ミツキの気持ち

 翌日、壁新聞に号外が貼りだされて学校内で衝撃が走った、らしい。僕は全くなにも感じなかったので、迷惑しているのだが。新聞部はいつからゴシップ誌になったのだろう。本人に許可なく掲載するなんて、悪趣味すぎる。メイヨキソンだ!



 ————花神楽美月と倉美月春夜がダンス部に入部!!

 

 ————プリンスとプリンセスのサクセスストーリーがここから始まる!!


 ————ハナミツキとクラミツキのダンスバトル!!



 一体なんなのだ、このキャッチフレーズは。ミツキはともかく、僕はそんな大層なものではないし、騒がれるような活躍はしていない。それに目立ちたくない。サクセスストーリーってなんだろう。ダンスバトルはした覚えがない。


 ああ、やはり帰宅部を退部するのではなかったな。僕がダンス部に入部したことを知った家族は、ケーキを買ってこい、と父に命令したくらい喜んでいた。結局、昨日も僕の復帰記念日とかでパーティーをしたのだから、ミツキには変な家族だな、とか思われているに違いない。


 パーティーの最中に聞いたのだが、ミツキがダンス部に入るなら、春夜も連れて行ってダンスをさせてほしい、と頼み込んだのは姉さんだったらしい。どうりで病気の僕に、踊りませんか、なんてミツキが言うわけだ。倒れでもしたら困る、と思うのが普通の感覚だろう。でも、実行してしまうミツキも相当なメンタルタフだ。

 要するに家族は知っていたのだ。僕が少しくらいダンスをしても大丈夫なくらい回復はしていることを。いや、実際には回復ではなく、薬の変更による恩恵なのだが。



 すべて僕次第だったわけだ。本当に弱くて嫌になる。



 壁新聞に朝から貼りだされたところをみると、すでに昨日の部活中に新聞部にすっぱ抜かれたとしか思えない。僕とミツキがダンスを披露したところまで仔細しさいに書かれていて、褒めちぎっているのだから、頭が痛い。くそ、ゴシップ部め。



 シュンすごいな。シュンやったな。シュンがんばれ応援する。シュンまじでできる奴だと思っていたぜ。シュン全国制覇だ。シュン……シュン……シュンシュンシュン。



 少し踊れたからと言って、そんなに期待しないで欲しい。僕はもう昔の僕じゃないんだ。



 教室で机に突っ伏して、額を冷たいつるつるとした木板に押し付けていると、ミツキがおはようと、声を掛けてきた。僕を追い抜いて先に学校に着いているはずなのに、なぜ後から来たのだろう。もしかしたら、壁新聞の影響で囲まれて、ゾンビに食べられそうになっていたのかもしれない。守ってあげる義理はないのだけれど。でも、僕が守らなくては、彼女は肉片も残さず食べられてしまうかもしれない。僕がしっかりしないと。



「花山さん、えっと、今朝大丈夫だった?」



 僕が訊くと、ミツキはすでに疲れ果てたような顔をしていて力なく、大丈夫、と言うだけだった。全然大丈夫そうじゃない。もうすでに、半身を食べられてしまったような顔をしている。まじか。



「慣れているから、全然平気です。それよりも、シュ……倉美月くんの方こそ大丈夫でしたか?」


「僕は一般市民なので、全然大丈夫。むしろ暑苦しい男たちがエールをくれるんだから、参っちゃうよ」


「わたしは、もう肩は触られるし、背中は叩かれるし、髪の毛はもみくちゃだし」



 想像をするに、それは痴漢なのではないのだろうか。やはり群衆はゾンビのように彼女を襲い血肉を食らったのではないだろうか。それは大問題だ。花神楽美月とか花山充希とかそういうレベルではない。女の子に対して許される行為ではない。怒れ、怒り狂うのだ倉美月春夜よ。そして、迫りくるゾンビの額をマシンガンで撃ち抜け。撃って撃って撃ちまくれ!



「それは、ちょっとやめさせないと!!」



「朱莉ちゃんにです。彼女が朝から、すごくて」



 つまりたった一人のゾンビに弄ばれたということなのか。想像しただけで笑いがこみ上げてきたが、顔に出さずに頬に力を入れて堪えた。それで今朝は、僕に絡みついてこなかったというわけなのか。朱莉ならやりかねない。朝から勧誘をしていて、ダンス部の強化に勤しんでいたわけであるが、ミツキにとってはいい迷惑だろう。


 きっと、朱莉なら、こんな感じに絡んでくる。


 ミツキちゃんおはよぉ。昨日はありがとう、と言って肩に手を回しながら背中を叩き、挙句、今日もよろしくねぇ、と言いながら頭を力いっぱい撫でてくる。ミツキは、きっと、あ、はい、よろしくお願いします、とか言って引き気味で愛想笑いをする。それを見て、朱莉はポケットからグミを出して、ミツキの口に放り込む。


 なんて迷惑なやつだ。朱莉。ミツキがダンス部に入部したとしても、お前のものではないのに。馴れ馴れしくて、羨ましい……ではなくて、言ってやらねばならない。ミツキはお前の嫁ではない、と。



「おい、お前の嫁、なんとかしろよ」


「あいつ朝からダンス部の勧誘うざくて……まあかわいいから許すけど」


「ねえ、シュン君の嫁なんでしょ。なんとかしてよ勧誘」



 クラス中の男女から朱莉のクレームが来る。しかも僕は彼氏でもなんでもないのに。なぜ僕に苦情を入れてくるのだろう。僕だってある意味被害者なのに。


 よくよく考えれば、僕は毎日、自分の彼女でもない朱莉に付きまとわれて、グミ食べさせられて。ある意味、逆痴漢なのではないのか。そうだ、そうに違いない。もし裁判にでもなれば、きっと——汝、野々村朱莉に、倉美月春夜に対する接近禁止命令を命ずる——なんて判決を言い渡されるに決まっている。でも、きっと朱莉のことだから、そんなの関係ないじゃん、とか言って無視するのかな。ああ、なんて不憫な僕。せめてグミ攻撃はやめてほしい。ビタミン過剰摂取。



 倉美月くんって、朱莉さんと付き合っているのですか、なんてミツキが言ってくる始末なのだから、どうしようもない。もちろん全力で否定したが。




 ホームルームが終わり、やっと授業が始まると、僕の心は落ち着きを取り戻した。質問攻めとクレーム、それに無駄なエールが止んだのだからゆっくりと考えを巡らせることができるというものだ。


 今後、どのようにダンス部という活動を乗り切ろうか。ミツキは今のところ学校内で浮いている。男女ともに、高嶺の花すぎて近寄ろうともしない——朱莉以外は。それでミツキはいいのだろうか、いや良くないよね。きっと楽しくない。

 花神楽美月は、かなり傷心していて、人間不信になっていると勝手に思っていた。だが、実際には意外と明るく、ダンス部でも自然と溶け込んでいた。もしかしたら気丈に振る舞っているだけなのかもしれない。そんなミツキは、いまだクラスでは浮いている。誰とも話さないし、誰かと一緒にいることもない。



 現状をミツキはどう思っているのだろうか。




 放課後、ダンス部が休部になったことを知ったのは、多目的室を訪れてからことだった。人が集まりすぎて活動ができない、というのが理由だったらしい。これは、先生たちからのお達しがあってのことで、僕とミツキのためを思ってのことだと理解した。朱莉が悔しそうに昇降口から友達と帰るところを見ると、ちょっと可哀そうかな、とも思う。僕とミツキのせいで活動できないのは納得いかない。僕たちが顔を出さない代わりに活動はさせてあげて欲しかった。さくら祭りだって来週なのに。



「残念だけど、今日は帰ろう」


「うん。仕方ないですね」




 下り坂を歩く僕のすぐ後ろにミツキが歩いていた。同じ部活ということで気にせず一緒に下校しよう、と僕が誘ったのだが、ミツキにとっては迷惑だっただろうか。僕にしてみればどこか吹っ切れていて、今さら朱莉に付きまとわれようが、ミツキと一緒に帰ろうが、人の目などどうでもよくなっていた。今朝の壁新聞を見る限り、何をしてもそれ以上に騒がれることにはならないだろう、などと考えていたのだ。部活がなくなったから一緒に帰った、と言い張れば済むことだし。だが、ミツキは僕と一緒にいることは、甚だ迷惑なことかもしれない。



「僕と一緒に下校したら、迷惑かな?」


「いえ。わたしは嬉しいですよ。こうやって誰かと帰ることなんて初体験ですから」



 気を使っての発言かもしれない。だけど、笑顔を見る限り、本当なのかもしれないとも思った。東京でも学校に行っていたみたいだけど、まさか歩いて登校はしていなかっただろうし。すべてが謎に包まれた生活で、自由があまりなかったのだと推測する。志桜里だってそうなのだから。よく志桜里は僕を羨ましがる。いいな、高校生ができて、と。



「一緒に帰ったらまずいよね。家に入るときは時間差で行こう」



「あ、はい。そうですね。シュン君、あの、お願いがあるのですが——」



 硝子玉のような瞳に午後の真っ青な空が映し出されて、僕の心は吸い込まれていった。ミツキの薄い桃色の唇が開くたびに、彼女のきめ細かい肌を撮りたいと思う。爽やかな風に吹かれてたなびく毛先が、わずかに踊る。何をしていても美しい。



「なんだろう。お願いって。存在を消してって言われると、今すぐは難しいかも」


「そうじゃなくて、買い物……付き合ってほしいのですけれど」


「あ、ああ。うん。えっと。え? 大丈夫?」



 その辺のお店で花神楽美月が買い物をしていれば、大騒ぎになるのではないか。まして、男と歩いていたとなると、大変なことになるのは目に見えて明らかだ。それに学校の関係者に会えば、面倒なこと間違いないし。でも、学校と家を行ったり来たりするだけの生活では、精神的に参ってしまう。息抜きは必要だ。しかし、一人で行かせるのは危険すぎる。様々な難易度の死亡フラグが待ち受けているのだから。僕が守ってあげないと。



「一度、家に帰って変装するので、多分、大丈夫だと思います」



「う、うん。じゃあ帰ってから、考えようか」




 家に帰ると、厳重に施錠されていて、誰もいないことが予想された。庭の小さい枝垂れ桜が何輪か咲いていて、梅は満開のままだった。随分、遅咲きの梅だとは思ったのだが、おそらく桜と梅を同時に楽しめるように植樹したのだろう。洋館のような外観の建物と和を代表する植物が織りなす景観は、意外と合っていて、僕はこのロケーションが大好きだった。



「お庭が本当に綺麗ですね。ここで眺めているだけで、自然と癒されます」


「うん。僕も東京から引っ越してきたときには、はじめなんてつまらない町なんだろうって思っていたけど、こうして庭を見ていると、来て良かったと思っているよ」


「やっぱり引っ越しをした理由は……シュン君の?」


「うん。僕の身体を思って、なるべく空気の良いところで生活させたいって母さんが言い始めて。でも、実際はそうじゃなくて、東京から逃げて来たんだ。あの頃は、誰とも会いたくないって僕が言い出して、そのまま引きこもりになっちゃったから」


「でも、今は、こんな立派に高校生しているのですね」


「立派かどうかは分からないけれど、うん、新之助だったり、朱莉だったり、いろんな人が僕を救ってくれたのかな。一番は————」



 思わず鳥山志桜里と言いかけて、慌てて口を閉じた。志桜里がいなければ、僕は一歩も部屋からでることができなかったかもしれない。そんな志桜里は、僕のことを気にかけて、未だに毎日連絡をよこすのだから頭が上がらない。どんなに忙しくても。収録と収録の合間でも、コンサートで疲れているのにも関わらず、一日が終われば必ずメッセージをくれる。



 やっと終わったぁ! シュン、今日は体調ダイジョブ!? 学校うまくやれてる? 志桜里さまがいなくてもやれてるのかぁ? 今度ゆっくり話聞かせてよ!



「一番は? 気になりますね。シュン君の一番は誰なのでしょう?」



 学校では決して見せることのない、はにかむ笑顔は、まるで神話の中の神を凌駕するほどの後光が差しているような感覚に陥る。ミツキは、本当に僕の目の前に実在しているのだろうか。僕の妄想が作り上げた虚像なのではないだろうか。だって、こんなに美しい存在が、地球上に存在するはずがない。ああ、まぶしい。



「秘密」



「ええ!? シュン君教えてくださいよ。すごく気になるぅ~!」



 頬を少しだけ膨らませて、僕の方を見ながら、もう、と言って拗ねるミツキもかわいかった。なぜ素で売り出さなかったのだろう。このままの性格でアイドルとして売り出せば、もっとファンの心を掴むことができたような気がするが。花神楽美月は、少し生意気で押しの強いキャラだった。まるでファンをあえて遠ざけるように。だが、それが他のメンバーと被らないキャラづくりだったとすれば納得がいく。花鳥風月プリズムZの四人すべてが同じキャラだったら、今ほど人気はでなかっただろう。



「ミツキちゃんだよ。ダンスの世界から僕に手を差し伸べてくれたでしょ。ミツキちゃんがいなかったら、僕はいつまでもずるずると引きずっていたと思う」



 嘘はついていない。ミツキは僕にとって、救世主であったことは間違いないし、僕の背中を後押ししてくれたのだから。花山充希が転校してきて三日目。すでに僕の湿地帯の中であえて日の当たらない日陰を探すような高校生活が終わりを迎えようとしている。その引き金を引いたのは間違いなく、花山充希という存在だ。だから、僕は嘘をついていない。体よくミツキを丸め込んだわけではない。本当だよ。



「え……」



 ミツキは顔を逸らしてしまった。悪いことを言ったのだろうか。それとも、気に障ったのだろうか。もしそうだとしたら、申し訳ないことだ。僕のこと調子の良い奴だ、とか思わないで。



「ごめん、余計なこと言っちゃったかな」


「あ、ち、違うんです。その、わたし何もしていないのに。シュン君の、その」



 少し顔を紅潮させて、ミツキはかぶりを振りながら別れ際でもないのに高速で手を振っていた。なんでそんなに慌てているのか分からないけれど、買い物にいくなら確かに慌てたほうがいいかもね。特に女子は準備だけでも時間がかかるし。



「あ、それよりも変装して、はやく行かないと」


「ああ、そうでした。ごめんなさい、はやく準備しますね、すいませんッ!」



 ミツキは忙しなく離れに入っていくと、どこかでつまずいたのか、痛っ、と声を漏らして準備に勤しんでいるようだった。

 ミツキって、少し慌ただしいっていうか、ドジっ子というか、天然っていうか。スイッチが入っていないときは少しだけ、なにかが抜けているような気がする。いるよね、オンオフの切り替えがすごい人。僕もそうだけど。

 僕の場合、作品として写真を撮るときはスイッチが入っていて別人みたい、と言われることがある。ミツキみたいに、こういう感じで見られているのかな。ああ、恥ずかしい。

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