第10話 一緒にいてあげてくれないかな
△
そう、今現在まず解き明かせそうな謎は、そこなのだ。どうしてママさんは、その秘術のことを知っている。この問題をとっかかりに、何かを調べられると思う。
「でも、なんでうちのママが知ってるのかなんて、さっぱりわかんないよあたしも」
ミリアがそう、考え込むような表情を浮かべながら言う。そのことはまあ、予想できた。ミリアに簡単にバレる程度なら、こんな秘術を知ることはなかっただろう。ミリアは恐らく、情報戦を得意とするタイプではない。
「どうして、漏れてたのかもわからないし」
アリスも言った。それもそうだろう。この会話だけでわかるなんて甘い期待は始めからしていない。
「わかってる。調べたいって言ってるの、だから」
もう、隠してはいられないだろう。大事な何かが違ってしまうだなんて言ってられない。
「ママさん、魔法凄いんだよね」
「うん。あたしじゃよくわからないんだけど」
ミリアがため息を吐いた。そうだろう。あれを見ていたとしても、普通は訳がわからないけどなんか凄い以上の感想は出てこないはずだ。
「ちょっと見て欲しいんだ。アリス、ある程度凄い魔法でも、わかるよね」
「と思う、けど」
「来て。ミリアも一応。ママさんの部屋に行くから」
「ママの? あ、もしかして」
やっぱりミリアは知っていた。あの蔵書の数々を。
「あれ、魔法の本だったんだ……」
「のはず。そして、あたしはその大半を知ってた」
「凄いな、ホントにジルって」
ミリアが半笑いで言った。アリスの表情が塗り変わる。魔法について語る時のあの熱い目に。
「ミリアんち、そんなのがあったんだね。知らなかった。見たい。行こうよ、ジル、ミリア」
ミリアの先導で、息を潜めてママさんの部屋に侵入する。ママさんの仕事が終わるまでには出ないといけない。もしかすると、今からあたしたちは、知ってはいけないことを知ろうとしているのかもしれないから。
改めて部屋を見返す。やっぱり目を惹くのはその凄い本棚だ。それ以外には正直、特筆すべきところもない。ミリアの部屋と構造的にもそう変わらないし。
「これ、全部魔法の本なの」
「たぶんね。ちらっと見た範囲だけど、全部高等魔法だった。当然ながら、ミリアは見ても、意味もわからないと思う。ごめん」
「いいよ。明日から勉強する訳だしね。素人はおとなしく引っ込んでおります」
ミリアはそう言うと、ママさんのベッドに座った。
「にしてもあれ、そんな凄い本だったんだ。びっくり」
ミリアの声を聞きつつ、あたしは日焼け防止の覆いをめくる。そこには、やっぱり様々な魔法の書籍があった。アリスが興奮したのか変な声を上げた。口をあんぐりと開いたまま、彼女はようやく、絞り出す。
「何これ、うちでも見たことないよ」
「そんなに!」
ミリアが叫ぶ。アリスすらも、知らないのか。あたしも同様の衝撃を受けていた。アリスが知らないものを、あたしは知っているのか。
「あ、でも知ってるのもあるかな。とりあえず、いろいろ見てみる」
彼女は本棚を物色し始めた。あたしも改めて、この本棚を検める。タイトルを見て、知ってると気付いたその衝撃で、じっくり中身を吟味することはなかった。今回は、それをやってみようという訳だ。
その中であたしの目を惹いたのが、ぼろぼろになって表紙からタイトルの判別が付かない程読み込まれたもの。開くと、「魔力の運動法則」とあった。パラパラとめくってわかったが、これは魔力の振動と魔法の発生のメカニズム、そして魔力の持つ力と、その固定性――つまり、他者に魔力を移すことの難しさを解説した本だ。割と魔法学の基礎にあたる。周りの高等魔法の本を読みこなせる人が、これをここまで読み込むのか。基礎の大切さを知っているということか。
「あ、運動法則だ」
アリスがあたしの手元を見て、嬉しそうな声をあげる。
「ここまで読み込んでるんだ……凄いな、ミリアママ」
「やっぱり大事なの? こういう基礎」
「……知らないの?」
「こういうメカニズム的なのは、知ってはいるみたいだけど、本気でやったことはないみたい」
「駄目だよそれじゃ。どんなことだって基本は大事だもん。まあ、この本書いたのうちのおじいちゃんだから言うんだけど」
「え、そうなの」
「うん。代々、魔法研究の家系で、長らくわかってなかったこの基礎中の基礎を解き明かしたのがおじいちゃん。この本が魔法学を変えたんだよ」
「え、そんなんなんだ」
ミリアがその身を乗り出す。アリスが微笑んで、頷いた。
「高校魔法学でやると思う。これに基づいて、中等魔法に発展していくのが高校だって聞いたから」
「そうなんだ。いつかママに見せてもらおっと」
「でも、ミリアには少し難しいかも。っていうか、やっぱり基礎だけど、難しいものだよ。だから後回しにされるんだ。わかってなくても運用はできるからねこれ」
あたしはその運動法則なる本をひもとく。知識として知らない訳ではないが、その中身を細かくわかる訳ではない。
そしてそれが、どことなく面白かった。
「なるほど。これ、売ってる?」
「その辺の本屋さんでも売ってるよ」
「欲しい」
アリスの表情がほころんだ。あたしはとりあえず、それを遮る。
「でも、お金ないし、ミリアママにもわがままは言えない。アリス、貸してくれないかな」
「いいよ、明日持ってくる。ジル、こんなとこは知らないんだ」
皮肉とか、そういう感情が見える訳ではない。ただ、少しだけその表情に愉悦が混ざっているようだった。
○
知らなかった。アリスは、ここまで高いテンションになれるのか。あたしですら今まで見たことない程の明るい表情を浮かべてジルに語るアリスは、幸せそうだった。意味がわからない程難しい話はまだしていないだろうけど、始まるのも時間の問題だろう。
ジルがアリスに向かって問い掛けた。
「この本から、何かわかりそうかな」
「ううん。秩序だって並んでるけど、傾向としてはそこまで一極集中って訳でもなく、いろいろやってるって感じ。これ全部読んでるんだとすると、ミリアママ、うちで働いてる人と同じぐらいか、もしかしたらもっと凄いかも」
「アリスの家って魔法を研究してるんだよね」
ジルの問い掛けにアリスは頷いた。そういえば、話題にはしていたが、明確には一度も伝えていない気がする。
「魔法研究所の所長と研究者の間の子どもなんだよ」
そりゃ凄いと目を見開いた後で、だとすると、とジルは呟く。
「プロ顔負け、か」
アリスが頷いた。あたしでは具体的な凄さはわからないけれど、とにかく凄いのだ、ということはわかった。
「結論として」
アリスがそう言う。
「生き返りのことを知ってても、おかしくはないぐらいには、ミリアのママさんは凄い。情報の入手経路は謎のままだけどね……」
それからもしばらく、二人は本棚を漁っていた。あたしはそれには加われず、ぼんやり窓の外を眺めていた。そうしていると、時間がわかるから。
「ねえ、そろそろタイムアウトだよ」
あたしがそう声を掛けると、アリスはハッと我に返ったかのようにその身を竦め、それから言った。
「あ、あの、ごめんね? 凄い、出しゃばっちゃって……」
「問題ないよ。むしろ、こんな深い世界なんだって思ったら、もっと楽しみになって来ちゃった」
嘘ではない。全くわからなかったけれど、世界には、アリスでもわからない魔法があるんだと思うと、なんとなくわくわくしてくるのだ。
「そう言ってくれると、嬉しいよ」
アリスが控えめに微笑む。やっぱりあたしは、アリスが好きだ。魔法のこととなると目を輝かせる、アリスが。
「じゃ、とりあえず部屋に戻ろう」
ジルがそう言って、私たちを立たせた。
アリスを見送って、あたしたちは部屋に座り込む。ジルが息を吐き出した。
「疲れた。頭を動かしたって気がする」
「お疲れ様」
あたしは微笑んだ。ジルはそれでもなお、思考を続けているようだった。あたしはただ、黙ってそれを眺めつつ、宿題という日常を片付けていた。
ちょうどそれが終わった辺りで、ママの呼ぶ声がする。晩ごはんだ。
△
さすがに、と小声で呟く。
あれを見てしまうと、そういうバイアスをかけずにはいられない。ママさんは、魔法のプロだ。隠しているのかどうなのかはわからないけれど、それは間違いない。
ミリアは何事もなかったかのように振る舞っている。演技力はやっぱり高い。それをいいことに、あたしはしばらく黙りこくって食べ進めていた。もともとあまり喋るタイプでもないからさして疑問には思われずに済んだようだ。
食べ終えたミリアがお風呂の用意をしに行って、残されたあたしがもくもくと舌鼓を打っていると、ママさんが言った。
「ねえ、明日、魔法が始まるのよね」
「え? そ、そうですけど、どうしてですか」
魔法。そのフレーズを捉えて、あたしは一瞬ビクリとする。気付かれたのか、と。だが、違ったようだ。ママさんの話は、ミリアのことへとシフトする。
「あの、ミリアのことなんだけど」
あたしは曖昧に相槌を打つ。内心、バレたのではなかったのだと安堵のため息を漏らしつつ。
「……もし、あの子が傷付くことがあったら、一緒にいてあげてくれないかな」
あたしは顔をあげる。ママさんの目は、真剣だった。
「あの、それはいいんですけど、どういう流れでそう……」
「いや、それはいいの。お願いね」
「はあ」
意味がわからなかった。ママさんは、どうしてこんな話を急にしたのだろうか。だけど、そんなことを気軽に聞ける雰囲気ではなかった。何より、部屋に忍び込んだという負い目もあるし。
「わかりました、けど」
ママさんは満足そうに頷いた。
それ以外に特筆すべき会話は交わさなかったので、きっと気付かれていないのだろう。それにしても、気になる。ミリアが傷付くことになる、とはどういうことなんだろう。今のミリアを見る限り、とあたしは思う。
「魔法って、何やるのかな」
「さあ、知ってても覚えてないし」
「ああ、ごめんね」
そう言って、だけど笑うミリアが傷付くビジョンなんて、さっぱりだった。あいにくあたしは予知魔法は使えないらしい。
「お休み」
「うん、お休み」
――だけど、ママさんの不吉な予言の意味は、すぐにあたしたちの知るところとなる。
○
幸い、ママはあたしたちの侵入には気付いていないみたいだ。翌朝になっても何も言ってこなかったから、それであたしは安堵した。そして、ようやく心の底から、わくわくに心を預けられた。
楽しみだなあ、魔法。
もちろん、昨日からだって充分楽しみにはしていた。けれど、朝の特訓をこなし、それからいろんな朝の用意をこなしている間にも、あたしの心はそれだけに支配されていて、どうにもぼんやりしていたのがわかる。
「ミリア、心ここにあらずって感じだね」
「今何か言った?」
「なんでも」
今だけは、ジルの声もアリスの声も耳に入らない。ずっと、十年以上も待ってきたんだから。
学校へ到着する。あたしのそわそわは傍から見てもわかる程だったらしく、フームから心配そうな目で見つめられた。けれどそれも気にならない。
時が流れるのが、やけにゆっくりだった。
そしてとうとう、お待ちかねの時間がやって来る。
「お願いします」
授業開始の礼を終え、あたしたちは体育座りする。屋外での実習で、あたしたちはグラウンドにいるのだ。先生が声をあげた。
「では皆さんのお待ちかね、魔法の実技です」
歓声をあげる。周りもみんな盛り上がっていた。先生が手を打ち鳴らす。
「静かに! じゃあ、とりあえずは基本中の基本になる、発火魔法の使い方を説明しますね」
曰く、体の中の魔力を意識し、それを振動させて、炎のイメージを持つ。それだけらしい。
「ですが、振動させるにはコツがいります。もう魔法が使えるという人は手をあげてください」
ジルがなんでもないというように手をあげた。ルミアもすっと手をあげる。アリスが続いて、おずおずと手をあげた。他にあがる手はなかった。先生はそれを見て続ける。
「じゃあ、この三人以外、一回ちょっと試してみましょうか。あの的に向かって出席番号順にやってみてください」
先生はそれを言うと、その目つきを鋭くした。あたしはアリスに問う。
「あれは」
「消火用の水魔法を準備してるんじゃないかな。できる人も、たまにいるらしいし」
「なるほど」
そう言っている内に、何人かが顔をしかめてえいえいとやっていた。もちろん、彼らはできない。あたしにそれは笑えないし、先生だってそれをわかってのことだろう。
そうこうしている内に、あたしの番が回ってきた。あたしは所定の位置に立ち、そして意識を集中させる。体内にある魔力を探す。適当にこれかなというものを意識して、それを動かそうとしてみた。
結果は当然失敗。こんなもんだ。あたしは別に、魔法の天才ではないのだから。
「そう、難しいんです。なかなかできないでしょう?」
誰一人として成功しなかったのを見て、先生はそう言った。
「でも、魔法は激しい戦闘には不可欠なものです。そして激しい戦闘においては、魔法の不発は致命傷です。魔法の上手さが勝負を分けると言っても過言ではないでしょう。ですからこれから、皆さんは何も考えなくても魔力を振動させる、その癖をつけていかないといけません」
ざわめきが起きる。ジルが頷いていた。
「と言うわけですが、まずは考えながら、ゆっくりできるようになって行きましょう。もうできる三人には少し退屈になるかもしれないけれど、みんなに教えるのを手伝ってくれるとありがたいです」
「はい」
ジルとルミアのセリフが被った。アリスも頷く。
「それでは、まずはやり方を教えますね」
魔力の振動には、呼吸が大事だということ。呼吸による精神統一の他、体内の酸素の量が影響しているらしいのだ。詳しいメカニズムは高校で学ぶからと言われ、とりあえずは呼吸法を習う。
「これを無意識にできないと駄目なんだよね」
アリスの補足が入る。あたしは頷いた。これで何が変わったとは思えないけれど、とりあえず指示に従う。案外、こういう自分でも訳がわからない内に、魔法が使えるようになっているのか。
「この呼吸法を意識さえすれば、発火その他基本的な魔法はできるようになります。もう一度やってみましょう」
その指示に促され、みんながもう一度、強く念じる。そうすると。
「うわすげぇっ!」
興奮の叫び声。炎が、発生していた。先生が水を浴びせる。
「と、まあこの通りです。皆さんも、また順番に」
次々とみんなが成功させていく。呼吸だけで、こんなに変わるのか。そう思っていると、声が聞こえた。
「なんか、わかるよな。体ん中でなんかぶわあって」
「それ。凄い熱くなってくる」
それが、魔力の振動か。あたしはわくわくしながら定位置に立った。
呼吸。体内の魔力を意識する。炎を、念じる。
「……あれ」
出ない。何も起きないし、何も発生しない。体の中にも異変はない。
「あれ、なんで」
「あ、体の中にもっと意識を集中させてみて。何か、明らかにあるから」
「何もないんですけど」
あたしの言葉を、先生はそんなことないから、と遮った。
「ないはずがないから」
「はあ……」
あたしはまた、意識を集中させる。体内のどこかにあると言われる魔力を探して。だけど、何もない。
「それ、どんな感じなんですか?」
「ミリア」
そう声をあげたのは、アリスだった。あたしはそちらを振り向く。
「あたし、教えます。いいですよね」
声が震えていた。だけど、その表情には決然としたものが見えている。先生も、頷いた。
「わかった。ミリア、アリスのアドバイスを聞いてみて」
アリスはたぶん、先生よりもよっぽど詳しい。それをわかっているから、そして普段は引っ込み思案なアリスの勇気ある行動だったから、先生は許可した。
あたしはアリスとともに、クラスの輪を離れる。
「ねえ、魔力ってどんな風に見えるの」
「見えはしないけど、感じるの。体内のどこかにあるのを」
「何も感じないよ」
「呼吸をしっかりやってみて」
その言葉に従って、あたしはさっき習った呼吸を実践した。アリスがあたしの手を取る。そして、彼女は言った。
「暑くならない?」
「全く」
「あれ、なんで……」
「え、どうしたの」
「……あなたに、直接魔法を掛けてみたの。もし効いたら、体温が上がる」
「なんでそんなことするの」
問うあたしに、アリスは言った。
「体温上昇は、直接魔法における最初歩。相手と魔力を共振させるだけなんだから」
「え、それ」
「あたしなら、外しようがない。絶対に、暑くなるはず。ねえ、もしかして、なんだけど、ミリアって」
あたしはゴクリと息を呑む。彼女は苦しげに言った。
「魔力、ないのかも。全く」
それは、死刑宣告も同然だった。
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