3年前・真夜中の訪問者②



(今なら寝れるかも……)


 そう思ってバルコニーを閉めようとした時、今度は別の光が現れた。黄金の光は王族の証。姿を表したのは、ジョゼフだった。


「……先を越されたか」


 驚きで目を瞬く私に、ジョゼフが悔しそうに言う。恐らくレオの残り香を嗅いだのだろう。


「何をそんなに驚いている?」

「レオはやりかねないけど、ジョゼフはこんな非常識なことしないと思ってた……」

「非常識で悪かったな。非常識ついでに、中に入れてくれないか」


 少し拗ねた様子のジョゼフを、中へ招き入れる。さっきまでレオがいた席に腰掛けて、ジョゼフが魔法袋からホットミルクを取り出した。


「眠れないときは、これを飲むんだろう?」

「覚えていたのね、嬉しい」


 カモミールティーでお腹はいっぱいだったけど、ジョゼフの気遣いが嬉しくて、まだ温かいそれを口に含んだ。


 マグカップを置く音だけが、部屋に響く。互いに話す言葉を選んでいるようだった。


(何から話そう)


 思い出話をしようか、それとも世間話? それとも学園のこと?

 

 いろんな話題が頭を駆け巡って、けれどどれもがしっくりこない。気づいたらぎゅっと握りしめてしまっていた私の手を、ジョゼフの体温が包み込んだ。


「君に伝えたい言葉が、山ほどある。けれど、顔を見るとなかなか言葉が出てこない」

「私も……」


 口を開くと、なぜだか瞳が熱くなって来た。喉の奥が苦しくて、視界がゆらゆらと揺らぐ。気づいた時には、涙が頰を伝っていた。


「あれ? 私ってば、どうして」


 止めようと思うのに、一度溢れ出したそれは狂ったようにボロボロとこぼれ落ちる。


「ごめ、なさい……私、どうかしちゃった、みたい」


 ジョゼフたちに心配をかけたくないから、絶対に泣かないでおこうと思っていた。今日までもなるべく寂しいそぶりは見せずに、元気に笑っていたつもりだった。それなのに、最後の最後でこんな風に泣いてしまうなんて、最悪だ。


 必死に涙を拭う私の両手首を、ジョゼフに掴まれた。驚いて顔を上げると、そのまま彼の腕の中へと抱きすくめられる。


「ジョゼフ……?」

「やっと泣いてくれた」

「え?」

「君は僕のことを舐めているのか? ここしばらく、君が無理して笑っていたことくらいお見通しだ。寂しいなら、そう言え。僕に対して無理をするな」


 口調に対して、優しい言葉。ジョゼフらしい対応に、また涙が溢れた。


 温かい体温に、ずっとそばで感じて来たジョゼフの香り。力強くも気遣うような腕と、少しだけ早く感じる鼓動。全部が愛おしくて、大切で、このまま時間がずっと続けばいいのにとさえ思ってしまう。


「ナタリー、君の素直な気持ちを聞かせてくれ」

「……ジョゼフ、私、とっても寂しい。あなたに会えないこと、考えるだけで、心が痛くなるの。たった1年だって言い聞かせるけど、それでもやっぱり寂しいの。私はいつでもジョゼフに会いたいけれど、ジョゼフは学園が楽しくなっちゃって私のこと、忘れちゃわないかな、なんて不安になるの」

「バカだな、そんなことがあるはずがない。どんな楽しいことであろうと、君には代え難い。僕にとって君が、どれほど大切な存在なのかまだわかっていないのか?」


 体が離れて、真剣な瞳が私を見下ろした。きっと私は涙でぐしゃぐしゃの情けない顔をしているのだろう。ジョゼフは何も言わずに私の頰についた涙を優しく親指で拭ってくれた。


「言っておくが、僕だって寂しくないわけではない。君と会えなくなることを考えただけで、割と色んなことが手につかない。このままでは学園の成績も心配だ」

「ええっ」

「だが君が来年入学した時に恥ずかしい姿は見せられない。そこは踏ん張るとしよう」

「ふふ、ジョゼフったら」

「やっと笑ってくれた。君のその自然な笑顔が見たかった。このまま見られないのではないかと心配だった」

「心配かけて、ごめんなさい」

「謝るな。君にかけられる心配ならば、いくらでも引き受ける」


 微笑んだジョゼフに、嬉しくなって私も笑う。見つめあって微笑み合うだけでこんなに幸せを感じられる瞬間があるなんて、今まで知らなかった。ずっとこの幸せを感じていたくて、ジョゼフを見つめる。なぜだか、彼も同じ気持ちでいるように思えた。


「ナタリー、今まであまり言葉にしたことはなかったが……僕は君のことが好きだ。きっと、誰よりも」

「ジョゼフ……」

「独りよがりかもしれないが、僕の幸せは君なしでは考えられない」


 嬉しすぎる言葉に、また涙が滲んできてしまう。

 ぶっきらぼうに見えて、どこまでも甘い言葉を言うなんて本当にずるい。


「私だって、同じ。私の毎日に、ジョゼフがいないこと、考えられないわ。だから、たくさん手紙も通信もしてね」

「もちろんだ。君が困るくらい送ってやる」


 悪戯っぽく笑って、ジョゼフの顔が私に近づいた。目が合って、少しだけ恥ずかしくなって逸らして、再び視線を重なり合わせる。ジョゼフの手が私の頰に触れて、それを合図に目を閉じた。


「……」


 柔らかく触れた唇。初めての、唇同士のキスだった。

 ゆっくりと名残惜しそうに唇が離れて、ジョゼフがポツリと漏らす。


「……君の両親に知られたら叱られるな」

「内緒にしておくわね」

「そうしてくれると助かる」


 言いながら再び顔が近づいて、もう一度私たちは口づけを交わした。


 何も語らず、互いの口を塞いでしまうのに、キスはなぜだか言葉よりも雄弁だった。いかに互いを愛しく思うのか、言葉よりもずっと多くを教えてくれる。


「……なんだか、さっきよりもジョゼフのこと好きになっちゃったみたい」

「ならば何度もすれば、もっと僕を好きになってくれるか?」

「そんなの、恥ずかしくて溶けちゃうわ」

「それは困るな。けれど、もう一度耐えてもらおうか」


 そう言って、ジョゼフはもう一度顔を近づけた。


 ちょうど1年くらい前に聞いたセリフだと思って、私は嬉しくなりながら彼の唇を受け入れたのだった。


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