2年前・頼りになる人②



「ジョゼフ、本当に私を忘れてしまったのね。思い出すそぶりもなかったわ。薄情な人」

「そうだな。記憶喪失の小説でよくある展開だと、愛の力で思い出したりするものだけど、そんな様子もなかった」

「ちょっと。それは意地悪で言ってるでしょう」

「まあね。実際、原因不明の記憶喪失なんて聞いたこともない。魔導師長含めて研究に当たっているから、君は原因については手を出すなよ。こういうものの裏には、危険がつきものだから。いくら木登りが趣味のご令嬢とはいえ、おてんばはよしてくれよ」


 冗談めかして言いながらも、その目は真剣だ。素直に頷くと褒めるように頭を撫でられた。なんだか、レオには昔からよく頭を撫でられる気がする。もしかしたら、彼のくせなのかもしれない。


 甘やかすようなレオの態度にほだされて、言わないでおこうと思っていた言葉が口をついて出る。


「ユリさん、綺麗な方だったわね。あの方が、ジョゼフの記憶喪失に協力してくださってるの?」

「……へえ?  君でも、そう言う嫌味っぽい言い方するんだ」

「や、やっぱり嫌味に聞こえてしまったかしら。ダメね、こんなこと、思ってはいけないと思うのに私……嫉妬しているのね」


 今まで、ジョゼフの横に自分以外の令嬢が並んで立つところは見たことがなかった。

 なぜならずっと、そこには私がいたから。私がいるはずの場所に立ち、ジョゼフから笑顔を向けられるユリさんに、私はとても綺麗とは言い難い感情を間違いなく抱いてしまっていた。


(協力に感謝こそ、すべきなのに……)


 自分の中にこんな仄暗い感情があるなど、知らなかった。落ち込んでしまって、思わずため息が漏れる。


「……本当にジョゼフはバカな奴だな」

「え?」


 レオは片眉を下げて、困ったような、なんとも言えない表情で笑みを作る。そして、また私の頭を撫でた。


「嫉妬くらい、普通だ。君が気に病むことはない。あの2人の距離感については、少し俺も思うところはあるしな。とりあえずナタリーは変なことは何も気にしなくていい。君はただ、バカな婚約者の目を覚ますことだけを考えていなよ」

「レオ……。そうするわね」


 からかってばかりの意地悪なレオは、肝心なところで優しい。幼なじみの中ではなんだかんだ1番女性に人気なのも頷けた。


(そういえばレオはずっと婚約者がいないけれど、作る気はないのかしら)


 てっきり魔法学園に入学するタイミングで婚約を済ませるものかと思っていたけれど、一向にそういった話は聞かない。


 現宰相の嫡男で、神童と呼ばれる魔法の腕前に、このルックスだ。引く手あまたなことは間違いないのに、特定の相手がいないのは少し不思議だった。


 そんな踏み込んだ質問をするべきか悩んでいると、レオが立ち上がってしまう。そのまま私に、手を差し出した。


「さ、そろそろ部屋に戻るよ。まだ夜は冷えるし、明日も早い。まあ君が、もう少し俺と2人きりを楽しみたいというのなら、別だけど」

「ふふ、楽しみたいところだけど、レオの言う通り戻ろうかしら。初日から寝坊はできないものね」

「君は案外、寝坊助だからな」

「それは子どものころの話よ」


 むくれながら手を取ると、私より温かな体温に握られた。こうして、レオの手を取るのは久しぶりだなんて思う。いつもこういう役目は、ジョゼフだったから。


(ジョゼフの手は、いつも冷たかったわね)


 寒い日の彼は私の手を握るとき、冷たい手ですまないといつも気遣ったものだった。そんな彼の手を、私は温めてあげようとぎゅっと握りしめた日が懐かしい。


(ああこれも、私だけの記憶なのね)


 寂しい気持ちに襲われそうになるけれど、繋がれた手の温もりが、私が1人ではないのだと安心させてくれる。


「ナタリー、きっと大丈夫さ。君にもう、悲しい顔はさせないから」


 女子寮まで送り届けてくれたレオは、そう言って私に背を向けた。その姿に、1年前に比べて身長が伸びているだなんて、今更に気が付く。


 ジョゼフの記憶喪失を知ってから約1年間、その背中にどれほどの苦労を背負ってきたのだろうか。


 考えただけで心が痛んで、今日何度も伝えたお礼を、彼の背中に小さく届けたのだった。



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