5章 苦悶

第14話 あたしは戦士にはなれない

  ●


 動物実験は、成功だった。魔力を移すことは、理論上では可能になった。皆が、快哉を上げた。私は無言でそれを聞いていた。

 娘は、まだ生きている。間に合いはしたのだ。

 しかし、問題は残っていた。

 魔力移植は、百パーセントのみ。一部を中途半端に移植することは不可能で、娘を救うには、全ての魔力を何かに移植せねばならない。そうすれば、娘には、一切の魔力が残らない。そして、移植を受け入れる側は――容量を超えた魔力に耐えきれず、昏睡状態に陥る。

 そんなものを用いて、娘を救う。そんなこと、誰の許しも得られるはずがない。

 私はだから、周りの焦燥から取り残されていた。とにかく早く、一部だけを切り取って移植する技術を確立させなければならないのだ。それは、不可能ではない。そう思っていた。


 娘の容態が急変したのは、何かを見計らったかのように、ちょうどこの頃だった。


 私は、一も二もなく、娘に移植手術を施すことにした。移植先は……私の、夫。

 彼は、それを受け入れた。娘のためなら命だって投げ出すと、そう言ってくれた。私は泣きながら、誰にも知られずひっそりと、それを行った。


  △


 授業が終わった後も、ミリアは茫然とへたり込んでいた。アリスがそれに付き添う。あたしはと言えば、それをぼんやりと眺めていることしかできなかった。

 クラスメイトが遠巻きにミリアを眺める。その中にあたしは見た。ルミアの顔に、背筋の凍るような微笑みが浮かんでいるのを。

 先生がミリアを励ましている。けれどミリアの耳には、何も入っていないようだった。先生も困り顔だ。

 当たり前だ。さっきこう言ったのは先生だ。激しい戦闘に魔法は不可欠だ、と。

 その言葉はすなわち、こういうことを示している。

 魔法が使えない奴は、戦えない。ミリアは、戦えない。

「これが……」

 閃くものがあって、あたしは呟いた。

 これが、ママさんの予知していたことか。ミリアが傷付くと言った、その意味か。あたしは頭を抱えた。あたしは見て来たのだ。毎朝、剣の練習に励むミリアの姿を。短い間だけど、ミリアの本気さと、実力はもう知っているつもりだ。だから、さすがのあたしの心にも、来るものがあった。

 涙、だとか。憂い、だとか。ミリアからはそう言ったものは出て来ない。ただ、外側だけをそのままに、空洞になってしまったような感じがする。

「ミリア」

 あたしはとりあえず、声を掛ける。振り向いたのはアリスだけだった。それでもあたしは言う。

「戻ろう、一旦。大丈夫、ミリアは強いんだから」

 微笑んでみせようとした。けれど、頬が引きつっただけだった。


  ○


 魔力がないつまり、あたしは魔法が使えないつまり、あたしは戦いで使い物にならないつまり、

 ――あたしは戦士にはなれない。

 アリスは、あたしに魔力がないと告げた表情のまま、顔をあたしから逸らしていた。どうして、と声が漏れる。どうして、あたしが。

 ジルの声を聞いた。それが、あたしを現実世界に引き戻した。

「うん、そうだね。戻ろう。アリスも」

「……うん」

 糸に引かれたように、あたしは立ち上がる。頬を軽く張り、それから少し深呼吸して、あたしは笑った。

「大丈夫だよ。魔法なんて、なくたって。それを補うぐらいに強くなればいいんだから」

 自分にも、アリスにも言い聞かせる。あたしが崩れるとたぶん、アリスも崩れる。傲慢な自信だけど、あたしはそう思っていた。だから。

 あたしが、しっかりしないと。


 教室に戻ってあたしがまずやったことは、あたしは元気だというアピール。ショックではあった。でも、大丈夫。剣でそれを補うぐらいに強くなる。

 笑顔と共にそう言うと、みんなの顔もどことなく明るくなった気がした。みんな、とはだいたいの男子だけれど。でも男子にとってあたしは、ある種の紅一点というか最も気安く話せる女子だ。ムードも作っている自信がある。そのあたしが笑顔なら、クラスはそれに引っ張られる。男子の数が多いのだから。

「だから、心配しないで。これからあたし、魔法は全然駄目駄目かもしれないけどよろしくね」

 それを言いきると、堂々と歩き、着席した。フームが笑う。

「よかった。しっかしお前、復活早いな。さっき死んだ目してたのに」

「ありがとね。切り替えが早いのはあたしの長所だし」

「んじゃ、授業始まるし、急げよ」

「あ、うん」

 そう。魔法ができなくても、勉強して、特訓すればいい。これからもっと、頑張ればいい。あたしは一層、決意を固くした。


  △


 立ち上がってからのミリアは、本当に立ち直っていた。少なくともあたしの目から見れば、彼女はもう、自分に与えられた困難を楽しもうとしているようにすら見えた。

 昼休み、クラスメイトからの誘いを申し訳なさを全面に押し出しながら拒んだ。昨日話が盛り上がってまだ続けたいという名目にしようということは既に決めていた。それなら何も問題はないだろうと思っていたが、ルミアはそんな言葉尻を捉えた。

「ねえ、それ、ミリア行っていいのかな」

 え、とそちらを振り向く。

「あなたたちが盛り上がったの、魔法でしょ? ミリアには酷じゃない?」

 素朴な疑問、というように彼女はそう言った。あたしはハッとミリアを見やる。彼女は動きを止めていた。けれどすぐに、彼女はルミアを見て、微笑んだ。

「大丈夫だよ」

「無理して魔法好きな二人に付き合うこともないでしょ」

「えっと……」

 ミリアが言葉を詰まらせる。それから、笑った。

「そうだね、うん。そっか、無理だもんね」

 彼女はこちらをチラと見て、口パクでごめんと伝えて来た。あたしは軽く頷く。


 そして昼、あたしはアリスと二人、屋上に座っていた。しばらくの沈黙の後、アリスは口を開く。

「大丈夫かな、ミリア」

「わかんない。今のところは大丈夫そうだけど、でも」

「ルミアに、目を付けられた」

「……やっぱりね。剣で秀でてるミリアを追い落とすチャンス、拾わないはずがない」

 現にさっきも、ミリアをあたしたちから隔離した。ミリアに友達が少ないタイプの印象はないから、別に大丈夫だとは思う。けれど、でも。

 親友と従姉妹に対して劣ってる。ルミアはたぶん、その意識を植え付けようとしているのだ。本気の気遣いなら、あんな大勢の目の前で言わない。その配慮ができないようなタマでもないだろうし。魔法について話したいというのがそもそも嘘な所までは気付かれていないらしいけれど、この嘘に縛られて、あたしたちはミリアを意地でも誘うという行動に出られないし、ミリアもまた、無理にあたしたちと話すということもできなくなってしまった。悔しいけれど、上手くハメられた。

 あたしはため息を吐く。広げたお弁当は相変わらずのおいしそうな匂いを放っているけれど、食欲は湧いて来ない。

 グラウンドを見下ろすと、ミリアは男子とボールを使って遊んでいた。表情までは見えないけれど、気落ちの気配は感じられない。あたしはとりあえず安堵した。

「魔法談義は終わりにしよう、アリス。あたしたち、もう友達だよね」

 アリスも頷いた。意味は伝わっただろう。

「元々アリス、ミリアの家に行くことは多いしね。だからそれで充分。魔法について話してる内に、他でも意気投合しちゃったからさ」

「だね」


  ○


 悔しいが、言い返せばジルの秘密が暴かれかねない。だからあたしは言葉を呑んで、二人を行かせた。幸いクラスメイトの男子たちと一緒に外遊びをすれば時間はすぐに過ぎて行った。

 ルミアの狙いは、でも外れだ。あの二人に魔法で負けたからといって、何も悔しくない。アリスは家が家だし、ジルは何か大事件に巻き込まれる程の、そしてアリスといい勝負の魔法能力を持っている。正直言って、魔法が使えるルミアと、いや、その辺の大人と比較してもあの二人は桁が違う。比較すること自体がまず的外れなのだ。

 悔しいのは、あたしにはもう、その道は完全に閉ざされてしまったということ。

 だけど、元々、あたしとアリスで補い合って行こうと決めていたのだ。より一層、魔法への依存度が高くなるということが確定しただけ。それだけなのだ。だから気落ちする必要もない。

 あたしは声を張り上げ、パスを受け取った。


 教室に戻ると、ジルとアリスが話していた。あたしはそこに割り込む。

「ね、仲良くなれたよね」

 従姉妹と親友に話しかけるテンションで。二人は頷いた。

「よかった」

 あたしも微笑んでみせる。


 その日の授業を終え、あたしたちは家へと向かった。設定的にもアリスとジルはもう仲良くなりきったらしく、今日もあたしの家にアリスが来ることに何か言う人はいなかった。

「にしてもルミア、知ってはいたけどやな感じ」

 あたしはこぼす。ジルも頷いていた。

「でもまあ、ミリアはあんなんに負けるような子じゃないみたい」

 ジルがニヤリと微笑む。あたしもそっくりな表情を浮かべた。

「まあね。アリス」

「え」

「あたしさ、魔法が使えないってなると、なおさらあたし、アリスから離れられなくなっちゃった」

「……そう、だね」

「これからも、変わらずよろしくね」

「うん」

「でさ、今日はどうするの? またママの本でも漁る?」

 ジルは首を横に振る。どうしてと問うと、特定分野という感じでもなかったからという返答が帰って来た。

「あの本棚自体よりも調べるべきは、どうやってママさんがあそこまでの蔵書を手に入れられたか。それに絞られる」

「結局、どうやって知ったのかを直接調べるしかない、か」

 あたしの要約に、アリスが頷いた。となると、とあたしは言う。

「アリスの家に、行くしかないよね」

「え」

 アリスが驚いたような声をあげる。え、とあたしも問い返した。

「何かマズいの」

「えっとその」

 あたしは前にも、アリスの家に行ったことがある。別に立ち入りが制限されている訳でもあるまい。何か問題があるのだろうか。

 慌てふためくアリスを見て、少しかわいそうになる。

「わかった。じゃあ、一旦は保留にしよう。大丈夫になったら呼んで」

「うん……ごめん。じゃあ、一旦バイバイ」

「バイバイ」


  △


 アリスの家に行く。それは至極もっともな主張だった。それだけに、そのルートを閉じてしまったのは痛い。それでも、あまり強くは主張できない。だってあたしは、この提案をきっかけに気付いたから。

 あたしは魔法研究所の機密情報を掴んでいたと思われる。そんなあたしが、のこのことアリスの家に出向くのは危険だという事実に。

 とりあえず、その疑念は呑み込んだ。あたしの記憶を消したのは、アリスの両親じゃないのか、だなんてそんなこと、絶対に聞けない。少なくとも、今のミリアを目の前に、そんな断罪できる訳がなかった。

 でも、道中思考を巡らせる程にその論理は筋を持ってあたしの中で育って行った。

 生き返りの情報をひょんなことから掴んでしまったあたしは、記憶を消され今ここにいる。全ての記憶の中でも、特に生き返りの部分を重点的に。他の魔法は見れば思い出せるのに、それに限っては何も思い出せないのがその証明だ。研究所はあたしから生き返りの知識を根こそぎ奪い、無力化した。そしてアリスをお目付け役として近付けた……。

 いや、違う。アリスには恐らく、作為はない。今のあたしにとって、ミリアも合わせこの二人は拠り所だ。疑いたくない。

 一応理由もある。もし仮に生き返りについてアリスの両親や研究所が関与しているとして、それがあたしの記憶を奪う直接の原因になっていたのなら、生き返りを知るあたしたちはすぐに狙われることになる。万が一、アリスが敵だったなら。今こうして無事でいることそれ自体が、アリスが敵でないことの証明だった。

 ミリアに関しては、仮面を被るのは得意らしいけれど、本当にママさんの秘密を知らないらしいから、絶対に大丈夫だ。

 少なくとも記憶を本当に取り戻すまでは、あたしも二人から離れられない。

「ジル、遅いよ」

「あ、うん待って」

 そう声を掛けて来たミリアを追いかける。

 魔法研究所は、かなりの本丸だと見える。そう考えると、今の実力で当たっても、よくて追い返されて終わりだ。悪ければ、殺される。とりあえずは、現状維持だ。ミリアとアリスには、黙っておこう。


  ○


 ジルが何か考え込んでいた。どうしたのかと聞いてみても、何も答えてはくれない。あたしはそっかと言いながら、でも少し、思ってしまう。

 隠されてるんじゃないかって。何かを。

「でもさ、じゃあ次はどうしようか」

 闇を振り切りたくて、あたしは問うた。ジルもなかなか決められないらしく、「とりあえずはその相談だね」と答えた。

「まあ、そうだね」


 自室に戻り宿題を進める。ジルに教えてもらいながら解答を埋めていくと、アリスのやって来る音がした。あたしは階下に降り、彼女を迎える。

「さて」

 部屋に戻り、あたしはさっき決まった議題をそのまま口にした。

「次何をするのか。生き返りという方針はあるけど、もう少し外堀も埋めたいしね」

 ジルがそう言うと、アリスも頷いた。それからアリスは続ける。

「思ったんだ。ミリアママは、知ってるのかなって。ミリアが、魔法を使えそうにないこと」

 あたしはアリスを見た。苦虫が口の中に大量発生したかのように苦しげな顔を浮かべている。あたしは問い掛けた。

「どうして」

「ご、ごめんね、だけど気になって」

「それは今はどうでもいいでしょ」

 口を挟んだのは、ジルだった。

「それよりもだよ。先決なのは、生き返り問題。直でアリスのとこに行けないのなら、じゃあ生き返りの例を調べたいなって思った」

「なるほど」

 あたしは叫んだ。ジルは我が意を得たりと微笑んで、続ける。

「生き返りに何が絡んでるのか、それからわかるかもしれない」

「だけど」

 アリスが遮る。あたしはそちらを見ると、アリスは小さくなって、しかしそれでも続けた。

「でも、生き返りなんてそんな、まだ誰も臨床実験なんてしてないよ」

「臨床?」

「実際にやるってことだよ、ミリア。まあ、それもそうかな。というより、調べて見付かる程ガバガバセキュリティでもないか、仮にやってたとしても。でも、もしその路線なんだとしたら、情報を集めるより他に今できることはない。ダメ元でやってみたいんだ」

 ジルは立ち上がる。

「元々、今の段階で何かできるとは思ってない。手掛かりがあるなら、藁にでも縋りたいんだよ。今あたしは、大木を目の前にそれの枝を掴もうとしてる段階。それが実は幻覚だとしても、掴んでみなきゃわからないし。この路線が間違ってるとは思ってない。ねえ、どうかな」

「なるほどね」

 ジルは目を強く見開き、あたしたちを見渡す。はっきりとしたその決意に、あたしはどことなく、自信を得て、そう答えた。そしてそのまま続ける。

「いいと思う。どっちみち、他にやれることもないもんね」

 ジルの言った通り、今までの方針が「待つ」だった以上、当たるとは思えないようなことだとしても手掛かりがあるだけ前進だ。それに従うのは決して、悪いことではないはず。あたしの言葉に、アリスがしばらく悩んで、小さく呟いた。

「うん、そうだね」

 その表情からは、何も見て取れなかった。

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