1章 邂逅
第1話 あなたって、記憶ない?
●
瞳から透き通った雫が零れ落ちる。私のその手は、産声をあげない娘の手に触れていた。精気を感じさせない、冷たい掌。それが辛くて、涙は止まらない。
うつるような病気ではない。そもそも、病気ですらない。これが医者の診断だった。娘を襲ったものは、そういうものだった。
私は知っている。これが何で、そして。
決してどうにかできるものではない、ということを。
魔力の過多は、人体に悪影響を及ぼす。娘は、どうしようもないのだ。ただ、死を待つのみ。
ごめんなさい、本当に、ごめんなさい。健康に産んであげられなくて、ごめんなさい。
「泣くな」
夫が、力強く言い切った。
「この子にも、伝わるかもしれないから」
私は、うつむくことしかできなかった。夫の言葉は正論だけど、どこかズレている。違うの、と言いたかった。
私が悪いの。私が悪いの。この子は、産まれたばかりのこの子は、でももう一年も生きられない。それは変えられない。あなたには、断罪して欲しいの。私が欲しいのは、そんな言葉じゃない。
この子をキチンと産んであげられなかった私を、裁いて欲しいの。
そんな自己中心的な言葉、言えるはずもないのだけれど。
〇
アリスが、弾かれているようだった。仕方ない面はある。彼女は魔法ができ過ぎる。それが、ルミアの気に入らないのだ。クラスが始まって数日、もう出来上がりつつあるランク差に辟易しながら、あたしは彼女に話し掛ける。
「アリス、大丈夫?」
ハブ、いわゆる仲間外れ。単純な無視ぐらいしかしてこないのが幸いだと言えなくもないが、やられる方はたまったもんじゃない。
「まあ、ね」
彼女も彼女で、もっと強く言い返せないのだろうか。あたしは、ルミアたちを睨め付ける。ルミアは、何事もないかのように、友達と談笑していた。
「ごめんなミリア、あいつ」
「ああ、いいよフーム」
ルミアの彼氏であるフームは、いわゆるクラスのリーダー格な男子だ。運動が得意で、同じく運動を得意とするあたしとは、出席番号が一違いだということもあり、まだ出会って数日だけれど、すぐに友達として親しくなった。それもルミアの気に入らないのだろう。同じ女子の目から見れば、わかり過ぎる程に彼女はそれを不快に感じている。
フームが、それでもルミアを特別扱いしてくれるから、あたしたちは過度な面倒に巻き込まれずに済んでいる。後、あたしには今の所付け入る隙がないということも何も起こらない要因だろう。
まあつまるところ、ルミアはクラスのお姫様。ヒエラルキーという言葉を使っていいのなら、その頂点の立っているのは、間違いなく彼女だ。すらりと高い背に、腰まで届くような長い金髪は、元々美形な彼女を殊更に引き立てる。成績もいいし、性格さえきつくなければ本当に非の打ちどころがない。
「ま、悪い奴じゃないから、わかってやってくれ」
曖昧に頷く。わかってないのはどっちだと言いたい。あたしはバカだけど、そういうことはすぐ気付く。嫌われていることには、人間すぐ気付くものだ。好かれていることからは遠ざけられているけれど。
「う」
と言語にならないような返事をして、気弱なアリスを励ましに戻った。
帰りの会では、先生がいつもに比べて少しだけ真剣な面持ちをしていた。それに気付いたのはアリスだ。あたしは、友達とおしゃべりしていた。
クラスは、戦士を育成するコース。五年から学者だったりだったり戦士だったりとある程度の方向性が分けられる。もちろん変わることも多く、だからこそ共通の授業がまだほとんどなのだが、それでも希望と適正を見てある程度は分けられ、それに定められた通りの道を進む人が多いという。
戦士コースは、よそと違い、明らかに女子の比率が少なかった。ルミアに外されている子と仲良くしている女子、つまりあたしと仲良くしてくれる女子は、ほとんどいないも同然だ。だからあたしの友達は、たいてい男子だ。運動能力でやって来たあたしは、男子とドッジボールだってできる。それが、幸いだった。少ない数の女子から無視されても、ダメージは少ない。
長々と語って来たが、だから話していた友達というのは、男子だ。彼がふざけ調子に笑っていると、アリスがあたしの袖を引き、「先生が真面目な顔してる。あんまやってるとキレられるよ」と耳打ちして来た。それを受け、あたしたちは会話を切り上げる。まだざわめきは残っていたが、声の大きいあたしたちの会話が終わったことで、みんなも先生の表情に気が付いたらしい。ちゃっかり、アリスがクラスを黙らせたようなものだ。
皆が黙って、着席したのを確認し、先生が話し始める。
「えー、みなさん。最近、この辺を騒がしている連続失踪ですが、ついに、校区の中でも被害が起こったようです」
ざわめきが蘇る。先生が、手を打ち鳴らした。
「はい静かに! みなさんも、夜はひとりで出歩かないように、遊ぶ時とかもひとりにならないように、気をつけましょう」
通り一遍の忠告。しかし、なまじ戦闘スキルを持ったあたしたちには、さらに言葉が続けられる。
「決して、自分が犯人を捜し出そう、だなんてことは考えてはいけません。いずれはそういう調査もしなければならないでしょうが、まだあなたたちには危険過ぎます。絶対に、しないでください」
ちらほらと返事が上がる。それを確認すると、先生は明日以降の連絡を話し始めた。明日の時間割に変更はないだの、持って来るべきものはなんだの。それを連絡帳に書き取ってから、帰りの会は終了になった。
「怖いな、連続失踪って」
帰り道、あたしはアリスと並んで歩く。遊んでいる男子もいるけれど、あたしはあまり、放課後は遊ばない。宿題に時間がかかるってのもあるし、それにあたしはこの時間、既に疲れている。朝から剣の練習をしているあたしは、そう何時間もぶっ通しでは遊べない。結果、家が同じ方角のアリスとは、よく一緒に帰ることになる。今日もまた、そうやって歩いているのだ。
不意に彼女が言ったのは、その道中。あたしは、彼女を見やる。
「まあね。だけど、あたしたちなら大丈夫でしょ」
ニコリと微笑んだ。アリスは、魔法が上手い。控えめな性格故に叩かれる対象となっているが、その技術は筋金入りだ。一方で、あたしは剣が上手い。それこそ、剣道の全国大会で銀賞を取る程に。金賞を取った男子にも、もう少し早く動けていれば勝てただけに、悔しい思いをしたものだ。
あたしとアリスは、互いの不得手な部分を互いに補い合う関係性。あたしに足りない頭は彼女が持ってるし、行動力とか勇敢さとかはあたしだけが持っている。アリスと出会って仲良くなるにつれて、こう思ったものだ。「ああ、あたしはアリスと出会うために生まれて来たんだ」と。
二人で助け合えば、大人でも太刀打ちできない。そうあたしは思っている。そのあたしのうぬぼれを止めてくれるのもまた、アリスなのだけれど。
「そんなことない。犯人は、強いよ」
彼女は、強く言い切った。それでもあたしは信じている。アリスの魔法とあたしの剣が合わされば、犯人にだって勝てる。どんな運命だって、切り開いて行ける。
△
まず襲って来たのは、鈍い痛みだった。頭の中に、重い金属の塊が沈んでいる。ぼんやりとした意識が、次第に体の痛みを認識し始める。途端にあたしは、激痛の渦に落とされた。思わず叫びが漏れる。意識を手放してしまえれば楽なのに、さっきまで散々眠っていたからか、痛みは徐々に意識を明確にしていく。痛いのは、体中。歯を食いしばり、閉ざされたままの目をさらに固く瞑る。そうしなければ、到底耐えられそうにない。
「大丈夫っ?」
その声が聞こえたのは、ほとんどすぐのことだった。
〇
何やらうめき声が聞こえて、あたしたちは会話を中断した。そちらへ向かうと、ひとりの少女が倒れているのが見えた。慌てて駆け寄り、辺りを見回す。誰もいない。彼女は体から血を流していた。
「大丈夫っ?」
あたしは声を掛ける。少女は、苦しげに息を荒げる。服を脱がすと、体中に傷跡が残っていた。火傷だろうか。あたしには、詳しいことなんてわからなかった。あたしはアリスを見やる。こういうことは、アリスだ。
「ミリア、落ち着いてるよね」
「取りあえず。あたしは、何をすればいい?」
「ちょっと待ってて」
そう言って、アリスはゆっくりと目を閉ざす。それから、かがみ込み、少女にゆっくりと手を触れた。
△
冷たい手があたしに触れ、その体温が上昇するにつれ、あたしの体も次第に温まり、そして痛みが消えていく。
これは、ヒーリング魔法だろうか。そう考えた時、触れる手は離れる。
「これで大丈夫だよ、ミリア」
「さすがアリス」
痛みが引き、ようやく他の感覚が戻って来た。視界に光が差し込み、恐る恐る目を見開くと、二人の少女がいた。ひとりは大柄で、快活な雰囲気を醸し出している。もう片方は、少しばかり心配になる程線が細かった。恐らく、こちらが魔法を使った方だろう。
あれ、と思う。
どこかで会ったことある?
けれど、そんな疑念はすぐに消え去ることになる。
「大丈夫?」
ミリアだと思われる大柄な少女が、あたしにそう呼び掛けた。さっきの声は、こちらの方だ。
「うん。すっかり治った。ありがとう」
「お礼ならアリスに……あ、こっちの子に言ってよ」
あたしは、アリスに向けて頭を下げる。彼女は照れたように微笑みを返して来た。ミリアが続けて言う。
「あたしはミリア。小五だよ。で、こっちがアリス。あなたは?」
単純な問い掛け。けれど、答えようとして、自分の中にはそれに答えるための語彙がないことに気が付く。
あたしの名前、なんだっけ。
慌てて記憶の引き出しを開けて行く。それでも、あたしが何者なのか、その答えに繋がりそうな手掛かりは何ひとつなかった。
どうして。半狂乱になりながら、引き出しを開ける、開ける。
「ねえ、もしかして、だけどさ。
――あなたって、記憶ない?」
アリスが問い掛ける。あたしはそれに、茫然と頷いていた。
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