6章 悔恨
第19話 もう少しで、全部終わるから
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あたしはもう、逃れられなかった。
ある日、夢の中に異様なものが現れたの。異様としか言いようがない。姿がある訳じゃない。黒い霧が雰囲気ありげに流れてる訳でもない。ただ、そこにあるだけで、異様。そういうもの。
そしてそれからあたしは、唐突に記憶を失うようになった。気付いたら、数時間分の記憶が飛んでる。だけどあたしはといえば、日常生活を送れている。しばらくは原因がわからなかった。ただ、罪悪感は薄れていて、あたしはだから、それでいいかと思うようになった。
それからしばらくして、あたしは連続失踪事件を知ることになる。その時は、何も思わなかった。まさか、あたしがその犯人だなんて、夢にも思ってなかったから。
そうよ、あたしがその犯人。だけど、言い訳をさせてもらえるなら、そのほとんどが、あたしの意思ではない。
……なんて、あなたに言ってもどうしようもないよね。あなたの妹を狙ってたのに。ごめん。話を続けるね。
その記憶を失っている数時間を、どうやって知り得たのか。自分自身の記憶は魔法を使ってもどうこうできない。だけど、他人ならなんとかなる。あたしはその辺に住んでるホームレスの人にお願いして、あたしを見張ってもらったの。そうしたら、ホームレスの人も帰ってこなかった。それで気付いたの。ああ、あたし、殺してるんだって。それを自覚した瞬間、あたしの記憶は途切れた。
そして、また夢を見たの。異様なものは、またあった。それは、あたしにこう言ったの。お前の力を借りて、世界の調和を保っているのだって。端的に、それだけ。不自然に思った辺りで目が覚めた。
それからも失踪は止まらなかった。あたしがやったことなんだろう。それはわかっていて、だけどあたしは止められなかった。そんな中、ある日、あたしは殺しの最中に記憶を取り戻したの。
原因は単純。攻撃を受けたから。
◆
呆然と立ち竦んでいても始まらない。俺は頬を強く張り、辺りを見回した。荒らされた形跡もある。血痕等の傷を指し示す証拠は見当たらない。ただしこれは安堵の材料にはならない。今までの事件だって失踪なのだ。血痕やら、そういう証拠があったとは思えない。
心臓が早鐘を打っているのを感じる。荒らされているということはつまり、二人の抵抗があったことを示す。
戦いが、あったのだ。誰と? あの少女とに決まってる。二人は無事か。それを確かめる術はない。大丈夫だ、きっとどこかで二人は無事でいる。そう声に出して自分を安心させようとするけれど、その声はどこまでも空々しく響くだけだった。
無事でいたとしても、二人がここに帰ってくる可能性は、限りなく低い。もうバレた住居にいつまでも居続ける程、二人ともバカじゃない。それなら、と俺は辺りを捜す。どこかに、居場所を示す手掛かりがあるのではないか。置き手紙のようなものを、俺に向けて残すのではないだろうか。
階上へと向かう。二人が寝ていた部屋を開く。荒れ果てた部屋を軽く見回し、それから俺は、目を瞠った。どうして、と声を漏らす。
そこには、あの少女がいた。ラーニャでも、ゾーイでもなく。犯人のあの少女とおぼしき姿が、そこにうずくまっていた。彼女は顔をあげ、こちらを見やる。その頬には、一筋の線が伝っていた。それから彼女は立ち上がり、こちらへと向き直る。それから彼女は、ごめんなさいと呟いた。
「ごめんなさい、あたし」
「謝るなら、やめたらどうだ」
彼女はいやいやをするように首を振る。それからその腰にかけられていた剣に手をかけた。俺も剣に手をやる。
「なんで、ラーニャを狙う」
戦って、勝てるとは思えない。剣だけなら勝ち目もあるかもしれないが、相手には魔法があるのだ。だから説得で済ませたかった。
正直な話、彼女の醸し出すあまりの哀れさに、俺は戦意を半ば失いつつある。彼女がラーニャを狙っているという事実は変わらないはずなのだけれど、それでもどこか、同情を感じている自分を見付けて、俺は愕然としていた。怒りは、湧いてこない。意外な程に冷静な声で、俺は問い掛ける。
「ラーニャをどこやった」
「あの子には、逃げられた。まだ、無事でいる。行かなくちゃ」
「行かせない。ラーニャを襲わせたりはしない」
それなら、と彼女は抜刀した。俺もそれに合わせて抜刀し、瞬く間に間合いを詰めて、一太刀。しかし彼女は、それを俊敏に回避した。え、と漏らしたその瞬間、彼女の剣が俺の首筋にあたっているのを感じた。
「行かせて。もう少しなの。もう少しで、全部終わるから」
俺はその隙を突いて、彼女の剣をなぎ払う。彼女の剣の切っ先が腕に掠り、ちくりと痛みが走った。見ると赤い一筋の線が走っている。今度は俺が切っ先を彼女に向けた。冷静さは保ったままに、それでも俺は、彼女を脅す。
「ラーニャを殺すのをやめないのなら、俺がお前を殺す」
その切っ先を突き立てようとした瞬間、彼女は俺の股間を蹴り上げた。激痛が体中を駆け巡り、俺は悶絶する。その隙を突いて、彼女は去って行った。追うことすら許さない程の素早さで。
◆
激痛がようやく引いて、俺は彼女のことを考えていた。彼女は確かに泣いていた。彼女の中に、今までの殺しに罪悪感がない訳ではない。むしろ、大いに苦しめられているらしい。そして、やはりというかなんというか。
彼女には彼女なりの理由が、そして基準があるのだ。生き返りでない俺のことは殺さなかった。そのことが、それを証明していた。
そしてひとつ幸いなことがある。ラーニャはまだ、無事でいる。そうなると、俺がやるべきことはひとつだ。ラーニャを捜し、合流する。それが何よりも先決だ。あの少女よりも先に、見付け出さなければならない。
俺はまず、家の中の捜索を再開することにした。この部屋の中に彼女がいたのだから、この部屋に手掛かりを残した可能性はゼロに近い。俺は自分の寝室へと向かった。そして俺は、目を覆う。
本の山が、部屋中に散乱している。この部屋も荒らされている? いくらなんでも、それはおかしいだろう。ラーニャたちの行動を想像する。まず、初めにこの俺の部屋にいた場合。魔法の本を捜していたとかだろうか。その瞬間、あの少女が部屋に入ってくる。戦いの最中で逃げだそうとする時、どう考えても階下へと向かうはずだ。向こうの寝室が荒れることはない。逆もまたしかり、こっちの部屋があれるはずはない。初めから階下にいたら、外へと向かうだろう。わざわざ袋小路の二階に上がるのは少し、考えづらい。テレポートがあるにせよ、三部屋全てが荒れることは考えられない。それならどうして? あの少女がわざわざ荒らすとも考えられないしといろいろ考え込んで、しかしそれは別に、ラーニャの居場所に繋がる謎だとも思えなかったために途中で思考を断念し、外へと向かうことにした。
◆
町中を、名前を呼びながら駆け回る。どこかにいないか、ひたすらに声を上げて走り回っていると、ラーニャのクラスメイトたちに出くわした。彼らは俺のことを知っているはずだ。
「なあ、ラーニャ知らないか?」
「え、ラーニャ? 見てないよな?」
みんなが口々に、最初に答えた少年に対し同意を示す。俺は家出か知らないけど、消えたんだと説明した。
「頼む、一緒に捜してくれないか? ゾーイも一緒にいるはずだ」
「わ、わかった」
彼らは俺の勢いに気圧されながらも、確かに頷いてくれた。
「見付けたら、その時は……」
はっとする。彼らが見付けたとして、その後はどうする? 今ラーニャたちと一緒にいるということは、関係のないこの子たちを巻き込むということにほぼ同義だ。だからといって、どこか特定の場所に行くように伝達するにしても、安全な場所の心当たりがない。
俺たちをあまねく突き刺す太陽は、まるでどこにも逃げ場なんてない、全てお見通しだというように俺たちの肌を焼く。彼らが見付けたら、どうすればいいのだ。額を汗が伝った。
俺は覚悟を決める。
「見付けたらその時は、ラーニャに早く、家に戻るように言ってくれ」
「わかった。でも、どうしたの?」
ひとりが俺に問うた。俺は少しの逡巡の後、こう伝えることにする。
「急に何も伝言を残さずいなくなったから」
「心配しすぎじゃない? まあ、いいけど。んじゃ、みんなで捜そうぜ」
彼らはそう言うと、俺に挨拶をして走り去って行った。
俺の家。もう敵にはバレている、住み慣れた家。今になってあそこに逃げるとは、考えないんじゃないだろうか。これは、半ば賭けだった。
◆
燦然と輝く太陽が恨めしい。これが冬なら、もっと走れたのに。服を湿らす不快な汗に、俺はたまらず息を吐く。腕で額を拭うと、べっとりとそれは腕を濡らす。
今俺は、拠点となったあの家に再び舞い戻っている。
あまり長時間逃げ続けるのは危険だ。落ち着ける拠点で、休息をとらねばならない。それに、同じいつ狙われるかわからない状況は同じでも、家というシェルターがもたらしてくれる精神的安寧はかなり大きい。ただでさえ消耗の激しかったラーニャが、屋外で延々と続く逃亡生活に耐えきれるとは思えないのだ。
ゾーイはきっと、そこも理解している。そして、彼女の安定のためには、どうやったって再び俺に接触をはかるはず。俺がいることで、多少でもラーニャは落ち着く。驕ってもいいのなら、俺はそう思っている。ラーニャのためにも、俺の存在は不可欠なのだ。
そして俺がこの状況でも思いつきそうな場所といえば、二ヶ所しかない。兄妹として、たぶんラーニャはそれに気付くはずだ。
いつになるかはわからないが、ラーニャたちはここか、あるいは俺の家に戻ってくる。その確信は、俺の中では絶対だった。
「ラーニャ、いるか」
声をかけても、返事はない。相変わらず荒れ果てた家の内部を大雑把に見回して、誰もいないことを確かめる。俺はコップ一杯の水を飲み、それから自宅へ向けて駆けだした。
白い雲が、高らかにその勢力を拡大している。セミの声が、いつになく耳障りだった。
◆
自宅に戻り扉を開いた瞬間、熱気が俺を襲った。それから俺を襲ったのは、ずっと空になっていたからか、酷く淀んだ空気だった。直感する。ここにはまだ、来ていない。それでも俺は声をあげた。万に一つの可能性に縋る思いで、俺はラーニャの名を呼ぶ。
返事はなかった。それでもまだ、俺は呼ぶ。半ば祈るように、半ば叫ぶように。
ラーニャ、ラーニャ、無事でいるんだろ、返事してくれ。
答える声は、ないままだ。
俺は家を出る。そして、じっと立ち尽くす。どうすればいい。どこに行けば会える。そんな問いばかりがひたすらに脳内を巡る。
雲が日差しを遮り、しだいに辺りは暗くなって、そしてぽつりと雫が落ちた。え、と空を見上げる間もなく、その雨はいきおい激しさを増し、俺を濡らした。汗にまみれた俺にはむしろ、心地いい雨だった。
ふう、と息を吐き出す。そして、俺は駆けだした。俺は別に、濡れてもいい。暑さに苦しむよりは、何倍だっていい。けれどラーニャは。ラーニャも雨に降られているはずなのだ。
そんな折、俺はふと思い出す。雨の時はどうするのか。
ゾーイは、ラーニャを連れて公園の木の下へ向かった。そのはずだ。
この街に公園は複数ある。とは言っても、その数はそこまで多くはない。絞り込みは容易だ。俺はひたすらに駆けだした。
◆
二つ目の公園で、当たった。そこに、二人はいたのだ。
俺は二人に駆け寄る。ゾーイが速く速くと俺を呼ぶ。大きな木の下、雨に濡れないその場所で、俺たちは再会した。
「ラーニャ、よかった、無事で」
その声を聞いてか、ラーニャの目にはみるみる雫があふれ出す。
「あれ、おかしいな、雨降らないんだけどここ……」
ラーニャがそう言って、無理に笑う。俺はそれを抱きしめた。ラーニャから伝う涙が、俺の肩を濡らした。雨に濡れていても、その涙の温かさは、伝わってきた。ラーニャも濡れた俺を拒まなかった。ただただ、恐かった、恐かったと泣き続ける。
「よくわかったね、ここにいるって」
「雨宿りの話を前聞いて。もしかしたらって」
「そっか。あの時の話をね。でもよかった。ひとまずは安心だ。だけど、まだ終わってないよ」
ゾーイの言葉は、俺たちを現実に引き戻す。俺はラーニャを離し、それから頷いた。
「俺、犯人に会った。会って、話した」
二人に俺が見た彼女のことを伝える。俺の意識は、話しながらずっと、ゾーイに向けられていた。彼女は一体、犯人像に対しどのような反応をするのか。
予想に反し、彼女はその犯人に対しては、なんら反応しなかった。その代わりに反応したのは、ラーニャだ。
「そっか。やっぱり、何かやむにやまれぬ事情があるんだよね。あたしたち生き返りを殺さないといけない何かの理由が」
そういう顔は、うつむいていた。
「あの子だって、殺したくて殺してる訳じゃないんだよね」
「だからなんだって言うの」
ゾーイがそれを遮る。
「あの子がラーニャを狙ってるのは紛れもない事実だよ。もう、変えようのない。あの子を止めないと、あなたが死ぬの。それはもう、許せない。誰かを殺すことの恐ろしさに、誰かが呑まれるのはもう、絶対に嫌だ」
俺たちは、彼女に向けて掛ける言葉を持たなかった。彼女はふと我に返り、それから曖昧な笑みを浮かべる。
「ごめんね。それこそラーニャたちには関係ないや」
「まあ、それはいいんだ。実際に、あいつの過去がなんだろうと、俺たちはラーニャを護りきらないといけない。それは確かなんだから。
それよりも、ひとつ気になることがあるんだ。逃げ出す時、部屋は荒れてたか?」
俺の問い掛けに、ラーニャは首を横に振る。ゾーイが目を見開くのを、俺は見逃しはしなかったが、追及はしないことにする。
「あの後戻ったら、あの家全体が荒らされてたんだ。いくらなんでもこれはおかしいだろと思ったんだけど、やっぱり、あの荒らしは別口なのか」
「あの子がやったのかもね」
ラーニャがそう言う。俺は首を振った。
「いや、わざわざそんな状況を作って、部屋で泣いているっていうのはどう考えても不自然じゃないか?」
「そっか……」
ゾーイは何も語らない。何か知ってるんじゃないかと視線を向けてみるけれど、彼女の表情は凍り付いたように動きを止めている。何も知らない訳ではないのだろう。そして同時に、彼女はそれを語る気がない。
「ゾーイ、どうしたの?」
ラーニャが問い掛けて、彼女はその表情を溶かした。
「ううん、なんでもない。それよりも、これからどうするかだよ。ニールさんと合流できたのはいいけど、もうあの家も使えない。なんとかしてあの子を止めないと。それも、できるだけ早く」
「……だけど、もう勉強はできないよね。あたし、あの子と戦えるかな」
彼女はその手をじっと見た。その表情から、わかる。恐怖を押し隠し、決意を固めている。小さく震えながらも、見つめるその目はまっすぐだった。
「ううん、もうタイムリミットってことだよね。あたしは、戦わなきゃいけない。だよね、ゾーイ」
「まあ、そうなるね」
「お兄ちゃん、ごめん、ちょっとでいい、抱きしめて欲しい」
ラーニャが俺に向けてそう言った。俺はその希望を叶える。ラーニャは強く、俺を抱きしめ返した。か細い震えが俺にまで伝わって来る。俺はその背中をさする。
「大丈夫だ。絶対に、大丈夫だから」
「うん……ありがと、お兄ちゃん」
その震えが止まる。体を離した時、ラーニャはもう、怯えてなどいなかった。
「よしゾーイ、行こう。あの子の所まで」
「わかった」
ゾーイはしかと頷く。
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