第三章 4
上野にある、琉黄会の、本部事務所で、会長の山本三郎は、本部長の徳田に、
「警察(マッポ)のガザ入れも終わったが、どうにも納得がいかねえ」
と、体を震わせるようにして言った。
山本は、上野(ノガミ)の熊という異名があるほどの、武闘派であった。
見るからに、図体も大きい、紛争(センソー)で、負けたことは、一度もなかった。
任侠団体の親睦団体である、関東十日会の中でも、一目も、二目も置かれる存在であった。
琉黄会の参加組員は、一万五千人を数える、一大任侠団体であった。江戸時代からの、任侠の流れを汲む、歴史のある団体であった。
出来星任侠組織とは、一緒にならない。
任侠界の、親分の中の親分であった。それだけに、考え方も古かった。
「どういう積りだ。東京の六本木という繁華街で、六人を狙撃しただと。それも、たった一発で、全員、眉間を撃ち抜かれたと」
「へい・・・」
幹部の一人が答えた。
「そんな神業みてえなことが、出来るのか」
「よくよく訓練した、軍隊みたいな、特殊部隊を持っているグループってえことしか考えられねえ」
と徳田が、呻くようにいった。
「そんな任侠団体があるのか?」
「ですから、任侠団体というよりも、仁義もなにもねえ。ギャングのグループってことでしょう。金になることならなんでもやる・・・そういう、グループでしょう。話あいも何もありゃあしません。殴り込み(カチコミ)の仕方も、丸々仁義に外れています。恐らくは、中国、韓国、ベトナム、タイ、フィリピン、ブラジル、アフリカからも、人身売買もやってるでしょう。女には、売春、男には、重労働をさせて、利益(サヤ)を稼いでいる。中小企業の社長たちには、そういう便利な、存在が必要なんですよ。そうでなかったら、工場なんてやっていけねえ・・・」
「人間まで、情け容赦なく、商品にするということか」
「一番儲かります。本国にいたんじゃ食えねえ連中を攫ってきて、仕事をさせる。女で売春が、出来るとなれば、それも買いますよ。男は、山奥の工事現場に放り込んでしまえば、逃げようがありません。遠洋漁業の船に乗せるって言う手もあります。人間は立派な商品ですよ」
「そんなことが、出来るか。先代に顔向けが出来ねえ」
といって、奥の部屋に入ってしまった。
徳田本部長は、三人の幹部を、呼んで、小部屋に入った。
腰を下ろすと、三人に、「この、抗争(センソー)は、やめた方が良い。相手は普通じゃねえ」
と言って、三人の顔を見た。
三人も大きく頷いた。
「会長が、辞めろといっていた。ドラックに手を出したのが、始まりですからね」
「そういうことだ。相手は、熱海峠のときと言い、六本木のときといい。攻撃の仕方は、まるで、軍隊だ。到底、俺たちの勝てる相手じゃない。この前の抗争は、相手がハッキリとしていた。豪柔会で、中国のマフィアを巻き込んでの縄張り争いだった。それで、相手の組員を攫って、日本海に沈めた」
「本部長の言う通りです。対抗して、豪柔会も、こちらの組員を攫って、飛んでもない、報復をしてきました。けれど、その後話しあいが付いて、お互いに攫ってあった、組員の交換をしました。あの、飛んでもない、処刑は、豪柔会が取引をしている、中国マフィアの仕事だそうです」
と幹部の吉崎がいった。
「日本人では、考え付かない。非情なことを平気で、やるからな・・・俺は、今度の一件は、どこかのテロ組織の資金稼ぎではないかと睨んでいる。そんなものに巻き込まれたら、琉黄会の命取りだ。ここは、しばらく静観をしていた方が懸命だと思う。別に弱気になったわけじゃないがな。戦略もなしに突っかかって行くのは利口じゃねえ」
「本部長の仰る取りだと思います」
と三人の幹部が頷いた。
*
中城秀建は、自分が、座り込みや、講演をしているときに、
(誰かに、守られている)
という感覚を抱いていた。
それは、確証のあることではなかった。
その、感覚を感じると、安心は出来た。
秀建が、座り込みをしたり、講演をすると、会場に、入り切れない数の聴衆や、支持者が集まった。
彼らは、競うようにして、カンパを箱の中に投じていった。
秀建は、一切の講演料を受け取らなかった。
生活は、年金生活者であったから、実に、質素なものであった。
カンパは、会場費や、印刷物、看板などに使った。
印刷物も、看板も、出来る限り、手つくりにした。
秀建は、決して、エキサイティングな、講演の仕方をしたことはなかった。
常に冷静に、淡々と、
「沖縄にとって、独立こそが、最善の道である」
と言う持論を、ゆっくりと、聴衆に、語っていった。
そして、
「沖縄の、独立は、決して暴力や、武力で勝ち取るものではなく、我々、琉球民族の念願を、本土をはじめ、近隣の国々に充分に説明していかなくてはならない。暴力や、武力は、否定すべきものである」
と説いた。そして、
「決して諦めないことだ」
と聴衆に語りかけたのである。
淡々としていたが、一語々々が、重いものとして、聴衆の心に響いていったのであった。
秀建の話が進むにつれて、聴衆の間から、啜り泣く声が、上がりはじめていった。
男たちの眼にも、涙が滲んで行った。
「私は、もう、この年だ。やれることは、限られている。若い人たちが、沖縄独立の意思を継いで行って貰いたい。そのために、私は、この場で、言葉をつむいでいるのです。お願いしますよ。みなさん」
と涙を流さんばかりにして、言葉を結ぶのであった。
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