初デート【中編】

 本屋を出ると、次の目的地であるドラッグストアに向かうためにエスカレーターを目指す。やはり、高校生が多く、自分の学校の生徒のほかにも、他校の生徒も多く目に入った。予想通りミツキに視線が集中して、そのあと僕に投げかける視線は、お前は彼氏か、というものだろう。まさか、このかわいい子が花神楽美月はなかぐらみつきとは誰も思ってはいないだろうが、こんなかわいい子と倉美月春夜くらみつきしゅんやが歩いているという噂が流れないことを願う。


 倉美月くん、昨日一緒に歩いていた人は彼女ですか。違います。違くないです、写真撮りました、はい共有。————っていうのはやめて。



「あそこはなんなのですか?」



 ミツキが指差した場所は、フードコートである。ああ、そこはゾンビの群生地、いや聖地だ。レストランと違って席はどこに座ろうが、誰と座ろうが、どこに椅子を移動しようが自由なのだから、僕たちは恰好の餌食となってしまう。

 僕とミツキを一周するように椅子に座るゾンビたちが今か、今かと、よだれを垂らしてミツキを狙っている。僕がライフルで一匹仕留めている間に、残りのゾンビがミツキを食い散らかす。僕はその凄惨な光景を目の当たりにして、一言呟く。だからフードコートはやめておけと言ったのに、と。



「フードコートといって、ファーストフードとかを自由に食べ……」


「行ってみたいですっ!!」



 言うと思った。絶対に避けなければいけないのに、なぜこんなところにフードコートなんていう餌場を設けたイオン。僕が席を立った瞬間を見計らって、アイスクリームを食べているミツキの姿を見た魔王の手下が拉致しようと、飛んで来たらどうするの。ああ怖い。



「ええっと。危険区域だけど、大丈夫かな?」


「シュン君が守ってくれるのですよね?」


「いや、あの高校生の群衆は危険だと思うけど」



 ミツキの表情が少しだけ曇った気がした。わたしショッピングモールに来るのはじめてなんです、と言うミツキの言葉が自然と脳内を駆け巡って、喉元に降りて来たときには僕の中で反芻していた。そして、週刊誌の記事が頭をよぎる。


 少しでもミツキが楽しい時間を過ごすことがそんなに悪いことなの?

 倉美月春夜はどうだったの?

 特別扱いされたかったの?

 今でも、みんなと一緒に溶け込みたいんでしょ?



 心の外側にオブラートに包んだ優しく無責任な言葉を置いていかないで。

 薄く触れれば壊れてしまいそうなビードロを扱うように接しないで。



「やはり難しいでしょうか」


「いや、行ってみよう。きっと大丈夫だよ!」


「いいのですか!? 嬉しい!!」



 恐る恐るフードコート内に侵入すると、群がる高校生たちが僕たちを一瞥していく。まるで自分たちの縄張りに入ってきた獲物に舌なめずりをして狙うように。視線を掻い潜りながら抜けた先には、大パノラマのように広がるお店が、手招きをするように誘っている。

 肉の焼ける香ばしいにおいのステーキ屋や、ソースが塗られたたこやき、色鮮やかで思わずスマホを向けたくなるタピオカ、季節限定のシェイクが気になるハンバーガーのお店、全部試したくなるスムージー専門店。



「こ、ここはオアシスですか!!」



 何をどう見たらオアシスになるのか理解不能であったが、小腹が空いた僕たちにとって、目移りすることは確かだ。



「何食べたいの?」


「食べたことがないものばかりです。フォーティーワンアイスクリームも食べてみたいし、タピオカだって飲んでみたいです。あ、ドーナツもこうやって売っているのですね!」



 結局、悩みに悩んでミツキが選んだのは、アイスクリームとタピオカだった。ドーナツは、大量に買い込んで持ち帰ることにした。フォーティーワンアイスクリームを食べるのは、実は僕も初めてだったりする。ダンスをしていたころは、身体を作ることに集中をしていて食べたことがなかったし、ダンスをしなくなった今は、運動ができないから食べようとは思わなかった。決してストイックではないのだけれど、気持ちがアイスクリームに向かなかっただけである。おいしいとは聞いていたけれど。



「なんですかこのおいしさ。こんなにおいしいなんて、ずるいです!」



 なにが反則なのか不明であったが、アイスクリームを食べてとろけるような笑顔に、僕も頬が綻んだ。今頃気付いたのだが、これはデートというものなのではないだろうか。こんなところで、アイドルとデートするとは、人生何が起こるか分からない。



 シュン君のアイスはどんな味なのですか。少しだけもらっていいですか。わあおいしい。わたしのもどうぞ。え、食べていいですよ。ね、おいしいでしょ。


 って間接キスじゃないか。間接キスっていうのは、口と口が重ならないだけで、キスに変わりはないのだろうか。これがファースト間接キスの味。うん、抹茶とストロベリーの中間の味。ああ、アイスだから一瞬でなくなっちゃう。ほろ苦くて甘酸っぱいんだね。キスって。



「僕もはじめて食べたけれど、すごくおいしいんだね。ミツキちゃんと一緒に来なかったら一生食べなかったかも」


「じゃあ、お互い初体験ですね!」



 ああ、僕は発狂してしまうかもしれない。薄い桃色の唇の中に吸われていく氷菓は、今どんな気持ちなのだろう。嬉しいのかな。彼女の唇はどんな感触なのだろう。柔らかいのかな。


 僕はそんなミツキの顔を見て、自分がどんな表情をしているのだろうと気になった。彼女は僕をどう思っているのだろう。そう思うと、少しだけ胸の奥が締まる気がした。この時間が永遠に続けばいいのに、なんてどこかの恋愛小説みたいな語彙しか出てこないけど、そんなことを本当に思う日が来るなんて嘘みたい。まるで僕たちの周りの目がどうでもよくなるくらい、甘くて苦くて、少し……切なくて。



「そうだね。初体験はすごく甘いけど、おいしかった」


 食べ終わったカップを捨てに行くと、僕たちをチラチラと見る女子高校生が気になった。明らかに訝しんでいる。もしかしたら花神楽美月とバレてしまったのかもしれないし、ただかわいい子がいると思っているだけなのかもしれない。しかし、明らかに視線は僕とミツキに向いていて、取って食おうとしているのだとしたら、ミツキが危険だ。今すぐ武器を持て、構えろ、引き金を引け!



「あの、すいません」



 突然、声を掛けられたのは僕の方だった。はい、と振り向く。やはり先ほどからチラ見している女子高生だった。制服からすると、うちの高校ではなく、隣町の高校の生徒のようだ。長いブラウンの髪の毛が編み込まれていて、制服姿ではあるものの相当な威圧感がある。これが俗に言う、ヤ、ヤンキーというものなのか。さすが茨城。



「倉美月春夜さん……ですよね?」



 なぜ僕の名前を知っているのか。僕はそこまで有名人ではないはずなのに。まさか、ミツキよりも僕の肉のほうがおいしそうだとか思っていないよね。怖いよ。



「そう……ですけれど」


「隣にいる方は彼女ですか? もしそうだとしたら、すごくショックなんですけど」


「はあ!?」



 思わず僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。僕の想像していた言葉とはだいぶ違うものだったから。普通、逆だろう。


 花神楽美月さんですか? 隣にいるのは彼氏ですか? もしそうだとしたらショックです、と。



「あたし、倉美月春夜さんのファンです! 今でも。春夜さんのダンス好きです。あたしもダンスやっているんですけど、目標にしていました。だから、もし、また踊れることがあれば、応援しています! がんばってください」



 僕は思わずおののいた。まさかそんなことを言ってくる人が未だにいるなんて信じられなかった。俯いて何も言えなかった。どう返したらいいのか分からない。なんで絶滅していないの。僕なんて今や、ミジンコ以下の存在なのに。


 ありがとう。応援よろしくね。僕もまたダンスしたいな。イベントで会うの楽しみだね。君はどんなダンスをやっているの。今度見せてよ。応援するからさ。



 どの言葉も口から出ることはなく、ただ頭の中から喉元にかけてを行ったり来たりするだけで、冷や汗だけが滴っていた。唇が震えて、過呼吸気味な気管支がうまく働かない。酸素と二酸化炭素が交互に口腔内で入り乱れて、思わず倒れそうになる。頭が真っ白。血の気が引く。今すぐ踵を返して逃げ出したい。ミツキごめん、秒で逃げるよ。



「彼は、倉美月春夜は、絶対に復活します! だから応援してあげてください! よろしくお願いしますっ!」



 ミツキが大きく声を張り上げて、深々と頭を下げている。呆気に取られた女子高生は、瞬きを繰り返すだけで、僕よりもミツキのことが気になった様子だ。顔を上げたミツキを見て、女子高生はゆっくりと頷く。



「ショックなんて言ってごめん。春夜さんの力になってくれる人だったんだね。こんな彼女がいるなら、春夜さんも復活が早いかも。なんて」



 ヤンキーだと思っていた女子高生はすこしだけ、はにかんだ。そうか、僕がダンスもやらずに女にかまけていたと思っていたのか。それでショック、と。そういう風に見られているとは思いもよらなかった。この女子高生は、本当に僕のことを見ていてくれたんだ。僕のことをこうして、今でも応援してくれる人がいるという事実は、本当につらい。



「ふふ。そうですね。きっとシュン君は復活します。だから、見捨てないでくださいね」



 代弁するミツキを横目に、一言も話せない自分が悔しかった。僕は自分の言葉が見つからない。復活するのか。本当に復活できるのか。一曲を踊り切るのがやっとなのに。僕を応援してくれるこの子を失望させないだろうか。怖いよ。吐きそう。



「あれ、彼女さん、花神楽美月に似ているね」



 ————ッ!!!!



 まずいまずいまずいまずいまずい。



「よく言われます。嬉しいのですけど、ちょっと——」


「不倫だっけ。まあ、見た目は別だからさ、素直に喜んでいいんじゃない?」


「ありがとうございます!」



 ミツキは少しも表情を変えることなく、会話を続けて、さらに微笑んだ。ミツキはなんて強い子なのだろうと再び思う。自分のことなのに、そうやって他人事のように話せるなんて。僕も少しは、強くなりたい。少しだけでいい。ミツキの半分でいいから。少し切り分けてよ。ホールのケーキを四等分するみたいに。



「お、応援してくれてありがとう。僕なりにがんばるから……」


「うん。活動再開したら絶対に見に行くから」

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