第六章 3

その日本に対して、琉球国から、面白い申し入れが、裏のパイプを通じて、

「対等合併の可能性」

 を打診してきたのであった。

 ただし、二国だけではなかった。

「韓国も含めての、三国対等合併」

 だったのである。

「これは、大きな話だ」

 と、日本の政府も、韓国の政府も、同じように思った。

 琉球共和国の、動きは素早い。

 三国対等合併以外にも、アセアンにも働きかけをしていた。

 琉球国は、色々な形での、プロジェクトが、動いているようであった。

アセアン各国と、対等の友好条約や、通商条約を結ぶ働きかけを行っていた。

 その中には、共通の貨幣を、アジアン=ドルという形で、発行しようという約束や、関税の撤廃、ビザなし渡航を実施していこうという動きも、見せていた。

 さらには、警察官の合併や、軍事上の、合併などを含んでいる国もあった。

各国によって、合併は、条約のランクを変えていた。

モンゴル、旧満州女真族国、内蒙古、寧夏回国、広西壮国、チベット、ウイグル、カザフスタンの八カ国は、琉球連邦国ということで、琉球を含めて九カ国が、連邦国家を構成していたのであった。

 それ以外の旧ロシア連邦加盟国は、改めて、琉球連合国として、一級下級の扱いで、連合連邦国としていた。

「宗主国」は、琉球共和国であった。

アセアンには、インドも加盟している。

琉球・アセアン連盟国として、それらの、国々が、参加を表明していた。

 これらを総合すると、琉球共和国の、「宗主国」としての、立場は、巨大な国家を構成することになった。

中央アジアでは、友好条約や、提携、通商条約国、として、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、イラン、イラクまでが、入っていた。

 欧米に対する配慮は一切していなかった。

 琉米安保条約、琉英友好通商条約、琉仏友好通商条約、琉独友好通商条約、琉伊友好条約を結んでいるだけであった。

 西アジア諸国とは、アゼルバイジャン、アルメニア、グルニア、トルコ、シリア、ヨルダンとは、友好通商条約を結んでいた。

 アラビア半島とは、クウエート、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン、イエメンと、友好通商条約を結んでいた。

すべての国に大使館や、大使館と領事館を、おいてあった。

 アフリカには、友好通商条約の国と、友好支援条約の二通りの国があった。

 支援国には、きちんと、約束通りの支援をしていた。

 それは、「あっ」という間の出来事であった。

 欧米諸国が、会議を開いている間に、それらの、ことは、行なわれていた。

そのスピードには、到底太刀打ち出来るものではなかった。

 国連では、平会員であった。

しかし、ロシアも、中国も事実上、崩壊していた。

安保の常任理事国でいることは、奇妙なことになった。

そこで、琉球共和国と、ドイツ、インド、ブラジルが、常任理事国として推された。

 琉球共和国には、断る理由は、なかった。

米・英・仏と、琉球共和国と、ドイツ、インド、ブラジルの七カ国が、新しい常任理事国となった。

 日本と、韓国は、相変わらず、決断が遅かった。

「三カ国対等合併は、中止にしますか? 無理に、合併をすることはありませんから。ただし、石油、鉄鋼、非鉄金属、レアアースなどの、資源は、これまでの倍額になりますので、よろしく・・・」

 と、宣告したので、両国とも、慌てて、

「三カ国対等合併に関する、会議と批准を」

 といってきたので、琉球共和国は、

「首都は、首里に置くこと。通貨は、アジアン=ドルにする。国名は、東アジア共和国にすること。議会は、各国上院五名、下院十名の二院制にすること。三国の長は、国民三国の総統として、両院で、選出することする。総統に相応しい人物であることの、選出。天皇、国王は、各国民の象徴として除外すること」

その他の骨子が、提示された。

 その上で、

「遅い仕事は、誰でも出来る。あまり、遅いようなら、対等合併ではなく、吸収合併にする。三国の首長会談で、一度で決したい。それを。国連に通したいので」

 と督促をしたので、急遽、三国の大統領と首相が、会談をした。

すべて、中城秀球大統領のペースで、決定して、

「詳細は、内閣府、および、両院議会で、決めていくものとする。ここで、急ぐべきは、三国の対等合併の声明を世界に、発表することである」

 ということで、

「アジアの中核になるべき国として、我々は、東アジア共和国を、対等合併によって、建国するものである」

 という趣旨の声明を発表した。

総統に、中城秀建を任命したのであった。

 秀建は、

「引退した身であるから」

 と固辞したが、

「アジアの平和のためである」

 という秀球の言葉に推されて、

「冠として、引き受ける」

 と承諾をした。

 巨大な国家が、誕生した。

シベリアの極東部から、千島列島とカムチャッカ半島、樺太、日本列島、朝鮮半島、中国の一部、台湾、海南島、フィリピンの買収した三島に及ぶ東アジア共和国が、建国され、そこには琉球連邦が、入っているのである。

勿論、ロシアの各共和国も入っていた。

 結局、ロシアのモスクワと、サンクト・ペテルブルグと、中国の北京、南京、天津、上海、武漢、香港、、マカオは、琉球国の傘下に入った。

 これだけ、広大な領土を、領有する国はない。

しかも、覇権は目指しては、いないのである。

結果として、そうなったに、過ぎないのであった。

 核兵器は、すべて、破棄していた。

 IAEAの立ち会いの下に、すべての核兵器を、廃棄処分にしたのであった。

 これによって、アメリカも、すべての核兵器を廃棄処分をせざるを、得なくなったのであった。世界世論の前には、アメリカも屈せざるを得なかった。

英、仏の核兵器所有国も、同様に廃棄処分を行った。

東アジア共和国の英断に惜しみない拍手が送られた。

 はじめは、単なる琉球の独立だったのである。

 それが、R1号の巧みな、戦略によって、巨大な国家が、出現してしまったのである。

 ロシアも国名が変わった。モスクワ民主共和国となった。

 中国も、国号が、北京民主共和国となった。

上海民主共和国も生まれた。武漢民主共和国、香港・マカオも、民主共和国となっていった。

ペテルブルク民主共和国も誕生した。

 巨大な国家は要らないのであった。

 すべてが、民主主義自由国家になった。

大統領、もしくは、首相は、国民投票で行われた。

二院制の国会をもった。

ごく、当たり前の国家になっただけのことであった。

 覇権主義は、すべて、廃棄された。

 琉球連邦に加盟したいという、アセアンの国々が、続々と現れた。

 インド、フィリピン、マレーシア、インドネシア、バングラデシュ、ベトナム、カンボジア、ラオス、シンガポール、ブルネイ、東ティモールの十一カ国が参加を表明していたので、これらを、「琉球連邦アセアン連盟国」とした。

 ミャンマーは、政治体制の相違で、加盟したかったのであるか、諸国とは、一緒に出来ないので、「特別加盟国」という扱いにしたのであった。

 さらには、タイのように、国内に、紛争を抱えている国も、「特別加盟国」とした。

 その上で、紛争の解決を図るように、努力をすることを互いに、約束をした。

 軍事体制の、ミャンマーのような国に対しては、民主共和国化するように、相談に乗っていった。

 軍事政権の、トッップと協議して、いかにしたら、民主共和国化出来るを、具体的に、協議していった。

 大統領、もしくは、首相を、国民投票で選出して、国会を二院制にして、国会議員を、国民投票で選出する方法を、講じていった。

 反体制の者たちにも、被選挙権や、選挙権を与えて、平和の内に、国家を運営できるようにするべきである、と説いていって、それを、実行出来る体制に変えていった。

 タイのような、まだ、本格的な紛争国でない国に対しては、国民の不満を、国民投票で意思表示させるように、させていった。

そのことで、国民が、落ち着きを取り戻していった。

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