第20話 それでは作戦会議のお時間です

 待ち合わせ場所は昨日と同じ。ルマの街のはずれ、山の麓にある崩れた廃墟だ。


 荊はこれまた昨日と同じく空の上でツクヨミを還すと、上空から地上へと自分の足で降り立った。

 左右それぞれの腕でアイリスとペネロペを抱え、頭に猫を乗せた青年が降りてきて、セルクはぎょっと目を剥いた。空から来る心構えはあったのだが、いかんせん両手に花の状態で落ちてくるとは思いもしていなかった。


「……アイリス・オーブシアリー?」


 セルクは朝の挨拶よりも先に昨日はいなかった少女の名前を呼んだ。

 呼ばれた方は少し前までこの街に暮らしていたのだから、当然に担当騎士を知っていて「はじめまして、セルク卿。アイリス・オーブシアリーです」と丁寧に頭を下げた。


「……式上が保護していたのか」

「あれ? 言ってませんでしたっけ? それと、保護じゃありません。彼女は相棒です。仕事の手伝いをしてもらうために連れてきました」

「よろしくお願いします」

「……ああ、よろしく」


 セルクは怪訝にアイリスを見ていたが、挨拶以上に何かを言うことはなかった。複雑そうな表情。死神の生贄になった少女が生きていたことは喜ばしいが、事件に巻き込まれていたことを知らずにいたことを後ろめたく思っているのだろう。


 セルクは後ろ向きな考えを振り払うようにかぶりを振った。

 

「報せが二つある。どちらも悪い知らせだ」

「こっちにも一つ。悪い報せです」


 朝から重苦しい雰囲気である。しかし、聞かないわけにもいかない。荊は「セルクさんからどうぞ」と先を譲る。

 セルクはこほんとわざとらしく咳払いをした。


「一つ、街でぼや騒ぎがあった。昨日立ち寄った商店街のパン屋の近くで人が二人、自然発火したらしい。命に別状はないが、顔も名前も分かっているのに身元が判明しない」


 アイリスの肩が跳ねる。

 友人の安否に、思わず「あ、あの! ユンちゃんの家に被害は?」と口を挟むのを止められなかった。


「ない」


 端的なセルクの回答に、アイリスはほうと分かりやすく安堵の息をつく。

 荊は元よりスカーレットがうまくやるとユンの家の心配はしていなかったが、網に引っかかった獲物には興味があった。

 ルマの街は決して広くはない。それなのに身元不明とは、外部からの人間だろうか。


「二つ、傀儡人形の女が死んだ」


 ひゅっと息を呑む音は誰のものか。

 しんと一層に空気が張り詰める中、セルクはずいと麻袋を差し出した。


「あの女に呪具じゅぐが取り付けられていた」

「呪具?」


 知らない単語を聞き返す荊に、ペネロペは「呪いのかけられた器具。形はいろいろ。人形とか、鏡とか」と説明をした。

 呪具とは、呪術のかけられた物品の総称である。


「……ペネロペもアイリスも目を塞いでいろ」

「え、でも……、呪具なら僕が見たほうが」

「駄目だ」


 セルクは苦々しい顔で、当然と思しきペネロペの意見をはねのけた。彼女の気遣いと同時に嫌な予感をひしひしと感じる。

 荊は同行してきた二人から離れ、肩にネロを乗せてセルクへと歩み寄った。彼女の手から麻袋を受け取り、中を覗き込む。


 革と金属とでできた器具。

 太い革紐が輪を作り、湾曲した鉄板が取り付けられている。馬具の鼻革のようであるが、絶対にそれではないと言い切れた。

 性器を隠すための簡素な鎧、排泄のために鉄板に開けられた穴、外せないようにするための南京錠。


「これって……」

「貞操帯だ」


 荊は言葉を詰まらせた。代わりにネロが小さな声で「おえ」と吐き捨てる。

 血まみれの貞操帯。

 醜悪な想像をかきたてるには十分な代物。アイリスとペネロペに見せたくなかった理由は一目で明らかだった。


「……これ、あの傀儡人形の女性が?」

「ああ。命を奪ったのもこれだ。魔力の痕跡は見えるか?」

「……いいえ」


 セルクは荊の鑑定に渋い唸り声をあげる。


「補足だが、傀儡人形の女も身元不明だった。それから、自然発火で病院に運ばれた二人もと同じものをつけていた」


 とうとう荊は口元を押さえた。単純な嫌悪による吐き気。

 どうせ誰も彼も屋敷の手先だと思っていたが、全員に呪具がつけられていたというなら、彼女らもまた被害者の可能性がある。


 呪具によって命を握られ、好き勝手に操られる。

 考え始めてしまえば、どこまでも深い闇が広がっていた。


「……自然発火の二人の呪具は外せたんですか?」

「いいや、ペネロペに解呪をと思ったが、優先されるのはナターシャ嬢だ」


 荊は眉間にしわを寄せる。

 もしも、あの屋敷に仕える者すべてが呪具をつけていたら。

 誰を優先だなんてことはなく、あの屋敷を武力で制してしまうのがいいのではと思えた。呪術師と疑わしき人間は片っ端から氷漬けにして、順番に裁判にかければいい。


「そちらの報告は?」

「朝、ペネロペがナターシャさんの状態を確認したんですが、呪いが悪化していました」

「じゅ、呪術師次第、命が危ない」


 セルクは盛大に舌打ちした。

 昨日の今日で事態は暗転している。そして、圧倒的に手が足りない。


 荊は瞬間だけ迷った。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。この状況でさらに事件を増やしても、どれも対処できずに失敗してしまうかもしれない。

 しかし、逆をいえば、これは好機の可能性だってある。一網打尽にする絶好の機会。むしろ、ここで危険を察知されて逃げられるようなことがあれば、永遠に逃げられてしまうかもしれない。


 荊の選んだ結論は、同時にすべてを制圧することだ。


「セルクさん、調べて欲しいことがあります」

「なんだ」

「この街に住んでいたカレンと言う少女について。ここ数年で行方不明になっていないか、あとは家族構成を」 


 セルクは怪訝に顔を歪めた。それから、硬い声色で「何のために?」と尋ねる。そう聞き返したくなるのも当然だろう。ただでさえ手一杯なのだから。


「俺は街の教会もドルド卿の共犯だと考えています」

「はあ?」


 荊の考えに驚きを見せたのはセルクとペネロペである。アイリスは神妙な顔で黙ったままだ。


「アイリス、ナターシャさん、カレンさん。屋敷に保護された人間は皆、教会に通っていました」

「教会なんて誰だって足を運ぶ場所だ」


 荊はアイリスを一瞥する。

 視線を受けたアイリスはこくりと頷いた。荊の言いたいことが声に出されずとも分かった。

 これから荊が口にするのは、アイリスには嫌な思い出の話だ。


「一カ月ほど前のことです。アイリスを救出に行った男たちの話を知っていますか? 教会がギルドに依頼を出したっていう」

「……ああ。男が四人、ならず者にやられて帰ってきた挙げ句、ギルドをクビになって行方不明だったな」

「彼らはアイリスを島に攫いに来ました。あれが助けに来た人間の行動だというなら、俺は聖者になれますよ」


 荊の声は冷たい。


「彼らは彼女を金蔓と言っていました。金稼ぎの計画を邪魔しやがって、とも。つまり、彼女の買い手は決まっていた」


 セルクはばちんと音を立てて顔を覆った。彼女がぎりりと歯を食いしばる音に、ペネロペは「ぴ」と小さく悲鳴を上げる。


「教会の依頼で助けられた彼女は教会に保護される。その先があるかは断定できませんが、仲介をしていると疑うには十分では?」


 これ以上に悪くなることはないだろうと思われていた空気が、更に悪くなっている。重苦しく、息苦しい。

 セルクの口からため息が漏れる。目元を隠すようにした手はそのままで、「私の目は節穴か」と震える声を絞り出す。


「この街が腐っていたのに、まったく気づかないなんて」


 その姿は今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい。

 セルクは守るべきものを守れなかったことを悔いていた。のさばっていた悪。今まで本当に気付くことはできなかったのか。自分が守る街は平和だと、驕っていたのではないか。

 これ以上の悪事が露見すれば、セルクの騎士としての誇りは折れてしまいそうである。


「それなら、今、どうにかしましょう。このままじゃ、守れるものも守れなくなる」


 荊は優しく励ます。

 セルクが苛まれているのは己の責任感の強さだ。それは騎士としての好ましいもので、悪事を憎むからこそ彼女は傷ついている。

 この件について荊は協力を惜しむつもりはなかった。自分のためでも、アイリスのためでも、セルクのためでも、ペネロペのためでもある。


「そ、そう。僕も、頑張るから」

「私もです!」


 ペネロペとアイリスも声を揃えた。ぐっと拳を握る二人は次々にセルクの背中を押す言葉を口にする。

 それを見てネロも「みゃお」と鳴いた。しっぽを揺らし、一致団結の心意気を見守っている。

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