第一章 2

「伊豆高原男女殺人事件」

という「戒名札」が、管轄である、伊東署に張り出された。捜査の費用は、所轄の予算の中から出す。

しかし、捜査の主導権は、県警本部の捜査一課が、握っていた。

県警本部と、所轄では、殿様と、足軽ほどに、権限から、署内での、態度までに、差が付いた。

合同捜査会議でも、所轄の刑事たちは、会議室の、後方で、肩身の狭い思いをして、出席していた。

何所の所轄の刑事でもが、体験させられることであった。事件の指揮に当たったのは、本部の捜査一課、権藤警視であった。

「警視」と言われたら、所轄の刑事たちには、雲上人であった。

所轄の刑事では、星の数が、いくら多い者であっても、警部補辺りで、稀に警部がいるといった感じであった。

「長いものには巻かれろで、命令通りに靴の底を減らすしかないな」

と渡部稲造刑事が、会議の終わったあとで、呟くように、若い刑事の、白井義彦にいった。

渡部の相棒であった。

「本部(ほんてん)さんは、キャリアのエリートだ。俺は頭が悪いから、刑事(デカ)生活がやたらに長いだけで、うだつはあがらねえ」

 渡部は、最近になって、やっと警部補になったところであった。

「お情け昇進だな」

と自分で承知をしていた。

例によって、聞き込みの役割が廻ってきた。白井と、廻るのである。

「現場百回だよ。現場には、証拠の山が埋まっているってよ」

だからといって、渡部に、これといった、確信の持てることは、何もなかった。

「渡部さん。被害者は、男女とも、共通しているのは、一切の衣類、靴、持ち物にいたるまでが、奪われていて、遺留品と言うものが、何もないことですね」

「そうだ。しかも心中じゃない。心中で、わざわざスッポンポンになるか。しかも、凶器と言うか、死因だな。でも、戒名札が、所轄に貼り出された以上は、殺人事件です、と宣告したようなものだ。そうなれば、凶器でいいだろう。拳銃の銃口を、こめかみにあてがって、引き金を引いた。二人とも、顔面は、石榴のようになっていて、原形をとどめていない」

「従って、人相すら不明です。どこか、余所で、殺して、死体を運んだということですかね」

「そういうことになるだろうな」

「モータリゼイションの時代ですからね。どんな遠隔地でも、死体は運べます。フェリーを使ったら、離れ島からでも、運べますよ」

二人は、死体発見現場に立っていたが、白井の言う離れ島である、伊豆大島が、相模湾に浮かんでいるのが見えた。

大島の他に、伊豆七島までが、場所によっては、見えるのであった。

「なるほどな。伊豆大島といっても、行政的には、東京大島だぞ。大島は、県が異なるから、捜査に行くのには、出張のハンコがいるよ。ま、別に大島で、殺害されたと言う根拠も、証拠もないがな。フェリーで、クルマごと運んで来られたら、足跡もつかねえな」

「海ですからね」

「一例だな。捜査本部で、そんなこと言うなよ」

「はい。なんの根拠があるんだって、上から、どやされるだけですからね」

「判ってりゃあいいよ」

「あの、顔の石榴振りは、かなり、口径の大きい、殺傷力のある、拳銃(はじき)だな。たとえば・・・」

「軍用拳銃とか」

さすがに、拳銃を、チャカとは言わなかった。チャカというのは、暴力団用語である。

「軍用か・・・それだったら、小銃が使える。それで、こめかみから撃ち込んだら、顔も石榴になるわなあ」

二人は、道路や、林の中に分け入って

(何かないか?)

と犬のように探しまわっていた。

しかし、鑑識が、顕微鏡で見るように、現場を、探して、何も出なかったのである。だが、渡部が、道路に屈み込んで、道路を水平に見えるように、眼の位置を下げて見ていたが、

「おい。白井。来てみろ」

「何ですか? 渡部さん」

と走ってきた。

「俺と同じ用に、顔を道路に付けるようにして、道路を見てみろ」

白井が、渡部に顔を付けるようにして、道路を透かして見た。

道路は、強くはないが、登り勾配になっていた。

「タイヤ痕が見えるだろ。割と新しい」

「ああ、見えます。タイヤの彫り込みが、深いですね」

「車幅が、普通の乗用車よりも、広くないが? 俺の思い込みかなあ」

「いえ。広いですよ。工事用の、四トン、ダンプでもこんなに広くないですよ。余程の、カーマニアが乗っているのに、ハマーというのが、ありますが、軍用車で、たまに民生に流れるものがある、と聞いています。米軍は、ハマーよりも、中東などで、使っているものは、ハンビーという奴で、固定の三脚台を後部シートに、搭載して、M240Bの機関銃を取り付けて、装甲車のように、戦場を乗廻しているはずです。同乗者は、M4カービンに、擲弾筒と、擲弾サイトのスコープを付けたものを、個人装備で携帯しています。しかし、ハンビーということは、あり得ないでしょう。ハンビーに乗るなんて、余程の軍事オタクですよ」

「詳しいな」

「私なんか、入門者ですよ。だけど、ハマーも、殆ど同じ使い方をされています。ハマーは、ハンビーの民生用の別称だと聞いていますけど」

「ふーん・・・」

渡部は、唸ってから、

「この辺で米軍基地というと」

と白井に訊いた。

「厚木です。しかし、厚木は、空軍基地で、滑走路がメインで、自動車は、日本製を使ったりしています。ハマーも、ハンビーも、陸軍か、海兵隊で、使っているものです」

「海兵隊なら、横須賀もあるぞ。空母の母港になっている」

「そうか。横須賀なら、西湘バイパスを、使えば遠い距離じゃありません」

「被害者(がいしゃ)は、推定年齢が、男性は三十代から、五十代と幅がある。女性も二十代から、四十代と幅がある。何しろ、スッポンポンで、顔は石榴だ。割り出せと言われても、鑑識も、お手上げだろうよ」

「ですね。死亡推定時刻も含めて、司法解剖待ちですか」

「解剖してくれればいいがな。最近は仏さんの数が多くて、医師の方も、手が廻らないそうだ」

「しかし、今回の事件(やま)の仏さんは、解剖ぐらいでしか、確かな糸口は掴めませんよ」

「予算は、所轄持ちだぞ。伊東は、そんなに豊かな予算のある所轄じゃねえよ」

「それは、本部(ほんてん)さんが、なんとかするんじゃないですか」

「だったら、いいがな。署長の不機嫌な顔が、眼に見えるようだな」」

「司法解剖所見がなかったら、動きが取れませんよ」

「その通りだ。あとは、家出人捜索のリスト頼りだな。被害者の身元が、割れなかったら、聞き込みの仕様もない。犬もあるけば棒に当たるじゃな」

「そうです」

白井が、怒ったように言った。

「俺に、当たるな」

「あ、すみません・・・」

白井が、頭を掻いた。捜査の動き始めは、どんな事件でも、五里霧中なものなのであった。

スタートは、捜査員の思い込みや、推理、勘から、動き始めるものなのであった。科

学捜査と言っても、限界があった。けれども、そうした、見込み捜査が、冤罪を生む原因にもなっているのであった。

もしくは、検事に、公判が維持できない、と突き返されるかであった。

「一度、署に帰ろう」

と渡部が言って、白井も同意した。

署に戻ってみると、捜査本部は、暗い雰囲気であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る