第33話 籠の中の鳥、籠の外の鳥

「……いつか終わりが来ても、あの人は逃げおおせると思ってたよ」


 落胆というよりは得心がいったという物言いだ。

 荊の狂言によって、神父の中ではドルドがすべての罪を自身に押し付け、夜逃げしたことになっている。

 そのことに対する疑念や追求がないということは、神父にとってドルドは裏切りをしそうな人物だという評価なのだろう。


「呪術師同士の争いってのは血を血で洗うもんだ。古い人間ほど残虐で非道な方法を使う」


 神父は身勝手に語り出す。もうどうにでもなれ、と自暴自棄になっているようだった。


「……どういう意味です?」

「呪術は対象者の身体の一部を――呪術媒体を元に、命に関与して、状態異常を引き起こす。呪術媒体には髪の毛だったり、血液だったり、本人を特定できるものを消耗品として使う」


 呪術のなんたるか。

 荊とセルクは今更その話が何を示すのか、と不可思議に眉を寄せた。話が見えない。


 呪術、娘、親子、祖父、呪術媒体。

 聞き手のうち、ペネロペだけが神父の言わんとすることを理解していた。

 首を絞められているわけでもないのに、気道が潰れているかのような苦しさが彼女を追い込む。まるで巨大な蛇が喉を押し潰すように絡みついている気分だった。


「ひ、人を――、お母さん、を、呪術媒体にしたの……? おじいちゃんを呪うために……?」


 荊はわずかに目を見開き、セルクは口元を押さえる。

 呪術について明るくない二人には想像するしかできないが、耳に聞こえる言葉の不穏さとペネロペの戦慄を見れば、それが人道から外れた悪い話なのは簡単に察することができる。

 有り難くないことに、二人の想像は正解だった。


「そうさ。お前の母親はドスを呪殺する道具だった」

「あ、あ……」

「ドスに上手く呪いをかけられたとしても、ドスよりも娘が先に死ぬのは分かってた。だから、お前らが生まれたんだ。呪術媒体の予備として。いざとなったときの保険さ。お前らを呪術媒体にすればドルド卿だって無傷じゃいられないが、娘と合わせれば、肉を切らせて骨を断つには十分だ」


 神父は淡々と告げた。抑揚のない声。事務的に文書を読み上げるような感情の起伏のなさ。罪悪感などまったく感じられない。

 ペネロペはがたがたと身体を震えさせていて、セルクはその背中をそっと支えた。そうしてやらなければ、少女は今にもばらばらに砕け散ってしまいそうだった。


「まあ。ドルド卿が娘を孕ませた時にそんな建前はなかったけどな。子供ができたから、娘を呪術媒体にしてドスを呪殺することにした」

「じゃ、じゃあ、おじいちゃんに、呪いをかけたのは――」

「ドルド卿に決まってるだろう」


 呆れた口調だった。他に誰がいるのか、と。


「ドスが教会に現れたのは子供が生まれてすぐさ。娘の魔力を探して張り巡らさせていたんだろうな。娘は呪術と呪具で隠せていたが、生まれたばかりの子供の魔力は隠せなかった」


 神父は失った腕を愛でた。

 沈黙のまま、一人、過去の回想に想いを巡らせた神父を現実に引き戻すように、荊は「その後は……?」と続きを求めて急かす。


「……娘はドスが殺したよ。まあ、あれは正気に戻る前に死んで正解だったろうな。生きていても自ら命を絶っただろう。ドスは生まれた子供たちを助けようとしていたが、結局、連れて行けたのは一人だけだった」


 それが、ペネロペである。

 当のペネロペは自身の出生よりも、祖父と母親のことに愕然としていた。一生懸命に事実を呑み込もうと努力していたが、悲しみや苦しみの感情が邪魔をして突っかかる。処理しきれていない。


 ペネロペが過去の凄惨を受け入れるのを待たず、神父は続きを語る口を開いた。


「それから、ドスは姿をくらました。ドルド卿の前には二度と現れなかった。セナを切り捨てて、助けられた妹の方と閉じこもった生活し始めたからだ」

「……」

「だが、呪術はかけられたまま。真綿で首を絞めるようにじわじわと、無抵抗のまま、十二年もかけて呪いに蝕まれて死んでいった」


 この言葉でペネロペは新たな真実を知った。


「おじいちゃんは、解呪できなかったんじゃなくて、してなかった……?」

「そうさ。反抗すれば娘が犠牲になる。その次は取り残された孫だ。とはいえ、ドルド卿は呪術媒体にする目的なんか忘れて、セナを気に入ってる。案外、抗ってれば死なずに済んだかもな」


 神父は軽薄に吐き捨てた。

 今更そんなことを言っても後の祭りだ。死んだ人間は生き返らない。


「僕の、お兄ちゃん……」


 ペネロペは放心して呟く。

 顔も知らない兄ならば、この混沌とさした悲哀を一緒に分かち合ってくれるだろうか――。そんな希望を打ち壊すように、神父はペネロペを心底から嘲笑った。


「傑作だな。妹は兄がいることも、どんな目に遭ってるか知らずに、のうのうと生きていたわけだ」

「ぼ、僕は……」

「セナは可哀想になあ、可愛い顔で生まれたばっかりに。下手に賢い分、周りの馬鹿な連中より生きにくいだろうよ」


 神父にとって、ペネロペの反応はどうでもいいらしい。

 セナを思い浮かべながら語る彼の言葉はどうしてか熱を感じる。自分のお気に入りを愛でるような、自分だけがすべてを理解してあげられてると言わんばかりの、じっとりとした執着。


「あいつはずる賢い。自分に呪術師の適性があると分かるや否や、ドルド卿の呪術の教えをい、腹心に成り上がった。そうやって仕事をこなして、小遣いを貯めて、一緒に逃げて欲しいとここに現れた時は笑えたよ。俺のことも呪具に囚われた被害者だと思って巻き込もうとしたらしい」


 一人じゃ逃げられないと踏んでセナが選んだ共犯者。

 ドルドの関係者の中では一番接触しやすく、外交の伝手もある神父は確かに優良な選択だ。彼が加害者側に立っていなければ、というのが大前提であるが。


「黙っててやる代わりに金と体を頂いたが、ドルド卿が寵愛するのも分かる」


 ペネロペの口からひきつるような小さい悲鳴が上がる。

 兄の心身がもてあそばれていることが耐えられなかった。悪鬼から逃げるために救いを求めた先すらも悪鬼など、その時の絶望を想像するだけで心が潰れる。


「セナは魔人の身体じゃなきゃ、跡取りになれただろうに。イーサンとは比べ物にもならない才能だ。あれだけ有能なのに、それすらも叶わない。籠の中の鳥だ」


 ペネロペはふらふらと神父の元へと近づいって行った。一歩、一歩と重々しく歩む。


「おい、ペネロペ。どうし――」


 ぱち、と戯れのような音――、ペネロペが神父の頬を打った音だ。

 力もない少女の一撃はか弱いものだったが、荊とセルクの胸を打つには十分だった。

 吊り上げた目は怒りに燃え、涙に滲んでいた。


「ぜ、絶対に、許さないぞ! おじいちゃんのこと――、お母さんのことも、おにいちゃんのことも……! みっ、みんなのことも! 僕は、絶対に、お前も、ドルドも、許さないからな!」


 ペネロペは目の周りを真っ赤に染めて、体の水分すべてを出し切ってしまいそうに嗚咽する。少女はただただ辛かった。

 心構えをしていたのに、耐え切れそうもなかった。


 ぎっと神父を睨み、くるりと踵を返す。

 荊はそうするのが当然だとばかりに、腕を広げて彼女が戻ってくるのを待った。飛び込んできたペネロペに腕を回し、彼女の頑張りを褒めるように背を撫でる。

 ペネロペは荊の胸に顔を押し付け、くぐもった鳴き声を上げた。


「神父さん」


 荊はペネロペをあやす手を止めずに神父をねめつけた。


「俺個人として質問があります。ドルド卿はどうしてあそこまでアイリスに固執するんですか?」

「……お前、本当に知らないのか?」


 神父は荊がアイリスのことを疑問に抱いていることが疑問のようである。馬鹿にするにも至らず、呆れたように口を開いた。


「アイリスをイアル教の上位関係者に突き出してみろ。引き換えに国一つ買える金を貰える」

「は?」

「オーブシアリーの娘。出来損ないだとしても、紛れもなく聖女だ」

「……聖女?」


 聞き慣れない単語である。

 怪訝にする荊の横でセルクが「アイリスが聖女?」と驚愕に目を見開いていた。醜悪の事実を暴いた時とは違い、畏怖のある驚きだ。


「まあ、ドルド卿の目的は金じゃないがな。何十年かけて作り上げた城を捨ててもいいくらい、聖女を孕ませたが――」


 荊はふっと鋭くため息を吐き出す。何を聞いてもこの話題に終着するのか、と荊は辟易した。

 荊が指をぱちんと鳴らすと神父は瞬く間に氷像と化する。

 そのまま蹴り砕いてしまいたいくらいだったが、どうしたって余罪がありそうで、吐き出させるまでは生かしておく必要がある。


「カレンさんを病院に運びましょう。あと、これも連行しないと」


 そうセルクに声をかけ、荊はひょいと腕の中の少女を抱き上げる。ペネロペはえぐえぐとまだ泣き続けていた。片腕に座らせるように抱き、よしよしと背中をさする。

 荊はおやと首を傾げた。

 いつまで待ってもセルクからの返事がない。


「セルクさん?」


 荊は気遣わしくセルクの顔を覗き込む。

 そこにあったのは苦痛の表情だった。青白い顔色、精気の失われた瞳、顔の中心に向けて寄せられた皺、険しく歪んだ眉。死人の方が穏やかな顔をしているだろうと思えるほどだ。


「セルクさん、大丈夫ですか?」

「あ……、ああ、すまん」

「いえ。気分が悪くなるのも当然でしょう」


 荊はペネロペの背中をさすっていた手で、今度はセルクの背をさすった。

 ゆっくりとした呼吸を促すように、静かに優しく動かす。それでも、彼女の身体から力は抜けず、ぎちりと全身を強張らせていた。

 荊は背中をさするのをやめ、その手をセルクの首から後頭部に這わせた。深緑の髪に指を通し、ぐいと自分の肩口へ引き寄せる。


「セルクさん、辛いことを一人で抱えないでください」

「…………私は騎士だ。ペネロペと一緒にするな」

「一緒ですよ。俺の友人です。心配しますから、無理しないでください」


 ぐりとセルクは額を荊の肩に押し付ける。

 ぽたりと温かいものが荊の服を濡らした。荊がぽんぽんとセルクの頭を優しく叩くと、控えめに鼻を鳴らす音がする。


「くそっ――、どうして、こんなことが――」


 一度、溢れ出したものは止まるところを知らなかった。セルクはそのまま動かず、静かに泣き続ける。

 ペネロペの泣き声だけが、悪意の満ちた部屋に響いていた。




 ペネロペが先頭を歩き、その後ろを氷像となった神父を引きずる荊が、さらにはカレンを抱えたセルクが続く。

 教会の外へと出ると、爽やかな秋風が吹いていた。新鮮な空気が三人の肺を洗うようだった。


「ドルド卿の屋敷に行きましょう」


 荊は身なりを正すと、きりりと眉を吊り上げてそう言った。

 もはや、疑惑などない。すべては真実だ。ドルドを断罪するためなら何もかもが許されるような気でいた。

 セルクは赤い目元を擦り、ゆっくりと首肯する。


「僕も連れてって!」


 ペネロペは羽を大きく広げ、憤りを表していた。

 この状況で引っ込んでいろというのが無理な話である。

 荊もセルクもその申し出を拒否することはなかった。


「ツクヨミ」


 荊は手を打ち鳴らす。

 音もなく現れたツクヨミは軽快に地面を跳ねると、荊に寄り添い雄叫びを上げた。ばさりと翼を広げ、首を目一杯に伸ばした。荊の手に額をこすりつけ、ペネロペの羽を甘噛みをする。


「はっ!? ど、ドラゴン!?」


 セルクはツクヨミの姿にぎゃっと肩を跳ねさせた。ぱちぱちと瞬き、自分の目に映るものを疑っている。

 そんな新鮮な初見の反応をよそに、荊は「セルクさん、行きますよ」とにべもなく言い放った。

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