第5話 お姉ちゃんはどこ?

  ◆


 あの日。住み慣れた家が火の海と化した、あの日。俺はその日、友達の家に泊まっていた。だから、そのことを知ったのは、火事を知らせる警報の音を聞いて、しばらく経ってからだった。

「ニール君!」

 その友達の親が、俺に向けてそう叫んだ。その悲愴な顔と声は、それだけで俺に異常を知らせた。そして、中身を聞く前から、警報とそれを結びつけていた。

「嘘……だろ?」

 そう叫んで俺はその家を飛び出し、自らの家の方へと駆けて行った。

 そこには、燃えさかる家と、何組かの見知った家族、それから泣きじゃくるラーニャがいた。

「お母さん、お父さん」

 涙に滲むその声を聞いた時、俺は崩れ落ちた。まだ、中にいるのだ。そしてそれは、ほとんどそのまま、二人はもう生きてはいまいという事実に直結している。もう、助け出しなんて、できない。一介の中学生でしかない俺には、もう。

「なんで」

 呆然と呟く。なんで、俺たちなんだ。なんで、なんで。

 それから、俺はラーニャを抱き寄せた。ごめん。傍にいられなくて、ごめん。そう、うわごとのように繰り返す。ラーニャはひたすらに泣き続ける。俺は、涙すら出なかった。あまりの衝撃に、それすら、俺には許されていなかった。

 熱風が肌を焦がす。ああ、と思った。綺麗だ。それは虚しい現実逃避。それでも俺の思考は、現実を離れ、ただただひたすらに炎の美しさに見とれていた。家を呑み込み、自らの力へと変じていく。崩れ落ちる家。煌々と照り輝く、真っ赤な炎。


 その光景はたぶん、一生俺の中から消えては行かないだろう。あの暴力的なまでの美しさは、いつまでも俺の心の奥底に古傷として残り、うずき続ける。


  ◆


 あの後、誰かに声を掛けられ、俺は正気を取り戻す。その声の主が、その少女だった。不安げなその声は、俺はおろかラーニャよりもさらにあどけなかった。

「あの子が」

 呆然と呟いた。先輩の目は、興味深そうに輝いた。

「知ってるのか」

「はい。……ラーニャと一緒に、助かった子なので」


  ◆


「お姉ちゃんはどこ?」

 何が起きたのかすらまだ把握できないのだろう。恐ろしい思いをしたはずだけれど、彼女の顔は、驚く程に平然としていた。

 その声を聞いて、俺ははっと我に返る。炎からラーニャたちを引き離さないと。それだけを考えながら、俺は泣きじゃくるラーニャと、その少女の手を引いて、火事場から離れた。父さんと母さんのことは心配だが、目の前のラーニャに危険が及ぶことがあってはならない。

「ラーニャ、それから……君も、大丈夫だった?」

「うん」

 答えたのは、少女の方だ。ラーニャはまだ、泣いている。俺はその背を強くさすりながら、少女の方を向いた。

 お隣さんの娘さん。小学校にすらまだ入学できない年頃だった。だから、恐怖体験に記憶が混濁しているのだろう。

「お姉ちゃんはどこ?」

 この発言はきっと、そういうことだ。彼女に姉はいない。強いて言うなら隣に暮らすラーニャがお姉ちゃんにあたると言えなくもないが、それだって今、隣にいる。それでも再度、そう繰り返した少女に、俺は返す。

「ラーニャお姉ちゃんはここにいるよ。大丈夫」

「違うの。お姉ちゃんはどこ?」

 何度も彼女は、そう問うた。はぐらかすのには苦労したものだった。


 数時間後、火は消し止められた。俺たちの両親は、焼け跡から遺体で見付かった。少女の両親は、幸いにも逃げ延びたらしい。

 俺とラーニャは、それからその少女とは会っていない。国が支給してくれた新たな家が、彼女の家から離れたから。お互いにそう遠くへは越していないはずなのに、なんならこの辺だというなら近所と言っても過言ではないのに、お隣という関係がなければ、俺たちとその少女の間に接点なんてなかった。


 今日、この瞬間までは。


  ◆


「なるほどね」

「だから、びっくりですよ。よりにもよって今、その名前を聞くなんて」

 先輩は腕を組んだ。

「その少女は幼少期、火事に巻き込まれている、か」

「でもだからといって、何かそれが関係あるんですか?」

 もしそうなら、と俺は身震いする。だって、ラーニャもだから。その火事から逃げ延びたラーニャが狙われない理由は、どこにもない。

 先輩は肩をすくめ、「さあね」と言って笑った。

「共通点が見当たらないだろ? 些細なことでも気になるの」

「ああ、なるほど」

 現実には恐らく、それは関係ないのだろう。それでも確かに、特異点であることにかわりはなかった。


 そこからは情報収集だった。本人の家族にも、俺が聞き込みを行った。あの時一緒に生き延びたラーニャの兄だと言えば、彼女の両親も打ち解けてくれたようで、聞けばなんでも話してくれた。そこから得られた情報といえば、彼女は普通の、どこにでもいる小学校低学年だということぐらいだけれど。怪しい夜の出歩き等も一切ない、ただの女子。狙われる理由もわからなかった。

「憤りをどこにぶつければいいのかすらもわからない、って現状は、かなり辛いものがあるのね」

 そういって彼女の母親はため息を吐く。「なんだか、ひょっこりと帰って来そうに思うの。ママごめん、友達の家に泊まってて、なんて言いながら。今あたし、夢を見てるんじゃないかって、そんな風に」

 現実感のなさ。それは確かにそうだろう。俺もそうだった。消えてしまった、という悲しみはたぶん、もうしばらくしてから襲ってくる。ここからは推測だけど、犯人に対する怒りは、そのもっと後だ。

 この反応から、狂言という説はなさそうだと思えた。

「ありがとうございました。助けられるかはわかりません。だけど、全力を尽くします」

「頑張ってね。ニール君」

「はい」

 母親に別れを告げて、俺は先輩と合流する。話からわかったことを伝えると、彼はううむと唸った。

「まったく、またわかんなくなってきたな。共通項がなさ過ぎる」

 彼は頭を掻く。他の事件を知らない俺は、なんとも言えずに黙りこくるしかない。

「ありがとな、ニール。いてくれてよかったよ」

「どういたしまして。次は何をやります?」

「目撃者がいないか聞き込む。もちろんそれで見付かるようなずさんなやり口だったらとっくのとうに俺以外の誰かにやられてるだろうけどな」

 ため息交じりに、彼はそう言った。


 聞き込み作業をしていると、俺は知った顔を見た気がした。あれ、と違和感を覚えたが、その顔を認識するまでの短い間に、それは消えていた。

「どうかしたか?」

「ああいや、なんでもないです」

「そうか。ま、行こうぜ」

「ですね」

 何か当たりがあるとは到底思えない、けれどそれでも誰かがやらないといけない作業。

 結局その日は夕方まで聞き込みを行い、そして何も収穫はなかった。

 先輩と別れ家へと向かう帰り道、俺はラーニャが何人かの友達と遊んでいるとこに出くわした。ラーニャはそれを見付けてすぐに、友達に別れを告げながら俺の方へと掛けだして来る。

「それじゃあね!」

 友達もラーニャに向けて別れを叫ぶ。それからラーニャは、こちらを向いて、「お疲れ様」と微笑んだ。

「サンキュ」

「さあて、あたしも帰ったら頑張りますかあ。あれ、お兄ちゃん、どうしたの? 浮かない顔して」

 覗き込んでくるラーニャの視線に、俺はふと漏らした。守秘義務がある訳でもないし、家族になら問題はないだろう。

「いやさ、覚えてるか? ……あの前の、お隣さん」

「え、あんまり覚えてないな。どうしたの?」

「あの時、ラーニャと一緒に助かった子がいるだろ? その子が、失踪した」

「あ、あの子が」

 ラーニャがうつむいてしまった。記憶を呼び起こしてしまったらしい。俺は慌てて話題を変えた。

「さ、とりあえず今日の飯はハンバーグだ」

「うん」

「それじゃ、帰ろうぜ。急いで」

 ラーニャはこくりと頷くと、それからポツリポツリと学校の話が溢れ出す。俺はそれに、微笑みながら答えて行った。

「そういやこの間、急に雨が降ってさ。そしたらゾーイ、慌ててあたし連れて、公園の木の下に行ったんだ。ここなら雨が降らないって」

「へえ」

「それがホントだったのよ。もう、びっくりしちゃった」

「雷が鳴ってない時だけにしろよ? 木に向けて落ちてくるんだから、雷ってのは」

「はーい」

 こんな他愛のない話をしているその内に、火事の記憶は薄れて行く。


  ◆


 それからは、その事件に関して俺が調べることもなかった。俺みたいな凡人にも対処できるような事件を解決し、それから普通に料理を作って、ラーニャと食べる。そんな日常を過ごす内に、次第に俺の記憶の中から違和感は消えて行った。

 そんな折、再び事件は起こった。

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