盗んだ宝物
……………………思い出した。
あの日ケン君が、自慢気に見せてくれたサイン入りボール。
羨ましくてしかたがなかった私は、それがどうしても欲しくなって。無理を言ってキャッチボールをさせて、わざと遠くに放った後に探すフリをして、そっとズボンのポケットに隠したんだ。
そうとは知らないケン君は当然、失くしたボールを探そうと一生懸命だったけど。本当は私が持ってたんだもの、見つかるはずがなかった。
日が暮れて、諦めて帰ろうと促す私の言うことを聞かずに、探し続けていたケン君。私はそんなケン君を置き去りにして、一人で家に帰って。そしてケン君は、その日から行方不明になったんだ。
よく一緒に遊んでいた私は、どこに行ったか知らないかって、真っ先に尋ねられたけど、本当のことを言うことはできなかった。
怖かったんだ。サイン入りボールを盗んだことが、私が置いてきぼりにしたせいで、ケン君がいなくなってしまったとバレるのが、とても怖かったんだ。
いったいどこまで行ってしまったのか。
いつまで経ってもケン君は見つからずに、そして私は、盗んでまで欲しかったサイン入りボールを、罪悪感から見ることができなくなってしまっていた。
ほんの出来心だった。こんな大事になるなんて、思わなかった。いっそ何もかも忘れて楽になりたいって、毎日思っていた。
そしていつしか、本当に忘れた。忘れてしまっていた。罪の意識から逃れたい気持ちが、記憶に蓋をしていたのだ。そう、今の今までは……。
「お姉ちゃん。僕のボール、返して」
じっと私を見上げながら、あの頃と同じ姿で、変わらない声でボールを要求してくるケン君。
嘘、こんなことあるはずない。ケン君は十何年も前に行方不明になっているんだし、それにあの頃から全く変わっていないなんてあり得ない。
だけど現に、今こうして目の前にいる。つまり、普通じゃないことが、起きていると言うことだ。
「返して。ねえ返して。僕のボール、返して」
右手を差し出しながら、おねだりをするように「返して」を何度も繰り返し、その声が誰もいない夜道に響く。
どうして今頃になって、ケン君は現れたのだろう? そう考えた瞬間、再びキーンとした痛みが、頭を襲った。
そうだ、その答えを私は知っている。
今朝家を出る前、彼と一緒に朝食を取りながら、テレビのニュースを見ていた時。
画面に写し出されたのは、私の生まれ育った故郷。あんな田舎町がテレビに出るなんて珍しいとテンションが上がったけど、それはほんの一瞬。ニュースの内容は、死後何年も経っている男の子の白骨死体が発見されたというもので、私は報道を少し聞いただけで、すぐにチャンネルを変えた。
だってとても、嫌な気持ちになったから。思い出したくもないことを思い出してしまいそうな、嫌な気持ちに。
今ならわかる。あの時私は、ケン君の事を思い出さないよう、無意識に動いていたのだ。
数十年の時を経て発見された白骨死体。すぐさまチャンネルを変えていたせいで、詳細は分からないけれど、きっとその正体はケン君。
どういう経緯かは知らないけれど、たぶんあの後ケン君はボールを探している途中に、事故か何かで亡くなって。遺体は今まで見つかっていなかったけど、何かのきっかけで発見されて。
そして私の元に現れたんだ。あの日盗まれたサイン入りボールを、返してもらうために。
「ごめん……ごめんなさいケン君」
「返して。ねえ返して」
「あんなことになるなんて、思わなかったの」
「僕のボール、早く返して」
何を言っても、私の声なんて聞こえていないように、「返して」やめてくれない。
怖くて、少しずつ後退りしたけど、すぐに道のわきに追いつめられてしまう。
私だってできることなら、ボールを返して謝りたいけど、それは無理な話。だってボールを盗んだのは、もう十数年も昔のこと。しかも今の今まで、その事を忘れてしまっていたのだ。ボールなんてどこにあるか、もう思い出せない。
実家のどこかに眠っているのならまだいい。もしかしたらもう、捨ててしまったのかもしれない。ボールを見ると、罪の意識に苛まれてしまうから。
可愛がっていたはずのケン君を裏切って、勝手に罪悪感にかられて、大事なボールからも目を背けて。子供の頃の私はなんて酷い子だったのだろう。
だけど、いくら後悔してももう遅い。
ケン君はやっぱり、私の事を怒ってる? ボールが無いなんて知ったら、いったい何をされてしまうか。考えたら、全身が震えてくる。
いっそこのまま、逃げ出してしまおうかとも思ったけど、良心がそれに待ったをかけてくる。
そんなつもりは無かった。だけど、ケン君が死ぬ原因を作ったのは私。このまま逃げて罪から逃れようなんて、虫がよすぎる。
怖かったけど、それでもケン君を見て、歯をガチガチ言わせながら震える声で言った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ボールを取っちゃってごめんなさい。ちゃんと返してあげたいけど、持ってないの。だから、ごめんなさい……」
いつの間にか、涙がボロボロと頬を伝っていた。
その涙は、死んだケン君が現れたことへの恐怖によるものか。それとも犯した罪に対する、罪悪感が流させたものか。
ケン君はそんな私を無表情で見つめながら、ポツリと呟いた。
「本当に、持ってないの?」
眉ひとつ動かしはしなかったけど、どこか残念そうな声。私はコクコクと頭だけを動かして頷くと、ケン君はすっと背中を向けてきた。
「持ってないなら仕方がないか。バイバイ、お姉ちゃん」
こっちを見ないまま静かにそう告げると、足音も立てずに闇に吸い込まれるように、暗い夜道の先へと歩いて行くケン君。
やがてその姿は見えなくなり、途端に私は全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
「ごめんね、ごめんね……」
相変わらず涙は止まらなくて。謝罪の言葉が溢れ出てくる。
よく私の後ろをついてきていて、まるで姉弟みたいに、仲良しだったケン君。なのにどうしてそんなケン君の大事な宝物を、盗んでしまったのだろう。
だけどいくら考えたところで、取り返しがつくわけでもない。
私は自分のしてしまった事を後悔しながら、ただ泣くことしかできなかった。
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