第一章 4

白井姉弟が、静岡県内に勤務していたのは、偶然ではない。

生まれも、育ちも静岡県の三島市であった。

白井は静岡大学を卒業後、警察に入った。

三島に実家があった。母のきよが住んでいる。父は、単身赴任であった。

陸自の幕僚の息子であることは、権藤警視も、白井の身上書を読んで承知をしていた。

権藤の気持ちも、白井と変わっていなかったのである。

権藤警視とのことを、密かに、渡部に伝えた。渡部は、

「そうか」

と答えて、黙った。やがて、

「難事件だぞ」

と呟くようにいった。

「はい。爆発物の手榴弾(パイナップル)が、何所から出たものか」

「目下、科捜研で、追求しているようだ」

「タイア痕の、車幅の広い車を、洗い出して見ようと思っています。民間人で、ハマーに乗っている者となると、数は、限られて来ると思います」

「確かにな。すでに、登録車については、虱潰しに、当たっているそうだ」

「民間人で乗っている者がいるとしたら、相当の軍事マニアのはずです」

白井は、すでに、獲物を追う、シェパードの眼になっていた。

シェパードは、軍用犬である。ドイツや、アメリカなど、各国で、使っていた。

警察犬でもあった。

日本でも、シェパードを使っている。

(白井は、猛烈に走り出しているな)

と渡部は思った。

白井の学業成績は、小学校のころから、大学まで、常に優秀な成績であった。

しかし、ガリベン型ではなく、スポーツも好きで、柔道や、空手などを、父親の影響で習ったりしていた。

警察に入ってから、剣道も習いだしていた。

特別に正義感が強いと言う訳ではなかった。

テレビゲームの好きな、現代青年であった。

出世にあくせくするタイプでもなかった。

しかし、今回の事件(やま)だけは、特別であった。

自分でも、制御出来ないほどに、一点を見つめて、視線を逸らそうとはしなかった。

動機が、姉の殉職である、爆死にあるのは、明白であった。

一点の先には、犯人(ほし)がいる。

しかし、犯人の姿は、濃霧の彼方にあった。

まるで、手掛かりがないのであった。

白井は、爆発で、粉々になってしまった、女性の死体に着目した。

初動捜査の段階で、鑑識は、女性の死体の膣内から、男性の精液を採取していた。

当然、死体の男性のものであろうと、誰もが思ったが、精液のDNAと、死体の男性の、体の組織から採取した、DNAは、まったく合致しなかった。

さらに、性液は、複数の男性のものが混合していた。

五名までは、DNAが確認できた。

「輪姦か、合意かは、不明だが、複数の男性と、殆ど同時期に、性交渉を持っていたということだ。殺される前だろう。石榴のようになって、人相も判明しなくなっている女を、死姦するかな? それも、複数の男たちが」

捜査会議の席で、刑事(デカ)長がいった。

刑事長は、小野岩友といった。

部下たちまでもが、「ガンさん」と親しみを込めてよんだ。

「どこまでも、不気味なというか、猟奇的な事件(やま)ですな」

渡部が言った。渡部も、白井も会議の席で、前の方の席に座るようになっていた。

捜査員たちは、白井の姉の一件を、承知していて、暗黙の内に、白井と、コンビを組んでいる、渡部を前の席に座らせていた。

「それと、女の被害者(がいしゃ)の背中に彫られた、多色彫りの刺青が、特徴的だ。全国の、彫師のところを、各県警に依頼して、廻らせている。この図柄を彫った彫師をみつければ、女の身元を割る有力な手掛かりになるはずだ」

とガンさんがいった。

誰もが、刺青の図柄に強い興味を持っていた。

その刺青の図柄というのは、任侠の人々が、良く選ぶ図柄とは、全くかけ離れていた。

それと言うのも、上半身が、人間の体を持っている男女で、下半身が、龍なのである。

そして、男性は、左手に、大工が持つような、尖端が直角に曲っている、曲尺(かねじゃく)と呼ばれる、規矩の道具を持ち、右手には、コンパスと思える、円を描く、二股の道具を、持っているのであった。

半人半龍の男女の体は、下半身が、互いに捩れて、絡まっているのであった。

その様相は、見る者に、男女の交接中を、想起させた。

その男女の、頭上には、太陽が輝き、足下には、月を思わせるものが、輝いてい。

二人の周囲や、スペースの空いている肌には、北斗七星や、その他の星座が、彫り込まれてあった。

男女の髪の形や、衣装、装身具は、日本のものではなく、異国のものであった。

しいて比定すれば、古代の中国のものかもしれない、と言う思いを抱かせたのであった。

「肌の色は、黄色人種のものだが、日本人とは、限らないな。極東アジア人のものと言う見方をしても、間違いではないだろう」

所轄の捜査一課長の栗林陸男が言った。


         *


捜査会議の後で、白井は、大学時代の友人の三木隆之に、連絡を取った。

三木は、学部が違って、文学部で、中国史を専攻していた。

現在は、静岡の県立図書館に勤務していた。

在学中から、司書の資格を取っていて、図書館の学芸部に勤務していたのである。

三木とは、勤務時間の終了後に、沼津であった。

焼肉屋で、食事を摂りながら、話をした。

白井は法学部で学んだ。

麻雀仲間でもあった。

最近は、麻雀は、学生の間では、あまり、流行っていないらしかった。

三木に会ってから、食事をしながら、

「見てもらいたいものがあるんだ」

と言って、刺青の写真を、見せた。

「正直に言って、この刺青が、まるで、クイズなんだ」

「仕事柄、白井は、この人物が誰なのかは言いたくないだろう。質問しても答えてはくれないだろう。俺も訊く気はない。従って、紙に描いてある、図柄と受け取ることにする。素直な感想を言えば、大変に珍しいものを見たということだな。中国の神話に出てくる、三皇五帝の中の、伏犠と女カの図だ。カは女偏に渦のサンズイを取ったものをツクリにあてる。それで、ジョカだ。三皇の中の二人で、これに神農を加えると三皇だ。五帝は、黄帝・帝センギョク・帝コク・尭・舜で、文字がPCのワープロにはないよ。この図のオリジナルは、新彊ウイグル自治区のトルファンで発掘されている。従ってこれを刺青にしているとなると、中国に余程興味がある日本人か、中国人ということになるかな? うちの図書館に本があるよ。相手が警官だ。貸し出ししてもいいだろう。家の方に送るよ。期間は、決めないが、用がすんだら、必ず、返却してくれ。図書館のものだからな」

「すまない。感謝する」

「中国史をやらないと、ちょっと奇異に思うだろうが、中国史の大本だよ。刺青のある、この人物の、性別は?」

「女性だ。国籍は不明だ」

「なるほど。女性本人の意思で彫ったとは、思えないな。愛する男のリクエストではなかったのかな? そんな感じがする。国籍が何所であってもな」

「いやあ。大変に参考になった」

と三木とその後は、世間話になって、

「しかし、白井のお姉さんのことは、遅くなったが、大変にお気の毒なことをした。いい出し難くで、別れ際になってしまったが」

と三木が、弔慰を述べて別れた。

後日、速達で、『中国の神話』という本が送られてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る