第8話 あなたの奥底には一体、何があるの?

  ○


 その言葉に嘘はなく、ジルは確かにその日の内に言語学を終えた。で、あたしよりも早寝してしまった。そして翌日、あたしが起きた時、まだ眠っていた。さすがに脳を酷使して疲れたのだろう。起こすのも忍びなくて、あたしは静かに自主練に向かった。

 それを終えて帰って来ても、ジルはまだ眠っていた。よっぽど疲れたのだろうか。うなされていることもあったから、少し心配で様子を見てみるけれど、うなされている風には見えなかった。

「ミリア、早くしなさい! ジルちゃんは疲れてるのよ、だから、そっとしておいてあげて」

「わかってるー!」

 あたしはジルをもう一度見やり、頷いた。大丈夫なはずだ。あたしは、リビングへと駆け出す。


 朝の用意を済ませ、あたしは学校へ向かった。ジルは結局、起き出しては来なかった。


「おはよ、アリス」

 歩いているアリスに、声を掛ける。

「あ、おはようミリア。ジル、どう?」

「寝てる。よっぽど勉強に疲れてたんだろうね」

「そっか。で、どこまで進んだの?」

「言語も算数も終わったっぽいよ」

 それを聞いて、アリスは、ため息を吐いた。呆れか、驚きか。

「さすが」

「ホントだよ」

 あたしもあたしで、尊敬半分に、呆れも半分だ。凄過ぎるものを前に、人間は言葉を失ってしまうらしい。

「あの才能の少しでも、あたしが欲しいよ、ホントにもう」

 アハハと、アリスが笑った。いや、笑いごとというか、本気ではあるんだけど。ま、いいか。あたしはううんと伸びをした。


 あたしたちが学校でできることはもう、特にない。当たり前の日常を過ごしただけだ。ただし、ひとつだけいつもと違うことがあった。ずっと待ち望んでいたのに、近頃のドタバタに押し流されて、意識の端にも上らなかった事柄。それを先生が口にした時、あたしの時間は、一瞬止まった。

「明後日から、魔法の実技練習を始めます」

 それを忘れていたあたしというものに衝撃を受けないではなかったが、やはりただただ、あたしを襲ったのは嬉しさだった。


「忘れてた! あたしとんでもないこと忘れてた!」

 そう言うあたしの顔に浮かんでいるのは笑みなのだから、アリスも戸惑っただろう。けれど、今のあたしを表現するとどうしてもそうなってしまう。忘却に対する後悔と、これからへの期待を込めた笑みと。

「そっか、魔法か……楽しみだな。アリス、どうせあたし、上手くやれないだろうから教えてね」

「え、そんなこと……ないよ」

「えー! そこは言い切ってよお」

 唇を尖らせ、それからぷっと吹き出した。しばらくそうしながら歩いていると、いつの間にか帰りの分かれ道を過ぎていた。

「あ、アリス今日来るんだ」

「うん。一応、どのぐらいできたのか興味あるし」

「ジルね。あたしもわかんないんだ、どこまで行ったのか。終わったとは聞いたけど」

 アリスは頷いた。きっと、テストをやるのだろう。そしてジルはそれを楽々合格する。そんな予感もあった。

「じゃ、行こう」

 あたしはアリスを促す。


  △


 既に太陽は空高く、窓から差し込む光があたしの目を瞼の上から射て、ようやくあたしは目を覚ました。既にかなりの時間が経ってしまっている。あたしは眠い目をこすりながらリビングへと向かった。

「おはよう……と言っても、誰もいないか」

 ミリアは学校、ママさんは仕事。あたしを待ってはいられないはずだ。テーブルの上に残された、冷めた料理を軽く火の魔法で炙って温める。なんとも情けないような魔法の使い方だけれど、日常生活を便利にできるのならそれを使って損はない。

 冷めたものを温め直しても、ママさんの料理は絶品だった。

 食べ終えて、口をゆすいで顔を洗い、それからできることは勉強ぐらい。けれど、算数も言語ももう完璧だし、魔法に関してもジルが持って来てくれた本はもう読み終わっている。教科書をぱらぱらとめくって復習しているうちに、だんだん飽きてきたあたしは、家の中にある本を探してみることにした。

 ミリアは絶対、本というものに縁がないタイプだ。生活の中に読書が入り込む隙がないと言った方が正しいか。でも、ママさんはどうなのだろう。料理が得意以上に、あたしは彼女について知らないのだ。もしかしたら、そういう本から何かしらママさんについてわかるかもしれない。趣味志向がわかれば、共同生活においても損はないはずだ。

 という訳で、ママさんの部屋に入り込む。綺麗に整頓された部屋の壁の内、一面が本棚になっていた。ベッドはそれと逆サイドに置かれている。本棚の手当はきちんとしてあって、日焼け防止の薄い布が被さっていた。あたしはそれをめくる。

 そして、息を呑んだ。

 これ、全部高等魔法の本だ。しかも、最先端の。

 その中身は、途轍もなく高度なはずだ。アリスは読んでいるかもしれないけれど、並の料理人が読んで理解できるような本ではなかったはず。どうして、ママさんがこんなに……?

 あたしはよろよろとミリアの部屋に戻って、さっきの光景を思い返し、情報を整理する。まださして出揃ってもいない情報を。そうしている内にあたしは、ことの異常性に気付いた。

 どうして、あたしはタイトルを見ただけで、中身を理解できたんだろう。

 決まってる。知ってたからだ。記憶を失う前のあたしは、この本の中身を知っていた。だから、わかった。そうとしか考えられない。

「ただいま」

 のんきな声が響く。そんな時間だったのか。あたしはお帰りと声を上げた。

 頭の中では、あの本たちの中身を知っているあたしというものが、正体のわからない状態で蠢いていた。


 どうしてか、それを言う気にはなれない。あたしは本当は、あの本棚の本の中身を知っているぐらいには、魔法が使えるという事実を。口に出してしまうと、違ってしまうような気がして。決定的な何かが、ミリアと違ってしまうような気がして、あたしはだんまりを決め込むことにした。

「今日は来たんだ、アリス」

「あ、うん……」

 相も変わらず消え入りそうに小さい声。アリスには、あの本を見せてみたい。きっと、喜んで、快活に騒ぐだろう。

「テスト、やるんだよね」

「そ。あたしじゃあんまり参考にならないから、アリスの。実はアリス、もう問題考えてるんだよね」

「まあ、うん」

「そうなんだ」

 感嘆を込めてそう言うと、アリスは縮こまってしまう。代わりにというように、ミリアが言った。

「どうする? すぐやる?」

「うん、そうする」

「わかった。じゃ、アリス、よろしくね」


 結論から言うと、アリスがわざわざ紙に書き出して作ってくれたこのテストは、簡単だった。ついこの間見たばかりの知識で、何が難しいのかすらよくわからないレベル。ミリアはそこそこ悩んだ上で八割とれたらしいが、あたしは簡単に満点を取った。

「凄いなホント。その学力ちょうだいよ」

 ミリアがそう、おどけて言う。

「まあ、とりあえずは大丈夫そうってことだ」

 あたしはひとまず安堵する。溶け込む、という最初の関門は、少なくとも学力面においてはクリアできそうだ。

「でも心配だな、ちょっとだけ」

「え、何が」

 あたしの問い掛けに、ミリアは眉をひそめた。

「どこの学校にもいるもんだよ、クラスの女王様タイプ。そこまでいろいろできると、目を付けられそうな気がして」

 なるほど、そういうことか。そういう面まではいかんともしがたいから、とりあえずは溶け込む努力だけはした方がいいだろうけれど、どの程度本気を出していいのやら。

「ま、何にせよ、ルミア、その女王様のことなんだけど、からはあたしたちで護るから。護られる必要があるかはわかんないけどさ、ジル強そうだし」

「ま、せいぜい気を付ける。忠告ありがと」

 あたしはとりあえず、それだけ言った。

「ところでさ、もうあたし、堂々と外を歩いても許されると思うんだけど。敵がどう出てくるかはともかく、街の関係ない人たちから既にいるって思われておかしくはないタイミングだよね」

「だと、思うけど……」

 アリスの声が小さい。けれど、あたしはその実、同意が欲しかっただけ。まだ駄目なんて意見が返ってくるのは、最初から考えてない。

「とりあえずさ、街、案内してよ。公園は特訓の時行ったけど、他あたし、全くわからないんだもん」

「あ、それいい」

 ミリアが声高らかに同意した。あたしは頷いて、それから立ち上がる。

「どうする? アリスが一緒にいるのはちょっと違和感あるかもしれないけど」

「あたしだけじゃ案内しきれる自信がないからあたしは来て欲しい」

 あたしの不安の言葉に対して、間髪入れずにミリアはアリスを誘う。その手を強く引き、立ち上がる。

「ほら、行こうよアリス。大丈夫、あたしとアリスが仲良しなのはみんな知ってることだもん。特別に誘ったって聞いて、扱いが変わることもないよ」

「あの、ちょっと……」

 強引なミリアに対する困惑の滲む声。ミリアははっと我に返り、言う。

「あ、嫌なら別にいいんだけどさ。ごめんね、押し過ぎちゃって」

「行くのは、いいけど……」

 彼女は、こくりと頷きながら言う。尻すぼみなその言葉は、恐らくきっと、後に何も続かない。断言を避けるような口調になってしまうだけなのだろう。彼女は実際、身支度を調え始めた。

「よかった。あたしひとりじゃ不安だったんだよね実は」

 心の底からの安堵が滲んだその顔に、あたしは思わず微笑んだ。


 ママさんに声を掛けて、あたしたちは街に出る。この街の景色に見覚えはなかった。この近辺に暮らしていたのだとしても、忘れてしまっているのだろう。

 穏やかな陽光に照らされ、うららかな春の気配を忍ばせた風がそっと髪を撫でた。あたしは思わず伸びをする。

 久しぶりの外出は、どことなく気分が踊る。それが見知らぬ街で、特に用がある訳でもないただの散歩となればなおさら。ミリアとアリスに従いながら、あたしは辺りを見回した。

 大通りに面して商店が並ぶ。八百屋に肉屋、魚屋などの食べ物屋で買い物をする主婦が目立った。その会話がこの通りに活気を与えている。

「あの肉屋さんで売ってるコロッケ、たまに買い食いしたりするんだ」

「へえ。あのママさんの料理が待ってるのに買い食いなんかするの」

「買い食いってのが楽しいの」

 率直な疑問だったのだけれど、ミリアは少し怒ったように言う。軽く頬を膨らませるそのポーズはしかし、大柄な体躯とはどことなく不釣り合いで、それもおかしくてあたしは笑う。

「ケンカしないで……」

 慌てたようにあたしたちの間に入るアリスに免じてという風に、ミリアはその矛先を引っ込めた。

「ま、おいしさが違うの。そりゃママの料理はおいしいけど、ああいう買い食いの楽しさを知らないんじゃまだまだね」

「じゃあさ」

 あたしはミリアを遮って、言った。

「おごってよ。あたし、お小遣いないし」

「うぐ」

 ミリアが声を詰まらせる。アリスが小さく笑った。

「あたしに教えてよ、買い食いの楽しさ」

「ほら、行くよ!」

 ミリアはあたしたちの手を引いて、肉屋をスルーした。引っ張る力の強さに半ば呆れながら、あたしたちはそれに逆らうことなく進む。


 大通りを抜け、あたしたちはまた別の通りに来ていた。店が点在するにも関わらず、静かな町並みがどことなく落ち着く雰囲気だ。

 いつの間にか、先導はアリスに切り替わっている。彼女はあたしたちを振り返りながら木立の並ぶその道を進んで行った。

「アリス、どこ行ってるの」

 ミリアの問い掛けに、アリスが答える。

「よく行く本屋さん」

 本屋。あたしは思わず身を固くする。さっき、あんな高等な本を見せつけられたばかりなのだ。もしかしたら、手掛かりがあるかもしれない。

 あたしのそんな心情など歯牙にも掛けないミリアは、笑って言った。

「好きだよね、本」

「まあね。図書館もあるけど、ミリアの家からなら本屋さんの方が近いから」

 これはどうやら、あたしに向けた言葉らしい。それであたしはハッとする。

「あ、そうなんだ。図書館も今度行ってみたいな」

 あれを知っているあたしは、きっと本から手掛かりを得られる。そんな確信があった。だから、そう言う。アリスの顔が、見る間に微笑みに塗り替えられていく。

「やっぱり、ジルも本が好きなんだ」

「たぶん、だけどね。記憶ないし」

 あたしは苦笑してみせる。だけど、たぶんそうなのだろう。


 その期待はしかし、裏切られた。あたしはどうやら本好きではないらしい。ミリアが手持ちぶさたにしているのにも構わず書店を物色するアリスを見ながら、あたしはママさんの部屋にあった本が一冊でも置いていないか探す。それだけの作業が、どことなくしんどい。

 本を見ると義務感に襲われる、というのが正解だろうか。そんな感じだ。パラパラと魔法の本――ママさんの部屋にある程のレベルのものではない――をめくっているだけで義務感に近い何かが湧き上がってきて、たぶん純粋には楽しめない。そんな気がしてしまう。

 勉強している時からその傾向はあったはずだけれど、自覚したのが今だった。読んで理解することは容易でも、それを楽しめるかというと、また別だ。

「ジル、暗い顔してどうしたの」

「なんでもない」

 少し心配そうな声音のミリアにあたしはそう返す。別に、問題がある訳ではない。

 それに、収穫もある。ママさんの部屋にあるような本は、アリスが行くような書店にも置いていない。ミリアは気付いていないようだけれど、これはかなり、異常なことだ。

「ねえアリス」

「どうしたの」

「魔法の本は、ここで買う?」

「え……いや、別に。家にたくさんあるし……」

 アリスの親は、それが仕事だから当たり前、か。

「じゃあ、ここ以外の本屋さんって、この近くにある?」

「ない、と思うけど、どうしたの」

 怪訝そうな表情を浮かべるアリスに、なんでもないと答えた。

「大丈夫、なんでもないから」

「ごめんね、ここじゃ本、足りなかった?」

「大丈夫だって、何も問題はないよ」

 気落ちしてしまったアリスを励ますのに、しばらく時間が掛かってしまった。


  ○


 そうこうしている内に、もう夕方だった。アリスと別れ、あたしはジルと歩く。彼女の歩幅はゆっくりで、その表情は、どこかすっきりとしないものがある。

「ねえ、なんか変だよジル。どうしたのって」

「ああ、いや、今になってちょっと緊張しちゃってさ。明日から、大丈夫かなって」

 ジルでもそんな風に思うのだと聞いて、少し笑ってしまった。

「絶対大丈夫だってば。ジルなら、心配ないよ」

「それどういう意味よ」

「だって、ジル凄いもん」

 本心だ。ジルはもう、凄い。きっとこれから、記憶が戻ってお別れまでの時間、ジルはクラスでもトップクラスによくできる生徒になる。性格だって引っ込み思案ではないし、溶け込めないはずがない。

「あ、ありがとう」

 無愛想に、それでも彼女は確かに微笑んだ。


「ただいま」

 二人の声が重なる。ママがお帰りと声を上げた。

「そろそろごはんができるから、準備しなさい」

「はーい」

 テーブルを片付け、そして盛りつけられた料理をそちらへ運んでいく。おいしそうな匂いが鼻をくすぐった。

「やっぱりさ」とジルが言う。

「買い食いよりもおいしそうだよ」

「まあね」

 あたしは胸を張って言った。

 単純に味を比べるなら普通にママの勝ちだと思っている。買い食いは買い食いであるという事実によってその価値を高めているけれど、ママの料理はそんなもの抜きで本当においしいのだ。たぶん、幸せなことなんだと思う。

「ごちそうさま」

「早いよやっぱりミリアって」

「まあね。お風呂洗ってくる」

 あたしは立ち上がった。


  ◇


 絶品料理を頬張っていると、ママさんが突然言った。

「ありがとうね」

「え、どうしたんですか」

 問い返すと、ママさんは微笑んで言う。

「あの子、あなたが来てからいきいきしてて、楽しそうなんだもの」

 何も言えない。反応に困るというか。

「ごめんなさい、困るよね」

「あ、いやその、ミリアって、あたしがいなくてもいきいきしてるんじゃないかなって。変わらずに楽しんでそうなんですけど」

「うん、でもやっぱり、家にひとりでいる時も多かったから」

 あ、と声が漏れた。そうだ。いくらママさんが自宅で働いているとはいえ、働いている間はそうそう気を掛けてはあげられないのだろう。

「あたしが来てからは、それもない、か」

「そういうこと。だから、感謝してるの。なんて、気が早いけどね。まだ来て数日だし、しかもジルちゃんは記憶をなくしてるんだから、それどころじゃないんだろうけど」

「まあ、そうですね。でも、記憶がないから楽しんじゃいけないって決まりはないですし、あたしも楽しいならその方がいいです」

 ママさんはそれを聞いて、微笑んだ。

 ちらりと、あの本棚が脳裏をよぎる。普通は手に入れられないような高度な魔法の本を何冊も持っている彼女。その事実と、今目の前の娘を想う故の微笑みは、少し食い違うような気がした。別に魔法使いが子を思いやらない道理はないけれど、それでも感じる。

 今の彼女は、魔法使いではない。一介の、働きながら女手ひとつで娘を育てる母親だ。

 そしてそれは恐らく、ミリアにとっても幸福なのだと思う。彼女はまだ、魔法を知らないようだから。


  ○


 戻ってきてみると、なんだかしんみりした雰囲気が漂っている。どうしたのと聞いてみるけれど、二人とも答えてくれない。意味がわからないけれど、こういうことを気にせずに切り替えられるのがあたしのいい所だと自分では思っている。だから、あたしは話題を切り替えて言った。

「ところで、お風呂に火をつけて欲しいんだけど」

 立ち上がり掛けたママを制して、ジルがお風呂に向かった。それで、ジルはもう魔法が使えるんだよね、という思考に至り、そして思い出した。

「そう、明後日から魔法が始まるの」

 ビックリマークを何個も付ける勢いであたしは言う。ママは、そう、とだけ言った。

「それで、何かいるものってあるの」

「特にないはずだよ。簡単な魔法やるだけだし」

「わかった」

「え、魔法やるの」

 戻ってきたジルがそう尋ねる声を聞く。あたしは振り返って言った。

「うん。明後日からなんだ。ジルには簡単かもだけど、一応まだ学校では習ってないの、何も。あたしもやってないしね」

「そうなんだ」

 言いながら、ジルは席に着く。

「そうよ。魔法は難しいもの。それに、あまり使いすぎると、体温が上昇し過ぎて死に至ることもあるからね。その辺りの注意もすると思う」

 ママが口を挟み、それからふっと微笑む。

「まあ、小学校じゃ体温がそう何度も上がるような凄い魔法は教えないから、心配しないでいいよ」

「心配なんてしてないもん」

「じゃあ、その体温が何度も上がるような魔法ってどんなのですか」

 ジルの声色が、少しだけ鋭くなったような気がした。

「どうしたの、急に」

「いえ、ちょっと気になって」

「まあ、難しい魔法ならいっぱいあるかな。今研究されてる最先端だと、生き返り魔法なんかは唱えただけで体そのものが沸騰しちゃうぐらいに凄いものよ」

 ママの解答を聞いたジルは、そのまま目を大きく見開くと、え、と声を漏らした。

「そ、それ……」

「詳しくはわからない……って、だ、大丈夫?」

 慌てたようにママが問う。ジルは、何も答えない。

「ジル大丈夫っ?」

 あたしはそう叫び、弾かれたように立ち上がると、ジルに駆け寄った。その体は、細かく震えている。顔に脂汗が滲ませて、彼女はうめく。

 ママが目を閉ざした。それからなにやら一心不乱に念じる。あたしはその間、ジルの背をさする。ジルの震えは、消えない。

 どうしたのよ、急に。何がそんなに恐いの? ジル、あなたの奥底には一体、何があるの?

 無言のうちに、あたしの中ではそんな問いだけがぐるぐる回っていた。

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