第18話 ここに、いたんだ
△
自分についての謎を調べるのは、難しそうに思えた。冷静に考えると、あたしが証拠を残すはずがない。そうなると、あたしにできることは、なんだろうか。
ママさんと話そう。もう、それしか思い浮かばない。あの人を断罪しなければ、答えは出ない。そんな気がした。
あたしの推測が正しければ、ママさんは、アリスと仲良くするようミリアを仕向けたのだ。そしてたぶん、アリスとあたしが出会ったのも明確な意志の下だろう。だとすれば、あたしとミリアの出会いも必然なのだ。あたしたち三人の出会いは、全てが始めから定まっていたこと。あたしたちを動かす様々な意思の内、あたしの味方たりえそうなのは、ママさんだ。今まで無事でいられたことが、その根拠。ママさんはたぶん、あたしに記憶を取り戻させようとしていたのだ。生き返りを漏らしたり、魔法の本を無防備に置いてみたり。
ふう、とあたしは息を吐き出す。それから覚悟を決め、家への道をたどり始めた。
表口から家に入る。活気のある店内に、さすがだなと思う。あの料理の腕前なら、この繁盛も当然だろう。テーブル席がいくつかと、カウンター席。
「いらっしゃ……」
ママさんがあたしに気付いて息を呑む。あたしは小さく、「ただいま」と呟いた。
「大丈夫だった?」
「後で、話したいことがあります。とりあえず……」
あたしのお腹が、図ったかのようなタイミングで鳴る。このおいしそうな匂いには、抗えない。
「ごはん、食べさせてください」
ママさんが思わずといった体で吹き出した。
「わかった。何にする?」
あたしはメニューを見て、それからハンバーグの文字を指さした。
「これで」
「よし。ハンバーグね。待っててね、ジルちゃん」
それから数分待っていると、厨房からおいしそうな匂いが漂って来る。ママさんがあたしの前にハンバーグを置いて、あたしはそれを、一口だけ頬張った。
「おいしい」
そうやって口に出す。噛むと、口の中に肉汁が溢れ出し、その割にするりとほどけるように消える。多幸感と言おうか、本当に天にも昇る心地だ。パンに挟んで食べると、タレが生地に沁み込んで、なおさら味覚を刺激する。
初めて食べた、あの味。三人で食べた、初めてのあの味。ミリアと、ママさんと。家族を感じさせる味。
知らず、あたしの頬を、涙が伝う。それを拭きとることもしないまま、あたしは黙々と、絶品ハンバーグを噛みしめ続けた。思い出の味が、口の中で踊った。
「ジルちゃん」
完食したその瞬間、ママさんがあたしに声を掛ける。そっとあたしの頬の涙を拭うと、微笑んだ。しばらくの沈黙の後、あたしは軽く頭を下げて、それから言った。
「今日の夜、でいいですか? ミリアが寝てから。ミリアには、どうしても説明できないことなんで、会いたくないんです」
「わかった。待ってるよ」
あたしは立ち上がると、店を出た。なんとなく、心に温かいものが満ちているような気がした。
○
アリスの解説を最後まで聞き遂げ、あたしは茫然とへたり込む。
アリスと仲良くなるように、ママに仕組まれていたっていうの? あたしたちが仲良くなったのは、何かの狙いがあったってこと?
「どうして」
「そこまでは、わからないけど」
アリスの顔色も、どことなく悪い。
「でも、だとしたら、ジルが逃げた理由も説明が付くの。説明してくれる訳ないもん」
決定的な言葉。ジルはあたしを、軽視なんてしていなかった。それどころか、大切に思ってくれていた。ミリアには、ミリアにだけは言えない。つまりはそういうことだ。あたしはもはや、何も言い出せなかった。涙すらも流れない。ただ、思考だけがぐるぐると回る。
教えてよ。これは一体、どういうことなの。何が正しくて、何が間違っているの。何も、何もわからないよ……。
アリスとの出会いが作為によるものだったこと。ジルを追い詰めたあたしは、完全に間違っていたこと。何もかもが、駄目だった。わからない。わからないよ。
教えて、教えて、教えて、教えて……。
しばらく後、あたしは呆然と立ち上がる。
「ジルを見付けたら、謝る。だからまずは、ジルを見付けないと。それから、ママに訊こう」
「うん。手分けして、捜そう。少しでも人手が多い方がいいと思うから」
あたしは頷くと、ひとり駆けだした。見慣れた町並みを、ジルの名を叫びながら走る。どこにいるの、返事して! 必死の祈りは、部分的に届くことになる。
「あの……すいません、ジルって」
あたしを呼び止めたのは、かわいらしい少女だった。え、と立ち止まると、「今日、会ったんです、学校で」と彼女はそう言った。
「小五の、ちっちゃい女の子、ですよね?」
「うん。ねえ、いつどこで会ったの」
あたしの力強い問い掛けに、彼女は少し怯えたような口ぶりで、「昼休み、学校で」と答える。
「いじめられてて、ごはんもないからって言って、サンドイッチを分けてあげたんですよ」
「いじめ……」
ジルが用意した言い訳だ。半分実情を言い当てているから、嘘ではない。本当の理由を説明して、ジルの印象を崩す理由もないし、説明できるとも思えなかった。
「それからどうするとか、言ってた?」
本当のことを知らない彼女が詳しいことを知っているとは到底思えない。望み薄だとは思いながら、けれどあたしは問い掛ける。藁にもすがるような気持ちだった。案の定、彼女はかぶりを振る。
「いえ、特には。あの、あなたは……」
「あの子の従姉妹。一緒に暮らしてるんだけど、ケンカして、家出しちゃって、今捜してる」
「そうですか。もしまた会うことがあったら、伝えておきますね。従姉妹が捜してたって」
「お願い、ありがとう」
「あ、あたしはラーニャです」彼女はあたしも通う小学校の名前をあげ、「四年です」と名乗った。
「あたしはアリス。小五。おんなじ学校よ」
あたしはそう言うと、勢い込んで再び駆けだした。捜索は、続く。
太陽が沈み、あたしは荒い息を吐く。ジルは、ちっとも見付からなかった。アリスと合流して、ラーニャという少女の協力を仰いだことを伝える。アリスの方でも進展はなかったらしく、あたしたちはため息を吐きながら解散した。
闇夜の中、星明かりだけを頼りにあたしは家への道を辿る。あたしはぼんやりと、ジルが今どうしているかを考えた。お腹を空かせてるんじゃないか。もしかしたら、ジルの記憶を奪った相手に見付かって、また襲われてるんじゃないか。考えは、止めどなく悪い方向へと流れてゆく。だからといってジルから思考を背けると、今度はママに対しての疑念が溢れ出す。嫌な情念を振り切りたくて、あたしは走った。
家に帰ると、ごはんができていた。ハンバーグだった。冷たいお茶を一息にあおり、それからハンバーグを一口頬張る。こんな時でもママのごはんはおいしくて、あたしは泣き出しそうになった。
「ママ、どうすればいいの。あたし、どうすればいいの、わからないよ。ママ、教えてよ、ねえ」
ママは苦しげな面持ちで、「わからない」とだけ答えた。あたしは震える体を鎮め、なんとか食事を終えた。
○
翌日。目を覚ましてあたしは、ジルの不在をまた感じる。今までひとりで使っていた部屋。それでも、もう最近は、隣にジルがいるのが当たり前になっていた。ぽっかりと空いたその空間が、どこまでも辛かった。
階下に降りると、ママが机に突っ伏していた。揺すり起こすと、ママは小さなうめきとともに目を覚まし、それからはっと立ち上がる。
「もうこんな時間なの……」
呆然とそう呟いたと思ったら、大慌てで台所に立ち、朝食の用意を始める。あたしはそれを眺めながら、珍しいなと思っていた。
ママも心配して、待っていたのだろうか。夜中にひょっこり帰ってくることを期待して。少しだけ、あたしの顔は綻んだ。やっぱりママも、心配だったのだ。
学校に向かう途中、あたしはずっと、ひとりだった。ジルはおろか、アリスとすら合流できなかった。
今思えば、不自然なことが続いていた。アリスもジルもいない教室で、さらなる違和感が生じていたのだとしても、あたしには気付けなかったのだろう。
だから、その衝撃的な事件ですら、あたしの中では些細な出来事だった。けれど、それはかなり決定的な事件だった。
「俺、ルミアと別れることにした」
フームがそう言っても、ふーんとしか思えなかった。それがどれだけ重大なことなのか、知ってはいたはずなのに。
それから、ルミアの地位は地に落ちた。今まで彼女を取り巻いていた女子たちは、潮が引くかのように彼女の周りから去って行き、彼女はひとり、取り残されている。そんな中でも彼女はさすがに強かった。気にする風情も見せずに、ただ黙々と、悠然と座っている。それでもその違和感が、次第にあたしの意識を教室の中へと連れ込んだ。
昼休み、一緒に昼ご飯を食べる相手が二人とも休みだったあたしは、フームに声をかける。話題はもちろん、ルミアについて。
「ねえフーム、どうしたのよ急に」
「別に急でもないし。呆れただけ」
「……どうして」
「お前さ、お人好し過ぎるだろ。お前だけは怒って当然だろ。他の奴らがルミアを無視しだしたのは訳わかんねえけど」
「気付いてるんだ」
「そりゃな。だけど、だからってなんともできないし」
フームが別れると決めたなら、確かにあたしは口出しできない。だけど、よくない。そう思えた。そして。
――あたしのせいだ。
あたしは、後悔していた。ジルの不在の責任を、ルミアに押しつけたことを。そのせいで、彼女が傷付くことになってしまったことを。
どうしてだろう。ルミアのこと、好きじゃなかったはずなのに。それでもあたしは、ルミアのことが気になる。今までのことを考えたら許せないのに、あたしはルミアを助けたいと思っている。
無言で弁当を食べながら、あたしは考えを巡らせた。そして、食べ終わると同時にあたしは、ルミアの方へ歩み寄る。
二つの緊急事態のうち、ひとつを解決させ、もうひとつも前へと進める、そんな一石二鳥の作戦を思いついたからだ。
「ルミア」
「何よミリア。あたしのこと、笑いに来た訳?」
「放課後、話があるの。二人だけで話したい」
「……わかった」
彼女は頷く。その素直さに少しだけ驚きながら、あたしは自らの席に戻った。
話す。いろいろなことを、ルミアに。そして協力を頼む。それしか思いつかなかった。
○
「何の用よ」
律儀に屋上に現れたルミアに、あたしはまず、謝る。ごめんなさい、と。
「あたしは、あんたのことを嫌ってます。それは間違いないから、あんたが外されて、いい気味だって、ちょっと、思った。ごめんなさい」
彼女は声をあげて、小さく笑う。
「なんであんたが謝るの。あんたは何にも関係ない。全部、フームとあたしと、強いて言うならジルの問題だよ」
「あんたがジルを無視し始めた。いい加減愛想を尽かしたフームが、あんたから離れた。そういうことなのよね。そしたら、一気に信頼を失った。
笑っちゃうよね。結局あんたは、フームの彼女であるってその一点でもってたんだってバレたんだもん」
「本当に」
彼女は微笑み、それからあたしに向けて殴りかかった。けれどそんなもの、毎朝特訓して来たあたしに敵うはずもない。あたしはそれをかわすと、ルミアの頬に拳を当てた。
「余計なことしないの。単純に身体能力じゃ、あんたはあたしに敵わない。魔法使われたらそりゃまずいけど、それはよくないよね。今やったら、あんたはここにいられなくなる」
ルミアは唇を噛む。あたしはふうと息を吐き、それから言った。
「思い上がらないで。あんただけじゃなく、あんたの元取り巻きたちも。あの程度でジルが傷付くと思う? ジルの方が、何枚も上手だよ。あんたみたいな低レベルな無視じゃ、ジルは傷付かないの。わかった? ジルが来ないのは、あんたのせいなんかじゃない。
ジルね、本当は今、行方不明状態。ケンカして、家出したの」
「え」
「それだけ。あんたが入り込む余地はない。ジルが来ないのは全部、あたしが悪いの」
「それじゃ、あんたは、あたしをハメたってこと?」
「違う。いじめが原因だと思ったのは、あんたたちが勝手にやったこと。どうせ、追い出した優越感とかに浸ってたんでしょ。だけどフームから、それはないって言われて、リーダーのあんたのはしごは外された。あんたと取り巻きが勝手にやったことよ」
「じゃあ、どうしろって言うのよ! どうせ今のあたしが、あんたが言った通りのことを伝えても、誰も信じてくれないじゃないの……」
フームとよりを戻すための嘘。そう思われても仕方ない。だからあたしは、持ちかける。
「捜すのを、手伝って。ジルを見付けたら、あたしの所に来るように説得して。その時は、アリスが気付いたから、もう隠さなくてもいい、って言って」
「どういう意味よ」
「そうしてくれたら、弁明できる。ジルも一緒に、いじめが原因じゃないって言える」
「そうじゃなくて、アリスが気付いたからって」
「あ……それは、言わない。あんたの疑惑を晴らすの、手伝わないよ」
「……わかったわよ! アリスが気付いたから、もう隠さなくていい。そう言えばいいのね?」
「お願い」
彼女は頷いた。それから、小さく笑う。
「本当に、あなたたちって仲がいいのね。ジル、あたしがあんたをいじめてるんだって思って追及してきたの。それがうざったくて、外すことにした。それがこんな風になるなんてね」
「え、それ」
違う。あの時あたしは、ルミアの無視なんて全然気にしていなかったのに。それから、ふっと心が温かくなる。ジルは、それ程までにあたしのことを気にかけてくれていたのだ。
「じゃ、捜すね。見付かって、説得できたら、あたしの仕事はそれで終わりね。あんたが見付けても、あたしの誤解を解くの、協力してくれる?」
「それはもちろん」
「よかった。……ありがとう」
え、とあたしはルミアを見つめる。素直な感謝の言葉に、どぎまぎしながら「どういたしまして」と返す。
○
ルミアとも別れ、あたしはまず、アリスの家に向かう。今日来なかった理由を聞きたかった。
「久しぶりミリアちゃん」
アリスママが、あたしを見付けて声をかけてくる。あたしは久しぶりですと頭を下げた。
「今日、アリスが来なかったから心配で」
ママさんの顔が、そっと曇る。それから、「学校にも、いなかったんだ」と呟く。事情を問うと、彼女は首を振る。
「いないの。昨日、ごはんを食べてから、しばらくしたら家の中からいなくなってた」
あたしは目を見開く。それから震える声で、「それ、ホント?」と問う。ママさんが頷いたのを見て、あたしは振り返り、駆けだした。
ジルだけでなく、アリスまで消えた。ありえないこと。あってはならないこと。あたしは走りながら、叫んだ。どういうことなの。何もわからない。教えてよ、アリス、ジル。どこにいるの。
やっぱり、と思う。
やっぱり、あたしだけ仲間はずれなんだ。魔法が使えないから。力が足りないから。戦えないから。いや違う、二人はそんな風に思わない。でもなら、なんで。
闇雲に走っていると、ルミアに出会った。彼女はどうしたのとあたしに問う。あたしは呟く。
「アリスも、いないの」
「……それ」
「わからない。ねえ、教えてよ。あたしが弱いから? あんたが言ってた通り? 魔法が使えないから、あたしはあの二人にはついていけないの?」
ルミアは虚を突かれたように目を見開き、それからふうと息を吐き出す。
「そんなこと、ない。認めたくないけど、あたしじゃあんたに、剣では絶対勝てない。あんたの剣は、一流だよ」
苦り切った顔で、それでもルミアはあたしを、こう評した。
「勝てないから、追い落としたかった。これで満足? あたしはあんたに嫉妬してんの」
「……ありがとう」
ルミアの言葉は、少しだけ、あたしの心に火を灯す。そしてあたしは、頷いた。
「そんなこと、言ってる場合じゃないね。見付けたら、何もかもはっきりするんだから」
「そりゃそうよ。あの二人が実際にあんたをどう思ってるかなんてどうだっていい。あんたにとって大事なのは、あんたがどう思ってるか。信じてるんでしょ?」
「それは……まあ、うん」
自分の心に問う。本当に、あの二人は、あたしのことをどうでもいいと思っていると思うのか。そんなことない。そう、自然と思えた。
「うん。絶対に、二人はあたしのこと、軽んじたりなんかしてない」
「……本当に、羨ましいよ、あんたたちが」
あたしは驚いて、ルミアを見つめる。
「誰が外されても、あんたたちは切れなかった。そんな関係って、レアなんだなって、思ったから」
「……もし、またあたしとアリスとジルと、一緒にお昼が食べられるようになったらさ」
思い切って、あたしは言う。
「一緒に、食べる?」
「考えとく」
ルミアはそう言って、小さく笑った。それからあたしに背を向け、「捜してくる」と言い放ち、彼女は歩き去った。
○
結局、その捜索は実を結ばなかった。家に戻ったあたしは、ママにこぼす。
「駄目だった。しかも、アリスまでいなくなってたの。家にもいなかった」
ママはしばしの沈黙の後、こう言った。
「大丈夫。見付かった」
「え?」
「二人とも、部屋にいるはずよ」
その言葉を聞いてあたしは自室へと駆け出す。扉を開くと、そこにアリスがいた。
「お帰り、ミリア」
「アリス……よかった」
「大丈夫。あたしは大丈夫だから。それよりも、ついて来て。ジルがいる」
アリスの誘導に従って、あたしは扉を開く。ママの部屋の扉を。
「あ」
そう、ぽつりと呟く声が聞こえた。あたしは小さく声を出す。
「ここに、いたんだ、ジル」
◇
昨日あたしは、ママさんに全ての疑惑をぶつけてみた。あたしの予想は当たっていた。ママさんは、よく気付いたね、と笑う。
「それを伝えたくないから、ミリアの前から消えたのね」
あたしは頷く。それを聞いたら二人とも、まず間違いなく、傷付く。それが目に見えていたから、あたしは姿を隠した。
「その通り、私はミリアとアリスちゃんが仲良くなるように仕向けた」
「魔法研究所とのコネを、残すために」
「ええ、そうよ」
「どうして、どうしてそんなことを」
若干の怒りを込めて、あたしは問い詰める。彼女は力なくうつむいた。
「あの人を、助け出したかったから」
●
上司から、声を掛けられる。夫を送る葬式会場でのことだ。
たぶん、やったんだよな、移植。
彼は端的に、短く伝えてきた。私は、首を横に振る。けれど彼は、微笑んで見せた。それから、私の背にそっと触れると、小さく耳打ちした。
秘密にしてやるから、彼の遺体を、保管させてくれないか。
私は呆気にとられて、言葉を詰まらせる。彼はそれだけ言うと、私に選択権はないのだ、と言うように振り返り、それから夫の方へと向かった。私は腕の中ですやすや眠る娘――ミリアを見つめながら、薄気味悪い思いに駆られていた。
◇
「しばらくしてから、気付いたのよ。ミリアに宿っていた魔力は、生き返りを達成させるのにも足る程に強力だった。研究してるのは気付いてたから、意識していろいろ調べてみた。予想は当たってた」
「で、夫の体を取り返したくて、あなたはそれを食い止めようとしていた」
「そういうこと。研究は大切。それは私もよくわかってる。だけど、何かが違う。そう思った」
あたしは黙り込む。確かに、それは研究所サイドのゆがみだ。そのあおりを受けての行動なのだから、咎められはしない。
「それでも、あなたはミリアを、巻き込むべきじゃなかった。作為じゃない、自然な関係を築かせてあげるべきだった」
「わかってる。だから、きっかけを作る以上のことはしてない。あの子たちがあそこまで仲良くなるのは、私も予想外だった」
それなら、と思う。例えこの必然がなかったとしても、初めから二人は、友情で結ばれる運命にあったのだ。
あたしの中をふと、何かの感慨が襲う。プラスなのかマイナスなのかも判然としないそれは、掴む前に消えていく。
「そして実際に、あたしという鍵を拾うことになったのも、想定外だった」
「その通りよ。そこは偶然。キチンとミリアが、あなたと出会ってくれたのは、間違いなく。もちろん、アリスちゃんとミリアが仲良くなければうちには来なかったのかもしれないけどね」
彼女はそう言うと、ふうと息を吐き出す。
「記憶は、戻った? 私はたぶん、あなたの味方な訳だけど」
「いいえ。だからまだ、協力はできません」
「そっか。よっぽど上手くやったんだね、向こうは。わかった。待つよ」
そう言ってママさんは、微笑んだ。
「疲れたでしょ。今日は私の部屋で休んだらいいよ」
それを聞いた瞬間、あたしの心はどうにも、限界を迎えてしまったらしい。唐突に、あたしの目から、涙が滴り落ちた。
「あれ、なんで急に」
さっきまでのやりとりが嘘のように、あたしはママさんの言葉で安心していた。緊張の糸が切れたのか、涙は溢れて止まらない。あたしはしばらく、そうしていた。
やっぱりあたしは、ただの少女なのだ。例えどれだけ重要な事態が起ころうと、ここにいるのはただの少女。そう思うと、随分気が楽になって、もっともっと、泣けてくる。あたしは途切れ途切れに、お風呂に入ってくることをママさんに伝えた。
◇
お風呂から上がると、あたしはそのままママさん部屋に向かい、そして眠りに就いた。今日は久々に、ぐっすり眠れそうだ。
――そう、思っていたのに。
アリスの声にふと気付くと、あたしは路地裏で、アリスと対面していた。
「あ、れ? なんで、アリスが」
「……よかった、思い出して、くれたんだ」
あたしは辺りを見回し、ここどこと呟く。アリスはうつむいて、囁くような小声でこう伝えてきた。
「ラーニャの家の周りだよ」
ラーニャ。サンドイッチを分けてくれた少女。
「あなたはあの子を、殺さないといけなかった。だから、ここに来た。覚えてないかもしれないけど、そうなんだよ」
ああ、そうなのか。あたしは自分の予想が正しかったことを知る。あたしは無意識に、あの内なる殺戮の声を受け入れ、従っていたのだ。すんでの所でアリスが食い止めてくれなかったら、あたしはたぶん、ラーニャを殺していたのだろう。それが、ハッキリわかった。
それからふと、疑問に思う。
「どうして、あなたがそれを?」
「……知ってるの。うん。だって、あたしだから。あなたを襲ったのは」
え、とあたしは目を見開く。
「あなたが正しかったって、わかったから。だからあたしは、あなたを止めに来た。それでも、命を奪うべきじゃない。他に、やるべきことはあるはずだから」
訳もわからず立ち竦むあたしを、彼女は申し訳なさそうな表情で見つめる。
「あなたの記憶を、返すね。だけど、あなたに殺しはもうさせない。あたしがまた、止めるから」
問い返す間もなく、あたしは唐突な記憶の奔流に呑み込まれ、気が遠くなる。
○
あたしは駆け寄ると、ジルに抱き着いた。会いたかったの言葉と共に。ジルはそんなあたしを驚きと共に受け入れた。
「あたしも、会いたかった、あなたに」
「全部、全部あたしのためだったんだね。黙って消えたのって、全部」
ジルの吐息がうなじにかかる。体格差のせいで、少しだけ上目遣いになっているその表情に、数日会っていなかっただけのあたしはけれど、もう懐かしさすら感じていた。
「思い出したの、全部」
ジルがそう言って、あたしははっとその身を離す。
「本当に?」
「うん」
◇
ずっと、眠っていた。その中で、様々な光景を見て来た。幾人もの怯える顔。魂の消えるその瞬間。これはあたしの、殺しの記憶。辿って、辿って、最初の殺しの記憶に行き着いて。
あたしは笑う。一生忘れないって、忘れてるじゃないの。
唐突に全てが、後ろへと流れて行く。時が、加速度的に流れて行くようだ。あたしの記憶は、ラーニャの怯えた顔を映し出していた。死を覚悟した彼女の、悲痛な微笑み。これは、未来か、それとも……。
あたしの中で様々なものが混ざり合う。今彼女の横で泣く兄の顔を、名前を、あたしは知っている。どうして、あたしは。
その理由が、後から追い付いて来た。そこからの映像が、全てを教えてくれた。
ああ、とあたしは息を吐く。記憶が、完全に戻った。
気付くと、夕方だった。恐らくあたしは、一日中眠っていたのだ。情報過多でぼんやりする頭を横たえ、あたしは何もせず、ただただそうしていた。
そうしているうちに、部屋を開けて、ミリアが飛び込んで来た。その顔を見て、あたしは思う。
――ミリアを、護らないと。
「全部、話すね。あなたのためにも、みんなのためにも。
――全部、ね」
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