第29話 赦しを求めない罪の告白
開け放たれている扉の奥から話声が聞こえてくる。
一人は先を行ったセルクだ。もう一人は壮年の男の声。低く太い声からはどっしりとした印象を受ける。
ひょいと荊とペネロペが教会の中を覗き込んだ。
セルクの対面には、黒のカソックを着た神父が立っていた。靴からボタンから何もかもが黒一色、唯一、詰襟だけが白い。騎士団の白の制服とは対照的だ。
白髪交じりの黒髪、壮年の男性。
彼の姿でまず目を引くのは、左の二の腕の途中から先がないことだ。腕のない部分の袖がひらひらと揺れていた。
神父は屈強な体躯をしていた。
神父といわれるより、木こりと言われたほうが納得できる筋肉である。
服の上からも分かるがっしりとした腕、広い肩幅、詰襟がきつそうな太い首。首から上は年相応に見えるが、首から下は若々しい鍛えた肉体だ。
セルクがすらりとしていることも相まって、神父と彼女が並ぶ様はまるで美女と野獣である。
「やあ、こんにちは」
神父は教会に入らず、中を窺っていた荊とペネロペを見つけると、にかりと白い歯を見せて笑った。友好的な雰囲気で手を振っている。
荊は「ちわーす」と元気な笑顔で挨拶を返した。
だらだらと肩を揺らす歩き方、靴底を引きずる足音。
荊はペネロペの手を引いたまま、セルクと神父の前に立つと、むっと頬を膨らませた。続けて、聞き分けのない子供のように唇を尖らせる。
「セルクちゃんさあ、連れてきておいてなんで置いてくわけ?」
「おや、セルク卿のお友達ですか?」
セルクはたっぷりと沈黙を持った後で「いや」と曖昧な否定を口にした。素の反応である。彼女には目の前の青年が知り合いだとは到底思えなかった。
「聞いてよ神父さァん。セルクちゃんたらさァ『貴様は性根が腐ってるから、罪の告白の一つでもして心を入れ替えろ!』ってぷんぷんしちゃって。酷くね? 俺、普通に暮らしてるだけなのに」
荊は肩を竦めてペネロペをじとりと半目で睨む。
「はっはっは! なるほど。セルク卿が仕事ではなく教会に来るのは珍しいと思いましたが、彼の更生のためでしたか。告解の付き添いで来たんですね」
告解にきたとされる青年は、へらへらと軽薄に笑って「更生って、俺、悪いことなんてしてねェから」と吐き捨てた。
神父にしてみれば、今の荊はよく見かける存在だった。
反抗期を拗らせた素行不良の少年少女。自分は一人前なんだぞ、と自己陶酔して振る舞う子供のうちの一人。
「君は見ない顔だね。ルマの街には来たばかりかい?」
「おー、そうだよ。よろしくな、神父さん。こっちは俺の弟」
「こんにちは。お名前は?」
神父はペネロペにずいと顔を近づけ、握手を求めて手を伸ばした。
しかし、ペネロペはささっと荊の後ろに隠れてしまう。すっぽりと青年の脚の後ろに収まった少女は、ぴたりとくっついて身動ぎ一つしない。
「ごめんなァ。こいつ恥ずかしがり屋で、あんましゃべるの得意じゃねーんだ」
「いいとも、いいとも。驚かせてしまってすまなかったね」
神父の態度は穏やかで大らかなものだ。すべてを包容する懐の広さ、まさに聖職者のあるべき姿である。
対して、荊は嫌な子供だ。半笑いで神父の隻腕を指さした。
「神父さん、その腕どしたの?」
「お、おい」
「はは、いいんですよ。気になるでしょうから。これはね、昔、卑劣な呪術師にやられたんだよ」
――また呪術師か。
荊は不躾な態度のまま「へー、呪術師ってマジでいるんだァ」と頭の悪そうな言葉遣いで驚いてみせた。
いつだかに蘇芳とラドファルールから聞いた話では、呪術師は表に出てこないと聞いていたが、昨日今日の被害者の数を見ていると、そんな控え目な存在ではないのでは、と疑いたくなる。
「痛かった?」
「ああ、そりゃあ痛かったとも」
神父は素行不良の青年へ、聖職者としての対応を崩さない。
ちょっとばっかり失礼なことを言われても、彼らがそういう生き物なのは分かっている、と言わんばかりだ。
荊は素っ気ない相槌を打つ。それから、神父の腕への興味はもう失ったと、教会の中をきょろきょろと見回し始めた。
奥の壁には大きな太陽の紋章が飾られ、その前には羽の生えた女神の像が立っている。壁にはめられたステンドグラスは太陽の光に極彩色を輝かせていた。外観と同じく、内装も新しく小奇麗である。
人の姿はなく、特別に音を立てるものもなかった。
神父以外の聖職者の姿も見えない。荊がからかうような口調でそのことを聞けば、この教会には彼しかいないということだった。
「罪の告白したら帰っていいんだろ? ならさっさと終わらせて解散しよーぜ」
荊は立てた親指で教会の隅を指し示す。
告解室。人が一人が入れる大きさの木造の箱が三つ並んだだけの簡素な造りの部屋。壁沿いに置かれているそれは、どことなく薄汚れていて、この教会には不釣り合いに思えた。
「お前はセルクちゃんと待ってろよ」
荊はペネロペの前にしゃがみこむと、両手で小さな手を握り締めた。
秘密の話をするように耳元に口を寄せ「俺が足止めしておくから、その間にセルクさんと教会を調べて。何かあれば呼んでね」と小声で耳打ちする。
ペネロペがゆっくりと頷いたのを確認して、荊も同じように頷き返した。
荊とペネロペのやり取りを見ながら、神父は満足そうに何度も首を縦に振った。
「いいお兄ちゃんじゃないですか」
「あ、ああ」
「大丈夫ですよ。そう心配しなくとも、あの年代の子が非行に走るのは珍しいことじゃありませんから。今だけですよ。大人になれば笑い話でしょうとも」
セルクは何も答えなかった。というよりは、答えられなかった。
適当に話を合わせればいいだけなのだが、それをするコミュニケーション能力が彼女には欠如している。
しかし、神父はセルクが言葉足らずなことも分かっているぞ、といった様子で、平和に高笑いをしていた。
「じゃあ、こっちへおいで。弟君を長く待たせるのも可哀想だからね」
神父は荊を告解室へと招いた。
荊に告解者が入るべき部屋を示し、自分は真ん中の部屋に入って行く。
狭い部屋に一脚の椅子。古い木のにおい。
椅子に座れば、視界には木の格子が映る。その先は真紅のカーテンで隠されていた。そこに人がいるのかどうかは目視では確認できない。
ごそごそと布の擦れる音が聞こえてくる。
「それでは、告解を――」
神父の声。
荊は姿勢を正し、にこりと笑った。
「俺は恋をしました。同時に、罪を犯しました」
先ほどまでのふざけた口調は忘れてしまったようである。
荊は真紅のカーテンを見つめながら、淡々と言葉を紡いでいく。
「彼女と出会ったのは一カ月も前のことです。誰もいない静かな島で出会いました。彼女は自らを俺に捧げられた生贄なのだと言っていました。とても可憐な少女なのです。朝の空に昇る太陽のような柔らかな髪、春の訪れのような芽吹きの色の瞳」
静かな告解室の中ではどんな音も耳に届いた。
神父が呼吸を乱したことも、荊がそれに控えめな笑声を上げたことも、お互いによく聞こえている。
「ある日、彼女を迎えに四人の男たちがやってきました。でも、俺は彼女を手放したくなかった。だから、追い払いました。俺のものに手を出すな、と――」
まるで物語を読み聞かせるような、ゆったりとした口調。
「それから一週間して、男たちはまた彼女を迎えにきました。性懲りもなく。だから、今度は全員残らず殺してやりました。彼女の目にあんな身も心も汚れた男どもが映ることすら許せなかったから」
風が吹き込まないはずの告解室の中でひゅるりと凍て風が踊る。
「その時から、俺は決めているんです。彼女を貶めるすべてのものから守り、彼女を苛むすべてのものから助け、彼女を必ず幸せにしようと」
気温はどんどんと下がっていく。
年季の入った木材をきしませるには十分なようで、ぎしりぎしりと不穏な音が響いていた。床と四方の壁には霜が下りている。すぐに天井まで届きそうだ。
「少女の名前はアイリス。アイリス・オーブシアリー。死神の生贄、俺の大事な女の子」
その名前が出た瞬間、がたがたと神父がいる部屋から今までにない騒音が響いた。椅子を倒した音。
「告解があるなら聞きますよ。聞き入れるのはイアル神ではなく死神ですけどね」
がちゃがちゃと扉を開けようとする音が聞こえてくる。
当然ながら、開くはずもない。
力任せの体当たりで告解室が揺れた。一定の間隔でどしんどしんと体をぶつける。まるで牡牛の突進だ。
「貴方はあの子をどうするつもりだったんです? 再び、ドルド卿に渡すつもりだったんですか? それとも、自分の手元に置いておきたかった?」
質問を矢継ぎ早にする声は止まらない。
「何故、貴方はアイリスの福音のことを知っていたんです。信仰を捨てたをと言っていたアイリスが自分から告げるとは思えない。なんなら、彼女が教会に来ていたことすらも不思議だと思って――」
「まさか、あの娘の価値を知らないのか!?」
突然に言葉が遮られる。
表情こそ見えないが、神父の心情は驚愕に違いないだろう。
荊にはその一言で十分だった。この男は首を刎ねても良い人間だと判断するのに。
「力がどうでもいいなら、手元に置くのはアイリスじゃなくていいだろ!? な!? 女なら他にもいる!! 取っておきの器量良しを紹介してやるから、あの女と交換してくれ!!」
反吐が出そうだった。
「神の僕たる貴方がなんと罪深きことか。イアル神があなたの愚行を許してくれるといいですね」
荊はすっと神父がいる方に手を伸ばす。
きゅっと何もない空気を掴むように手を握れば、そこには大鎌の柄が現れていた。そのまま斜め上に切り上げるように鎌を振るえば、神父と告解者とを遮る薄い壁は簡単に切り落とされた。
告解室の低い天井は滑るように崩れ落ち、神父と荊は何にも邪魔をされることなく視線を交わらせる。
「俺は絶対に許さないですけど」
ぱちんと指を鳴らす音とともに神父の両足には氷の枷が出来上がった。
薄く開いた濃紺の瞳は、威圧感を持って神父を見下している。
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