第16話 たぶんあたしは、泣いていた

  ○


「どうしたの、変だよミリア」

 アリスが、おずおずと尋ねた。あたしは顔をあげ、力なく微笑む。

「わかっちゃった?」

「見てれば、わかるよ」

 あたしはため息を吐いた。駄目だ。アリスには言えない。ジルへの疑念は、アリスにだけは。だから代わりに、あたしは言った。

「ほらさ、どうしたって、やっぱり辛いの。魔法が使えないのは」

「ああ」

 アリスがポツリと呟いた。

 授業中、先生があたしの番を、困ったようにおろおろと対処しているのが、一周回って見ていて笑えた。クラスメイトのヒソヒソ声や、微かに漏れ聞こえる笑い声は、努めて気にしないことにした。

 せいぜい四十五分。それだけ耐えれば、授業は終わる。だから、クラスメイトのそういう声はどうでもいいのだ。

 悩んでいることは事実。それでも、今のあたしには、そんなことで悩んでいる暇はなかった。

 けれど、言い訳にはあまりにも適し過ぎている。使わない手はない。

「あ、ごめん」

 アリスはポツリと呟いた。その表情は、暗く塗りつぶされて行く。悪いことしちゃったとは思うけれど、本当のことを打ち明けることは、もっとできなかった。ごめん、と心中で小さく呟く。

「ごめんね、待たせちゃって」

 ジルがそんなあたしたちを遮って、あたしたちに駆け寄って来た。あたしは手をあげて、それに答える。ナイスタイミング。そう思って、自然と笑みがこぼれた。

 ジルが一瞬、それで表情を止め、それから口角を持ち上げた。

「よかった、いつもの笑顔だ」

 アリスはそう言って、微笑む。


 三人で歩く帰り道。ジルのことは気になるけれど、今はどうしようもない。だったら、信じるしかないだろう。

 隣で歩くジルの表情からは、何を考えているのか、さっぱり伝わってこなかった。ただぼんやりと、遠くを眺めている。その視線の先を辿っても、ただ茜色に染まりつつある空があるだけ。建物とか、いろいろあるけれど、でもそれは、素通りしているように見えた。

「何もわからなかったね、今日も」

 その沈黙に耐えかね、あたしは声を出した。返事を期待した訳でもない。うんと言われて、それで終わり。そうなっても仕方ないような発言だ。

 けれど、違った。

「そう、かな。あたしは、どうなんだろ」

 ジルが小さく、そう呟く。え、とあたしは彼女の顔を見据えた。彼女の顔は、やっぱり平坦なままだった。

「どうって、どういうことよ」

「ううん、なんでもない」


  △


 あたしの記憶の謎は、確かにわからない。けれど、それでもあたしはたぶん、前に進んだと思う。ミリアの過去も気になるところだし、そして、冷静になって、ふと怖くなって来たのだ。

 さっき、あたしは確かに、ルミアを殺そうとしていた。理性と、証拠がないという弱みを突かれたことが相まって冷静に戻り、それから自分の心境を考えて、気付いたのだ。本気の殺意が、そこにはあった。

 ねえ、あたし。そっと呼び掛ける。

 ――簡単に殺意へと転がり過ぎじゃない?

 証拠もないのに、思い込みとイメージだけで殺そうとしていたあたし。それに気付いて、どこか寒気を感じている。

 あたしは、殺しに抵抗がない。いや、ない訳ではないだろう。今隣を歩く二人を殺せるかと言われたら、物理的に可能だったとしても不可能だ。でも明らかに、普通の人よりも簡単に殺意へと転がっていたような気がするのだ。もちろん、標準を知らないから断定はできない。だけど、それでも怖いのだ。

 あたしは、殺しをしたことがあるのではないか。消された記憶の中で、しかも何度も。そんな疑念が、頭をよぎっていた。

 何はともあれ、証拠集めだ。場合によっては、殺意をぶつけることになる。寒気は感じても、殺意を抱くこと自体が間違っているとは思わないし、思えない。とりあえずはそこからだ。ミリアの過去を調べるのは、屈託なく話せるようになってからでも遅くはないだろう。


 アリスと別れ、家に戻る。結局、一度もアリスと話すタイミングには恵まれなかった。

「ねえジル」

 ミリアの言葉に振り返る。彼女は微笑んで、言った。

「晩ご飯、何かな」


  ○


 些細な日常。それに、無理にでも戻したかった。そこから、ジルの、普通な一面を見出したかった。そして、否定したかった。信じたい。信じられないあたしは愚かしい。それでも、どこかにわだかまりは残っていて、その疑念を完全に払拭できるものは、こういう日常の中にある。

 いつものようにおいしいご飯を食べ、いつものようにお風呂に入り、いつものように宿題をして、いつものように寝て。そんな暮らしの中で、あたしはもう、ジルとは親友だと言っていい関係になったと思う。もちろん調べるという普通じゃない行為もあるけれど、それでも生活の大部分を共に過ごしているうちに、あたしの中でジルは、もう切っても切れない存在になりつつある。

 だから、それを繰り返したい。それこそが、弱いあたしを壊してくれる。

 ジルは「この匂いなら唐揚げかな」と笑う。その控えめな、でも確かな笑いに、あたしはもう、日常を見出している。

 あたしが知っているジルは、今目の前で笑うジルだ。ジルは悪い人なんかじゃない。誰かを殺せるような人じゃない。


 翌朝、学校に行ったあたしは、ぞっとする光景に出会うことになった。ジルが周りの女子におはようと声を掛けて、そうしたら彼女は、すっとその場を立ち去った。

 あ、と思う。些細な悪意。あたしはルミアを振り向いた。彼女は相も変わらず取り巻きたちと笑っている。

 隣に声を掛けた。

「ねえフーム」

「ん、どうしたミリア」

「ルミア、何か言ってた?」

 彼はしばし遠くを見やり、それから特に何もと教えてくれた。

「何あいつ、またやってんの?」

「うん。たぶん、ジル」

 フームはため息を吐いた。「ったく、それさえなきゃ完璧なのになあいつ」

 同感だった。彼女のマウントを取りたがる気質。そこさえなければ彼女に非は何ひとつない。ジルが魔法も運動も凄いことに気付き、トップになるために外そうとしだしたのだろう。やり方が露骨なのだ。頭いい癖に。

 ジルの方に気にする素振りは見えなかった。実際、ジルはその程度で凹むタマだとも思えない。でも、不穏な空気は流れていた。

「悪い奴ではないんだけどさ」

 そう言って彼は、ひとつのびをした。その表情には、呆れが漂っている。そういうとこも含めて、彼は受け入れてしまう。イケメンで、勉強や運動もそつなくこなす彼はしかし、女子から狙いの的にされるにあたって、こういう優しさという特質も持っている。さっきの本人の言葉を借りるなら、完璧なのだ。

「ま、でもお前とアリスはジルから離れたりしないだろ」

「うん」

 あたしは、自然と頷いていた。ジルは、友達なのだ。自分の立場が悪くなるからって、簡単に切ったりは、もうできない。

「なら大丈夫だよな。女子の世界には、あんまり口出しできないしさ」

 苦笑。自分のふがいなさすら、そこからは滲む。あたしは頷いた。

「うん。大丈夫だよ」

 そう言った瞬間、先生が部屋に入ってきた。みんなが席に着く。

 そうしながら、あたしは自らの言葉を反芻していた。ジルは、友達だ。簡単に切ったりは、もうできない。


  △


 昼は、すんなりと三人になれた。ミリアとアリスが何かを言われる前に、あたしを外へと連れ出したから。

 わかりやすい程だった。標的は、あたしになっている。きっと、昨日のことは、取り巻きたちにはばれている。そして、そんな証拠を与えてなるものかとミリアへの攻撃はやめ、そしてあたしを狙うことにした。

 露骨。もはや笑みさえ浮かぶ程に。

「ねえジル、大丈夫?」

 アリスが、小さく問うた。あたしは口角を持ち上げる。

「あんなの、効かないよ。もともとあたし、あそこにずっといるつもりじゃなかったし、別にあんな奴らと深く付き合うつもりもないから」

「だろうと思った」

 ミリアはその顔を綻ばせる。それから、彼女はその顔を、今まで類を見ない程に深刻なものへと、一気に染める。そして、躊躇いがちに、彼女は囁いた。

「ねえ、ジル、アリス」

「どうしたの」

 ただならぬものを感じ、おいしそうな匂いを漂わせる弁当箱を脇によけた。彼女は、言う。

「あたしたち、友達だよね」

 あたしとアリスは、揃って頷いた。ミリアは続ける。

「だからこそ、思いついたことは全部言いたいんだ。だって、昔のジルがどんなでも、あたしは今のジルのことが大好き。それは変わらないから」

 話が本題に入ろうとしている。それを感じ取り、あたしは頷いた。

「記憶がないから、なんとも断言できないのが辛いけど、うん。それはわかってる」

「ごめん。あたし、あなたを疑ってるの。

 ねえジル。あなたが現れてから、ある事件が全然起こってないの。この前新聞見て、気付いたんだけどさ、ねえ。

 ――ジル、あなたは、連続失踪の犯人かもしれない」

 彼女はきつく、目を閉ざす。絞り出すように、長い息を吐いた。

 あたしは、彼女を見据える。ミリアはひとつ息を吸い、それから言った。

「ごめん。ちょっと、あなたを避けてた。そんなつもりはなかったけど、でも無意識に、ぎこちなくはなってたと思う」

 それで、か。だとしたら、あれは早とちりもいい所だったのか。ミリアはもう一度、ごめんと呟いた。

「可能性としては、ありえない話じゃないと思う。ジル、凄いから、できてもおかしくはないよね」

「それは……どう、かな」

 アリスが口を挟む。あたしたちが視線を向けると、彼女はビクリと肩を竦ませた。

「そんな人には、見えないよ」

「あたしもそう思う」

 ミリアは自信満々に頷いた。

「少なくとも、今のジルがそんなことをする人だとは、あたしも思ってない。だけど、記憶をなくす前に、どうしてもやらないといけなかったのだとしたら?」

「ミリア、まだ早い」

 今度はあたしが遮った。そのまま続ける。

「可能性としては充分にありえる仮説だと思う。だけど、それが本当か確かめない内からそれに基づいて調べるのは危険だよ」

「ああ、そうだね」

「……調べたい。あたしも、納得行くから」

 あたしの中にいとも簡単に芽生えた殺意。あのどこか懐かしい感情は、そういう経歴から来ているのだと考えると納得が行く。実感としては、ほとんど当たりだ。となれば、根拠を探さないといけない。

 ミリアは頷いた。

「生き返りとどう関係するのかわからないけど、関係がないってことはないよね。それなら、調べてるうちにわかるんじゃないかな」

「その路線だね。失踪から、生き返りに繋がるか。それを調べよう」

 あたしとミリアは頷いた。それから、ありがとうと呟く。

「話してくれて、ありがとう」

「……どういたしまして!」

 ミリアはその顔を綻ばせた。


  ○


 図書館で失踪事件について調べることにした。事件のだいたいの場所は新聞から読み取れる。消えた人についての情報も、そこにはあった。

 それをノートにまとめて行く。三人で手分けして情報を集めて行くと、そのノートはすぐに膨れ上がって行った。

「じゃあ」とジルが仕切る。

「とりあえずは、近くのこれからあたってみよう」

 校区内で起こったという事件。消えたのは、成人男性らしい。ジルに心当たりはなさそうだったが、時期を考えるとたぶんこれが最新の事件だ。土地勘もある。あたしたちは三人連れたって、彼が最後に見付かった場所にやって来た。

「この辺で、誰かを闇討ちするなら……」

 あたしは脳内に地図を描き出す。そして、この辺りで最も人気のない場所へと二人を誘導した。

「どうジル。何かわからない?」

 彼女はしばし辺りを見回して、それから残念そうに首を振る。

「駄目。見覚えない。でも、さすがにここは人気がなさ過ぎ。帰り道にわざわざ寄り道して来るところじゃないから、ここ以外でことを起こした可能性もある。

 とりあえずは、いろいろ歩き回ろう。それで思い出せる程簡単なことだとも思わないけど」


 結局は、スカだった。校区内とはいえ少し遠出しているのだ。早めに戻らないといけなかったのもある。アリスとは早く別れ、あたしとジルは二人、こころなし急ぎめに帰路を辿る。

「それにしてもミリア、凄いよね」

「ありがと。ジルが怒ったらどうしようかって言い出せなくって。だけど、そんなんで怒るような子じゃないもんね」

「まあね」

 ジルはふふ、と笑う。それであたしも釣られて笑った。


  △


 あたしが連続失踪の犯人だとすると、いろんなことに納得が行く。だから、それを考え出したミリアは素直に凄い。

 だけど、まだまだ釈然としないものが残っている。

 その最たるものが、ママさんだ。

 生き返りについて知っているのだから、もしあたしがそうなのだとすると、巷で話題の連続失踪と生き返りを結びつけるのはそう難しい話ではないはずだ。失踪と生き返りに関連がなければ、あたしは犯人でありえないのだから。

 そして、もしそれが事実だと仮定するなら、ママさんはたぶん、あたしを家にはあげない。それを許したのは、違うからではないのか。

 憶測は憶測を呼ぶ。危険だとはわかっていても、思考は止めどなく溢れてくる。

 喫緊の課題は、それならやっぱり、ミリアの家族について調べることだ。問題は、どこにもその隙がないことだけれど。


 相も変わらずママさんの料理は絶品で、あたしたちは揃って舌鼓を打つ。変わらない日常。もはやその中に、あたしは含まれていると言っても差し支えはないと自分では思っている。

 こんな日常の中に、そんな過去が現れる隙があるのだろうか。そもそも、どうしてこうなったのか。

 変わらぬ穏やかな笑みは、安心感さえ与えてくれるのに。それでもこの家族には、どこかしら異変がある。それがどこから生じたのか。相談相手を持てないあたしは、湯船の中でゆっくりと考えてみた。

 一。ミリアは魔法が使えない。

 二。ママさんは、魔力移植を研究していた。

 三。ミリアの父親は、死んでいる。

 四。ママさんは、魔法研究所で働いていたが、それを辞めた。 

 五。魔力を蓄えるアイテムが作られつつある。

 証言や体験からわかった事実だけを、列挙して整理する。それからあたしやアリスというファクターも加えて考え合わせてみた。

 六。生き返り魔法について、ママさんは知っている。

 七。あたしはそれを聞いて、気を失う程驚いた。

 八。あたしが記憶をなくしてから、連続失踪事件が途絶えた。

 九。魔法研究所は、アリスの両親がやっている。

 ふと気付く。ミリアはママさんの過去を知らない。だとすると、ミリアとアリスが出会ったのは、ただの偶然なのか。そして、そこにあたしが現れたこと。

 ――あまりにも、偶然が過ぎないか?

 ミリアとアリスが仲良くなり、同じ帰り道を辿る最中、あたしを見付けた。二人の親は、どちらも魔法研究所に関わっている。そこに、魔法研究所絡みで記憶を消したとみられるあたしが現れた。

 いくらなんでも、偶然が過ぎる。あまりにも繋がり過ぎなのだ。

 あたしは手でお湯を掬う。少しもこぼれず、それは両手の中に留まった。あたしはそれに顔を浸す。それから足りなくなって、体ごとお湯の中に沈んだ。

 全てが繋がっている。それ自体が本来は、おかしいことなのだ。ミリアもアリスも、あたしを拾ったのは偶然のはずだ。

 なら、と考え直す。

 ――それが偶然じゃなかったとしたら?

 あたしは顔を上げた。荒く息を吸い込みながら、あたしは頬を叩く。

 最初から、ミリアとアリスがあたしを拾うことは確定付けられていたとしたら。そうすれば、この問題は解決する。でも、どうして。

 決まってる。あたしを、監視するために。誰が? アリスがだ。アリスの家にあたしを上げる訳にはいかない。行くのをアリスが拒むのも当然だ。

 そこにミリアが絡むのは。魔法研究所で働いていた過去を持つママさんの、娘であるミリアが。

 たぶんあたしは、泣いていた。頬に伝う熱い液体は、明らかにお風呂のそれとは異質なものだった。鏡を見て、笑う。あたしはこんなに、泣けている。二人のことを思って、涙を流せる。命をいくつも奪ってきた可能性があるというのに。

 それでもあたしは、二人のことを思って涙できている。


  ○


「え、どうして」

「ちょっと興味が湧いてさ」

 お風呂から出るなり、ジルはあたしに、アリスとどのように出会ったのかを訊ねた。そのあまりの真剣さを帯びた目に、少しだけ背筋が冷え込む。

「いいけど、先お風呂に入って来ちゃうね」


 部屋に戻り、あたしはジルと向かい合っていた。小さくあくびが漏れる。そろそろ眠たいのだけれど、ジルはそれを許してくれそうになかった。

「まずね、最初に出会ったのは幼稚園の時。同じクラスで、でもその時は全然交流がなかったな」

 活発なあたしと、内気なアリス。対極にいたといっても過言ではない。そんなあたしたちを結びつけてくれたのは、ママの言葉だった。

「参観日ってあるの、わかるよね。そこでママが来てさ。それで、言ったの。あの子、寂しそうだよ。仲良くしてあげたら? って」

「それが、アリスだった」

「うん」

 ジルは額を押さえる。それから続けた。「それで?」

「そこからは、まああたし、素直だったし、話しかけてみたの。そしたらいい子でさ。あたしが知らない話とか、いっぱいしてくれて。あたしもあたしでいろんな話して。そのうちに仲良くなっていった」

「まあ、あんたのコミュニケーション能力があれば仲良くはできるだろうね」

 ジルは感情の読めない平坦な口調でそう言う。あたしは頭を掻きながら、ジルを見据えた。

「それだけだよ。ねえ、それがどうかした?」

「なんでもない。ただちょっと気になっただけ」

 嘘だ。さすがのあたしもそう悟る。彼女はそれを聞くと、ありがとう、とだけ呟き、それから大きくあくびをする。

「眠たくなって来ちゃった。もう寝よう。ミリアも眠そうだしさ」

「ねえ、どうしたのよ。明日の練習はなしにする。あたしだって、聞く権利はあると思うよ」

 彼女は苦々しげにうつむくと、ぽつりと漏らした。

「ごめん、無理だ。ミリアには、ミリアにだけは伝えられない」

 あたしは憮然として立ち上がる。それからジルの胸ぐらを掴んだ。

「どうしてよ。あたしじゃ力不足? 魔法が、魔法が使えないから?」

 言ってしまって、はっとする。それを持ち出すのは、やってはならないことなのに。ジルは目を見開いた。あたしの口は、止まらない。

「あたしはもう、ずっとあなたと一緒に探ってた。それなのに、駄目なの? あたしは魔法が使えないから、役に立たないの?」

 頬を熱いものが伝う。ジルが首を振った。

「違う」

「違わない」

 あたしは強く遮った。

「違うんだったら、教えてよ。何に気付いたの。あたしに言えないのはなんでよっ」

 腕に力がこもる。ジルはあたしの手を掴むと、それを引きはがした。いとも簡単に。

「そりゃ、ジルは強いよ。運動神経もよければ、頭もいい。魔法だって使える。でも、あたしはもう、要らないの? 助ける必要なんて、ないの?」

「助けとか、それだけなの? それだけの関係だったの?」

 ジルが、呟くように、そう吐き出した。顔は、今にも泣き出しそうな程に歪んでいる。あたしは何も答えられず、立ち竦んだ。

「あたしは、あなたのことが大切。だからこそ、言いたくないの」

「それなら教えてよ! あたしはあなたを助けたいの! あたしが、助けたいの」

 最後の方は、次第にかすれていく。ああ、駄目だ。今あたしは、感情的になっている。

 自覚はあるのに、言葉は止まらない。

「出てってよ」

「ミリア」

「出てって!」

 ああ、言ってしまう。決定的な一言を。どこか冷めた目で、あたしの中にいるもうひとりのあたしはこの状況を眺めている。それなら止めてよと思うけれど、彼女はどこまでも、傍観者だった。

「あたし、もうあんたを助けられない。あたしは役に立たないんでしょ? ここにいる意味なんてないじゃない」

「ああ、そう」

 ジルの声は、急激に冷え込んだ。駄目、待って、行かないで。内側でそう叫ぶ何かがあるのに、それは言葉にならない。ジルが、離れていく。その予感だけが、あたしを脅かす。

「わかった。じゃあ、出て行くよ。ミリアがそう言うのなら」

 あたしは、何も行動を起こせなかった。彼女は部屋を出て行く。荷物も持たずに。

 それを見届けて、あたしは崩れ落ちる。視界が揺らいで、意味のない叫び声も漏れて。その中で、ひたすらにあたしは、ジルの名前を呼んでいた。それが本名かすらわからない、あたしのつけた名前を。ずっと、ずっと呼び続けていた。

 部屋に差し込む月の光は、皮肉な程に眩かった。

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