4章 逃走

第11話 あたし、何も知らないんだな

  ▲


 人殺し。その罪を被ったのは、母親だった。あたしは一切、疑われることもなかった。事情も事情だからと母に対しての罰は軽いものだった。しかし、あたしとは引き離されてしまった。

 母方の叔父の家に引き取られたあたしは、しかし心を開けなかった。

 誰も知らないから。真実を知っている人は、誰もいないから。

 そんなあたしに対し、叔父は無関心に近い態度をとり続けた。きちんと世話はするし、父のように暴力は振るわない。ただ、夫を殺した姉の娘という距離感をいかにして詰めればいいのか、最後までわからなかったのだろう。

 そんな日常の中、あたしは退屈していた。唯一その退屈から逃れられる時間は、夢の中で父を刺し殺す瞬間のみ。本来ならばあってはならないことなはずなのに、あたしにとってその光景は、極彩色のお祭りだった。あの手応え。流れ出す血の赤さ。その生ぬるさ。

 あの感覚をもう一度味わいたいと思うようになるのに、さして時間は掛からなかった。

 思えばこの時既に、あたしは魅入られていたのかもしれない。死の美しさに。生が死へと転ずる瞬間の、その怪しい魅力に。


 どうせなら絶対にバレないように。そんなことを考えたあたしは、魔法を勉強することにした。その勉強は、どんどん進んだ。魔法の持つ世界の奥深さと、それが持つ鋭利で冷淡な性質。それを用いた先に待ち受けているだろう、あの感覚。すぐに、一人前と言える程までには成長した。


 そしてあたしは、叔父を殺した。すぐ傍にいたから以外に、理由はない。その時に得られた感覚は、だけど、父の時程あたしを魅了はしなかった。学んだ魔法で叔父の死体を隠して、それからあたしは急に、恐くなってきた。人殺しに、魅力はない。そんな当たり前のことに、それでようやく気付けた。


 だけど、遅かった。あたしの天賦の才は、もう既に、見初められていたの。神にね。


  ◆


 ふと気付くと、俺は見たことのない部屋にいた。ラーニャと、ゾーイも一緒だ。ラーニャの顔が赤い。

「ごめん、かなり魔力を使っちゃったから、ラーニャ、熱いよね」

「みず……」

「すぐ持ってくるから、待ってて」

 そう言ってゾーイは部屋を出て行く。俺はラーニャを寝転ばせ、それから額に触れる。それから慌ててその手を引っ込めた。

 熱い。確かに、ありえない程熱い。

「魔力、一気に振動させすぎたの……テレポートはまだ、早いみたい……」

「無理して喋るな。とりあえず、休んでろ」

 俺は剣を引き抜き、その刃がラーニャを傷付けないように細心の注意を払って、その刀身をラーニャの額に当てる。

「気持ちいい……」

「絶対動くなよ。これは剣だ」

 彼女は何の反応も返さない。荒い呼吸音だけが、かろうじて彼女の生を保証していた。

「ラーニャ、水だよ」

 ゾーイが戻ってきて、コップをラーニャに手渡す。彼女は起き上がり、その水をゴクリと飲んだ。それからすぐに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。

「大丈夫なのか、ラーニャは」

「うん。起きたら、治ってるはず。ヒーリングを使うには、あたしももう疲れてるから限界で」

「テレポート、そんなにきついのか?」

「ひとりなら余裕です。だけど、ニールさんとラーニャの分を賄うのはきつい。ラーニャが予想以上に凄くて、あたしは助かりました」

 ふう、と彼女は息を吐く。

「とりあえず、あたしも休ませてください。もう、限界です」

 あくび混じりにそう言うと、彼女もぐったりと眠りに落ちた。ひとり魔力が弱く、消耗度合いも小さい俺はどうしていいかもわからず、ただ戦闘の衝撃を持て余しながら、今のこの状況がなんなのかを考えていた。

 ゾーイと見知らぬ少女が戦っていて、しかも見知らぬ少女の狙いは恐らく、ラーニャ。あまりの訳のわからなさに、混乱が強まるばかり。二人して眠るその姿は、この現状がなければただただ微笑ましいものだったのだろうか。

 窓から外を覗く。月の光は辺りを照らすけれど、しかし目に映る景色は知らないものだ。見覚えがない訳ではないが、通り過ぎたことがあるぐらいの場所だ。その光景が俺を安堵させることはなかった。

 完全に眠っているのを念のために確かめてから、俺は部屋を出た。建物の探索をするつもりだった。

 部屋を出て、それから廊下を進む。扉を覗き込むと、そこには数多の本が積まれていた。部屋に入り、一冊一冊を確かめる。そのタイトルはどれも、俺にはよくわからないものだった。

 ひとつだけわかったことと言えば、どれも魔法の本で、しかもかなり難しい、ということぐらい。ラーニャに見せたら、どう反応するだろうか。

 そこから推測できること。恐らくここは、ゾーイの家だ。彼女が魔法を学んだのは、この数多の本なのだろう。

 よく観察すると、ベッドの上にも本が積まれているのが見えた。そのためか、少しほこりっぽい。そっと本の表紙を撫で、それから指を窓から差し込む光で確認すると、ほこりがついているのが見えた。長らく読まれていないらしい。

 この部屋から俺が得られるものはこれ以上もうないだろうと判断して、俺は部屋を出る。


 階下へ向かうと、そこには台所があった。台所がかなり大きい。飲食店のような様相だが、それにしては明るさが足りないように感じるのは、今が夜だからか。それだけではないような印象を受けたが、これはそんなにあてになるものではないだろう。他に目を惹くものはなかった。

 外に出る気はしなかったので、俺はおとなしく部屋に戻った。それから、ふと違和感に気付く。

 親はどこだ。ここがゾーイの家だと仮定すると、親である必要はないが、それでも、この家に稼ぎを入れてくれている人がいるはずだ。例えばラーニャにとっての俺みたいな。そういう人が、今この家には存在していない。夜に働いているだけかもしれないが、それにしても生活感もない。不自然な程に、あの部屋にしか人の気配を感じなかった。

 本の部屋で、ベッドの上の本が動かされていないということは、あのベッドは今使われていない。あの部屋にあるベッドしか、今は使われていないということだ。

 導き出される結論はひとつ。ゾーイには、家族がいない。少なくとも、一緒に暮らす家族は。学校にきちんと通える少女に、だ。どう考えても、不自然だ。

 けれど、それ以上のことはわからなかった。俺は眠るラーニャの顔をそっと撫でる。彼女の熱は、引いていた。ふと、彼女が呟く。

「あなたは、誰なの……」

「俺はニール。お前の兄だ」

 そう言って、その体を撫でる。ラーニャはおびえていた。寝言で、俺に助けを求めている。

「恐いよ、助けてお兄ちゃん……」

 大丈夫だ。俺はどこにもいかない。その意志を込めて、俺は彼女を強く抱きしめた。彼女の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。その穏やかな笑みを見ているうちに、俺の緊張も次第に解きほぐされ、眠気が忍び寄ってきた。そのまま、俺は崩れ落ちる。


  ◆


 ラーニャの悲鳴で目が覚めた。え、と思う間もなく、ラーニャが俺にパンチを食らわせる。変な声が漏れた。

「お兄ちゃん近いよもう! びっくりするじゃん!」

「痛っ……。いや、お前がうなされてたから」

「……そんなことだろうとは思ったけど、びっくりするのはびっくりするの。あたしが落ち着いたら離れてよね」

 え、と考えを巡らせ、それから思わず赤面する。あのまま眠ったのだとすると、俺はずっと、ラーニャと抱き合っていたことになる。

「悪い」

「いいけどさ。気を付けてよねホントにもう」

 頬を膨らませ、ラーニャは不平を漏らす。それから、ニッと笑みを浮かべた。

「ありがと、お兄ちゃん」

「感謝するなら、ヒーリングかけてくれ、痛い」

 頬を抑えながら、俺はそう頼んだ。

 痛みは瞬く間に消えていったが、その瞬く間にゾーイは起き出した。

「おはよう……なんでヒーリング?」

「いや、ちょっとごたついて。なんでもないよゾーイ。それよりも、いろいろ教えて。昨日のあの子は誰で、ここはどこで、それから……」

「ストップ。まずは、朝ご飯。お腹空いたでしょ」

 ゾーイがそう言うと、とたんに空腹を認知し出すのだから、体というのは不思議だ。

「作るよ。大したものはできないけど」

 そう言うやいなや、ゾーイは部屋を軽快に飛び出した。残された俺たちは、顔を見合わせる。それから改めて、この状況の不思議さに首をひねり合った。

「ラーニャ、ここどこかわかるか?」

「ううん、初めて見る」

 窓の外の景色を眺め、ラーニャはそう呟いた。若干の落胆はあったが、仕方ない。

「ゾーイの家に行ったことは?」

「ない。やっぱり、ここはたぶん、ゾーイの家なんだよね」

「たぶんな。そしてたぶん、他には誰も住んでない」

 ラーニャは目を丸くした。それから、「嘘……でしょ」とかすれた声を絞り出す。

「あたし、そんなこと聞いてない。ゾーイが、一人暮らしだなんて、そんな」

「でも、昨日お前ら二人が寝た後、俺はこの家を見た。ベッドは他にひとつ。その上には、積まれて動かされた形跡のない本が何冊も。あのベッドは間違いなく使われてない。この家に暮らしているのはひとりだけってことの証明だ」

「ベッドを物置にして床で寝るはずがない、か。……ここが、ゾーイの家だとしたら」

「そこはまだわからないけどな」

「うん」

 ラーニャはうつむいて、それから呟く。

「あたし、何も知らないんだな、ゾーイのこと」

「隠してたんだろうな。でもたぶん、教えてもらえるはずだろ、朝飯の後で」

「だね。うん。待とう」

 ラーニャは俺を見据えた。それから、微笑む。

「まずは、生きてる。それに感謝しよう」

「だな」


 ゾーイの作る料理は、お世辞にも絶品の域には達していないが、普通に食べるレベルには全く問題がない程度のものだった。つまりまあ、俺と大差ない。

「この材料、どこにあったんだ?」

「普通に売ってる奴ですよ」

 わかっている。そういうことが聞きたい訳ではないのだけれど、これ以上突っ込んだ質問をするのも難しそうだったので、スルーした。どこでそれを買うお金を調達したのか。そんな踏み込んだ質問は、まずは向こうの説明を待ってから、必要ならすればいい。

「どうですか?」

「おいしいよ。お兄ちゃんのと同じぐらい」

 ラーニャの評価も、俺とそんなに変わらないものらしい。ありがとうと微笑んでから、彼女は黙々とスプーンを動かした。俺たちもゾーイの作った朝食を平らげる。

「ごちそうさま」

 そう呟いて食事を終えると、皿を流しに持って行き、水で流した。後片付けを終え、部屋に戻ると、二人はもう待っていた。

「ありがとうございます」

 ゾーイが俺に向け、頭を下げる。何のことだと一瞬考え込んだ後、皿洗いのことかと思い当たり、大丈夫だよと首を振る。

「それよりも、事情を説明して欲しいんだけど。一体なんだって、あんな強い魔力を持った少女にラーニャが狙われてるんだ?」

 単刀直入、切り込んだ。ゾーイはただ一言、ラーニャにこう問う。

「生き返ったことがあるでしょ」

 しばらく、その言葉の意味がとれなかった。生き返り。まだ、それをなし得る魔法ができあがったという話は聞いたことがないのだけれど。ラーニャを振り返ると、わなわなと震えていた。

「どうして、知ってるの」

 絞り出すように、そう声を出す。え、と俺は間抜けな声を上げた。

「生き返りって、どういうことだよ」

 ラーニャは目を閉ざし、そして言った。

「あの火事で、あたしは一回、死んだの。あの子と一緒に」

「でも、誰かに生き返らせてもらった」

 ゾーイの言葉に、ラーニャはこくりと頷く。俺は頭を振って、事態を呑み込んだ。

「とりあえず、ラーニャは生き返ったことがあるってことか」

「そういうことになります。そして、だから狙われてるんです」

「じゃあ、あの子が狙われたのも」

「生き返り、が共通点になってるんだな」

 この間、俺が調べた失踪事件の被害者は、ラーニャと共にあの火事を逃げ延びた少女だ。そのラーニャが、本当は逃げそびれていたのだとしたら、その少女もまた、その通りである可能性が高い。

「そういうことになります。あの子が狙うのは、生き返ったことがある人のみ。それが共通点です」

「でもゾーイは、なんでそれを知ってるのよ」

 ラーニャが、至極もっともな問いを投げかける。ゾーイはうつむくと、それから言った。

「あたしはもう、どこでもやっていけるぐらい魔法に詳しい。ラーニャはわかってると思う。それはなんでかって、それでお金を稼いでるから。

 あたしが転校生としてやって来たのも、全部今回の件を調べるためだった。このあたりで生き返りがあったことは、わかってたから。あの子を止めることで、お金を稼ごうと思ってる。たぶん、お兄さんと同じ」

「ゾーイも、賞金稼ぎってこと?」

「平たく言うと、そうなる。だから、なんであの子が生き返ったことがある人を狙っているのかとか、そういうことはわからないの」

「ちょっと待ってくれ」

 違和感を捉えた俺が、話に割り込む。

「賞金稼ぎなのはいいとしよう。いろいろそれぞれに事情があるのは俺が一番わかってるから、その事情は聞かない。

 だけどなんで、ゾーイはそんな、他の誰もが知らないような共通項を知ってるんだ? 俺は、生き返りがあの連続失踪の共通項だなんて、知りもしなかった。他に知ってる人も、いないみたいだった。たかが賞金稼ぎが、なんで」

 その質問は、彼女の中では来るものとして想定されていたらしい。淀みなく彼女は答えた。

「同年代だからだと思います。一部の人には、犯人の正体が割れてたんでしょう。だけど、どうしても捕まえられなかった。だから、歳が近くて性別も同じ、魔法の実力も充分にあるあたしに白羽の矢が立った。そういうことだと思います。あたしなら、彼女と感性が近いから、なんとかできると思われたんでしょうね」

「一部って?」

 俺の問いに、彼女は即座に答えた。

「魔法研究所。代表格の人たちです」

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