第六章 4
琉球共和国は、アジア全域のリーダー国になっていったのである。
当然のことだが、世界での、発言力も、強くなっていった。
安保理の、常任理事国で、発言力も増していったので、欧米各国とも、緊密な関係になっていった。
常任理事国でありながら、琉球連邦アセアン連盟の加盟国である、インドを、「琉球連邦アセアン連盟国」の議長国に指名した。
インドは、それを、積極的に受諾した。
南米のチリ、ボリビアとも、友好通商条約を結んだ。
さらに、ブラジルとも、友好通商条約を結んだ。
ブラジルに、アフリカや、紛争国の難民に食料支援を行うように、話をした。
ブラジルは、
「それは、当然のことである」
と承諾をしてくれた。
欧米諸国は、琉球共和国の活躍に、瞠目した。
すべて、平和外交であった。
東アジア共和国の、アジアン=ドルを、変動為替に、自国の方から、市場に乗せることを、欧米各国に、提案したので、欧米各国は、大変に民主的であり、歓迎の意をしめした。
アメリカ=ドルとの混同を、防ぐために、ADと言う、略号を、使うことになった。
紙幣は、日本で、印刷することになった。
日本の印刷技術は、一流のレベルにあったので、安心出来た。
中央アジア銀行を、首里に造った。
各国に、支店を開設していった。
首里にも、印刷局を開設した。
最近では、こうしたことは、秀球が、行っていた。
当然、事前に、内密に、R1号に相談があった。
R1号は大変に楽になった。
Rグループから、本名になって、表の世界に出ていくものも、増えてきていた。
ここと思うポストには、Rグループのものを入れていった。
東アジア共和国には、日本の自衛隊、韓国軍、琉球共和国の軍があった。
三国の合同演習も、頻繁に、行っていたが、これに、米軍が加わっての、合同演習や、リムパック(環太平洋諸国)の合同演習もあった。
さらに、琉球連邦アセアン連盟が参加した。
そして、旧ロシアの共和国の「琉球連邦友好連盟国軍」も参加した。
中央アジアの、琉球連邦も参加した。
それは、物凄い、兵力になった。
もう、単なるリムパックの合同演習とは、呼べなくなった。
アメリカ側でも、そう思っていたようで、
「リムパックでは、収まりがつかなくなったな。名称を、世界防衛連盟合同演習と変更する」
という提案がなされた。
「それでしたら、英、仏、独、伊などの、軍も参加したした合同演習ということにいたら、いかがですか? さらに、ブラジルをはじめ、アルゼンチンといった、南米で、政権の安定している国軍をも参加させて、国連軍合同演習ということにしていったら、いかがでしょう」
とアメリカ側に、琉球共和国から、さらなる提案をして、採用された。
しかし、東アジア共和国と米軍の合同演習が一番多かった。
もう、軍備を必要とする、仮想敵国もなかった。
*
白井と、渡部が、が琉球共和国に、出かけることになった。
林とその他の、男性二名、女性二名の計五人を逮捕、起訴することになったので、それの報告に、中城秀建のところに、行くことになったのである。
報告を聞いた、秀建は、
「誠に、ご苦労さまでした」
と三国の総統という地位にあるのに、丁寧に、礼を述べた。
「これで、舞も・・・浮かばれることでしょう」
とうっすらと、涙を浮かべた。
「ありごとうございます」
再度、頭を下げて、礼を述べた。
白井と、渡部は、苦労が報われた気がした。
自宅に行って、仏壇に花と、線香を供えた。
琉球では、仏壇のことを、「神棚」と呼んでいた。
「本当は、中国に渡って、グループを一網打尽にしたい思いです」
と、白井が、膝に置いた拳を、強く握りしめた。
「しかし、その中国は、すでに、ありません。私は、舞のこともあって、沖縄というよりも、琉球の独立を願って、首里の役所の前で、1人で、座り込みという、自分に出来ることをやろうと、はじめたのです。何かをやらずには、心が落ち着かなかったのです。 そうした、運動が、私自身も、驚いたのですが、急激に広がりを見せて、それが、被支配民族の、中国の、チベット、ウイグル、内蒙古、モンゴル、寧夏回部族、旧満州部族、広西壮部族、といった、漢人から、差別扱いを受けていた、多くの部族の人々が一気に決起して、中国の中央に、猛烈な抵抗運動を仕掛けていき、結果的に、中央政府を倒してしまったのです。 正直にいって、驚きました。 その波が、中央アジアで、隣接している国々を刺激して、ロシアにまで広がって、多く
の部族を、共和国としている、シベリアの、遊牧民出身の人たちを、立ち上がらせたのです。 その結果、中国と、ロシアという、巨大な国家が、倒壊して、各民族が、独立したのです。 二つの国とも、多民族国家でしたからね。それが、覇権的に、少数部族の国や地域を、武力で、領土を奪っていった。 その長年の、つもり積もった、怨念が、二つの、強大な国家を、倒してしまったのでしょうね。 彼らは、ことの発端であった、琉球共和国を、宗主国と勝手に尊敬しだしたのです。 私の座り込みから、始まったことで、世界が、こんなにも、変化してしまったのです。信じられないことです。 もう、中国には、マフィアなど、おりませんよ。いても、地下に隠れて出てきません」
と一気に言った。そして、首を振ったのであった。
白井と、渡部は、黙って頷く他はなかった。
秀建のいうことに、偽りはないであろう。
長く校長という職を勤めてきた、実直な、人柄である。
与那原の家も、以前のままであった。
白井は、
(この実直さが、信用になって、多くの人々が、秀建さんについてきたんだな)
と合点が、いった。
(実直な秀建さんが、座り込みをやったのは、よくよくのことだと、誰しもが思ったのだろう。 その影響力は、燎原の火のように、勢いよく、燃え広がっていったのだろう。秀建さんのキャラクターが、大衆に受け入れられたのだ。 恐らく、秀建さんは、自分で、初代大統領や、琉球共和国、日本、韓国の三カ国で対等合併によって、造られた、東アジア共和国の、総統も、望んで就任したのではあるまい。周囲に推されて、断れなくなって、引き受けたのだろうな。そういう人だ)
と白井も、渡部も、そう思った。
事実その通りであった。
「でも、秀建さんが、こんなに喜んでくさるとは。琉球まで来た甲斐がありました」
と渡部が、言った。
事件は、解決したような、未解決のままのような終わり方をした。
捜査本部は、林たちの逮捕をもって、一応の幕引きとなって、捜査本部は、解散ということになった。
予算の掛かることである。
どこかで、幕を引くしかなかった。
沼津や、熱海の事件は、伊東署には、責任はなかった。
各所轄が、継続して行くことで、伊東署が、ひきつぐ必要はなかった。
「もう、これ以上の予算は無理だからな」
と署長と副署長が言った。ケチなのではない。
地方の所轄の予算などというのは、その程度のものだったのである。
署員たちも、判っていた。
(また、退屈な日常に戻っていくんだな)
と署員たちは、思っていた。
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