第9話 ルミアは、クラスの王女様
◇
気が付けば、朝だった。昨日の記憶が途切れている。えっと、確か、ごはんを食べて、お風呂に火をつけて、それから……。
そうだ。生き返り、という単語に、あたしの消えた記憶は拒絶反応を起こしたのだ。
ふと見ると、ミリアがあたしの傍で眠っていた。その目元には、涙の痕。
そうか、ミリアは。
ミリアは、あたしのために泣いてくれたのだ。日課の特訓すらも忘れる程に、心配してくれていた。
どうしてか、虫に刺された時のような違和感が心に襲った。純粋な善意、思いやりはたぶん、あたしにとっては貴重過ぎて、むずがゆくなるのかもしれない。
けれど、起こさない訳にはいかない。ミリアは今日も、学校だ。
朝ご飯は既にできていた。ママさんはもう、忙しく朝のもろもろを片付けだしている。
「よく眠れた? ジルちゃん」
「あ、はい。昨日は取り乱しちゃってごめんなさい」
「謝らなくていいよ、ふああ」
とあくび混じりに答えたのは、なぜかミリア。苦笑していると、結構真面目な続きが帰って来た。
「だって、記憶の手掛かりでしょ。生き返りに、何か関係してるって」
そうなのだ。考えるまでもなく、そうとしか思えない。
「でもとりあえず、今日は学校だし、そっちに集中しよう」
「わかった」
このことはアリスも交えて話し合った方がいい。だからとりあえずは、目前の学校だ。景気付けに、あたしは朝ご飯を勢いよくかき込んだ。ママさんも、あたしが元気なのを確認してか、自分の作業に集中していた。
道中でアリスと合流する。なんだか、いつもより小さくなっている気がした。これから学校だからか。
「おはよう、ミリア」
「あ、アリスおはよう」
「ジルも」
「うん」
一応、あたしたちは昨日、一緒に街を歩いた。その時に自己紹介は済ませているはずだ。そこまで詳しく互いについて語りはしなかったけれど、それでも名前を知らないのはおかしい。
設定的にアリスがあたしの名を知っているのは、ミリアの親友であることの、いわば特権だろう。
「今日からよろしくね」
「うん」
抜け目なく、そう言って微笑む。互いに名前は知っているが、クラスメイトになるのは今日から。そんな関係にふさわしい挨拶ができたように思う。
「それじゃ」
と"共通の知り合い"であるミリアが仕切る。
「行こう!」
学校に入ると、先生に呼び止められ、それから二人と引き離される。恐らく少し遅れて入り、自己紹介をする流れになるのだろう。あたしは、自らの設定を脳内で復唱した。
先生の先導で教室へ向かう。別段緊張はない。ただ、間違えないようにぐるぐると設定を唱え続ける。
扉が開いて、あたしは教室の中へ踏み込んだ。それから教室の半分程をゆっくり歩き、それから先生が何やら仲良くしてあげてとかなんとか言って、それからあたしを促した。自己紹介だ。
あたしはこのジルという名前とミリアの従姉妹であるという"事実"、それから自らの"趣味"が魔法書を読むことであることを告げる。実際に趣味にするには向いていないのだけれど、こんな趣味を持っている人は他にいないだろうからバレることもないだろう。
あたしに空いている席を示すと、先生はまた何やら言って、それから授業を開始した。
休み時間は、当たり前ながらあたしの周りを皆が取り囲む。ミリアの方も捕まってるようで、恐らくはあたしについて質問を受けているようだ。数の多くない女子は、軒並みあたしに寄ってきている。ミリアとアリス、それからもうひとりを除いて、女子は全員だ。
自己紹介を名前と顔だけ把握して他は聞き流しながら、あたしは視線を彷徨わせた。ひとり佇む少女は、あたしのことを品定めでもするかのように眺めていた。目が合って、ひやりとする。
嫌な目だ。あたしは目を逸らした。
「ねえ、魔法が得意なんだよね」
「まあ、一応ね」
「見せてよ」
「でも明日から魔法の授業だって聞いたけど。その時じゃ駄目なの」
「えー、気になるよー」
「まあ、お楽しみにってことでいいじゃねえの」
そう言って場を仕切ったのは、光の中を生きているといったオーラの漂う男子、フームだった。
「きっと凄いぜ? アリスと仲のいいミリアお墨付きなんだから」
え、マジ。ざわめきが起こる。いつの間にそんなことを伝えていたのか。そしてそれで通じる程にはやはり、アリスの魔法は有名らしい。
「アリスの魔法の実力はよくは知らないけど、でもたぶん、そんなに凄いんなら勝てっこないよ」
魔法を語らせると、止まらなくなるアリス。きっと、小学生レベルなら勝てない。たぶん、あたしだって、勝てない。
「そりゃ誰もあいつに勝てるとは思ってないよ。あいつ両親が魔法研究家なんだぜ? 魔法のエリートだもん」
邪気のないその言い草に、あたしはどこか、安堵していた。
なんだアリス。あんた、溶け込めるじゃない。あんなに気弱にならなくても。
○
転校生の常ではあるけれど、ジルは質問攻めという名の洗礼を受けているようだ。これはしばらくは話せそうにない。それは"従姉妹"であるあたしも同様で、ジルについていろいろと尋ねられた。小柄で童顔というかわいらしい容姿をしているからか、何人かの男子は気後れしてしまうようで、男子にとっては気安い存在のあたしはそういう男子から質問を受けていた。
「凄いんだよ、ジル。走るってことに関してはあたしとあんまり変わらないもん」
「すげぇ」
ざわめき。あたしは間違いなく、クラスで一番体育が得意だ。それと張り合うのは驚嘆の対象になりえる。
「頭も割といいみたいだし、凄いよもう」
割と、の範疇に収まらないことはもちろん知っている。けれど、割と頭いい以上の事実がバレることもまあないだろうし、とあたしは小さな嘘を吐く。ジルが溶け込みやすいように。
「恋バナとかしたの」
直截な問い掛けに、あたしは笑って言い放つ。
「する訳ないでしょ、バーカ。あたしを誰だと思ってんのよ」
てんで恋愛とは縁がない。男子と友達になるのは得意でも、そこから先に進んだことは一度もないのだ。恐らくあたしは、女子として見られていないのだろう。
案の定、周りもあははと笑った。少なくとも、まだこうやって自虐をできる程度には、焦りも何もない。いつかは恋愛したいと焦る時が来るのかもしれないけれど、それは少なくとも今ではなかった。
休み時間毎にあたしを取り囲む人数は減っていき、その分がジルの周りに集まった。男子が多い内のクラスにおいてはまあ、そうなんだろうっていう光景だ。
「ふう、疲れた」
あたしはアリスにこぼす。ねぎらいの言葉を口にしてから、彼女はジルに視線を向けて、微笑んだ。
「よかった、上手く溶け込めそうで」
「まだわからないよ。転校生ってラベルが剥がれてからも仲良くする人がいるのかってのもあるし、それに……」
あたしは息を潜めて、ある方向に視線を向けた。アリスがそちらを見て、それから一気に表情が暗く沈む。
「ルミアが、まだ動いてない。ある程度人が減ってから絡むつもりだとは思うんだけどね」
ルミアに睨まれ、外されているアリスにはその危険がわかるのだろう。ため息が漏れた。ルミアは視線に気付いていないようで、女子の友達と話していた。その笑みからはやっぱり何を考えているのか掴めない。ジルを見る目は、好感なのか、嫌悪なのか。
「まあ、心配しても仕方ないよ。ジルならそんな窮地に立たされるようなへま、しないよ。アリスを悪く言うみたいになって悪いけど、ジル、絶対そんなタマじゃないもん」
「そうだね」
昼休み、あたしはジルを強引に引き連れ、屋上へと誘導した。今日に関してはアリスはいない。自然さを意識すれば、あたしだけと話すのが最適だからだ。
おそろいのお弁当を広げ、黙々と食していく。この後ジルに校内を案内するのだ。急がないと。
「ミリア、もう少しゆっくり食べなよ。あたしそこまで早くないから」
「え、ああ、そう」
もう既に九割食べ終わった段階でゆっくりも何もあったものではないけれど、その言に従いゆっくり食べることにした。
ジルが食べ終わった段階で、四十分の内の十分が過ぎていた。
「それじゃ、案内するね。ついて来て」
学校の中にも様々な施設がある。アリスに言わせれば「しょぼい」図書館や、ケガした時に行く保健室、それからあんまり呼ばれたくはない職員室などを案内している内に、三十分はあっという間だった。
教室に戻ると、さすがにみんな各々の日常に戻って談笑していた。あたしはジルに問い掛ける。
「大丈夫そうかな」
「うん。まあ、今んとこは」
ジルは軽く頷くと、自らの席に座った。あたしも戻ろう、という所で、ふっと気配を感じた。振り返ると、そこにいたのはルミアだった。
「どうも」
ジルが先手を打って挨拶する。その表情は硬い。ルミアは微笑んで、これからよろしくね、ジル、と挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくね、えっと」
「ルミア。それじゃ」
遮るように自らの名前を宣言し、彼女は自らの席へと戻っていった。
「……苦手」
ジルがそう、ぽつりと漏らしたのを聞きとがめたのはたぶん、あたしだけだった。
△
ルミア。忘れられないだろう。あのじとりとあたしを見つめたあの目と、さっきの微笑み。五年生らしからぬ仮面。思わず苦手と声が出た。ミリアがそんなあたしを驚いたような目で見やる。
「まあでも、大丈夫だよ。別に関わらなきゃいい話だから」
そう言って、ミリアを安心させようとしたのだけれど、彼女の顔は浮かない。なるほどね、と思う。
ルミアは、クラスの女王様。ほとんど間違いないことのように思えた。
授業を終え、放課後。女子たちが遊ぼうと言ってくるのを断り、アリスに話しかける。
「ねえ、魔法が凄いんだってね」
「え、あ、まあ、うん」
フームとの話の中で、明らかに魔法が得意だと言われていたアリス。あたしがその流れで彼女に話しかけるのは自然だ。そうなるように趣味を魔法学に設定したのだし。
「ちょっと話したいんだけど、今日、いいかな」
「うん、いい、けど」
彼女も少し動揺した風に、けれどしっかりとあたしの意図は汲んでくれたようだった。こくりと頷く。
ふと思い立ってルミアの方を見ると、彼女はこちらを見て、微笑んだ。あたしは視線を逸らす。
「ミリアとも仲良しだって聞いたよ」
「ああ、うん」
「あ、ジル。やっぱり魔法好き同士で気になるんだ」
ミリアについては、少し認識を改めたい。彼女はかなりのやり手だ。仮面を被ることを知っている。素が快活な少女な癖にだ。
「まあね。ねえ、今日、アリスとうちで話して構わないかな」
「もちろんだよ。普段からよく来るしね、アリスは」
「よかった。アリスも、うちでいいよね」
「うん」
「それじゃ、帰ろっか、ジル」
「だね。アリスは……」
「いつもは一旦帰ってから。今日もそうするよね」
アリスは頷く。それで、あたしたち三人のこれからの行動が確定した。
「それじゃ、みんなまた明日」
ミリアが元気に言った。新たな来訪者、ジルという従姉妹の登場に心を弾ませている少女だ。本当に、ミリアの被る仮面は精巧だった。
「ふう、さすがにしんどいや、嘘を吐くのってさ」
ミリアは心底疲れたというように息を吐き出した。その表情はしかし、秘密を共有する優越感に塗られている。アリスも頷いていた。
「でもミリア、凄いよね。しっかり演じきってるじゃん。設定暗唱してたり、結構これでも不安だったんだよあたし」
感想を漏らす。
「本番に強い女ミリアとお呼び」
ミリアはおどけて笑ってみせた。あたしも釣られて笑う。アリスも笑いをこらえようとして肩を振るわせていた。
「まあ案外なんとかなったよ。ガチガチに決めきってる訳でもないし、さ」
「だね。ある程度で決めておいて正解だよ」
過去の自分を褒める。と、分かれ道にさしかかった。
「あ、それじゃあ、またすぐに」
アリスがそう言って、あたしたちから離れていった。
「じゃ」
ミリアはそう言う。あたしは軽く手をあげてアリスに答えた。
○
家に戻ってまずやることと言えば、宿題だった。アリスが来るまでの間にある程度済ませちゃおうというつもりだったのだけれど、結論から言うとジルが同じ宿題をやってくれるおかげで終わるスピードが大幅に上がった。
あたしがちょっと疑問を残すところを呟くと、ジルは即座に答えを返す。その顔を自分の課題から上げることもなく。それなのに、あたしが半分を終えたところでジルはもう終わらせていた。
「昨日までより何倍も楽だもん」
そう、つまらなそうに言う。それはそうだ、としか言いようがないけれど、やっぱり凄い。
「よっしゃ、あたしも頑張ろっと」
そう声に出して、自分を鼓舞した。プリントをひとつひとつ、理解しながら埋めていく。八割程終わった辺りで、アリスの到着を告げる音が聞こえた。
「あ、いらっしゃい」
あたしは大声をあげ、ひとり階下へと降りて行く。アリスは玄関口で所在なげに立っていた。
「さ、とりあえず、上がってよ」
「うん」
三人で、部屋に座った。やりかけのあたしの宿題と、既に終わったジルのそれが、机の上に並んでいる。アリスがそれを見て、それから呟いた。
「終わってる」
「まあね」
ジルがつまらなそうに言った。それから、そんなことよりも、と話を誘導する。
「今日は上手く乗り越えられたけど、これからどうするよ。演技に忙しくて言い出すタイミングがなかったけどさ、昨日、とんでもない手掛かりが見付かったっぽいんだよね」
「そう。しかも魔法関係だよ。アリスなら何かわかるんじゃないかなって」
「え、と。何?」
単音の問い掛けに、ジルは呟いた。
「生き返り。その単語で、気を失うレベルに動揺した。絶対に手掛かりだよね」
アリスが目を瞠った。知っているのだ。
「何かわかるの」
あたしは叫び、思わずアリスに詰め寄る。アリスはうろたえながら、呟いた。
「え、嘘、でしょ」
あたしはその背をさすって彼女を落ち着ける。しばらく後に、彼女は目を閉じながら言った。
「今、お母さんたちが、秘密に研究してるの。誰も、関係者以外、知らないはずなのに」
あたしは、ジルと見合わせる。昨日、確かにママは言った。「今研究されている最先端の魔法に、生き返り魔法がある」と。ジルはそれを聞いて、意識を失う程に動揺した。
そしてそれは、アリスの両親によって、秘密裏に研究されているらしい。
「外には漏れていない知識なはずなのに、ママさん、それから記憶を失う前のあたしにも漏れてる、ってことになるのかな」
ジルが、ぽつりと漏らした。あたしはあっと叫ぶ。
「ねえ、それがもしかしたら、ジルが狙われた理由なのかもよ」
生き返り。隠されている秘密。それを暴いてしまったジルは、隠すために狙われた。
「ありえる、かも」
「違うと思う」
二人が、同時に言った。賛成してくれたジルが、反対したアリスに問う。
「なんで違うと思うの」
「だって、まだ全然、実用の段階にないんだもん。今その魔法を興味本位で唱えたら、沸騰して死ぬよ。そんな状態のものを知られても、痛くもなんともないし……しかも、ジルだけが狙われる理由もわからない」
「むう、そっか」
魔法研究に近いところにいるアリスにそう言われてしまうと、黙り込むしかない。
「でも、全く関係がない訳じゃない。あたし、初見では本当にびっくりしたんだもん。それこそ気を失う程にね。調べて損はない」
「だよね。何か、手掛かりはそこにある」
「それと」
とジルが強く言い切った。
「ママさんが知ってる理由も知りたい。それが何かのとっかかりになると思うから」
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