第3話 日常に投げこまれた石
ギルドの雑談スペースはいつもより賑わっていた。
普段は無人ということこそないが、どちらかといえば閑散としている。今日は空いている席よりも埋まった席の方が多かった。
魔人も人間もいるそこで、蝶ネクタイをつけた白い猫は隙間を縫うようにしなやかに歩き、ギルド内を一望できる高さに用意された専用の見張り台へと飛び乗る。
ネロは高揚していた。久しぶりの獲物である。
「アイリスちゃん、どこ行きたい?」
「ええと」
「デート誘われて困ってる顔も可愛いなァ」
一人の男にちょっかいをかけられているのはメイド服の女。蘇芳の着ているものとデザインは同じであるが、スカートの丈が違う。足首まであるスカートは
柔らかな朝焼けの髪にきらきらとした萌黄のような瞳。少女の顔付きは万人の目に端正に見えるもので、うろたえるように下げた眉は押しに弱そうなところを体現している。
男に声をかけられるのも頷ける様相であった。
「申し訳ありませんが、デートはしません」
困った表情を浮かべながらも、少女――アイリスはきっぱりと誘いを断った。
しかし、男はそんな少女を見ても「強がっちゃって。構って欲しいの?」とまったく聞き入れない。
こうとなればネロの出番である。彼の仕事は愛玩動物として愛嬌を振りまくことでも、癒やしを提供することでもない。
アイリスのお目付役である。
しかし、その意気込みは何にもならなかった。
ネロが準備を始めた途端、少女に言い寄っていた男の隣にちゃらちゃらした男が並んだ。その男はアイリスにちょっかいをかけていた男とがっしりと肩を組み、軽薄そうな服装に反して真面目な顔で「やめとけ」と苦言を呈する。
ネロは忌々しく舌打ちした。
「お前、新人だろ? もしくは、このギルドに顔を出すようになったばっか」
「あ?」
「やめとけやめとけ、その子に手ぇ出すと死神様が黙ってねぇからよ」
「死神?」
乱入した男の言う通り、アイリスに声をかけていた男は新人だった。
新人の男は馴れ馴れしく話しかけてきた男をねめつける。妙な言いがかりで獲物を横取りするつもりかと警戒したのだ。
しかし、ギルドいる全員が手出し無用という意見に口々に同意を示しているのを見て、男も耳を傾ける態度をとる。たかだか男が女を口説こうという他愛ない光景に、どうしてこうもこぞって口を出してくるのか。
「たっだいまー!」
「戻りました」
できすぎたタイミングだった。
ギルドの扉を開け、入ってきたのはこのギルドの受付嬢であり、サブマスターでもある蘇芳と、実力ですべてをねじ伏せる新人の荊である。
黄色い歯を見せて笑う男は「あれが死神様だよ」と荊を指した。
そんなやり取りなど欠片も知らない荊はきょろりとギルド内を見渡す。
彼が目的の人物を見つけて表情を緩める姿は、このギルドではよく見られるものだ。
「ただいま、アイリス」
「おかえりなさい」
挨拶を交わすだけならこうも人目は引かない。
二人の雰囲気がどうにも人目をはばからずにいちゃつく恋人同士に見えるのだ。見慣れている者たちは、このままキスしたとしても驚かない。
実際のところ、二人はそういった関係ではないし、そんな空気を出そうという意識もしていないのだが。
「よそでやれよな」
誰かが呆れたように声をかける。
なんでそんなことを言われるのか、と驚くアイリスと他人事のように笑って聞き流す荊。当事者たちは言い返さなかったが、奥のカウンターから「いやいや、よそに行かれちゃ困るよ! 二人ともうちで末永く働いてね♡」と見当違いのラブコールが届いた。
「アイリスちゃん! デートしてよ!」
どうみてもお相手だろうという男が登場しても、新人の男は止まらなかった。むしろ、荊を見たうえでいけると踏んだのかもしれない。
肩を組んでいた男を跳ねのけ、荊の前で少女の手を取ると男はぐいぐいとその距離を詰めた。
「一晩でいいから」
荊はきょとんとし、止めに入った男は「あーあ」と呆れたため息をもらす。
そして、ネロは歓喜した。
最近は手を出すなと言う暗黙の了解が通っており、仕事をする機会がなかった。仕事がなければ褒美を手に入れるチャンスもない。彼にとって仕事ができるということは、褒美がもらえるということと同義なのだ。
「え?」
ぱきぱきと乾いた音とともに部屋の空気がぐんと寒くなる。
驚きの顔をするのは新人の男だけだ。ギルドの連中から、アイリスにかけられた魔法もどきが発動するのを囃し立てる声と非難する声が半々で上がる。
前者はそれを見世物だと思っているし、後者はナンパぐらい好きにさせろというものだ。
あっという間だ。
男の足の先からぞぞぞと這い上がるように凍りついていく。男がその異変に気付く頃には足は固まり、身動きが取れなくなっていた。
「覚えておいてください。彼女の気持ちを考えない奴は老若男女問わずに氷漬けです。口説くなら誠実にお願いしますね」
荊は愛想の良い笑顔のままでそう言い切ると、アイリスには仕事に戻るように言い、ネロへと一瞥をくれてやった。してやったりとした白猫がご機嫌に尻尾を振っている。
新人の男は目を白黒とさせていた。
何が起こったのか。ただ、給仕の女に声をかけたことが原因で、目の前の妙に綺麗な男の仕業であることだけは分かる。
「だから、やめとけって言ったろ」
一度は仲裁に入った男は豪快に笑うと、新人の男を拘束する氷を足で砕いてやった。すべてを粉砕はできなくとも、男を自由にするには十分で、助かるや否や新人の男はかっと顔を赤に染めてギルドから出て行ってしまう。
こうやって辱めを受けてギルドを去っていた者は少なくない。
「言わんこっちゃない」
「よく言いますよ。自分だって、ああなったことあるじゃないですか」
「だから次の犠牲者が出ないようにしてやってんだろうが」
呆れたようにする荊に、男は心外そうに目を細める。
「しかし、おめーはいいよなあ。蘇芳ちゃんとデートに出かけて、その帰りをアイリスちゃんが待ってくれて」
「騎士様の監督下で魔物狩りがデートですか」
「かー、その言い草だよ! 蘇芳ちゃんと一緒に仕事できるだけでいいだろうが!」
男は大きな手で荊の頭をがしがしと撫でると仲間の輪へと戻っていった。ぼさぼさの髪を直しながら、荊はふうと息をつく。同僚の気安さがどうにもむず痒かった。
荊とアイリスがギルドに身を寄せてから一か月。
とにかく強く、何をやらせてもそつなくこなす青年と、少しの不器用ながらも一生懸命ギルドメンバーを迎える少女が馴染むには十分の時間だった。
二人とも正式なギルドメンバーのうちでは最若年層に含まれ、小生意気な弟分と愛らしい妹分として可愛がられていた。
当然、彼らが気に食わないという者たちもいるが、下手に口に出して荊に目をつけられては敵わない、とそっと口を閉ざしている。
「休憩時間をもらいました」
「お疲れ様」
「へへ、荊さんこそ、お疲れ様です」
荊が空いた席に座ると同時、両手にマグカップを持ったアイリスが当然のように彼の向かい側へと腰を下ろした。
コーヒーの香り。
荊はすっと差し出されたそれを受け取る代わりに、包装された箱を差し出す。花柄の小さなそれをアイリスは手を触れずにまじまじと見つめた。
「なんですか?」
「パオの実のクッキー。好きだって言ってたろ?」
「えっ!?」
アイリスは思いもしていなかった贈り物に目を丸くする。
贈り物をもらったことももちろん嬉しかったが、それよりも荊が自分の好きなものを覚えてくれていたことが嬉しかった。
ばっと顔を上げたアイリスが青年を見やれば、その顔はたおやかに微笑んでいて、慈しみのある優しい眼差しを少女に向けていた。
アイリスは逃げるように顔を伏せてしまう。甘やかされているのがありありと分かってしまい、恥ずかしかった。
「あ、ありがとうございます」
「ううん。俺もどんな味か気になってたから」
やはり、アイリスは顔を上げることができなかった。耳に聞こえる声だけでも、青年がどれだけ少女に気持ちを傾けているかが伝わってくる。
――可愛い。
荊は照れるアイリスを見てさらに甘やかに視線をとろかしていた。手をかければかけるだけ新鮮に反応をする少女に、あれこれするのは単純に楽しかった。
ギルドのドアが開くと、からからと特徴的なベルの音が鳴る。
音に引き寄せられるように、荊は小さくなって照れているアイリスから、扉の方へと目をやった。
入ってきたのはメイド服を着た中年の女性だ。
きりりとした眉に意志の強そうなぎょろりとした瞳。おくれ毛一つなくまとめられた髪の毛はキャップに隠されている。
アイリスや蘇芳の着ている可憐さに特化したものではなく、クラシカルな装飾の少ないデザイン。機能性と品性を第一としている。荊には彼女の服の方が慣れ親しんだもので、好感の持てるものだった。
清廉な服装に負けず劣らず、着ている人間も品行方正そうだ。真っすぐの背筋、硬い表情はとっつきにくさすら感じる。
ギルドメンバーには見えない。となれば依頼人であろう。
「アイリスの制服、もう一回考え直してもらう? ああいうのの方が仕事しやすくない?」
荊はなんとなしにそう提案した。
青年の声がいつも通りになっているのが分かり、アイリスはゆっくりと顔を上る。そうして彼の視線の先を追って、少女は再び顔を伏せた。
どっと心臓が杭を打たれたように痛む。
「アイリス?」
「……!? あ、う……」
異常だった。
来訪者を一目見て、アイリスは顔を伏せてかたかたと震え始めた。羞恥に身体を縮こまるのとは違い、身を潜めようとする動きに、荊は反射的にアイリスの傍に立ち、自らを目隠しに仕立てた。
「どうしたの? あの人、知り合い?」
「お、お屋敷の……」
「お屋敷?」
少女の顔色は青白く、自分の身を抱く腕すらも血の気が引いている。
荊はちらりと女を見やった。
カウンターで蘇芳と言葉を交わしている女にぱっと見で分かる異常はない。
気づかせない程度にじろじろと観察していた視線が、来訪者とではなくその相手をしていた蘇芳と交わる。蘇芳は何とも言い難い表情で小さく手を挙げた。
「荊君、ご指名~」
「?」
指名なんてシステムがあっただろうか、と一瞬だけ考えたが、ここのところのラドファルールからの依頼がそれであることに気づき閉口した。
「ネロ」
元より怯えるアイリスに気を張っていたネロが、見張り台の上から飛び降りてくる。ネロはとてとてとアイリスの足の周りをうろついた。
「アイリスをお願い。バックヤードに下がれるならそっちに」
「みゃお」
こくりと頷いたネロに少女を任せ、荊はカウンターへと向かう。
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