第13話 嫌なの、あたし

  ◆


 翌日、事前に打ち合わせていた通り、二人は友達の元へ、、そして俺は仕事へと向かった。大した仕事ができる訳ではないが、俺はいつも通りに仕事を選び、それからいつも通りに仕事をこなした。

 その帰り道のことだった。

 急にめまいが起き、地面に片膝を付く。熱い。体中が熱を帯びていく。ぼんやりとする意識の中で、テレポート直後のラーニャの姿を呼び起こしていた。どうしたんだ。俺は剣を引き抜き、額に当てる。しばらくそうしていると、熱は引いた。荒い息を吐きながら、思う。

 なんだったんだ、今の。


  ◆


 家に戻り、二人と合流する。俺はさっきの出来事を二人に報告した。ラーニャが心配そうな面持ちで大丈夫か問う中、ゾーイは考え込み、それから「まずい」と呟いた。

「ニールさんが狙われた。だけど、危害という訳ではない。だったら考えられることとしたら、暗示系魔法か、それともブラフか。怯えてあたしたちが妙な行動を起こせばあの子には必ず気付かれる。でも、何もしなかった場合、どうなるかわかったもんじゃない」

 ラーニャが青ざめた顔で叫んだ。

「それなら、どうすればいいのよ」

 ゾーイは「簡単よ」と小さく微笑んだ。

「暗示の上書き。あなたは絶対に、ラーニャには手を出せません、居場所もばらしませんって」

「なるほど。頼めるか?」

 自分が暗示をかけられているのかはわからない。けれど、用心に越したことはないだろう。ゾーイも頷くと、俺に手をかざし、目を閉ざした。しばらくして、体中がじんわりと熱を帯びる。

「はい完了。これでもう大丈夫なはず」

 ゾーイは立ち上がり、それから台所へと降りていく。俺は熱が引くまでしばらく安静にしていろ、ということらしい。

「それにしても、恐いね」

 ラーニャが窓の外を眺めて言う。真っ赤に燃える夕日が、その視線の先にある。黙りこくっていると、彼女は続ける。

「ねえ、どうしてなんだろうね。なんであたしは、あたしとあの子だけは生き返らせてもらえたんだろう。そして、なんで今、生き返ったって理由だけで狙われてるんだろう」

 俺は、何も言えなかった。振り返ったラーニャの顔は、泣いていた。泣き出しそうに、歪んでいた。

「どうして、生き返ったのかな。生き返って、よかったのかな。あたしが生き返らなかったら、こんなことにはならなかったのかな」

「かもしれないな。だけど、死んでたら、何も起こらないんだ」

「でも、お兄ちゃんに迷惑をかけた! 嫌なの、あたし」

「迷惑なんかじゃない」

「でも、あたしがいなければ、お兄ちゃんは今でも誰かに世話してもらえてたんでしょ? 学校も、行けてたんでしょ?」

「まあな。だけど、お前がいる方が、嬉しいに決まってるだろ」

 ラーニャはうつむいてしまう。それから俺の隣に腰を下ろす。ぽつり、ごめんと呟いた。

「なんだか、わかんなくなっちゃって。生き返りだけを殺すって、お前は生きていちゃいけないって言われてるみたいで。お前が生きているから、何かよくないことが起こるって、そう言われてるような気がして。だけど、お兄ちゃんがそんな風に思ってる訳ないのにね。ごめん」

「いいんだけど。とにかく、人間ってのは生きてる限り、誰かに迷惑をかけるもんだ。人に迷惑をかけた分、人のために頑張ればそれでいいんだと思う」

 ラーニャはこくりと頷く。それから笑みを浮かべた。

「今日ね、ゾーイからいろいろ教えてもらったんだ」

「よかったな」

 何気ない話題に話が切り替わる。それは、もうさっきまでの重たい話は終わりという合図。それはわかっていたが、どうしてもこらえきれなくなり、俺はラーニャを抱きしめた。ラーニャも、少しだけ驚いたように息を呑んで、それから俺の背後に手を回す。

「ありがと、お兄ちゃん」

 俺は何も答えなかった。階下から、ごはんだと呼ぶ声がする。


  ◆


 ラーニャの気丈さには、どことなく救われるような気がする。先程の激情なんてなかったかのように、ゾーイと明るく話すラーニャからは本当に、悲しみの気配なんてかけらも感じられなかった。

 二人はこれから魔法の勉強をするという。俺はと言えばそれについて行くことができるとも思えず、割り当てられた部屋で昨日の本の続きを読んでいた。

 その本ではそこから延々と、生と死の調和が肝心なのだということばかりを繰り返していた。手を変え品を変え、絶対に読者を納得させようという意地が透けて見えたぐらいだ。半ば呆れながら、俺はその本を閉ざす。論理の筋道はあまり通っていない。それでもなんとなく、この本をまとめてみた。

 調和が崩された時、何か未曾有の天災が起こる。要約すると、これに尽きる。それがどんな天災なのかはわからないし、そこに至る論理にだって飛躍が多い。他にある数多の本の圧倒的さと引き比べ、この本は明らかに見劣りする。そんな風に思えた。

 どうしてこんな本がここに混ざっているのだろうか。俺は本を元の場所に戻す。それでも一応、生き返りばかりを殺害するメリットとして考え得るものとして、生と死の調和という説は見付かった訳だ。収穫と言えば収穫だろう。どことなく釈然としないものはあるが、とりあえずはこれを軸に調べてみようと心に決める。


  ◆


 しかしそれからの数日、さらなる手掛かりや別の仮説は現れては来なかった。ラーニャが襲われることもなく、ある意味では事件前までとあまり変わらない、単調な日々と言えた。このまま平穏であればいいのに、と思うけれど、それはさすがに甘過ぎる願望だろう。警戒だけは怠らなかった。

 だが、いつ来るかわからない敵に対し警戒を続けるのは、単純に敵と戦うよりも摩耗が酷い。何も起こらない日々の中でも、確実にラーニャは精神をすり減らしているし、動きがないことにゾーイも苛立ちを覚えつつあるらしかった。

 ある日俺が拠点の家に戻ると、ラーニャがぐったりと眠っていた。まだ昼時なのに。ゾーイが疲れたみたいでと説明してくれる。

「……ラーニャは、能力は高くても、こういう修羅場は経験してないからな。疲れるのは間違いないし」

 俺も汗を拭うと、カウンター席に座り込む。ゾーイがため息と共に言葉を吐き出した。

「持久戦に持ち込まれたら、あたしたち、敵わないよね。ここは受け身の厳しい所」

 そうなのだ。相手はいつ攻撃してもいい。俺たちはそれに対して、絶えず警戒しなければならない。そのことによる消耗を突いて彼女に襲われたら、今度こそ俺たちには為す術がなくなってしまうだろう。ゾーイと敵の魔力は、単純に釣り合っていた。ゾーイが消耗というおもりを背負った時、天秤はあっけなく傾いてしまうだろう。

 そこまで考えて、はたと思う。受け身である……必要があるのか?

「なあゾーイ。こっちから仕掛けられないか?」

「危険よ」

「どっちみち危険なことには変わらない。それなら、まだ自分を危険に晒すという意識が過剰になる分、こっちからアクションを起こした方がまだ安全だ。それに、このままじゃじり貧だ」

「それはそうよ。だけど、相手のホームに乗り込むマイナス面は考えたの?」

 ゾーイの言葉にしかし、俺は別の意味を見出していた。

「さっきから、危険、マイナス面ってさ。相手の居場所がわからないから無理って答えがまず返ってくると思ってたんだけど」

 彼女の顔が歪む。その言葉で、俺は自分の推測が正しいことを悟る。

「俺に作戦を考えろってゾーイは言ったよな。俺なんかが、あいつに敵うような作戦を考えつけると思うのかよ。魔法もロクに使えないのに。調べて欲しくなかったんじゃないか? きっと、お前とあいつの間に、何かある。そうだよな?」

「違う。まあ、何もないって言ったら嘘になるけど、あるのはあの子と直接の関係じゃない。間にひとり、挟んでるから」

 言い逃れはできないと思ったのか、彼女は素直に答えた。俺が続けてどういうことかと問い掛けようとすると、彼女はそれを遮るように言った。

「それ以上は言わないよ。言えば、みんな傷付くから。あたしも、ラーニャも、あなたも、あの子も。誰も得しないから、言いたくない。ごめん」

「どういう……」

「ごめん」

 彼女はそれだけ言うと、ラーニャを揺すり起こす。話を変えたがっているのは丸わかりだ。それでも確かに、ラーニャが起きればもう、この話は続けられない。俺は諦めた。この線はこれ以上崩せそうにない。

 ただし、敵にこっちから仕掛けるという行動自体は否定されていない。危険だ、以外の理由は提示されていないし、ゾーイにもそのつもりはなさそうだった。早くあの少女を捕まえたいのはゾーイとて同じだろう。だとしたら、その方面の議論を進めるのは、決して悪いことではない。そう思う。

 だから夕食時、俺は再びその議論を持ち出した。

「ずっと神経を張り巡らせ続けるのは、ラーニャだってしんどいだろ?」

「それは、まあ」

 ラーニャが曖昧に頷く。ゾーイが先程の説明をしたその後で、俺は口を挟む。

「どっちにしたってデメリットは大きいと思う。当事者はラーニャなんだ。ラーニャはどう思う?」

 ゾーイも、その言葉を黙って聞き遂げた。決定権をラーニャに委ねる。これは妥当だと思うし、それは向こうもそうだったらしい。

 ラーニャは目を閉ざし思考の淵へ沈んでいく。それから数分、ラーニャは目を見開く。そこには覚悟が滲んでいた。

「もう少し待って。あたしも戦えるぐらいになったら、戦いに行こう」

「わかった」

 俺とゾーイの声が重なり、思わず顔を見合わせる。ラーニャが大きな声で笑った。

「お似合いだね、ホント。二人で付き合ったらいいんじゃない?」

 今度は二人して、間抜けな声とともにラーニャに驚いた視線を向けた。ラーニャはいたずらっぽく微笑んで、言う。

「歓迎するよ、お姉ちゃん」

「こら」

 俺がこつりと頭を叩くと、ラーニャはてへ、と舌を出した。

「大丈夫、わかってるよ。恋愛じゃないんでしょ、二人とも。全然そんな気配ないもん。ただの仲間で、友達って感じ」

 再び俺とゾーイは顔を見合わせ、それから呆れたような笑みがゾーイの顔に浮かんでいるのを見た。たぶん、俺も似たような顔をしていたことだろう。


  ◆


 またしばらく、動きのない日々が続く。ラーニャの魔法勉強はいっそう熱を帯び、俺はといえば代わり映えのない日常を送っていた。打ち込む目標ができたラーニャからは、気疲れの気配は次第に消えていき、それだけでも提案した価値を感じられた。

 俺を狙った攻撃もなく、だから本当に、平穏そのもの。住む家が変わり、ひとり家族が増えただけなんじゃなかろうかと勘違いしそうな程に、何も起こらなかった。


 だから、ある日家に戻った時、二人の姿が見付からなかった時、俺はいっそ、何も感じられなかった。

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