第13話 傀儡人形の踊り
「呪術師の中でもいろいろあるんだね」
「そんな都合のいい話が信じられるか」
千差万別な力があるものだと関心を示す荊。信じられないと跳ね除けるセルク。二人の反応は相反するものだった。
ぺネロペは着ているローブをぎゅっと握ると、居心地が悪そうに肩を竦めた。申し訳なさそうに「まだ、ひよっこで、大したことは」と途切れ途切れに謙遜をする。
「おい、この子供のいうことを信じるのか?」
「信じます。俺はこの”眼”で見ました。彼女の魔力はあの子を助けるために働いていた」
セルクは未だにペネロペの解呪専門の呪術師という肩書きに疑念を抱いていた。呪術師といえば裏社会にいる復讐代行屋――それがセルクの持つイメージだった。事実、呪術師という生き物は表の世界に顔を出すことをしない。
解呪専門などと都合の良い存在がいるものか、というのが彼女の主張である。
「大体、探しているのが呪いをかけた呪術師じゃないなら、なんで最初にそう言わなかった」
セルクは荊にお冠である。
荊はおざなりに「すみません」と返した。
「本当のこと言ったら、セルクさんあの屋敷で大暴れしそうだったので」
「馬鹿にしているのか!!」
声を荒げたセルクが身体に力を入れると、彼女の下にいた傀儡人形も圧し潰される。やはり、女は悲鳴も上げず、痛みにのたうつこともない。
般若のように目を吊り上げた彼女へ、荊は呆れたように「そもそも、呪術師関係なくブチギレだったじゃないですか」と彼女を責めた。
ダニエラの横暴な言い分に殴りかかろうとしていたのは、まぎれもなく今日の出来事である。
セルクは悔し気に歯を食いしばった。暴走しかけたことは記憶にあるらしい。
「……本当のこととはなんだ。まだ隠し事があるのか?」
「これは俺の想像で、ペネロペの意見も聞きたいんですが――」
「ひゃい!」
名前を呼ばれた少女はばっと羽を広げ、どこから見ても驚きましたという様子である。瑠璃色の羽はペネロペの感情のままに揺れていた。
「ナターシャさんに呪いをかけている呪術師、あの屋敷の中にいるよね?」
すっと空気が張り詰め、沈黙に支配される。
セルクとペネロペは驚きに目を見開いていた。しかし、正確には二人の感情には差異がある。片や愕然、片や驚嘆。
「お前は何を言っている」
「ほ、本当に見えるんだ……!」
「はあ!? 何を――、ちょっと待て! そもそも呪いを解決したがってるのはあの屋敷の――っ!?」
狼狽えるセルクの言葉が途切れる。
「オソウジシナキヤ! ジユジユツシ、コロサナキヤ!」
「くそ! 急に何なんだ――!!」
セルクが組していた女が急に暴れ出した。抑揚はないが声量のある叫び。ばたばたと両手足を大きく動かし、体をぐねぐねと捩らせる。
傀儡人形の名の通り、糸のついた人形のようだ。
押し付けられた剣で首を切っても痛みは感じていないようである。ぽたりぽたりと血が滴り、セルクは舌打ちをして刃をどかした。動きを奪いたいだけで、殺すつもりはないのだ。聞きたいことは山ほどある。
「セルクさん、俺が――」
荊は前もって傀儡人形の動きを封じておかなかった自分の不手際を責めた。ヘルを呼ぼうとした一瞬の先、傀儡人形はセルクの下から飛び出す。
「オソウジシナキヤ! ジユジユツシ、コロサナキヤ!」
不気味に沈黙を貫いていた人間は、がさがさと床を這いずった。女が目指す先にいるのは――。
「ペネロペ!!」
傀儡人形は縮こまっていたペネロペの細い足を引っ掴む。人間とは違い、骨折のしやすい鳥の足。めきめきと軋む音が響く。
がぱりと開けられた口、だらだらと垂れる唾液、伸ばされた舌。傀儡人形はがぶりと少女の細腕へ噛みついた。
「えッ、――うぐ、あア!?」
それは理性ある人間の行動ではない。
傀儡人形はペネロペの肉を噛み千切った。ぶちぶちと繊維の裂ける音、びしゃびしゃと血液が吹き出す。
骨がむき出しになった腕。声にならない悲鳴。
荊は傀儡人形を足蹴にすると、すぐに「ヘル!」と手を打ち鳴らした。そして、すぐにもう一度手を打つ。
「シャルル」
荊はペネロペの傍に跪く。それから、片手を彼女の背中に回して固定し、もう片方の手で彼女の腕にできた歯形を掴んだ。触れた瞬間、少女の口から痛みに怯える絶叫が放たれる。
「式上!? お前、何を!!」
「アっ――い、痛、いい――!!」
「ごめん、痛いね」
傷口に熱が集まっていく。
ペネロペは号泣し、嗚咽を零しながら、自分の死を覚悟していた。経験したことのない痛みに恐怖しかない。血のにおいに鼻が曲がりそうだった。喉の詰まって呼吸が苦しく、心臓の痛みが思考を奪う。
「どう? 大丈夫?」
ペネロペは絶望した。
何が大丈夫だというのだ。先ほどまでは割と印象の良かった男のことを、今は狂気の異常者としか思えなかった。腕の肉がなくなるほどの傷ができたというのに、どうしてそんなことが聞けるのか――。
荊の指にすっと肌を撫でられ、ペネロペは己の触覚の異常に目を瞬いた。
傷がない。
「ぅえ? え?」
「ごめん、痛覚までは消せないんだ。痛かったよね」
血に汚れた床の上、ペネロペは未だに己の身に起きた奇跡を受け止めきれていなかった。
それは氷漬けになった傀儡人形を拘束していたセルクも同じだった。一瞬にして起きた惨劇と鮮やかな補修に頭が追い付かない。
「足は折れてないみたいだし、他に怪我はないよね?」
「ん……、うん。お兄さん、一体――」
「ごめんなさい。俺のせいで君に怪我をさせた」
ぼろぼろのペネロペはぼやけた視界に荊を映した。
この人間が何者であるか。魔力の強さは言わずもがなだが、それだけで片付きはしない。
荊は何も答えなかった。ただ静かにペネロペの背をぽんぽんと優しく叩き、彼女の痛みが引くのをじっと待つ。
青年は無事に済ます術があったのに後手に回ったことを悔やんでいた。
しばらくして、ペネロペは「もう大丈夫」と荊の腕から飛び出した。おどおどとしていた雰囲気は緩和されていて、瑠璃色の瞳は荊とセルクとを順番に見てぺこりと頭を下げた。
「ありがとう」
「お礼なんて言わないで。こんなことになったのは俺たちのせいなんだ」
ペネロペは首を振って荊の言葉を否定した。
傀儡人形が呪術師――それも相当に力の強い者が作ったものと知りながら、感心するばかりで警戒をしていなかった。この中の誰よりも危険性を知っていたのに。
自分にも非があると拙い言葉で説明する。
しかし、荊もセルクもペネロペの言い分を受け入れなかった。
「本当にすまない。私の過失だ」
「いえ、俺も悪いです。謝って済む問題じゃないけど、本当に申し訳ありません」
二人は並んで座り低頭する。
どちらもが自責の念で潰されてしまいそうだった。あたりに飛び散っている血痕が良心を咎めているようである。
「え、えっと……?」
「あの傀儡人形をここまで連れて来たのは私たちだ。尾行されていると知って泳がせていた。私たちの行動を監視をするためだと思っていたが、本当の目的はお前を殺すことだった」
「え? え?」
「俺たちがペネロペを危険にさらしてしまって……、本当に痛い思いをさせてごめんね」
話の流れが分かっていないのか、ペネロペはおろおろとするばかりだ。
「ペネロペを狙った理由は、彼女がナターシャ嬢の解呪に当たっているからか?」
「そうだと思います。あれだけ力の強い呪術師なら、解呪しようとしている彼女の存在には気づいていたはず。それでも、どこの誰かは分かっていなかった。もしくは、何かが原因で彼女のもとに辿り着けなかった」
荊は自分の頭の中を整理するように、思いついたままを淡々と羅列した。
ペネロペを狙う理由は一択であるが、傀儡人形にわざわざ尾行させた理由はいろいろと考えられる。
一つ、確実であるのは、この騒動を呼び込んだのが荊とセルクであることだ。傀儡人形を見て分かる通り、相手は殺しの手段を持っている。それでも、今までペネロペが無事だったということは、そのチャンスがなかったということだろう。
黙ってその声を聞いていたセルクがおもむろに立ちあがる。ふらっと揺れたかと思えば、そのままペネロペの方へと倒れた。
「ぎゃあ!?」
「ちょっ、セルクさん!?」
押し倒す形でペネロペに馬乗りになったセルクはにこにこと笑った。その表情はきりりとした眉を吊り上げ、険しい顔ばかりを見せていた彼女らしくない。そもそも、この状況で見せる顔ではない。
ペネロペは突然の状況に顔を真っ赤に染めた。照れている場合でないのは分かっているのだが、近づいてくる凛々しい顔の前には不可抗力だった。
深い緑の瞳、伏せられたまつ毛、その視線の先にあるのはペネロペの唇である。
「セルクさん!? 本当にどうしたんですか!?」
荊は無礼を承知でセルクの背後から彼女の首に腕を回し、羽交い絞めにするとペネロペから遠ざけるように体を引いた。乱心にしても唐突かつ意味不明が過ぎる。
羞恥に固まっていたペネロペは「あうあう」と言いながら、セルクの下から這い出ようともがく。
腹の上に乗ったセルクの足にぺたりと触れた。
瞬間、彼女の異変の原因を知った。火花を散らすように、鮮烈に指先から伝わってくる。
「……呪術だ」
「え?」
「お姉さん、呪い、かけられてる」
「え!?」
荊はぎょっとして腕に捕らえているセルクの魂を覗き見た。最悪の想像通り、彼女の魂には透明で実態の見えない魔力の痕跡がある。しかし、それはナターシャや傀儡人形と比べれば随分と主張の小さな傷だった。
「一体、どこで呪いを……?」
「はっ……! ち、違う、やってない。ぼ、僕、解呪しか、できなくて」
「ペネロペのことは疑ってないよ」
魔力を目視で確認できるのだから間違えることはない。
荊はペネロペの上からセルクをどかすべく、腕に力を入れて彼女を引き上げようとしたがびくともしなかった。体重が重いのではなく、引いたのと同等の力で引き戻されている。
荊は感嘆した。自分はそれなりに怪力の部類だと思っていたが、騎士とはいえ女性に並ばれるとは。
「どいてあげてください、セルクさん」
「式上が抱いてくれる?」
「品のない呪いだな」
思わず漏れた心の声だった。
荊は汚物でも見るように目を細める。嫌々と顔を歪めた青年に、ペネロペは「色欲の呪いは、基本の呪い。単純でかけやすい」とセルクにかけられた呪いについて説明した。
荊はわななく。基本だか何だか知らないが、セルクという人間に色欲の呪いとは相性が悪すぎる。
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