して、ジョゼフはいないから。今日はお城に用事があるみたいなの」

「そ、そう……」

「それよりナタリー、顔色が悪いけど平気? ジョゼフのこと、気をもむのはわかるけど無理は禁物よ」


 優しさで言ってくれているのだと思う。きっと、そう。それなのに、彼女の言葉のどれもが刃のように鋭く心臓に突き刺さる。


「ほら、目の下にクマができてる」


 するり、とユリの手が私の頬に触れた。思わず顔を上げると、蜜色のユリの瞳と視線が交わった。


 ユリの瞳は不思議だ。目が合うと、何故だかそれだけで一気に心が弱くなってしまう。一生懸命に頑張ろうと力を入れていた思いが、ほろほろと崩されていくような感覚がする。心に張った防御壁を、結界を、あっさりと解かれてしまうような。


「ナタリーは頑張り屋さんね。あなたのそういうところ、心配よ」

「ユリ……」

「呼び止めてごめんなさい。寮に戻って、ゆっくり休んでね」

「そうするわ……」


 温かい指先が、私の頬から離れていく。ユリは、慈しむように微笑んだ。


「お大事に」


 ユリの言葉を受けて、私は再び寮に向かう。また、息がしづらい。けれど、深呼吸をする元気はなかった。今はただ、ベッドに横になりたい。そして溶けるように眠ってしまいたかった。



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