第二章 「コマンド」 1
電話は、一八七六年。自動車は、一八八六年。消毒法は、一八七六年。狂犬病予防接種は、一八八五年。レントゲンのⅩ光線は、一八九五年。電灯・電車・飛行機・ガソリン=エンジン・映画・ラジオ・合成染料・人造繊維・機関銃・ダイナマイト・コンクリート建築、殆どの科学・化学技術の発明、発見は、十九世紀に、欧州各国で、なされたものであり、工業化され、多くの企業が、雨後の竹の子ように起業されていった。
一大産業革命である。
これらの事業に必要な、人的資材、原料を、欧州は、アフリカ、アジアの発展途上国に求めた。
人的資源は、拉致した者を、奴隷として用い、アフリカ、アジアに、地下資源や、樹脂であるゴムなどを求めた。
これらの国を殖民地として、多くの資源や、物資を収奪した。
アフリカ、東南アジア、インド、中東、中国大陸、オーストラリアといった国々を、武力制圧して、世界大国になると言う、欧米帝国主義の戦略の芽生えは、化学・科学技術による、産業革命から、技術の、軍事転用で、強大な軍事力を握ったことから起こった。
イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・オーストリア・ロシア、そして、少し遅れて、アメリカが、世界市場に、オープン・ザ・ドアーと、殴り込んできた。
インド大陸・中国大陸に眼をつけた欧州は、日本の九州と、ほぼ同じ面積、人口のオランダまでもが、調子づいて、台湾に、ゼーランディア城を築いている。
さらには、小国の、ポルトガルまでが、中国のマカオに租借地を造っている。
その根拠は、何なのか?
イギリスの、傍若無人な武力行使は、何だったのか?
明らかに、覇権主義である。
ここで言う覇権主義の語彙は、最悪の意を含めたカテゴリーで用いている。
日本は、薩英戦争・長英戦争に敗北を喫してから、状況は、尊皇攘夷から、一気に、開国論に急傾斜して、滑稽なまでに、欧米列強に、追いつき、追い越せと、欧米文化の摂取に努めた。
明治維新以後、軍備の増強に精を出して、日清戦争、日露戦争に勝利した。
欧米列強は、刮目して、日英同盟が結ばれ、八カ国連合に参加した。
日本の軍事力は、自国防衛から、始まっているのである。
それが、日清・日露戦争で、勝利したことで、軍部の暴走に、歯止めが掛からなくなった。
政治家が、幾ら国会を開いても、「統帥権」という、絶対無二の、権力を盾にして、中国大陸、朝鮮、台湾、東南アジア、太平洋に「雄飛」しようと、戦線を拡大した。
日本軍部の言い訳の聞かない、愚行は、数々の形で行われた。
一部の軍部の驕り、たかぶった暴挙が、遂には、取り返しの付かない、歴史への汚点を、濃密に、他国・自国の国民を鮮血で、染め上げていったのである。
そうした、軍部の、暴走に反論すれば、「非国民」の名の下に、決定的な懲罰を受けた。
軍国主義体制下の中で、軍部批判をすることは、身の破滅を意味した。
潮流の怖さである。
それに輪を掛けて、徳富蘇峰らの、文化人が、口にスピーカーをつけて、軍部の意向を喧伝していった。
そして、太平洋戦争の勃発、やがて、敗北である。
沖縄は、その過程で、悲劇の島となった。
今日現在も、悲劇のままである。
アメリカは、いつまで、戦勝国気分でいる積りなのだろう。
沖縄の基地に「思いやり予算」だという。
これほど、空虚で、いやらしい言葉はない。
その予算は、厖大な額に上っている。
沖縄県人は、猛烈に、そして、切実に基地の存在を、否定している。
戦争は、沖縄では、まだまだ、続いているのだ。
その、悲痛な思いは、
「本土の人間には、判らない」
と秀建は、言った。
自国の軍隊から、強引に、人間の盾にされて、弾丸が、自国の軍隊から、非戦闘員、目掛けて発射されてくる。
「こんな、無法があるだろうか。軍人の風上にも置けない、日本の軍隊とは、なんなのだ?」
秀建の吐露する、言葉に反論出来る、本土の人間は、いるだろうか。
*
「俺は、目的達成のためには、手段を選ぶつもりはない。非合法組織とも、手を組む。決して本意ではないがな」
R1号と、コードネームで呼ばれている男性が、仲間たちに、渇いた声で言った。
東京の、大田区の羽田空港に近いところにある、グループの極秘のアジトでのことであった。
町名で言うと北糀谷であった。
七階建のマンションの三階のフロアーを、借り切っていた。2DKの部屋が、五室あった。
地下の駐車場には、五台分のスペースを借りていた。
ネームプレイトには、「経済科学研究出版社」とあった。
実際に、会社登記をしていた。
そうでなければ、マンションを借りることは出来ない。
会議室のようになっている、304号室には、数名の男女が、集っていた。
「琉黄会から、暗号で、荷が入るという、連絡がありました。ハングル文字で、暗号というか、隠語を使っています。隠語は、経済用語を利用しています」
とR3号が、1号に報告した。
「粉か、錠剤(タマ)か?」
「錠剤のようです」
「売り子は、どっちを好む?」
「どちらでも、商品ですから、粉は、パケで捌きますから、同じみたいです」
「売り子は、必ず、アフリカ人を使え。英語の判らない者にしろよ」
「はい。ショバ代は」
「心配するな、無駄な闘争はしたくない。金で済むことだ。払っているよ」
Rを省略して、1号、2号と呼び合っていた。
「本国のグループの人数は、増えている。我々の活動が、伝わっているということだ。今、必要になってきたのは、兵器・武器だな。これを、入手できる国と、取引しなければならないな」
とR一号が言った。
目的については、もう、グループ全員が、知っていることで、いまさら、この場で言う必要は、ないことなのであった。
*
小野岩友で、ガンさんと呼ばれている刑事長と、渡部刑事、それに、白井は、さらに、辛いことを、中城夫妻に、訊きださなくてはならかった。
「東京に出てきたあと、舞さんは、横須賀に、ご両親にしたら、いたたまれない、お仕事をしていたと、仰られましたが、その時に、ご実家の方には、舞さんから、何らかの形で、連絡はなかったのですか?」
渡部が、出来うる範囲、中城夫妻を、労わるようにして訊いた。
「手紙が来ました。写真を添えて。これが、その手紙です」
と母の満枝が、封筒を差し出した。
写真が、五枚入っていた。
その中の一枚が、舞の背中の刺青の写真であった。
満枝に、ガンさんが、
「犯人検挙のために、写真が必要なので、ぜひ貸して戴けませんか。公表はいたしません。厳格に管理をいたしますので、ご協力下さい」
と頼み込んだ。
「今となっては、舞の大切な、形見です。必ず返却してくれますな」
「勿論ですよ。お父さん」
「犯人を、必ず検挙してください」
秀建が、祈るようにいった。
写真と、手紙が入手出来たことは、大きかった。
手紙を、要訳すると、次ぎのようにしたためられてあった。
『何とか元気で過ごしています。自分の肉体を、いっそ、激しく汚してやろうと決意して、横須賀にきて、黒人兵相手の、売春婦になりました。でも、そうしているうちに、虚しくなって、今後のことを考えているときに、彼と、知り合ったのです。何年か、沖縄で、生活をしていたことのある、林高徳(はやし・たかのり)さんで、彼に、これまでのすべてを打ち明けました。彼は、いままでのことは、事故だといって、優しく受け入れてくれ、愛しあうようになりました。実は、彼は、林高徳(りん・こうとく)という、中国人だったのです。結婚するときに判りました。でも、どんな人であっても、こんな私を、優しく受け入れてくれる人は、他にはいません。彼と結婚します。彼は、日本に帰化するといってくれました。大切にしてくれます。これが、彼の写真です。私も頑張ります、お父さんも、お母さんもいつまでも元気でいてください。親孝行できなくて、ごめんなさい。また、連絡します』
その手紙を読んだ瞬間に、小野、渡部、白井は、
(男は、日本国籍を手に入れるために、中城舞と結婚する気だな)
とピンときたが、そのことは、中城夫妻には言えなかった。
「横須賀で、結婚して、籍を入れたんですかね?・・・」
渡部が、訊くのに、満枝が、
「そうだと思います」
と答えた。ガンさんが、
「背中の刺青は・・・」
と訊くのに、満枝が、
「結婚相手に、せがまれて、彫ってしまったようです」
と答えた。
小野が、白井に、
(照会しろ)
と目配せをした。
白井が、無言で応接間を出た。
手紙と、舞の写真、それと、林高徳の写真を、課長に差し出して、
「被害者と、その夫の写真です」
「む。一歩前進だ。直ぐにコピーしろ。封筒ごと証拠品になる。大切に扱え」
「はい。鑑識に廻します」
「結婚をしたのは、横須賀のようなので、照会します。中国人です。日本国籍を、得るための手段だと思われます」
「む。外国人の結婚なら、直ぐに特定できるだろう。男の方の身元は、まだ割れてない。その夫と、きめ付けることが出来ないのが弱いがな」
「男の方の体の特徴が、出ています。両脚の足の裏に、北斗七星のような、刺青があったというのです」
と、松本刑事が、言い、
「それを、追っていたところでした」
と、別の捜査員の一人が言った。吉川刑事であった。
それを聞いて、白井が、
「中国の東北部、以前の満州ですが、足の裏に北斗七星を、踏むものは、天下を取るという言い伝えがあるそうです」
と言った。
「私も、付け焼刃で、中国史の本を読んで勉強しただけですが」
と付け足した。
「愛新覚羅ヌルハチには、足の裏に北斗七星の赤い痣があったというぞ」
課長が言った。
「俺は、学生時代に、何かのことで聞いたことがある。ヌルハチは、満州人だよ」
「女真部族ですね」
白井が答えた。
「ということは、男の被害者は、中国人で、それも東北部出身の男であると言う、可能性は高くなりますね」
松本刑事と、吉川刑事が、身を乗り出してきた。
「横須賀に当れ。戸籍係と、法務局の外国人係だ。至急調べろ」
課長が命じた、捜査本部に俄然、活気が湧いてきた。
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